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上宇部実践を全国へ広げる
人民教育同盟・教師座談会
              戦争おしとどめる教育運動    2014年9月3日付

 今年の第36回人民教育全国集会「子ども・父母・教師のつどい」は、「上宇部実践教育が全国に広がれば、教育から日本を立て直すことができる」と深い確信を与えるものになった。人民教育同盟はこの3年余り、学校現場で鉄棒逆上がり、縄跳びなどの集団的な体育実践を基礎に子どもの知育・徳育・体育を伸ばすことを追及し、そうした教育実践を各学校に広げてきた。七月には上宇部実践をとりくむ教師たちが一堂に会して全国青年教師交流会が開かれ、教師が被爆者や戦争体験者の経験に学ぶことを通じて、戦争体験に学ぶ平和教育を土台とした上宇部実践にさらに確信を深め、実践をすすめてきた。山口県や福岡県の人民教育同盟の教師に集まってもらい、この間の経験や教訓を語ってもらうと同時に、教育運動として全国に広げていく展望について論議した。
 
 親たちの圧倒的支持得た実績

 編集部 まず、今年の人民教育全国集会に参加した父母や祖父母、先生方の感想から出してもらいたい。
  集会では、6年生の子どもたちが、鉄棒逆上がりやマット運動、跳び箱などの技を披露した。空転や仰向け跳びなど見事な技を見せた男子の両親は2年連続で教育集会に参加した。4年生までは子どもの指導に担任が手をやき、親についても学校側としては腫れ物にさわるような扱いをして放任状態だった。5年生になって担任として受け持ち、去年は平和の旅に参加した。集会について母親は、「去年は体育実践と被爆体験に学ぶことをなぜ一緒に考えるのかわからなかった。今年はカンパ活動を一緒にやり、広島に学ぶ平和の旅で息子が成長した姿を見てきた。集会で話された3人の被爆者のような生き方、体験談を根っこにして、体育でも苦手なことを克服して頑張るという内容だということが、集会に参加してわかった。そういう教育をやってくださる先生はすばらしい。2年連続参加して、本当にいい集会だった」といって、家族ぐるみで人民教育の実践を応援している。ある教師が、「こういう先生についていけば自分たち親子もきっと良い方向にいくと確信を持ったのではないか」と話していたが、「みんなのために」頑張る方向で成長する息子の姿に親自身も確信を得て、自分たちもこの道でいこうと応援してくれている。
 別の女子の父親は、日ごろは見られないわが子の跳び箱や鉄棒の様子に感動していた。同時に、一緒に発表した同級生の成長を心から喜んでいる。その子たちが幼少期から勉強や体育が苦手で友だちをいじめていたことも知っていたので、集会で自信に満ち溢れて発表する姿を見て、「あの子たちが人が違うように優しい顔になっている。できないことでもできるように頑張っている」と喜んでいた。
 また男子の祖父も参加した。四年生のころまでは悪さをして祖父母が学校に呼び出されて気を病んだり体調を崩したりするほどだった。それが六年生になって様変わりし、平和の旅のカンパ活動では「ぼくはみんなのためにやることがうれしい」というまで成長した。祖母曰く「めったに人をほめない」という祖父が集会に参加して「子どもたちの一生懸命な姿、運動会で逆上がりができなかった子が手に豆をつくっても練習する姿に感動し、それを喜ぶ親の姿を見て本当にいい集会だった」と帰って話していたことに驚いていた。
  集会に参加した親が感想を書いて学校に届けてくれた。一人の母親は「6年生の子どもたちのマットや跳び箱で、子どもの能力を信じて励ます先生、それに応える子どもに無限の可能性を感じました。その後の保護者の感想を聞いて、先生を全面的に信頼し感謝していることをひしひしと感じました。これが上宇部実践なのかと、これからの教育に希望を感じました」と書いている。何人もの親が「あの六年生のように成長してほしい」といっている。
 また教師の発言がよかったというのも共通だった。「上宇部実践をおこなっている先生が、試行錯誤しながら失敗を糧によりよい方法を模索し続けていることが熱く語られた。そして子どもに本気で向き合っておられることがとても嬉しかった」「先生たちがこれほどまでに“戦争をしてはいけない”“今は戦争になっていくんだ”と考えながら子どもたちに教育しておられることがよくわかった」「被爆者の話も心に残った。私は、今からの私と子どもの人生のなかに“戦争はないだろう”という安穏とした考えしかなかった。今回集会に参加し、私の考えは甘かったと痛感した。政治に参加し、憲法に関心を持ち、教育についての考えをもとうと意識改革が起こった」という感想を寄せている。
