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県下一粗末な子どもの扱い
江島市政の教育行政
             家庭崩壊市長の荒廃教育   2005年3月10日付

 壊れたトイレは長期間放置、犬猫並の給食食器
 「これからの国を担う子どもたちにしっかりとした環境をつくるのはたいせつなことではないでしょうか。安心して子育てができる環境をつくってほしい」。ゴミ袋を値下げさせる会の母親がはじめた「教育のアンケート」に寄せられた熊野小の母親の意見である。同時に多くの父母や教師の願いでもある。全市の母親の動きによって集められた50校1000枚をこすアンケートには、下関の子どもを粗末にする江島市政のデタラメな教育政策への怒り  美祢市の給食食器と下関のアルマイト食器
が満ちている。「米国基準の新型人間」で「時代の先端を行く」かのような気でいるが、子どもたちを粗末にすることは、郷土と日本社会の未来を踏みにじるものであり、とんでもない時代遅れの反動といわざるをえない。
   
 やせ細る教育予算 増える一方の父母負担
 アンケートをとりくんだある父親は、10年まえの選挙で江島市長がシーモールの前で「下関を学園都市にします!」と大演説したことをはっきりと覚えている。それは詐欺であった。
 旧下関市の子どもたちが学校から持ち帰る集金袋は、小学生で給食費、PTA会費などで5000円、それに加えて「生徒活動費」「教育振興費」「施設整備費」「諸経費」……など親には中身のわからない項目が無数に並ぶ。
 事務職員に聞くと「いまの市長になってから教育予算が5〜10%削減されて上がることはない。とにかく教育にお金をかけない。学校で絶対必要なテストやプリントの用紙代やインク代などまかなえない。もっというと校内の修繕も教育委員会にいうと“学校で修理してください”といわれる。その材料代も保護者から集めたお金です」とすまなさそうに説明する。
 別の事務職員も「人工島や義経の像は建てるが、下関はとにかく義務教育費を“受益者負担”にしていることが全国的にも顕著だ」と指摘した。
 アンケートの母親の意見のなかには「学校で使うセロテープやのりなど必要なものは学校で準備してほしい」と当然の思いが寄せられている。実態は、用紙代をはじめ理科で使う虫めがね、手鏡、道徳の教科書、なかにはトイレットペーパー代まで“自己負担”にされている。それは宇部市や美祢市などではひじょうに驚かれている。
 下関市の中学二年生の教材費だけ見ても、18年まえ1万354円であったものが今年度は2万3050円と2倍以上になり、父母負担がふくれあがっている。そのことで心配されているのは、子どもたちのなかで格差が生まれることである。
 またアンケートで多くの母親が指摘したのは給食のアルマイト食器。昭和30年代から変わらない、ぼこぼこの下関のアルマイト食器と美祢市などのプラスチックのような耐熱性食器の差に母親たちは驚いた。「アルマイト食器に温食を入れると熱くて持てないので、子どもたちは食器を持たずに“犬食い”をすることになる」「これが教育か」という。
 さらに母親が指摘するのは“使用禁止”のトイレが数年放置されていたこと。教育の場で子どものデリケートな心にたいしてあまりにも無神経として怒りを買った。また体育館の照明がしょっちゅう切れていたり、台風で壊れた正門が数カ月も放置されているという実態。学校側が教育委員会に何度いっても「予算がない」と修理されなかった。教育委員会に報告せずに、親から徴収した教育後援会費でトイレのカギを修理した学校もある。
 小・中学校の大規模改修工事は、10年まえには毎年2校、多い年では同時に3校おこなわれていたが、最近では1校しか認められていない。1校につき2、3棟あり、大規模改修は2カ年かけておこなわれることが多いことから、いまの計画でいけば100年たっても校舎の改修ができない。
 父母への負担は、お金の面だけにとどまらない。土、日には親が売り子になって年に3、4回のバザーや廃品回収をやり、日常的にベルマークを集めて給食のエプロンや学校備品、図書費などをねん出している。

 小中学校費も5年間連続でカット 旧4町とも大違い
 旧下関市の今年度の小・中学校費(学校建設費を除く)は、21億9800万円で5年連続のカット。予算のなかでも用紙代や印刷代などの消耗品費の削減がひどい。小学校33校にたいして、2000年度には1億667億円あったものが、2001年には3090万円とマイナス71%の大削減、今年度は昨年度比8%マイナスとなり、2960万円となった。予算のなかの学校の修繕費も今年度は10%カットされた。
 このような下関の状態について、合併して旧四町の教育がどうなっていくのか教育関係者が心配している。下関から旧菊川町に赴任したある教師は「下関では自分で用紙を買ってきてプリントを印刷していたが、菊川町では“ここの用紙を自由に使っていいんですよ”といわれ驚いた。下関では、父母からの学級費のほとんどが用紙代、印刷代でしたから」と旧豊浦郡との違いを指摘した。
 また江島市長はPTA、父母、地域をまきこんだ学校の機械警備反対の署名運動を無視して、三年まえから小学校から順番に宿直員を廃止して機械警備を強行実施した。「学校はオフィスビルではない」「宿直員さんとのかかわりがたいせつな教育の一環だ」という父母の思いには耳を貸さなかった。
 江島市長はパソコン人間で、その分野だけはすすんでいるかというと逆。事務処理用のパソコンがないことも県下でもっとも遅れていることの一つ。この5、6年で県下の市町はパソコンをそろえていったが、ないのは下関だけとなった。ある事務職員は、「県の集まりの場などに行くとひじょうに恥ずかしい思いをする」という。
   
