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中電の推「反」談合支配に風穴
上関町議選挙開票
              奇跡的な田中氏の当選     2006年2月14日付
 
 推進派の総得票率は4%減

 中国電力の原発建設計画を争点にした上関町議選は、12日に投開票がおこなわれた。選挙は無投票をしくんだ推進派、「反対派」談合にたいしてその枠外から立候補した田中氏が当選。推「反」結託の中電支配議会に風穴をあける結果となった。選挙をまえに24年反対の拠点となってきた祝島漁協が、漁業権放棄を意味する合併を決め、町内反対派壊滅の攻撃が強まるなかで、選挙結果は中電への町の売りとばしを許さず、生産を基本とした町の正常化を求める町民の力がいっそう大きくなっていることをはっきりと証明した。

 棄権者は425人で大幅増
 当日有権者は、上関町の廃村化を反映して1994年から899人、2002年から410人減少して3584人。投票総数は3149人で、投票率は88・11%。94年の95・84%、98年の無投票をはさんだ02年の93・17%から大幅減少した。棄権者は94年の186人、02年の272人から今回425人と大幅にふえた。町民を愚弄した推「反」談合支配が町民を動員する力をなくしていることを示した。
 町民が「奇跡だ」といって喜んでいるのが、推「反」談合の枠外から、その厚い壁を突き破って無所属反対派として立候補した田中早知氏が、151票を得て当選したことである。
 田中氏は、本人もビックリ仰天という結果。人に会っても「お願いします」もいわず、選挙カーでも回らず、ポスターに訴えを書いて読んでもらうだけで、あとは「犬の散歩をしている」とかいわれていた。あらゆる候補者が「あれで当選したらたまったものではない」と嘆いたほど。
 開票所で結果を知った住民は、「上関の良心を見た」と喜んでいた。町民の勝手な動きが広がった結果が、当選を呼びこんだ。
 日めくりではりかえられていったポスターには、
 「この小っちゃな町に、暗い長い長いトンネルがある。早く明るい町に出たい。匂いのない金とか、それより始末が悪い目に見えない重圧やデマ」「大変お騒がせしています。心が痛みます。これも皆さんの愛町心による町民の使命かと思います。皆さんの英知を結集して住みよい町を造りましょう」
 「知力・財力ほとんどなし!あるのは気力だけ!」「なにしろ多勢に無勢で勝負は火を見るよりもあきらか。でも、負けを恐れて誰も行動を起こさないと、何も変りません」「素手と原子爆弾ではまるで戦いになりません。せめて竹槍ぐらいあったらゲリラ戦ぐらい出来たのに。しかし無投票が阻止できたことは一つの勝利! 次回の選挙には平成生まれの人が参加できます。若い人が向上心を持って頑張れば上関町は永遠に不滅です!」
 「自然を大切にしよう!地球上で破壊するのは人間だけ! 我が町を守るのも人間だけ! 胸を張って次の世代にバトンタッチできるように悔いのない行動をしましょう」といった文章が踊った。
  今回の町議選は、告示が近づいても最後まで無投票が現実味を帯びていた。そこに推「反」談合構造の許容枠をこえた候補があらわれて、「降りろ」の圧力に耐えたことから選挙戦になだれこんだ。無投票阻止を願う町民の怒りの世論に乗り移って、まぎれもなく中電のコントロールは狂っていった。

 崩れぬ町民の反対の力 長島奥地や室津でも
 落選したのは反対派の村田喜代子氏(白井田)で133票。吉崎芳男氏の135票に2票およばなかった。これまでの上杉氏の選挙にあった祝島からの支援票がなかったことにより、落選という結果になった。しかし崩れることが推進派から期待された地権者がいる四代をはじめ、白井田、蒲井の長島奥地で、町民の反対の意志が崩れるようなものではないことをじゅうぶんに証明する得票となった。
 祝島では、島の票を東西に厳格に振り分けたが、山戸氏が241票、清水氏が224票。祝島漁協が漁業権放棄につながる漁協合併参加を決定するなど、裏切りに批判が噴出しているさなかで注目された。山戸氏らは今度は島外にも出て「ほんものの原発反対派」と叫んだが、それは反対を強調しなければ祝島住民のなかで通用せず、島の反対の強さを証明することとなった。島内では、従来のような「山戸信仰」の要素が弱まり、下から山戸氏ら幹部を反対で縛りつける意味あいが強まったのが特徴である。それは推進派期待の漁協合併、漁業権放棄の撤回を求める島民の圧力の強まりを意味することは明らかである。それにしても、清水氏より山戸氏の票が多かったことは、「だれが投票したの?」の不思議さをともなうものとなった。
 「反対派が崩れた」と攻撃されてきた室津では、平岡隆嗣氏が150票とった。前回外村氏が184票あったのと比較しても、田中氏の当選票ともあわせて見たとき、室津の反対住民は崩れてなどいないことを証明した。この票は、本人が掌握してない無組織の町民が投票した結果である。
 「反対派」でみっともない結果になったのは柏原町長の与党として批判された岩木基展氏。小柳前議員が引退し、その全面バックアップをもらったはずが、過去最低の一七七票しかなく、信用のなさをあらわした。

 中電の判断ミスを露呈 戦戦恐恐の推進派
 推進派では、135票という事実上の落選票となったのが吉崎芳男氏(白井田)。西氏が380票という1人勝ちともあわせて、中電の判断ミス、コントロールミスをあらわしている。推進派の側は、1人しか落ちないにもかかわらず、最後まで票が読めずに、戦戦恐恐とした姿を町民に印象づけた。
 中電と推進派のコントロールミスは、田中氏がどれだけ票を集めるかがわからなかったこと、棄権票が有権者の12%にもなる425人も出たことなどが「想定外」であったことは疑いない。
 注目されていた、反対派から推進派に寝返った外村氏が206票当選という、町民から見たらあまりにも想定外。これこそ「中電のコントロールしかない」というのが町民の観測である。
 片山氏のあとに町長選挙に飛びつき、当選したとたん選挙違反で辞職し、一族による町政支配のドンでもあって大注目されていた加納氏は、親類を基本とした票操作で、かつがつの220票となった。当選はしたものの、ごうごうたる恨みと非難にさらされ、この選挙で失った信用は小さくないものとなった。
 推進派候補の全有権者数にたいする総得票数の比率の推移を見ると、12人が立った94年の選挙で62%、9人にしぼった02年の選挙では61%だったのが、今度は同じ9人が立って57%にへっている。中電のコントロールミスは、推進派の得票率そのものがへっているからである。
 選挙結果は、中電がつくった推「反」談合支配構造の厚い壁に風穴があけられ、強い力で圧力を加えていることを万人に示した。それは中電と国、県を縛りつけ、町民と全県、全国をおおいに勇気づける内容となった。中電の町乗っとりをやめさせ、上関町を廃村・無人島にする売町政治を転換させ、漁業を中心とする生産、町民の共同・協力による町の再建への大転換にむけた町民の力をおおいに激励する結果になった。

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