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「必ず村を元に戻す」が住民意志
福島原発周辺の飯舘村・南相馬市
                和牛や農業こそ復興の力      2011年5月6日付

 下関市の本池妙子市議は、1日から5日まで東日本大震災と原発事故で深刻な事態となっている福島県と宮城県を視察した。本紙記者も同行し、現地の実情を取材した。2日には福島県に入り、飯舘村の住民や南相馬市の住民・医療関係者、行政関係者などに話を聞いた。
 福島原発事故で放出された放射能の濃度が高く、「計画的避難区域」に指定された飯舘村では、行く先も生活の保障もないまま出て行けというだけの政府・東電に対する怒りが高まっている。東電の副社長が来たが、補償については1戸当り100万円の仮払金を出すこと以外明確な返事をせず、「なんのために来たかわからなかった」「このまま黙って待っていてもだめだ。バスでもなんでも準備して国会に押しかけるぐらいしなければいけない」と語られている。同時に「必ずこの村を復興して、先祖代代ひき継がれてきた農業を次の世代に渡していきたい」と強い思いが語られている。
 飯舘村は標高が高く、強い岩盤の上に村があり、「この周辺では一番安全な村」といわれていた。3月11日の大震災でも大きな被害がなかったため、津波で家を失った被災者のために仮設住宅を建設する計画で、約1000戸分の用地を確保したところだった。しかしその矢先に「放射線量が高い」と発表され、仮設住宅どころか村民まで村から追い出される事態になった。
 しかし避難先を探そうにも、近隣の市町村にはすでに津波で被災した人人が避難しており、飯舘村の住民の避難先が見つからない。村が4割の世帯分の住居を確保して、濃度の高い地区の住民が連休明けにも出発することが決まったが、残りの住民は今後どうなるのか先行きが見通せないまま屋内待避の生活が続いている。
 ある住民は「一時は警察が80人、原発作業のために自衛隊も800人が駐屯していたが、放射線量が高いといって退避した。最近になって各省庁から常駐で派遣されるようになったが、なにを聞いても“本庁に聞いてみます”というばかりでまったく対策がとられない。住民を守る意志があるのかと情けなく思った」と怒りを込めた。「爆発の日の夜に雪が降り、飯舘村に積もったことから放射線量が高くなった。当初は今より高い数値が検出されていたのに、その間は放置しておいて、今頃になって出て行けという。近くでアパートを探してみたがどこもいっぱいで見つからなかった。県が6万円までは家賃を補助するというが、そんなに安い物件は残っていない」と話す。
 4月に入ってようやく各地区の区長に放射線の積算量を測る機械が配られたが、数値の低い地区もあるという。「耳の悪い父母がいるので、このまま残って村を守ろうと思っている。早めに妊婦や子どもたちなどが避難し、今後濃度が高い地区の人も避難するが、出て行く人もこの村に必ず戻ってきて、もう一度農業をしたいというのが本当の思いだ」と語った。
 農家の男性は、「早く土壌改良をしてくれと要請しているが、なかなか話が進まない。土壌の放射線量を測定する機械も在庫不足といってなかなかこない。企業が購入して自社の敷地を測定しているのに、なぜ飯舘村に回してくれないのか。元に戻す意志があるのか」と語る。三年間村を明ければ田畑が荒れて農業を再開することが難しくなり、村に戻ってこれなくなることを危惧(ぐ)している。
 飯舘村の一番の収入源は和牛。標高が高く冷害が起こりやすいため、複合型の農業で生計を立てている。タバコ、山菜、シイタケの原木など地物の農産物とともに、40年ほど前から和牛の生産に力を入れてきて、品質が評価され始めたところだった。全国各地で自治体合併が進むなか、豊かな農業収入に支えられて独立を守ってきた。本来今の時期は田植えやタバコの植え付けが始まり、村が一番賑わうが、「屋内待避」で農作業もできないという。
 ある和牛農家は、「私たちにとって牛は家族同然だ。放射線量が高いからといって簡単に殺すことはできない。殺してしまえば今後の生活の見通しがなくなる。落ち着いてまた飼うにしても出荷できるようになるまでには何年もかかる。東電が仮払金を100万円配るといっているがみな“住民を100万円と思っているのか”と怒っている。減反した田で牧草をつくっているが、去年の牧草が5、6月で底をつく。今年は刈ってはいけないといわれ、エサをどうするかも問題になっている。爆発直後の本当に危険なときは黙っておいて、今頃になって逃げろというのはどういうことなのか」と語った。
 これまでもタバコの葉やコメの値段が下がり続け、農業の後継者不足が問題になっており、この原発災害で農業が壊滅することがもっとも危惧されている。今から梅雨時期に入ってくると「やませ」と呼ばれる南風が吹き始め、原発側から飯舘村や福島市方面に放射能が広がることが危惧されており、「福島市が全市避難となると大変なことだ。こんな危ない物をなぜつくったのか。全部関東圏の電気なら東京に持って行けというのが本音だ」と怒りを持って語られる。
 また飯舘村は地震に強く安全だということで、2、3年前から東電の原発廃棄物を村の地下600〜700bに埋める話が持ち上がっており、「絶対に許してはいけない」と語られている。

