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『資本主義の国家破綻』発行
経済学者・鎌倉孝夫氏著
                現段階の経済危機を解明  B6判164頁定価1000円

 長周新聞社は4月30日付で、経済学
者の鎌倉孝夫氏(埼玉大学・東日本国際大学名誉教授)の著書『資本主義の国家破綻――その下での戦争の危機』を発行した。本紙に今年新年号から3月28日まで、36回にわたって連載した文章に著者が加筆したものである。執筆終了直後に、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故が発生したのを受けて、「まえがき――空前の大災害に直面して」が付けられた。
 震災における菅政府のなりゆきまかせの対応は、日本の支配層にまともな統治能力がないことをすっかり露呈させた。そのうえ、復興対策では「国債発行」が平然と唱えられ、消費税増税が当然であるかのようにいって、その負担をさらに大衆に押しつけようとしている。それはこの二十数年来の新自由主義改革がもたらした財政危機に直面する政府が、人民にさらに犠牲を強いる「財政再建」策のどさくさに紛れた実行でしかないのである。
 こうした状況に、「アメリカ国債をなぜ売らないのか」「大企業の内部留保金を使えば済むことだ」などの大衆的な憤激世論が高まっている。さらに、現在のような国家財政の破綻がなぜどのようにしてもたらされたのかが、戦後対米従属のもとで荒れ果てた国情と結びつけて問われており、その打開の方向についての解明が求められている。本書で提起されている問題は、そうした論議を発展させるうえで寄与するものである。
 著者は、震災で暴露された政府の「なりゆきに任せた政治」そのものが「国家破綻の現れ」であると見て、それと不可分の「国家財政の破綻」の性格・本質について歴史的に分析している。民主党政府のもとで国家予算は、国債発行額が税収を上回るに至った。日本の国・地方自治体など政府部門の債務残高(借金残高)はGDPの2倍に達するという異常さである。
 著者はとくに、1930年代の大恐慌・大不況との比較、またその流れのなかで資本主義の現段階での経済危機の特質を浮き彫りにしている。第二次世界大戦後、アメリカを基軸通貨国とする金・ドル交換制(スミソニアン体制)が築かれた。だが、70年代に入ってそれは破綻し、国家介入によって「景気回復」をはかるケインズ主義政策は限界に達した。
 本書では、そこから80年代以降、「公的事業の民営化」や「規制緩和・撤廃」をおもな内容とする「新自由主義政策」が展開され、大資本・金融独占資本の競争力強化がはかられたこと、「世界的規模での管理通貨制」のもとでバブルの発生とその崩壊がくり返されてきたことを明らかにしている。そして、そのような新自由主義の破綻が今や明確となったが、それにも関わらず新自由主義による「危機対策」によって破滅の道を進んでいること、そこに「弱肉強食」の資本の論理が貫かれていることを強調している。
 とくに、現在の日本財政の破綻の根源を理解するうえで、アメリカが「基軸通貨保有国の特権」を利用して、「ドル価値切り下げによる債務棒引という収奪」を強めてきたことについての叙述は注目される。昨年末段階で、日本の米国債保有額は8774億jだが、円高・ドル安で30兆円もが目減りしている。自動的に借金踏み倒しが容認される構造が形成されてきたのである。
 昨年秋、オバマ政府は中央銀行にあたるFRB(米連邦準備制度理事会)による米国国債の巨額購入に踏み切り、「ドル通貨供給増大を通して為替ダンピング」に乗り出した。これに対して、日本政府・中央銀行は、「円高を回避するため」と称して、「金融量的緩和策」によって円マネーの供給を増やし、「紙切れ」になりかねないドル買い介入をおこない、ドルによって国債を大量に購入することをやっている。
 著者は、政府・日銀・財界がいかに「円高による輸出競争力の低下」を危惧(ぐ)してこのような方策をとっても、「ドル価値低下は避けられず、為替差損は免れない」ばかりか、「円価値を下げることは、円高で外国からの資源・原料等を安く買いうるメリットを失う」ことにもなり、「日本は、ますます大きな損失を蒙ることになる」と指摘。こうした「ドル依存の下でドル体制維持策」を続けてきたことが、「日本の財政危機が主要国中最悪」となった原因であることを明確にしている。
 株価至上主義で労働者をモノとみなす「究極の擬制経済」のもとで、新自由主義経済の破綻を繕うための「危機対策」はさらに危機を深めざるをえない。著者は、日本の財界は大リストラを強行するなど賃金コストの引き下げによって、「輸出競争力」を強めて輸出拡大を図ってきたが、それ自体が円高をもたらしたこと、そのためにさらに低賃金労働力を求めて海外生産への転換が図られ、国内産業が空洞化してきた経緯を跡づけている。
 そのうえで、今政府・財界がうち出している危機対策としての「法人税の減税」と「消費税増税」の欺瞞を実証的理論的に暴露している。
 この点では、とくにTPPが「究極の新自由主義」を推し進めるものであり、農業のみならず日本社会の全分野にわたる解体につながるものであることについて、くわしく展開されている。
 政府・財界は「法人税率が高いから、企業は国内に投資せず国外投資を増やす、だから国内の雇用は減る」とふりまいている。だが、これがまったくのペテンであり、法人税を下げて「輸出製造業の競争力」が強まれば、いっそうの「輸出増大・円高」をもたらし国外での生産・雇用へと向かうことも明確にしている。
 著者は、「資本自体の存立も、労働者が人間として生き、人間らしい労働を行われることによって支えられている」「人間の生命を支え、文化を支える人間生存基盤である農業は収支・採算は資本家的利潤原理によっては維持しえない。主権国家はその責任で人間生存基盤を維持しなければならない」との観点から、新自由主義と国家の関係について紙幅をとっている。
 それは、福祉、教育、医療、防災などが「自己責任」「自己負担」とされるなど、国家の「“公”的役割」が、新自由主義のもとで放棄され、国家が資本の「利潤追求・獲得のための手段」にとって変えられてきた問題である。そして、米日独占資本の利益を守る国家がさらに日本をめぐる戦争の危機を招いていることとの関係も論じられている。
 本書で展開されている内容は「社会の本来の主体である労働者・勤労者が現実の主体となる社会=社会主義社会」への展望が現実社会のなかに生まれ成熟していることを確信させる。
 

 

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