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上関原発計画は中止
新エネルギー戦略対象外
            山口県に一基も建てさせず    2012年9月17日

 民主党政府が発表した「新エネルギー戦略」で、上関原発計画が「事実上の中止」になったことが全県の世論となっている。民主党の「新エネルギー戦略」は口で原発ゼロといって実行では再稼働と島根、大間などの原発新増設を容認するなど、選挙目当てのインチキじみたものである。しかし上関原発は、福島第一原発事故の前から祝島の漁業権問題の未解決問題があり、それを突き破ることのできない全県、広島県などの力があって、まったく見通しのないものとなっていた。民主党政府も上関原発については容認とはいえない要因であり、計画浮上から30年におよぶ権力、金力総動員の推進策動にもかかわらず、結局は断念となり、豊北につづく人民勝利を意味したことになる。
 
 中電、国、県には町を立て直す責任

 今回の新戦略で、政府は2030年代末までに原発ゼロを達成する全体目標を掲げた。そのなかで、@原発の稼働年数は40年まで、A安全が確認された場合に限って再稼働する、B今後の新増設はしないの3点が柱になっている。しかし政府の見解といって、本体着工していた3カ所の新増設原発のうち、青森県の大間原発(工事進捗率37・6%)と中国電力の島根3号機(同93・6%)は引き続き建設を進め、東京電力の東通原発一号機については認められないとした。海や山の権利が整わないだけでなく、県民の圧倒的な反対世論に包囲されて立ち往生していた上関は対象外となった。
 新戦略は、10万人もの人人が毎週金曜日に首相官邸前で「再稼働反対!」を叫んでいることに象徴されるように、全国的に「福島を繰り返すな!」の世論が高まっているなかで、二枚舌の民主党が総選挙を意識する形で打ち出している。彼らがいつまで与党の座にいるかわからず、公約を平然と覆すのが民主党であって、未来永劫変わらぬ決定事項というような代物ではない。
 この間の経緯を見てみると、菅直人が「2030年までに14基の原発を新たに建設する」と原発推進政治をゴリ押しし始めた矢先に福島事故が起こり、昨年から今年にかけて全国54基すべてが運転停止に追い込まれてきた。そこで遠い将来の話として「脱原発」を掲げながら、目先の再稼働には道筋をつけることを進めてきた。「2030年までに原発ゼロ」といいながら実際には核燃料サイクル政策も維持したり、40年稼働させたら2050年になる島根3号機、大間原発を認めるなどインチキきわまりないものとなっている。しかし上関原発計画については、現地における力関係において、福島事故の以前から見込みがまったくなかったことが基本にあって、新設容認とはとてもいえず、事実上の断念を意味することとなった。

 町民主導で町の再建へ 責任転嫁図る中電

 政府の新戦略に対して中電は「極めて遺憾。安全対策を徹底し、原子力発電が重要な電源の一つとして信頼いただけるよう努める」とコメント。中電は推進のやる気を示した。中電はやる気なのに国と県が放り投げて責任があるのだというスタンスである。30年上関町を大混乱させてきた中電であり、撤退をするにもスムーズにできるわけがなく、責任を他に転嫁する姿勢と見ることが正当となっている。
 上関町の柏原町長は「国が決めたのなら応じざるを得ない」「原発財源がなくなれば住民サービスの低下は避けられず、人並みの生活から遠ざかる」「国は30年協力してきた地元になんらかの手当てをおこなうべきだ」といって、「戦後賠償」金を出せというスタンスである。
 30年にわたって上関町を弄んできた者の責任は大きく、路線転換するにあたっても、推進してきた国、山口県、中国電力の責任追及は避けられない。上関原発推進の柱となってきた平井、二井県政を受け継いだ山本繁太郎知事は記者会見から逃げ回った。
 30年に及ぶ国と中電による原発推進政治によって、上関町は残酷に分断され、町長・役場も町議会も商工会や漁協や区も中電の下請とされ、売町政治がはびこってきた。そのために瀬戸内海有数の漁場に恵まれた上関で、漁業を中心に地道な生産によって町を振興させようという力が抑えつけられつぶされてきた。
 上関町では、上関町内の推進派ボスはすでに死んでしまったり逃げ出したりで、残った少数のものが相変わらず30年前と同じことを叫ぶ状態で、町民の笑いものの存在となっている。このような国や中電に敗北した長年の売町政治を一掃して、町民主導による町の再建への大転換が求められている。そういう勢力が町の主人公となって町を再建する方向を定めることが求められており、それに対して国、県、中電が相応の賠償責任をとるのは当然である。

 全国と結んだ県民の力 新戦略前から頓挫

 山口県では1969年に豊北町神田岬への誘致をはねつけ、上関でも30年にわたって強固な反対運動が繰り広げられてきた。山口県では、権力、金力総動員の全国まれにみる熾烈な原発推進が企てられたが、とうとう一基もつくることができなかった。これは全国と団結した山口県民の力を示している。
 震災後は山口県の瀬戸内海に面した地方議会が軒並み建設中止や凍結を求める意見書を可決し、周辺自治体も「地元の政策選択を尊重する」などといっておれない状況になっていた。立地町だけの合意で進めることなど不可能で、原発建設の是非は上関の3000人の暮らしがどうなるかだけの範疇を超え、山口県や瀬戸内海沿岸の広域で生活している人人にとって他人事で済まされない重大問題に発展していた。
 それはとくに、被爆地広島における反対世論の圧倒的な高揚に直面することとなったし、空母艦載機の移駐や海兵隊移駐、オスプレイ配備など大増強を続ける米軍岩国基地の隣接地に原発をつくるなど、まさにミサイルの標的にするものだとの強い世論に直面することとなった。これらの全県、広島県の力が上関町民、とくに漁業補償金受けとりを拒絶し、漁業権の変更を認めない祝島住民の斗争力を一段と強いものにしてきた。
 上関原発は民主党政府が原発ゼロの新戦略を決めたから中止になったのではなく、福島事故前から続く実際の力関係が、福島事故でさらに大きな力となったことによって、国や電力会社がどうあがこうと推進することなどできなくなったことによる。
 昨年、二井関成・前山口県知事は、公有水面の埋立許可の延長を認めないと態度を示唆した。08年に知事が許可したものの、その後も中電は埋立工事に着手できず、今年10月に期限切れを迎える。二井県政の後を継いだ山本知事も方針を踏襲することを明言していた。震災以前から埋立工事ができなかったのは、漁業権放棄が完了しておらず、知事が出した許可が条件を満たしておらず無効だったからにほかならない。二井知事にしてみれば、あとの裁判で免許の無効が騒がれ責任を問われる前に、これ幸いに引っ込めたというのが実際であった。
 漁業権だけではなく用地買収にしても全国の原発施設には例がない虫食い状態にある。建屋と目と鼻の先にある土地まですべて買収しなければ原発など建てられる状況にはなかった。
 上関原発計画は、国や原子力メーカー、電力会社、さらに平井元知事と二井前知事の主導で進めてきたし、彼らが旗を振らなければ一歩も進まなかった。瀬戸内の田舎町をさんざんに混乱させ、衰退させてきた連中の責任が追及されるのは当然で、上関町立て直しの道筋をつける責任を負わせなければならない。

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