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上関町長選挙迷走の背景
上関町を放り出した国と県
              「地元責任」で逃げをはかる    2003年9月6日付

 上関町のやり直し町長選は奇妙な様相となっている。告示まで3週間余りとなったが推進派も反対派も候補者が出ない。上関はリーダーがいなくなって、選挙崩壊、町政崩壊の様相となっている。上関の選挙は、人人の常識をこえたことが起きるという点で名物となっている。5年まえの町議選挙は、推進派と反対派の談合による無投票の芸当で人をアッといわせた。今年の町長選挙は、推進派3人の乱立劇となり第四候補登場で当選したと思った瞬間、神崎氏逮捕で加納氏が辞職の大騒ぎ。補欠選挙は乱立となったが、2日まえに中電が急仕立てした候補が当選し、早くから汗を流した「自主的推進派」候補が落選、いつも背後の力が働いて町民の選挙ではないのである。上関はいったいどうなっているのか。いかなる不思議にも原因がある。選挙をめぐってなにが本当の争点になっているのか、見てみたい。
  
   推進派も反対派も候補者が不在の現状
 推進派の候補ははじめ乱立気味であった。「われもわれも」の声が上がった。しかしこれらは自薦以上にすすまず、現在はチンとして上の方の指名待ちの状態。町の親分がいなくなってしまって、議員が1番の実力者ということになり、冷や飯となっていた片山派・佐々木議長らが「最高実力者」というわけで、候補選定の責任とりの役をさせられている。
 「われもわれも」の自分の欲だけの自薦組では器が足りず、行政につうじた役場の課長らに声をかけたが手を挙げるものはいない。「泥沼に入るのはイヤ」といった人もいるとか。上関の町長といえばこれまで中電、国、県、自民党の公認であったのが、いきなり地元にゲタ預けされても、とまどうのはしかたないことである。
 反対派も山戸氏が「出ない」と言明、だれを出すかは知らぬ顔で、これも動きがあらわれない。反対派議員は、推進派が元気なときは元気だったのに、推進派が元気がなくなったら死にそうな顔つきになってしまった。議員がどうするかといっても、リーダー昇格の岩木氏は年収300万を棒に振るようなバカはしない主義。外村氏は自己破産中で議員辞職の攻めを受けたら議員年金を棒に振る身。小柳氏や上杉氏は高齢。祝島の清水氏は平生町に住み、逃げの体制準備完了の状態である。
 上関町を乗っとってしまった中電の今度の態度は、「地元の方方がお決めになることです」といった調子で表むきはゲタ預けの態度。県も「コメントする立場にありません」とか「地元の政策選択を尊重します」とか「県は関知しません」という調子。自民党の筋も動いている気配はない。中電も県も、逆らう者は脅しつける機構はしっかりと残したまま、また佐々木議長らに選定させて最終的には気に入る候補者を指名する力は保持したまま、第3者のような顔をして、地元に責任を押しつける態勢にある。
 上関の選挙となると、いつも新聞やテレビがヤンヤの報道ぶりであったが、今度は音無しの構え、記者は町内を動き回って関心は高いのだが、書けないのか、書かないのか、記事にならない。これも地元の動き静観の構え。
   
  合併優先で原発切る 国・県の意向が変化
 上関原発問題は22年たつが、すっかり潮の流れが変わってしまった。その潮の流れを読めない者が、つぎつぎに潮にのまれておぼれていく経緯をたどっている。
 20年前後にわたって上関原発を推進してきた柱は、田中正己商工会長を最大ボスにした片山町長、西元議長体制と、裏の推進派として山戸氏を加えた四人組が柱であった。田中氏は5年まえの無投票町議選と山戸氏らの裏切りが暴露されると、総会でクーデターにあい解任された。
 田中氏は豊北町の有福商工会長・県議からその役をひきついだ経緯があり、町の商工会長というだけではなく県の商工会連合会長、全国の連合会理事の役をもらい、中電はもちろん県商工労働部、通産省との関係を密にする位置にとりたてられた。国、県をバックにした権限と電力関係の資金配分の役割も持ち、片山、西元氏をはじめ町内推進派をとり仕切る位置にいた。交代した岡村氏にたいしては、背後勢力はそのようなポストは与えず、ただの商工会長となった。こうして推進派は親分不在となった。いいかえれば中電の直接統治の形で内紛をくり返す形となった。
