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上関原発撤退進める中国電力
              町民をだまし続けた20年      2002年9月14日付

 中国電力の上関原発計画は公然化して二〇年をこえたいま、まったく行きづまっている。中電は口では「建設をすすめる」といいながら、実際の行動では撤退をすすめている。二井知事は国が二〇〇五年の期限を切った市町村合併に重点を移しており、上関町そのものをなくしてしまおうとしている。このようななかで来年四月には町長選挙が予定されるが、それは町の進路をめぐって重大な分かれ道となる。

 最近静かな上関町内 表走り回るだけの中電
 上関町内は最近まことに静かになった。年寄りたちは「これがよい」と口口に語っている。原発建設予定地の四代でも、中電の職員は夕方の定刻になったら決まってやってくるが「来るだけでなにもやっていない」。未買収の地権者のところへの工作もしていない。中電がかきまぜることをしなくなっているのである。中電の職員は確かに車で行ったり来たりしているが、表を走り回っているだけで、月に一度広報紙「かけはし」を配るだけだといわれている。
 中電が町内のいろんな集まりにたいして金をばらまかなくなったといわれてから久しい。タダ酒もいまやほとんどなくなった。一人一〇万円の出資で共同受注の組合をつくったが事務員の経費も出ず、町内の商店から購入していた小間物も注文しなくなったといわれる。
 片山町長が頭にくることは、島根原発の鹿島町では昨年の七億円につづいて今年も七億円、島根町は昨年も今年も三億円を中電が寄付しているのに、財政が行きづまっている上関町の場合、何年もまえから片山町長も町議会も「協力金を」と叫んでいるが出さないことである。以前にも、用地買収金にかかわる町税分をなかなか中電が払ってくれずに片山町長が頭にきていたという話も流れていた。
 上関町内で原発推進策動として表面にあらわれているのは、室津の外村組合長らが林春彦宮司を解任させようとして騒いできたことである。室津の騒ぎは、それがなかったら推進の火はまったく消えてなくなることになり、推進のアリバイのような存在。もう一つは、町長選にむけて、推進派から三人の候補者があらわれて「予備選」の最中という現象である。町長選も、片山町長からほかのどっちが代わっても推進の見こみはなにもない。
 昨年四月、二井知事の合意を受けて国の基本計画に組みこまれたさい、中電は「登山口の入り口まできた」といった。入り口まで二〇年かかったので、いまから五〇年ほどかかるような口ぶりである。「これで終着点」と思わされてきた町内推進派はドッと疲れが出る話であった。今年三月の電力供給計画のときも白倉社長は「神社地問題が解決しなければ動かない」といったが、神社地問題でも動いていない。

 町議選後明らかな変化
 今年二月の町議選後、明らかな変化が起きた。町議選は前回の推進派・反対派談合による無投票という「ウルトラC」の離れ業を演じたあとで注目された。選挙は推進派同士の「守旧派・改革派」を思わせる激しい食いあいとなり、弱体の「反対派」を救い出す選挙となった。推進派の候補が放り出されて、糸の切れたタコのようになった選挙であった。いつも背後からきいていた統制がなくなっていたのである。
 選挙後、中電はすぐに宮司裁判で書類閲覧要求をとり下げた。中電上関事務所では、開設のはじめから二〇年上関にいた「コータロー」こと林所長がやめた。四代などを担当していた古手も逃げて、ようすのわからぬ若いものにかわった。「いま職員はいるのか」という人もいる。中電の余剰人員収容所になっていると悪口をいう者もいる。
 議長選はもめて、結局古参の佐々木氏が議長となった。念願の議長席に座ったことは座ったが、議場からは推進派議員からボロかすにいわれる立場で、まるで被告席に座らせられたような状態。西元議長のときのように中電が議長を議員のとりまとめ役にしていないことを物語っている。