 平和の旅にも参加した母親は、「集会に来て先生に対する考えがまったく変わった。はっきりいって教師は子どもを尊重するといいながらもできない子は放っておくものだという不信が強かった。でも、ここで見た先生方は、なんとかして個人の力を発掘し、みんなで一つの目標をもって、そのために一生懸命あきらめないでほったらかさないというのが伝わってきた」と感想を話していた。
 教師の発言のなかで、修学旅行で被爆体験を聞いたあとにインターネットで勉強させて子どもの感動を薄れさせてしまった失敗談が語られた。それをあらためて生の体験談を大事にする勉強に変えていったという内容に共感していた。日ごろ教師に対しておかしいなと思っていることはなかなか言えないが、教師が試行錯誤しながら「みんなのために」の教育を進めている姿に接して「この教育は本物だ」と感じている。
  小学2年の子どもたちも、春の運動会で発表した逆上がりとつばめを集会で披露した。運動会では逆上がりができなかった男の子の両親が家族総出で参加された。これまで懇談会や家庭訪問にもあまり参加されず、学校とのつながりが薄かったが、集会ではお父さんが発言された。公園に行って息子の成長を見ておられたことを知って感動した。やはり親は子どもとかかわろうとする気持ちがあるし、教師がそれに気づいていなかった。「先生ってどうせ子どもを見てくれない」という教師への不信感から親が学校に何か意見を言ってくるのに対して、教師は親を「クレーマー」のように見なして関係がぎくしゃくしていくことが多い。子どもの成長を通して親と教師が信頼関係を切り結ぶ大切さを感じる。
 夫婦で参加して発言した父親は、「先生、もっと話したいことがあった」といわれていた。子どもたち3人が初めて平和の旅に参加し、チラシ配りやカンパ活動がとても楽しかったといっていたこと、今後も参加させたいと語っていた。これまで「ここまで声をかけていいかな」と考えながら私自身が親に対して踏み込んでいけず、父母の側からも逆に踏み込んでいいのかな…という距離があったと思う。学校の中はそういうことだらけではないかと実感した。自分は被爆者の体験と体育重視の上宇部実践が結びついていることについて納得するまでに時間がかかった。これからは行動を通して親とつながり、上宇部実践をなぜ私たちが大事にしているのか知ってもらいたいし、親や教師を巻き込んで広めていきたい。
  今回、平和教室でカンパ活動に保護者が参加され、子ども、教師が一緒にできたことで「今年は何か違う。すごいな」と思っていた。平和の旅では上宇部実践で鍛えられた六年生の子どもたちの姿がいい手本になった。子どもたちは、どの教師が指示を出しても素直に聞くし明るい。小さい子の世話もよくする。集団のなかで自分ができることで力を発揮して班をまとめていった。学校生活のなかで、みんなのために自分ができることをする、協力して助け合うという土台ができている。だから旅に行っても臨機応変にそれぞれが活躍した。上宇部実践というのは本当に子どもを成長させると実感した。
 全国教師交流会では被爆者、戦争体験者の話が衝撃で、ゼロ戦操縦士だった安岡さんは本当に悲惨な状況でも相手を思う気持ち、たくましく生き、命を大事にしてきた思いをたんたんと語られた。その内容と上宇部実践がガチッとはまった。「みんなのために」やるというのが、大きく戦争に反対する力になるということが勉強になった。今年はいろんなものが一つに結びついた。
  平和の旅に小学生のころから参加している中学生の母親は、集会のあと「みんなのために働くとか協力するという力が本当に大事だ。社会人になったらそうでないと仕事はできない。“みんなのため”と一生懸命に教育される先生が増えてほしい。被爆体験や戦争体験を学ぶ学習を学校でもやってほしい」と強く支持されている。
  若い教師が上宇部実践にふれて急速に変わっている。集会で発言した若い教師は、当初の教師交流会に参加したときは「生活のために教師になった」といっていたのだが、教師交流会や七月の全国青年教師交流会に参加するなかで「教師は技術ではない。熱意がいるんだ」という発言をした。正しいと思ったらすぐ行動する実践力はすごい。文科省の権威はなく価値観を求めている。

