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原爆展を成功させる広島の会が相談会
活動発展させる体制強化

            平和築く使命で団結    
 2003年10月7日付
 
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会は5日午後2時から、広島市東区の二葉公民館で今後の会の活動を充実発展させるための相談会を開いた。相談会には、被爆者を中心に約20人が参加。一昨年の旧日銀原爆展以来の活動と今年の福屋での広島市民原爆展の成功の到達に立って、今後継続的に活動を広げ発展させる方針を確認、新たに会則を定めて、会の体制と日常活動を強める方向を論議して決めた。

   峠の作品鑑賞し広める
 原爆展を成功させる広島の会は、2001年秋の旧日本銀行広島支店で開催された広島原爆展を契機に結成された。この原爆展の成功を期して、被爆体験を若い世代に継承することで平和の力を大きくし、子ども、父母、祖父母の3世代交流をはかることをめざして、その後も市内各地の公民館や公共施設、大学などで原爆展を広げてきた。この過程で、会の活動に協力する被爆者がふえ、これまで体験を語らずにきた被爆者が原爆展の会場や学校・保育園で、山口県の修学旅行生に積極的に体験を語ってきた。こうした基盤のうえに福屋での市民原爆展の画期的な成功となった。
 相談会でははじめに、重力敬三代表世話人が「これまでの2年間の会の活動の経過をふまえて、活動の充実発展のために、平和運動を発展させるために討議してほしい」と訴えた。
 下関原爆被害者の会事務局長の杉山真一氏(下関原爆展事務局長)があいさつ。吉本幸子会長の「福屋での広島市民原爆展が成功したことで喜びと感動の広島の夏となった。胸が熱くなる思いだ。広島から全国、世界に広げていくことをせつに望む」というメッセージを紹介した。
 呉市の被爆者で傷痍軍人会の会長・佐々木忠孝氏は「来年2月に呉のそごう百貨店で原爆展をやって、盛大に成功させたい」と決意を示し、協力を訴えた。
 自己紹介でそれぞれの被爆体験と、どのようにして会の活動に出会ったのかを交流したあと、事務局の犬塚善五氏がこれまでの経過と会則について提起、今後の活動予定を報告した。
 犬塚氏は、「これまで代表世話人と事務局をおき、原爆展などのとりくみのたびに、多くの賛同者、ボランティアスタッフの支持・協力を得てきた。会の目的と性格、活動の柱を定めた簡単な会則をもうけ、会費制をとって多くの人に入会してもらい、会の活動の充実をはかっていきたい」と訴えた。また、「被爆体験を継承していく若い世代が登場してきたことは、この運動が将来にわたって発展する保証であり、希望となっている。若い世代とともにこの運動をもっと大きなものにしていくために、持続的な運動にしていきたい」とのべた。
 会則は、「会の目的」として「二度とふたたび原爆や戦争がくり返されることのない平和な社会の実現と、平和な未来の担い手として子どもたちが成長することを願い、純粋に被爆体験を若い世代に継承することで平和の力を大きくする」ことをあげている。
 また、この目的を実現するために@「原爆と峠三吉の詩」パネルを使った原爆展を地域、職場に広げる、A平和な未来のために被爆体験を若い世代に語りつぎ、記録に残す、B峠三吉の作品を鑑賞し、広める――という3つの大きな柱をかかげて運動をすすめることを明確にしている。また、そのなかで「被爆者同士の親睦・交流をはかり、子ども、父母、祖父母の三世代交流をはかる」ことを追求、「この目的にそった他団体や個人との連携、交流をはかる」ことを明らかにしている。
 さらに、「会の運営」では、「平和な未来のために被爆体験を継承するという被爆者の社会的使命の実現をはかることを基本とし、自分のためではなく、私心なくみんなのために奉仕する」ことを明記している。
 自己紹介や活発な討議をつうじて、会の性格とその発展状況が浮き彫りにされ、被爆者が純粋に体験を語り、実務的にも若い世代がそれを支えていく方向が明確にされた。
 出席した被爆者はあらためて被爆当時の惨状を思い起こし、肉親や同僚、友人を失った悲しみとともに、「家の下敷きになって、助け出された」こと、「髪の毛がぬけるなどの原爆症に苦しんだ」こと、「治療のために親や親せきに迷惑をかけた」ことなどをこもごも語りあった。また、こうした体験をつぎの世代に語りつぐことができる喜びをあらわした。
 ある男性は「会社勤めをやめたばかりで、じっとしていてはいけないと思っていたところ福屋原爆展に出会い、会場で体験を語ることになった。元気でいるあいだ体験を思い返して、少しでも役に立ちたい。あすは平和公園で下関の小学生に語ることになっている」と語った。
 佐々木忠孝氏は最近、平和への強い願いから、みずから学校におもむいて被爆体験を語ることを申し出て、子どもたちに語ったことを紹介、そこには戦争体験に根ざした平和への強い願いがあることをつぎのように語った。
 「呉はかつて鎮守府があったところだ。そこにいまも潜水艦が10杯ばかり入っており、護衛艦やイージス艦が出入りしている。戦争になれば、真先に原爆を落とされる。日本は朝鮮、中国、ロシアなどの近隣諸国と平和で仲よくしていかなければならない」
 また、病院がよいや体力的な条件なども論議になり、「会員の活動は強制ではなく、主旨に賛同してできる範囲での協力をする」ことであり、広く入会を呼びかけることが確認された。

 地域原爆展の準備も広がる
 今後の活動予定として、@府中町町民祭り(10月12日)、A広大医学部霞祭(11月15、16日)、B廿日市市美術ギャラリー(来年1月6日〜12日)、C呉駅前そごう百貨店7階(同2月17日〜22日)が確定しているほか、多くの地域から原爆展開催の要望が出されていることも報告された。
出席した広島大学の教官は、「元安橋の原爆展で出会い、福屋での原爆展に感動してなにかしなければならないと思うようになった。西条の本学でも原爆展をできるようにしたい」と語った。

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