 来年の町長選は推進派三人が乱戦
 町長選は、推進派三人の乱戦である。その背景として中電が「片山はバカだ」といって回ってきた経緯がある。それは前回の町長選ごろからだといわれている。片山がバカだから推進がすすまないというので、「バカでない」のが出ろとあおってきた経緯がある。
 片山町長は次回も意欲あり。右田勝氏は町議を辞退して町長選出馬を表明。そこに室津の浅見努氏が、宮司が承認してない賀茂神社総代長の名前で名のりを上げている。いずれも「片山でなくて自分を」というだけで、町をどうするかで違いはぜんぜんない。
 中電が片山町長をバカといって回っていることに、推進派のなかでは「片山がバカなら中電がバカということだ」と機嫌を悪くしている。というのは、「地元からの誘致運動」というのは中電が頼んでそういう形になったのであり、中電が推進することを地元の者は手伝ってきただけだと怒る。片山町長は、祝島のばあちゃんらから「バカ」「ハゲ」と二〇年罵倒されてきたが、それは中電のためにひき受けた悪役としての役割であり、それをいまになって中電からまでバカといわれているのである。
 ある識者はこれを「三バカ戦争」と解説する。すなわち、中電からバカといわれている片山氏、中電にそそのかされてバカを見ている右田氏、町長選に出るといいながら町民に嫌われる宮司攻撃のバカをしている浅見氏、の構図だというのである。
 重要な意味合いは、三人のだれがなっても推進はすすまず、中電が現地に責任転嫁していることである。それは中電が逃げに入っていることを証明するだけだといえる。
 ちなみに反対派議員の側から出馬の空気はまったくない。町民の反対の声が大きくなるのに反比例して消滅しつつあるのである。
 中電が上関原発からの撤退をすすめているのは、第一に力関係としてまったく見とおしがないからである。神社地にしても共有地にしても、中電ははじめから知っていながらかくして「すぐできる」といって人人を踊らせてきた。ほかにどんなウソがかくされているかわからないのである。

 用地買収も漁業権消滅もメドなし
 直接の手続き上を見れば、用地買収も漁業権消滅も見とおしがない。安全審査のための精査調査では炉心にかかる神社地が最大争点であるが、それだけではない。四代区の共有地も裁判中である。電調審上程、つまり基本計画組み入れは、通産省の目こぼしで、反対派の土地を虫食い状態で計画除外して総面積を八fほどへらして八割を確保するというインチキをやった。しかし建設となるとみな必要である。テロ防衛という時勢に、原発を見おろす土地を放置して建設はできない。第一その土地は、原発によって一方的に無価値になってしまう。
 いわゆる反対派以外の未買収土地がまだ相当数あり、基本計画のために計画除外した反対派の土地がいる。さらに中電はかくしているが、どの原発を見ても、埋め立て沖合は港湾海域として漁業権消滅の手続きをしている。祝島が旗をおろしてからやろうというたくらみであったと思われる。上関大橋も、重量トラックがひんぱんにとおるためにはつくりかえなければならない。送電線の用地買収も話にも出ていない。これだけ見ても条件をそろえるのにはまだ気が遠くなる話である。中電はその働きかけもしていない。