 ちなみに片山町長は県の町長会長をやり、天皇の園遊会にも出してもらっていた。町内ではバカにされていても、通産省あたりでは、何事があっても「国が安全というから安全だ」といって原発推進を堅持する「日本一の国策町長」として高く評価される関係であった。西元氏も議長会長をやっていた。
 昨年の町議選では、まだ意欲があった西元議長も地元の反乱で引きおろされた。そして今年、片山町長も切られる羽目となった。上関推進の柱3人組がみな切られたのである。
 さらに今年の町長選では、「片山町長ではダメだ」と中電にあおられてきた1人の代表である加納氏が、片山斡旋の形で町長選に担がれた。片山派の看板をはずして「ニューリーダー」の仲間入りをして新実力者の夢を託した神崎氏が選挙違反で逮捕されてあえなく議員辞職。わけがわからないうちに加納氏も辞職の羽目となった。
 こうして推進派の悲劇がはじまっているのである。光市の室積に住んでいた詩人・礒永秀雄が「豊かさは豚の腹」という詩で、“太った豚の群が、にっこり笑って断崖めがけて突進していく”というのがある。推進派がいまや「町長の椅子、議長の椅子、あと半分の補償金」などの夢を追って、つぎつぎに奈落の底に落ちていく羽目となっている。
 上関の選挙の現状、町政の現状は、上関の町内の事情だけで起きているのではない。町内の推進運動ははじめから自主的な運動ではなかった。上関原発は国策であり、中電が事業者として推進策動を直接にめぐらせてきたが、国と県が推進の主役であったし、自民党の代議士や県議が動き、商業マスコミがいつもからみつき、警察や裁判所、右翼暴力団まで動いて、金力、権力総動員の推進であった。町側はそれに利用され振り回されてきた関係であった。
 片山氏が町長をやめた決定打は、柳井地域との合併問題であった。合併するなら原発は終わりとなる、原発をやるためには合併はできない、という選択となった。ここで国は、上関を原発計画があるからといって特別扱いしなかった。いま日本中で大騒ぎさせている市町村合併という国策を優先して、上関の原発という国策を切り捨てたのである。
 つまり国の選択は、上関は原発をあきらめて吸収合併をし、町そのものも解散し消滅させる、国、県、中電はそれを「地元自治体の政策選択」として、上関町側に責任を転嫁して原発を終結させ、責任を問われないようにして収拾する、というのがメッセージであった。
  
  事情知る中枢は切った中電 悲劇生む勘違い
 片山氏批判派の推進派2軍、3軍族は、それまで中電からそそのかされた推進派抗争の流れから、自分たちが片山守旧派に勝利して推進派の主流になったと勘違いした。国は片山氏を切って捨てたのだけでなく上関町を切って捨てたのである。推進派2軍族の悲劇は、自分たちも切り捨てられており、それ以上に責任をとらせる対象にされていることを気づかないことである。
 20年つづいた片山町政は、中電と国、県が万事レールを敷いて、そのミコシに乗る形でやってきた。この事情が根本的に変化したのである。国と県が、上関町の原発推進町政を支えなくなったのである。片山氏が悲壮な顔つきでやった合併離脱表明は、最初で最後の国、県の意向と違う「自主的判断」であった。片山氏としては、20年やってきた原発をほうり出す気にはなれないが、国の支援なしにやっていくこともできない。こうして国からほうり出され、万策尽きはてたのである。国の支援がない町内推進運動というのはカやハエが騒ぐ程度のことでしかない。
 町内の推進派2軍、3軍族の勘違いは、原発はひきつづき国策であり、選挙違反をやってもとがめられず、町長の椅子に座ればいい目にもあえるというノー天気なものである。しかし行政の事情のわかった町の課長らから見れば、そう単純ではない。いまや重要電源指定にともなう予算措置も切れ、この間の大規模事業の元利返済がかさんでいくというなかで、国や県の支援が切れ、おまけに日本中で地方予算の無慈悲な切り捨てという時勢になるなかでは、「自主的判断・自己責任」だけが問われ、結局のところなにもかも投げ出して上関町の整理・解散、合併新柳井市への吸収・消滅の羽目になるからである。
