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県が担いで山戸再登板
上関町議選挙結果
               自治労などが支えた選挙戦    2014年2月17日付

 上関町議選が16日に投開票を迎えた。福島原発事故を経てはじめて実施された町議選は、かつてなく町内外で新規立地の見直し世論が高まるなかでおこなわれた。審判を恐れて直前まで無投票願望が働き、推進派も反対派も選挙回避に走っていたが、枠外から候補者が登場したことによって、一転して選挙にもつれ込んだ。ただ、選挙構図そのものは旧態依然としたもので、だれが当選しようが落選しようが、大勢に影響など及ばないことが特徴となった。当日有権者数は2992人、投票率は86・03%。
 名護市長選に続いて東京都知事選、山口県知事選と安倍政治への審判を問う選挙が連続し上関町議選は全国最後の新規立地を巡る是非が注目を集めた。ところが原発問題の争点化を避け、とりわけ推進陣営はもっぱら「福祉を充実させます」「町の発展に尽くします」等等の田舎選挙に終始。福島事故と向き合うことを意識的に避ける対応を見せた。対する反対派陣営も町民からの信頼が乏しく、不景気な顔つきで町外のよそ者が応援して回る様子が話題になっていた。
 選挙結果は、
◇推進派
西哲夫  301
山谷良数 268
右田勝  229
嶋尾忠宏 214
岩木和美 203
河村満生 191
海下竜一郎183
山村泰志 155
三舟晴美 137
◇反対派
清水敏保 261
山戸貞夫 235
田中照久 149
田中早知  33
 定数10に対して、推進派の三舟、反対派の2人の田中が落選した。無投票阻止を表明して戸津地区から立候補した田中早知に対して、中電は急遽同じ戸津地区から三舟を担ぎ上げたが、当選させるまでの票は配分しなかったことを伺わせた。人材のいない「日共」集団は宇部市から田中照久(民主青年同盟県委員長)を連れてきて出馬させたが、二度目の落選となり、再び町民からは相手にされなかった。
 上関原発計画を巡って、この間、最大の焦点になってきたのは祝島の漁業権問題で、全県的にも、全国的にも島民たちの身体をはったたたかいが注目を集めてきた。福島事故後は、それまでの「原発はできるのだから補償金を受けとれ」という攻勢が、「原発はできないのだから補償金を受けとらなければ損」という懐柔に切りかわり、要するにカネを受けとらせることによって漁業交渉妥結に持ち込むのが、推進手続きを請け負っている県当局の狙いだった。しかし県漁協を通じた恫喝も跳ね返され、上陸すら拒まれ、島民の決起に為す術がない状態となった。
 こうした状況のなかで、今回の選挙では降板していたはずの山戸貞夫が再登板したことが注目される動きとなった。祝島では支持基盤を失い、うらぶれていたのが、この間の補償金受けとり騒動で「もらわなければ損」と主張していた漁民らの応援を受けて表舞台に復帰し、こうした「隠れ推進派」以外にも公然と推進に寝返っていた漁民勢力の票を集めての選挙となった。
 島内では従来なら統一選対でたたかっていたのが、それぞれ別に事務所を構えるというはじめての分裂選挙となり、漁師はみな山戸に入れるよう指示が飛んだ。ところが区割りにも造反者が数十人規模で出るだろうといわれ、祝島でのあまりの反応のなさに山戸本人が落ち込んでいた様子も話題にされていた。反対行動を貫いてきた島民は主に清水応援にまわり、山戸陣営に近づかなかったことも特徴となった。そうしたなかで、山戸陣営を支えたのが、自民党県政与党の自治労や高島みどり(県職あがりの自然保護活動家)、などの外部反対派勢力だった。
 「反対派のカリスマ」といって持て囃してきたのは商業メディアであるが、そもそもの出発からして平井知事・山戸貞夫ラインで行き詰まっていた上関原発計画は推進手続きを前に進めてきた。90年代の漁業権書き換えの裏切りによって漁業権交渉に道が開かれ、2000年代に入ると漁協合併によって有無をいわせず漁業権を剥奪していく動きに拍車がかかり、そうした問題の度に漁業権書き換え誘導、合併誘導をやって、祝島島民のたたかいを敗北に導いてきた。
 しかし反対の顔をして島民の願いを欺いてきた正体が暴露されて力を失い、漁協合併を機に会計問題を摘発されて県当局から引導を渡され、いったんは排除されていた。ただ、その後、推進側の攻勢がスムーズにいくかと思いきや、天下をとったはずの新興勢力も軒並み自滅していき、下から島民たちのたたかいが迫力を増して破綻。正面から推進攻勢をかけるよりも、再度山戸を登用し、内部からの裏切りに依拠しようとする力が働いたことを示している。事実、県当局とパイプをもった祝島の新興推進派が、あれほど山戸批判していたのに、今回の選挙では「漁業補償金がもらえるようになるから」といって懸命に応援して回った。自治労もいっしょになって再登板をお膳立てした。
 祝島の投票者数は404人だったが、島内の力関係だけ見るなら、清水票、山戸票の差は26票というものではない。「落ちるかも知れない…」といって周囲にうなだれていた通り、相当な票差であったことは疑いないが、その分、山戸再登板を保証する秘密の票が長島側からまわったことを示している。
 なお、推進派ではかつて2人分の得票を誇っていた西哲夫も人並みとなり、前回選挙で中電が反対派崩しのシンボルとして擁立し、得票を世話していた海下竜一郎は100票近く減らす現象が起きた。

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