 90年代の推進の支柱 平井・山戸ライン崩壊
 これらの実現は、正面の推進派がいくら騒いでもできないことであり、反対派が投げ出さないことにはできないことである。祝島漁協長の山戸氏がその裏切り要員として配置されてきたが、山戸氏が反対の旗をおろしても上関町の反対派は消滅せず、消滅するのは山戸氏だけという力関係になった。
 上関原発計画が行きづまった最大の要因は、反対運動のボスで、裏切りをすすめてきた山戸氏ら反対派議員の正体が、九八年の町議選挙の無投票まできて暴露されたことである。
 上関原発計画は、一九七八年豊北原発でうち負かされたのち、まき返しをはかったものであった。八〇年代は中電本社から広報の専門員が来て、いわば中電主導の推進運動ともいえた。しかし八七年の町長選挙では、どうしても反対を崩すことはできずに、とん挫してしまった。九〇年代に色めき立ったのは、ソ連、東欧の社会主義が崩壊し、日本でも社会党、「日共」、労働組合の幹部連中がのきなみ裏切りコースをとったことで、チャンスとみなした。九〇年代に登場したのが平井知事であった。いわば国、県の主導となった。中電の側からは「県がやるなら中電もやりましょう」というスタイルをとった。
 こう着状態を破った九四年の環境調査に踏みこんだのは、平井知事の仕事であった。その年はじめの漁業権書きかえで、祝島漁協が四代田の浦の共同漁業権を放棄したことで、原発の手続きはいっきにすすむこととなった。原発騒動の二〇年で、田ノ浦の漁業権を放棄した山戸氏以上に町内で推進に貢献したものはだれもいない。
 平井県政が、九一年からのマリンピア・信漁連問題で漁協をしめあげ、関係漁協を逆らえないようにし、片山町長に放漫財政を組ませ、漁協や祝島を中心とする買収政治をすすめた。とくに決定的なことが、平井知事が九二年から四回も祝島を訪問し、山戸氏との腐れ縁関係を結び、田ノ浦の共同漁業権放棄をさせたことであった。
 こうして九六年末に中電は正式申し入れをやり、原発はできるかに見えた。しかし九七年には電調審上程はとん挫した。県の信漁連問題を使ったしめあげの構造などが暴露され、平生町など周辺市町から反対の声が高まってきたのである。そして九八年の町議選は、前代未聞の無投票となった。推進派と反対派議員の対立構造はなくなっており、「原発はできる」と決めこんでいた、その二種類の日和見主義が予想外の展開にびっくりし、頭をひねくって考え出したのが選挙をつぶすという、公職選挙法にも書いてない大選挙違反であった。それは山戸氏を中心とした反対派議員の裏切りの正体を広く暴露する結果となった。九〇年代の推進構造の核心をなす平井・山戸ラインが崩壊したことが決定的となった。
 この無投票選挙・山戸氏の暴露のあと、中電の最大の代理人をつとめていた田中正巳商工会長が総会で解任される事件が起きる。今度の町議選では議長の二〇年選手であった西元氏がひきずりおろされた。窮地に立ったのは片山町長で、中電からは「片山はバカだ」といって回られる羽目になった。隠れ推進派の山戸氏がいたから正面の推進派は維持できていたのである。町議選後、推進派の片山離れがすすんだが、九九年の町長選は背後の自民党筋の力が働いてなんとか片山でまとめ、反対派議員らの選挙サボで再選となった。
 そして山口県では、豊北原発をうち負かした経験をもつ、豊北原発建設阻止山口県共斗会議が内部からの裏切り潮流の影響を一掃して活動を再開した。それは山戸氏らの手のおよばぬものであり、山戸型反対派がつぶれても反対運動はつぶれず、それ以上に広がるという状況となった。

 自民党と国県のゴリ押しも行詰り
 九九年九月の東海村臨界事故は、「上関原発も終わりだ」という空気をつくった。だがここでごり押しの力が働いた。それは破格の一二五億円という漁業補償となってあらわれた。二〇〇〇年の衆議院選挙で、自民党のエネルギー調査会の会長をしていた佐藤信二代議士は、「自分がいなければ原発はできない」と叫んでその意気ごみをあらわしたが、そのためにあえなく落選した。つづく知事選をへて二井知事は、公聴会を開くことを公表、通産省もそれを受けて公開ヒアリングを開催、〇一年には二井知事が合意をし、国も基本計画に組み入れた。
 この時期のごり押しは、明らかに自民党と国、県の主導であった。県議会では自民党県議団を中心に民主党などもふくめて推進の会ができ、原発利権に色めき立った。漁業補償金も、国の方が工面して中電に出させたという話も流れていた。それは電気料金の上げ下げについての国のさじ加減だけでも簡単なことであった。
 二井知事も中電も「神社地が解決しなければすすまない」といった。ここで「神社地問題の解決」で動いたのは二井知事であった。神社問題では、書類閲覧を求める裁判を仕かけたが、そこで出てきたのが、元県公安委員長の末永汎本弁護士であった。中電が手慣れたおかかえ弁護士を使うのでなく、二井知事の山口高校人脈にやらせた。だがその「コワもて」弁護士のへたくそ裁判はすぐ行きづまってしまった。
 今年はじめには、自民党河村代議士が「神社本庁にパイプがある」と発言。地元の宮司攻撃の騒ぎと、神社本庁の林宮司攻撃に一枚加わっていることを暴露した。これも原発利権を逃がすまいとする自民党・二井知事側の主導であったことを物語っている。
 神社本庁を使って林宮司解任で突っ走るとなれば、町長選に宮司を出せという力が強くなる関係でもあり、どっちへ転んでも原発はストップのすう勢となる。また神社本庁も、国民の生命、財産を守るという愛国心を捨てて、アメリカを崇拝するというのでは、世も末といわれることになる。