 国、県とのあいだで上関町はそのような深刻な事情におかれているのに、議会ではわけのわからぬ推進派、反対派のバカ騒ぎだけが亡霊のように残るというのでは町政どころではない。
 中電は、原発計画の最初からかかわった、事情のわかる推進派中枢を切り捨て、欲があるだけで国、県とかかわった事情に暗い2軍族をそそのかしてきた。中電は田中氏解任後、片山批判をそそのかしてきた。役場内でも現在副所長の小池氏などがかかわってその騒動をやったが、議員のなかでも右田、加納、西氏らが片山批判派として旗を揚げた。中電は「片山がバカだから原発がすすまない」と推進派2軍族をあおってきた。
 昨年町議選後は議員を辞職し町長選出馬体制に入った右田氏がその瞬間に切り捨てられた。片山氏が出馬表明すると、中電の息がかかった漁協の側が浅海氏を担ぎ、3者乱立となった。
 選挙は中電の意向次第であり、昨年の町議選挙では町連協会長経験者である西氏が中電から600票も集めてもらって急にエライ人になり、町連協会長の吉崎氏が入り、今回の補欠選挙では町連協事務局長で中電側から給料をもらってきた井上氏が中電裁定によって投票の2日前に出馬して、「自主的推進派」2人を切り捨てて当選させた。議会の主要な推進派は、中電の準社員というべき町連協出身者となった。議会推進派は、中電に利害関係が深く、町民からいくら嫌われても中電にはいいなりになる要素を強めた。こうして「推進派は捨てられても捨てられても媚びを売るキャバレーのねーちゃんのようになった」とも語られるようになった。
 神崎氏の逮捕は、山口県警が公職選挙法を突然思い出したからやったのではない。それは国、県の意向が変わったからである。県警は、買収の元締めである中電はしっかり守りとおした。中電の買収、利益誘導、供応などありとあらゆる企業選挙を取り締まるのではなく、その手先となったものだけを逮捕し、何十人も取り調べをして脅しつけた。それは中電や県に文句をいう者はブタバコに入るぞという脅しにほかならなかった。ちなみに中電に血祭りに上げられた神崎氏は、「タンス預金」という迷文句を残して「自己責任」をとり、なおも中電に媚びを売った。
  
   国・県が持ち込んだ原発  格好だけの地元誘致
 上関原発の推進は、格好は誘致という形だが、町内の推進派がやってきたのではなかった。上関原発計画は、1978年豊北町で原発計画が木っ端みじんに粉砕されたあと、自民党吹田代議士が前面に立ち、持ちこんだものであった。はじめから国、県が持ちこんだのである。
 上関原発計画は80年代末には行きづまるが、90年代になって推進の前面に立って巻き返した主役は平井知事をはじめ県であった。県は表向きは中立といいながら、人人の目に見えない裏側から権力を行使して推進の決定的な役割をはたした。最大の関門である漁業権交渉は、企業だけがカネをぶら下げて交渉しただけですすむものではない。そこは漁協を取り締まる権限を持つ県水産部が動かなければできるものではない。
 最大のハイライトは94年の漁業権書きかえであった。地先300bの漁場に設定してあった共同漁業権を地先漁協単独のものに書きかえること、つまり祝島漁協が原発立地点である田ノ浦地先の共同漁業権を放棄することであった。これは人目につかないように、原発と関係ない水産行政の問題という調子で、県と山戸氏が癒(ゆ)着してやった。
 そのために平井知事が祝島に4度も乗りこみ、祝島の神舞見物といって商工労働部長や水産部長が祝島に行ったりし、組合長の山戸氏と酒を飲みかわす関係をつくった。そして祝島の埋め立てや県道整備、ため池などの整備の約束をした。片山氏は、推進をやるには知事とパイプを持った山戸氏が頼みという関係であり、祝島のばあちゃんたちから「バカ」「ハゲ」などと罵倒されながら、また推進派内部では山戸氏と仲がいいことを悟られないようにしつつ、腹が立つのをこらえて祝島の事業に精を出し、山戸氏の応援団長の役割をはたしてきた。
 原発となれば周辺・内海一円の漁協が反対するのが当然である。それを抑えたのは県である。県は90年代、水産庁と県水産部の指導で破たんしたマリンピア・信漁連問題で、その再建策として責任をみな漁協に転嫁し、借金を漁協にかぶせ、締めあげる大がかりなシカケをつくった。恩着せがましく県が支援するかわりに公共的な事業に協力せよと条件をつけ、組合長には連帯保証の判を押させ、漁協が逆らえない状態をつくった(最近ではこの資金は支援金ではなく貸し付けであるから返還せよといっている)。