 病院には入院もできず 帰れぬ入院患者

 原発から20`圏内の「警戒区域」、30`圏内の「緊急時避難準備区域」を抱える南相馬市では20`圏内の地点で警察官が検問を始め、住民は立ち入ることもできず、先行きの見えない避難生活を強いられている。住民が自宅に勝手に戻れば逮捕や拘留もあり得るとしたことに、「沖縄戦のときに、住民が収容所に囲い込まれて帰ってみると米軍基地になっていたのとそっくりだ」との実感が語られている。地元の実情におかまいなく国や東電が次次と方針を決定し、自治体を含めて市内は混乱に陥っており、再建の見通しが立たない。復興会議のメンバーが訪れたが、たった10分の滞在で、「来たという証拠を残すためだけで、地元の意見も聞かずに帰って行った」と怒りが語られている。
 20`圏内に住む婦人は、「爆発直後に避難したがそんなに長くかかるものではないと思っていたから着の身着のままで出てきた。立ち入り禁止になっていつ家に帰れるかもわからない。2時間以内で家に帰れるという話も詳しいことがわからない」と話す。こっそり荷物をとりに帰ったが警察に見つかるため選ぶ暇もなく、位牌やアルバムなども持って出ることができなかった。「浪江町や南相馬市は原発でお金は一銭ももらっていないのに、被害だけは被っている。寂しいし悔しい」と語った。
 30`圏内にある南相馬市立病院の関係者は、原発事故から病院を正常に再開することができない実情を語った。原発事故直後7万人の人口が1万5000人にまで減っていたが、地元に戻ってくる住民が増え、5万人まで戻っていると見られており、「医療体制を早急に整えなければ、市民の命を守ることができない」と話す。
 この病院ではもともと常勤医11名、非常勤医3名で医療体制を担っており、300人の入院患者がいた。震災直後は津波にのまれた人人が次次に運び込まれてきており、一時は20`圏内の市立小高病院の患者も受け入れていた。しかし、原発事故を受けて安全な場所に転院させ、入院患者がいなくなったため産婦人科医と外科医3人が別の病院に移った。避難所への派遣などで医師数が減り、現在4人で医療体制を担っている。スタッフの避難もあいつぎ、ぎりぎりの体制だという。
 「今の最大の問題は入院患者をおけないことだ。緊急時避難準備地域に指定されているため入院患者は5人までの3日間限定とされている。市内の病床はもともと1000床だが、現在受け入れられるのはごくわずかだ。隣接する相馬市も人口4万人に対して2病院のため、南相馬市の入院患者を吸収するほど余裕はない」という。しかし1日に1件は脳卒中の患者が運びこまれてきており、「現実にあわせて国が入院規制を取り払うべきだ」と語る。
 経営的にも厳しく、「このままの状況がいつまでも続くと、市内の他の民間総合病院はつぶれる可能性も高い。精神科医も2院がやめるといっており、精神科の患者さんは東京方面に運ばれた。もともと会津と浜通りは医師不足で、とくに内科医が足りない。この病院も本来24人必要なところを11人でやってきた。今後病院がなくなって大変なことになっていく」と危惧していた。


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