 皆を解放する教育 親の願いに立ち本音で 教師の立場迫る

 編集部 今回の集会まできてみんなが解放された。子ども、親たち、戦争体験者、教師たちが思いきって本音で語り合った。日本中の学校全体は抑圧のなかにあり教師も子どもも親も本音がいえない。「クレーマー」という話があったが、実は文科省の教育に対して親は批判を持っている。みんなのためにの集団的な教育運動に対してはクレーマーではなく、むしろ積極的に協力している。本当のクレーマーはどっちかという話だ。働く親の常識を実践したら子どもはいきいきと成長しはじめた。
 十数年前から被爆者たちは、「今ごろの子どもは真剣に話を聞いてしっかりしている」といっていた。だが大概はみんな「今ごろの子どもはなってない」と見ていた。被爆者の見方が正しかったし、子どもの持つ力はすごい。それがみんなの認識になって浸透してきた。立場によって見方が違ってくる。人民の立場、まさにみんなが願う教育かどうかだ。
 もう一方の学校教育は、佐世保事件に見られるように「興味・関心」第一で人殺しが出てくるような状況をみなが心配している。佐世保事件では勉強もスポーツもできる優等生が、人体実験をしたいという願望から友だちを解剖した。東大出で教育委員の母親と父親は長崎県最大の弁護士事務所を経営している人物だった。それを指導する人はだれもいなかった。小学校の時にも友だちの給食に漂白剤を入れていたことが明らかになったが、現場から意見がいえない。「興味・関心」第一だが、学校が異常な世界になっていることを浮き彫りにした。
 F 今回は教師不信の本音が出された。広島の被爆者も「私は学校に話しに行ったとき、教師から“なぜ被爆者はそのときに反対しなかったのか”といわれ、教師とはそんなものだと斜に構えて今日参加したが、ここの集会の先生たちは全然違う」といわれた。親が持っている教師への不信は思っていてもなかなかいえないが、それを理解してくれる先生がいることがわかって本音がいえるようになっている。
  上宇部実践のさきがけである上宇部小出身の親は、中学校の先生に子どもの力が認めてもらえないことへの思いがある。今「学力向上」といって学力だけで子どもを見て、小学校のとき上宇部実践で培った子どもの優しさとかみんなのために力を出すという子どもの底流の力を見てくれないことへの複雑な思いを持っている。
 編集部 親の願いに立って教育する教師集団を増やさないといけない。そういう教師が増えれば増えるほどみんなが喜ぶ。日本中の教師がこの間の上宇部実践の内容を理解して実践するようになったら日本中が変わる。実際に子どもたちが育ち、親が喜んでいるのを実践で証明している。この実践を日本中の教師がやろうと思ったら、なぜこうなったのかという実践を掘り下げた理論化がいるし、理念がいる。今度の教育集会や平和の旅などは学校現場での教育実践を基礎に発展した。だから学校に帰ってからも活かせる。段階を画した発展だと思う。みんなそういう教育を願っていた。
 