 上関の関係漁協には、この締めつけで漁協経営をむずかしくさせたもとで、環境調査を認めるならば栽培漁業センターをつくってやるとエサをまき、合意をとりつけた。このような推進は町内の片山氏ら推進派が逆立ちしてもできないことであり、国や県しかできないことである。
 国は上関原発を要対策重要電源指定にし、対応する電源開発予算を出してきた。上関原発の指定をにらんで予算配分の上乗せまで決めた。片山町政の予算は国が支えたのである。町内推進派は国が配分する予算によってさまざまに買収され維持されたのである。
 四代の用地買収も、電調審上程後にしか売買できなかったものを、上程まえに払うことを認めるよう、上関の情勢をにらんで法改定をした(電調審上程後にあとの半分を払うという約束であったが中電はいまも知らぬ顔を決めこんでいる)。用地買収も予定地の八割ほどの確保が条件であったが、国の方が反対派の用地を虫食いのように除外して縮小した計画変更を認めることで上程のハードルを下げ格好をつけさせた。
  
   基本計画の組み込みがゴール
 1996年末、中電は町に原発建設の正式申し入れをし、四代、上関の両漁協が総会で漁業権放棄の決議をし、原発はできるという雰囲気が漂うところとなった。しかしその後流れは逆流をはじめていった。
 県による背後からの漁協締めつけの推進構造が暴露され、平生町など周辺市町での反対の力が表面化し、電調審上程計画はのびのびとなっていき、98年の町議選挙はあてがはずれて無投票を仕組むにいたった。
 無投票選挙は山戸氏の裏切りを暴露するところとなり、その流れは推進派のなかから田中氏の解任、片山批判派の登場となった。99年町長選挙は推進派をなんとかまとめてやったが、9月には東海村の臨界事故が起こり、国の原子力政策は重大な転換を余儀なくされた。
 人人は「上関原発も終わり」と思っていたところ、年末に中電と7漁協のあいだで一120億円もの巨額な補償金を出すということで同意をとりつけた。その半分を埋め立て着工前に払うというのもよそではやらない異例のことである。あとは二井知事が県の公聴会をやり、通産省が公開ヒアリングをやり、知事が合意意見を上げたことで、基本計画組み込みとなった。
 中電が補償金を出すといえば漁協はもらうという関係は昔から変わらず、「地元自治体の政策選択」なら昔と全然変化はなく、二井知事が勝手に合意しただけで、力関係が有利になったというものではなかった。中電の重役は「登山口の入り口まできた」といって、「いまから険しい登山がはじまる」といった。
 経過が示すことは、基本計画組み込みで上関原発はゴールだったという事実である。上関原発で20年以上も大騒動して、基本計画までもいかずに立ち切れになったというのでは、中電も県も国も自民党も格好がつかない。このときも中電は再度「登山口まできた」といって先は長いことを表明した。
 二井知事は神社地問題が解決しなければ、埋め立てや精査調査の許認可はしないといった。神社地問題では、古手の推進派は静観し、中電は2軍族をとりたててヤクザ調の騒ぎの主役とさせた。四代では山谷区長が主役であるが、室津では中電のシナリオで外村組合長や西議員らが躍り出て、林宮司を脅迫し解任する大騒ぎを演じた。
 神社地問題、林春彦宮司への攻撃は、屈服をせずスジをとおすものの存在が怖いのである。それは全町、全県にも影響していくものであり、中電や国、県にとって権威は丸つぶれとなるからである。林宮司攻撃は、原発を建設するためという以上に、そのような政治的な理由が大きいのである。
 県神社庁、神社本庁は四月の町長選挙の景気づけ役として買われて登場し、林宮司の解任を強行した。中電は神社地を買収するのに、神社本庁から四代のお宮まで買収する挙に出た。四代中電神社の宮司となった県神社庁の幹部である宮成宮司は、何度四代の祭りに来ても集まるのは山谷氏周辺の30人で、いまだに四代の氏子から認めてもらえないが、神社地の売却の話ばかりして帰っている。