 町村合併で推進二〇年も無意味に
 二井知事はいま、市町村合併で国の点数を上げることに必死となっている。国の指示で、二〇〇五年の期限で全県で合併を強制している。上関は柳井を中心とする平生、田布施、大畠などとの計画である。合併は来年までにめどを立てなければ期限をオーバーする。国は市町村の予算配分を削るというのである。
 期限までに原発ができるなら単独財政でいけると考えるところであるが、そのメドはない。合併しなければ町財政はパンクする。片山町長は苦し紛れに中電に協力金を出せというが、中電は島根には出すが上関は相手にしない。中電も電力自由化で企業存続も見とおしも立たない状態で、むだな金は出せないのである。
 合併というのは世間体よくいう言葉であって、ほんとうは吸収であり、上関町がなくなるという意味である。上関町役場がなくなって六〜七人の職員を配置した柳井市役所支所となり、上関から出る議員は一人か二人だけとなり、上関の声は届かなくなる。「上関原発」も消えて「柳井原発」になるわけである。そこで原発をつくるなら、放射能のゴミだけが上関で、金は貧乏な柳井市にとられる関係となる。二〇年の上関の推進はくたびれもうけという結果になる。
 もっとも町議連中は、合併すれば議員年金が柳井市議並みの三倍となって、老後は安気なものとなる。こうして合併は上関原発推進二〇年の除夜の鐘がなりはじめたことを意味する。

 嘘ばかりだった20年 平和でいく約束も破り戦争動員も準備
 中電の親分筋にあたる東京電力が、原発が壊れたまま動かし、ダマしつづけてきたことが、上関町民のなかで深刻な論議を呼んでいる。中電がこの二〇年上関でもさんざんダマしつづけてきたことがダブっているのである。
 中電は町民を日本中の原発視察に連れて行った。問題になっている東電の原発をふくめてさんざん安全と説明されてきた。浜岡や柏崎などいろいろなところに行ったが、いま説明になかった事故を起こしている。配管が割れた事故もあった。それは分厚い断面模型を見せられて安心させられていたものであった。絶対安全というのはウソであった。
 東海村の臨界事故もあった。あんな危険なものであることはかくし、安全だとだまして民家のどまんなかにつくっていたのである。高速増殖炉もんじゅの事故でも動燃はウソばかりいった。電力会社がウソばかりをいうというのはいまや常識となった。原子力ははじめから第一級の軍事施設であり、ほんとうのことをいわないのが世界の常識なのである。
 原発をすすめるうえで、国がダマした最大の問題は、平和でいくという約束を破って戦争をはじめるとダマした問題である。国は戦争をしないというのが、痛ましい戦争を体験して戦後を出発した憲法の決まりであった。ミサイルが飛んでくる時勢に原発をつくってくれというバカはいない。原発は平和が大前提である。
 政府は、新「日米防衛協力指針(ガイドライン)」を結び、周辺事態法をつくり、昨年のテロ事件があるとテロ対策特措法をつくって、原発の自衛隊による防衛体制をとり、自衛艦をインド洋に派遣し参戦した。
 そして有事法をつくろうとしている。日本を舞台にして戦争をやるというのである。それは日本人の生命、財産を守るのではなく、アメリカの戦争のお先棒を担ぎ、その弾よけになるというのである。
 中電は、二〇年ほどまえ、「このままでは上関は一〇年もすれば廃村になる」とふれ回った。漁業や農業は値打ちがなく、企業誘致、工業、都市だけが生きる道だとあおった。現実は、都会に出た若者が、都会で職がなく、上関にもどってくる例がふえてきた。敗戦後そうであったように、「国やぶれて山河あり」で、海と山の存在が人人が立ち上がっていくよりどころとなったのである。
 農業も漁業もつぶしてアメリカに支配させ、金融から通信、あらゆる産業でアメリカ資本の乗っとりが広がり、文化や教育はアメリカ崇拝の植民地的な退廃、政治はアメリカのいいなり、自衛隊はアメリカの下請軍隊で、日本全土がアメリカの戦争のために命をさらされる。国は国民の生命財産を守るというのはウソであった。
 中電の原発推進の二〇年は、陰謀、術策をめぐらし、町民をダマしつづけてきた。そのダマしの最大は、反対派の内部の手先を配置し、反対の顔をさせて推進をさせる手口をとってきたことである。初期の祝島の反対運動は、島民のぬきさしならぬ思いをあらわしたものであるが、それを導く勢力のなかに中電の手先がいて、反対運動が町民から嫌われるようにしむけ、反対運動をつぶしていくというものであった。
 推進派が「外部革命勢力は帰れ」といった勢力のなかにも、裏で巧みに中電とつながるものがいた。その連中が、島根で負けた経験しかない山戸氏を大指導者のようにまつりあげて祝島に送りこんだのである。それは、町民を欺き、非人道的な町民同士のいがみ合いをつくり出した。それは中電が、特務かCIAのような陰謀を使って、町民を苦しめる仕かけであった。
 町内では現在、反対派議員を見て、それが反対派だとみなす世論はほとんどなくなった。自分の飯のタネのために反対の力を利用しているだけで、議会でアリバイのおしゃべりをして反対の行動はいっさいしないという評価を否定するものはいない。
 以上のように、中電とくに、県は上関町民、ことに推進派をダマしつづけてきた。約束違反をしてきたのは中電、国、県の側であって、町民の側がいまや推進を返上するのが筋をとおすことである。
 中電の現在のダマしは、上関からの撤退をすすめているのに、原発はできると叫んでいることである。それは上関町に利権だけを残しておくためである。