 組合主義との決別 職員室の重圧と壁 親の支持が決定的

 編集部 ここに至るまでには教師への抑圧、例えば「体罰禁止」などいった障害を乗りこえてきたと思う。人民教育同盟は組合主義の被害者同盟だったところから転換して、教育運動の方向を鮮明にしてきたと思う。実践で教育してみせた。それが一番説得力がある。
  教師が学校の狭い枠内で「子どもが悪い、親が悪い」「文科省が悪い」といって文句ばかりいう被害者同盟、子ども不在で自分の権利ばかり主張する組合主義をうち破っていった。必死で子どもを育てている教師の姿、のびのびと活動する子どもの姿に教育集会で感動した人も多かった。
 編集部 「自由・民主・人権」イデオロギーの一番の賛同者が日教組だが、これが実は佐世保殺人事件につながる「個性重視」「興味と関心」に確信的信念を持った組合主義だった。それと決別しないといけない。組合主義は文句ばかりいって何もしない。実際上は「自由保育」「自由放任教育」を支持し、自由勝手な自己中を称揚するし、教師の利益が第一だ。そういう教師は学級崩壊する。この間、教師が子どもたちの未来にどう責任を負うかという立場に立って、上宇部実践のように鉄棒指導でも教師が朝早くから出てきて頑張ってやろうとすることには反対する。
 B 鉄棒逆上がりをすることについても学校のなかで「逆上がりはいけない」とは直接いわないまでも、「どうして1年生の最初から逆上がりをさせるのか」とか、「教室には堅いボールを置かずにソフトボールだけにしよう」という形で、鍛えることについてプレッシャーがかかっていた。
  水泳の授業でも「これは単元に入ってない」「この種目は○年生は水遊びでいいんだ」とかいろいろ意見はある。教科書にない内容を授業に入れることにはすごく抵抗がある。運動会のかけっこで順位をつけて「等旗」を復活させることを提案したところ、「できない子をさらし者にするのか」とすごい勢いで組合員の先生が否定される。若い先生たちは「等旗」を復活させることに対して素直に受けとめているのだが、論議の余地なしという感じだった。鉄棒実践などに対して「いいな」と感じている教師も多いが、職員室なり教師集団のなかで、それに反対する空気が一方に存在しているのも事実で、なかなか前に進めない実態もある。
 編集部 多くの教師たちはまだ「いいな」という感性的な認識だから、組合主義みたいなのが屁理屈こねて大きな声で騒いだらひっくり返すのが大変だ。そういう目に見えない学校内の抑圧構図に打ち勝つには確固とした理念がいる。
  自分のクラスだけで何かをやることはできるが、複数のクラスをまとめて学年でやろうとなれば、教師が意見を出しあいみんなができる体制でやらないと難しい。いくらいい教育をしているからといって、チャイムに遅れていいとはならないし、みんなが納得するように配慮しながら、子どもを成長させ、実績をつくっていけばみなが認めるようになる。最初は「朝から練習しなくてもいい」「できない子はどうなるんや」などいろいろな意見があったが、そこを乗りこえるのは一つのハードルがある。またいろんな形で足をひっぱるような人事配置をしてくるが、やはり一番強いのは親の支持があることだ。
  学校の教師のなかでは「余計なことはするな」という空気の壁がある。面と向かっていわれないが、「いらないことをしなくていいのに」「時間がかかり過ぎだ」とか様様だ。教師なり職員室が敵だと思うほど重い圧力になる。そういう先生たちの様子を見つつやっている。さっきいわれたが保護者の方は上宇部実践をやって子どもが成長すれば絶対に支持する。それが一番強い。
 編集部 多くの教師を引き入れるような確固とした理念、力を持たないといけないということだ。空中論議では勝負はつかない。現実の教育、子どもたちを成長させたかどうかが勝負になる。
 