 今度の選挙をまえにして、中電がやる推進のパフォーマンスは、やるとすれば「神社地売却のめどが立った」という芝居しかない。しかし氏子側が裁判をすれば、地裁から最高裁までの長期間お預けとなるだけである。しかも建屋・炉心にかかる共有地問題で、地裁は立木伐採も整地もしてはならないという判決を出しており、精査調査、埋め立て着工などできる条件はない。
 精査調査をやるために、土建業者のところでボーリング調査などの発注体制などとっていない。そのほかに着工するのに必要な田ノ浦の個人用地の買収など山積する課題はいっさい手をつけていない。神社地騒動は、中電がなおも推進の姿勢を持っていることを印象づけ、漁協などをあとの半分の補償金支払いのエサで騒がせるパフォーマンスとなっている。
  
  町民主権回復が焦点
 以上見てきたように、中電と国、県は実際には、上関原発計画を収拾するために四苦八苦している状況にある。しかしそれは表面上は隠して、上関町への管理支配をもっと露骨に強めながらすすめている。上関原発を建設するのもおおごとだが、20年の混乱のなかからこれを収拾するのもたいへんなことなのだ。現在の締めつけは、中電や国、県が責任を問われないように、かれらの主導権で、町民に文句をいわせないようにし、町民を泣き寝入りさせて上関をほうり出し、逃げるというものである。
 選挙は中電の管理状態であり、中電に逆らって出るには、四方八方からの脅しを乗りこえる覚悟がいる。中電は上関をほうり出すために、逆らう要素を脅してつぶそうとしている。近年やってきた方向は、原発建設に町民を動員する方向ではなく、いままで利用してきた推進派をも分裂抗争させてつぎつぎにつぶし、中電に文句をいわせないようにする方向である。そして町連協出身者などの、中電に雇われたような、中電と特別の利害関係を持ち、町民から嫌われても中電に尽くすという部分を登用してきた。
 20年以上も引き回して上関町を大混乱させ、衰退させてきた中電や国、県が、「地元責任」などといって、なんの償いもせず、責任もとらずにほうり出すというのは、全県、全国的に大糾弾されなければならない。それは市町村への合併強要と同じ性質であり、地方自治を切り捨て、地方の生活を切って捨てて、アメリカに機嫌をとり日本の市場を明け渡すような、政府のいい加減さを象徴するものである。
 原発は原子力施設であり、北朝鮮の核開発を見るまでもなく、国際政治上の第一級の軍事施設である。「お国のため」といってすすめたかつての戦争政治はろくなものではなかった。戦争がらみの原発推進の国策も、この22年のあいだ上関町の人心を腐らせ、生産労働による地道な発展を阻害し、老人も若者も住みにくい町にするもので、ろくなものではなかった。そして町をガタガタに破壊してきた中電と国、県が、なんの責任もとらず、責任はすべて上関町側に転嫁し、上関町側をバカ者扱いにしてほうり出そうとしている。
 この局面で、町内からなおも推進をとなえるのは、中電や国、県から上関町破たんの「自己責任」をとるために名のり出るようなものである。このようななかで選挙が、旧来の推進派と反対派の対立という古い構造をつづけるのでは、墓に入り損ねた幽霊があらわれたようなもので、まったくしらけたものとなるのは当然である。
 町長選挙における注目点は、中電と国、県が表面では原発計画をすすめるようなことをいって欺きながら、実際には上関をほうり出して逃げようとしているという現実を承認して、原発計画撤退を言明させて、この「戦後処理」を正しくやらせることであり、町民の主権を回復し、町民主導による上関町の再建に道を開くかどうかである。せめて大島郡なみの整備はさせなければならない。
 上関町では、小さな町への巨大な権力、金力によるじゅうりんに抗して、町の利益、町民の利益を断固として貫き、町民主導の町再建を担うリーダーを送り出すには、町民のなかで大衆的な世論と運動で支えることが不可欠である。このような国策とのたたかいでは全県、全国との共同斗争が不可欠である。町政の抜本的な転換を担うリーダーは、私利私欲でなく、町のため、町民のため、みんなのために尽くすというものでなければならない。
 町長選へむけて、町民のなかでの大論議を起こし、町政転換をやりぬく力を結集するかどうかが注目点である。

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