 中電自体も存亡危機 自由化やテロ対策、原発廃炉費も重荷
 中電が上関原発を撤退しているという事実は、力関係において負けたというほかに、中電自身の事情によるものである。アメリカの圧力で国は、原発をやれといいながら電力自由化をやれといってきた。加えて「テロ」対策なるやっかいな戦時対策も現実問題となり、金のかかる原発をつくることは電力会社全体が嫌がるものとなっている。
 東電を内部告発したのはアメリカ資本のGEであった。それは電力自由化の抵抗力をそぐためともみられており、中電にとって電力自由化は企業存亡の危機を深めることになる。最近ドイツでは原発会社が倒産した。電力会社は最近、原発の廃炉処理費用が何十兆円もかかるという試算を出した。原発は費用がかかるので国が補助金を出せと要求している。原発は安上がりというのもダマしであった。
 上関原発問題は二〇年の騒動となってきた。いまや最終決着をつける時期にきている。町長選はその最大の機会となる。

 20年来の最終決着を 推進派、反対派行きがかり捨て、町内の団結で
 上関町をめぐるあるがままの実情は、原発建設のメドはなく、中電は撤退をすすめているという事実である。それは片山町長や西元前議長、山戸組合長あたりは知っていることである。中電が上関をバカあつかいして逃げるときに、中電のダマしに踊って「新しい推進町長を」というのはなんの意味もなく、世間の恥さらしといえる。
 町長選をまえにした上関町の選択は、見こみがなくなった原発計画の幻想のうえでいつまでも推進と反対の空中戦をつづけるのでなく、中電が上関原発の撤退をすすめているという現実をあるがままに認めて中電と県に白紙撤回させることである。そのために、二〇年の推進派、反対派のいきがかりを捨てて、町民の大団結を回復することである。
 中電と県は、原発を撤退するといっても、勝手に引き上げればすむわけではない。この二〇年の上関町に与えた、深い傷を修復しなければならない。中電は計画を公然と白紙撤回し、さまざまに町民をダマしてきたことを謝罪して、必要な賠償金は出して、町の建て直しに責任をとらなければならない。平井前知事を引き継いで、バカげた合意をしてさらにもませた二井知事と自民党県連はとくに責任をとって解決に乗り出さなければならない。
 中電と国、県は推進派と反対派の幹部の双方に糸を引いて、町をまっぷたつに割って争わせてきた。人情のあった町、仲良かった町はずたずたに引き裂かれた。中電町になり、金と権力をふりまわして、町民は自由にものがいえなくされた。
 若者の魅力ある町というが口ばっかりで、議員も組合も、町のため、人のために働くものはいなくなり、もっぱら自分のためばかりの老人が幹部に居座って町を衰退させてきた。当時三〇、四〇代だった若かった人材は「もうすぐ」「もうすぐ」といっているまにとうとう出番がなく、五〇、六〇代のジイちゃんになってしまった。
 町財政は片山町長を使ってパンクさせた。それ以上に、この二〇年、堅実に漁業を中心にした生産振興による町の地道な発展を図っていたならば、いまのような無惨な町の経済状態ではない。
 来年の町長選は、以上のような問題が最大の争点とならざるをえない。町民が町のほんとうの主人公として、反対派と推進派の行きがかりを捨てて下から論議をおこし、若い世代の力を結集すること、また人口の多くを占める老人の知恵も結集することが決定的である。町の活性化はどこからか金が下りればできるというのがウソであることは二〇年の経験が証明した。町の活性化は、中電の町から町民主人公の町へ、を実現する人間の活性化からであることは疑いない。

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