 戦争動員との対決 共犯者の妨害突破 全国結集に展望

 編集部 
教師にも二つの立場がある。いわゆる体制に安住して文科省教育に無自覚でいるのか、一線を画して人民の立場で子どもの教育をやるのかだ。働く人民、親たちの愛情の側に立場を置いて、その教育要求を代表してやっていけば親たちも支持し、子どもも解放される。学力も向上するし、教育委員会も文句のつけようがない。「興味・関心」では学力がつくはずがない。
  全国で学力テストの平均点がいいという秋田県や福井県は、過去問題を何度も練習させているようだが、うちは体育から突破して学力が上がったということを自信を持っていえる。
 集団的に鍛えてきた子どもたちのなかでも、学校のなかでは日日矛盾が起こる。わがままをいったり自分勝手をしたり。そういうときに子どもや教師に響くのは「世の中に出て通用するのか」という内容だ。「その態度で広島の被爆者が喜ぶのか」といって叱っている。働く人になっていく資質を問うていく。ただ「学校の決まりがあるから守りなさい」では子どもたちには通用しない。
 F 教師交流会のなかで若い教師が引きつけられるのは「将来働く者の後継ぎになるために学力をつける」「社会の役に立つ子どもを育てるんだ」という内容だった。
  今、市教委や県教委が「学力向上」に力を入れているが目的がない。行政は全国平均のなかで山口県が上位になるためだけに熱を上げている。しかしこちらは違う。平和で繁栄した日本社会をつくるため、腐った社会を変えるためにバカでは役に立たないし、知育、徳育、体育も社会に役立つ人間として必要不可欠なものだ。そこから子どもたちに努力や改造を迫る。全国平均で13位になったからといってなんの価値があるのかという話だ。
  見せかけの点数に一喜一憂している。点数が低ければ教師の能力が低いからだといって現場を責める。県教委が現場に来て、散散皮肉をいって帰っていった学校の話も聞く。子どもの成長や内面世界の変化を捉えずに、学力という数値だけで評価されるものではない。
 編集部 日本中の教師への抑圧はすごい。年寄りは「戦争といえば教育だ」と見ている。戦争には人手がいるし、教育を通じて動員することが不可欠だ。だから安倍政府はまず教育基本法を変えた。それが集団的自衛権行使容認にまでいって「アメリカのために死んでこい」といっている。この間、明確になったのは、戦後型の軍国主義の中心イデオロギーである「自由・民主・人権」の自由放任思想が、人殺しをつくっているということだ。アメリカはそれで戦争に動員している。そして日本でも自由放任教育を強制的にやらせている。アメリカが今どき戦争をやるスローガンは「独裁反対」「民主化」だ。だがイラクのフセインを殺したけど、大量破壊兵器はなかった。広島、長崎の原爆投下も「戦後民主化のためにやった」などという。その結末が今の日本社会で、崩壊するところまできた。
 戦争体験者は、戦争の体験と同時に「みんなで助け合って団結してやれ」と子どもたちに熱をこめて話す。口の先で「戦争反対」というだけでは力にならない。「みなのために」力を発揮する子どもを実際に育てることが戦争反対の確実な力になる。この教育が広がれば戦争が止められる。人民教育同盟が切り開いてきた実践を冊子にして全国に広げたらどうだろうか。その力は質としては証明されている。
 あと、この間の運動のなかで、組合主義や「日共」、社民がいかに犯罪的かがよくわかってきた。敵の共犯者がもっとも厄介者で攻撃してくる。これらは人民の味方ではない。組合主義は目前の利益だから体制擁護になる。国会で野党が消滅しているのと同じだ。そこを突破しないことには教育にならないし、突破したからここまで発展してきた。
  私たちがとりくんできたのは「戦争に反対して平和で豊かな社会をつくる教育実践」だ。このスローガンはだれも反対できない。教育は子どもを教育すると同時に親たちつまり労働者を教育する。上宇部実践に喜んでいるのは働く親だ。労働者の物の考え方に響いている。学校のなかには人民と文科省の非和解的対立がある。そのとき教師はどっちの側に立っていくのかが鋭く迫られている。
 編集部 安倍でも「平和のため」という。戦前の大東亜共栄圏でも「平和のため」といった。彼らは平和のために戦争するという。集団的自衛権とかかわって徴兵制も問題になっているが、突き詰めると「アメリカのために死んでこい」ということだ。そのために英語教育をやり、「興味・関心」第一で人殺しするような子どもを量産し、教育への政治介入や統制を強めている。
 日本人民の斗争の歴史を振り返ってみると、反米を掲げた時はすごい斗争になる。原水禁運動、安保斗争、沖縄返還斗争、その後の米軍基地撤去斗争などが示している。教育戦線もちまちました要求ではなく、情勢と切り結んだものでなければならない。黙っていたらミサイルが飛んできて、気付いたら死んでいたとなりかねない戦争情勢にあって、教育も無関係ではおれない。
 資本主義社会が末期的状況に追い込まれて、剥き出しの詐欺社会が姿をあらわしてきた。金融が世界を支配しているといっても、サブプライムローンはじめとしたいかさま証券のやりとりでこれが破綻して世界中を大混乱におとしめてきた。富む者はますます富み、貧乏人を大量生産してきたが、最終的には戦争という市場争奪に訴えるしかないところへきている。ただ貧困社会といっても、裏返せば今の支配体制を支持する者が減ってしまうことを意味している。支配基盤が弱まって崩壊するということだ。それと同時に、人民的な教育への支持共感が強まっている。物事は両面から、歴史的に見ないといけない。じたばたする必要はない。
  今後、交流会を広げていくことと、ビデオをとっているので発信していく手立てを考えている。学校現場に強力な主体をつくって、理念上もしっかりしたものを確立したい。小集団の自己主張ではなく、子どもの現実、親たちの期待、要望を代表していく教育を実践していけば強い。
 編集部 ここまで突破したら各戦線に影響してくる。人民に奉仕する思想、大衆路線が要だ。実践を対置すれば突き破ることができる。空中論議では決着はつかない。実践で勝負し、その実践によってもたらされた結果に対する評価がすべてだ。働く人民が一番優れているし、人民が持っているモラルこそが未来社会を代表している。抽象的な話ではなく目の前にある。それを見えるようにして形にすることだ。


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