 国の事業だけ熱心 教育現場は混乱
 通常の当然いる教育費を削る一方で、中央むけの目新しい事業だけはごり押ししてきた。2年まえには川中中の「教科教室型」中学校(学年7クラスある大規模校としては全国はじめて)の建設計画や2学期制を現場の知らぬまに持ちだした。文科省のすすめる教科教室には、国が出す何十億かの金に行政サイドが飛びついたといわれている。「“先進”といわれるようなことをしたら中央がふりむいてくれるからだろうが、思いつきに振り回された」と現場教師には評価されている。自分の利益のための身勝手な教育現場への不当な介入が現場教師を混乱させた。
 「学校教育をどうするかは、教師と子どもをかよわせる保護者や地域が、じゅうぶん論議したうえでやる気にならなければできない。江島市長のように市教委もとびこして、教科教室や2学期制を押しつけるから、職員室や地域を巻きこんで分裂が起き、信頼関係がズタズタになる」。また中高一貫の「中等教育学校」(県内ではじめて)の新設など、国のモデル事業を実施して子どもを実験台にすることに怒りが上がった。
 また自分のパフォーマンスのために、子どもを利用することも許されないこととして語られている。3年まえに市長が自慢して誘致した国際捕鯨会議(IWC)のあと、参加者が熊野小を訪れ6年生がうたや合奏で出迎えて、帰りには整列してのお見送りをさせられた。そのおかげで修学旅行の事前学習がなおざりにされ、「広島への修学旅行がただの“卒業旅行”になった」と母親のあいだで語られている。
 また2年まえの10月には、ロシア、アメリカ、日本の宇宙飛行士との会合に市内中学校から1000人が動員させられた。文化祭の準備のたけなわな時期に学校現場が引っぱり回され、「結局市長一人が話していた」とあきれられている。

 原爆賛美の偏向教育も
 4年まえ、下関原爆被害者の会が呼びかけ、自治会や老人会、戦争体験者、母親、企業や医師など各界の市民数千人が、下関の子どもたちの教育のために、数百万円の拠金をして、すべての小・中学校に原爆展パネルを寄贈した。市教委、江島市長サイドからの隠然とした圧力がかかり、受けとらない学校も出たが、その後の活用も押さえつけられ、被爆者、地域と結びついた平和教育が阻害された。江島市長の政治が、アメリカの犯罪などは極力美化するというきわめて偏向に満ちており、学校管理が子どもに愛情のない小役人登用の人事が横行しているのである。
 教員人事でも、“うつわでない”人物が夫の人事権で校長になり、学校現場は教師と生徒、父母との信頼関係をいっきに崩壊させることになったことが問題となった。
 またみっともないのが、全国から学生を集めた下関市立大学からのピンハネである。市立大学というが、国からおりた大学への交付税は、大学にはやらず、学生が納める学費だけで運営し、全国で突出したデタラメぶりをつづけている。国がやっている独立行政法人よりもっと先をいって、中央に自分を売りこもうというのである。
   
 市長選の重要争点 子どもに暗い顔させるな
 江島市長が「学園都市にする」と約束してやったことは、以上のようなありさまであった。下関の子どもにたいしてまったく愛情などというものはないのである。江島市長は、離婚訴訟で、「香辛料を使った料理をつくらない夫人」と九九年から別居し、四人の子どもの親権は放棄し養育費を出すとしていた。家庭崩壊し、自分の子どもにすら愛情がない人物が市長をやり、下関全体の子どもを粗末にあつかうというのでは、下関にとって迷惑になるという関係である。
 市教委の予算査定で職員が報告しているときも、いつも寝ていて聞いてない。それがめずらしく、突然起き出していったことは「小学生の名札を廃止したらどうですか」という内容で、「自分の子どもが名札をつけているといじめられる」と自分のことしか考えないものだった。
 教育アンケートは、短期間で1000枚をこえ、母親たちの子どもたちへの教育への愛情の深さとともに、それをないがしろにする江島市長のデタラメな教育行政にたいする怒りの深さをあらわした。
 下関が不況で、いかに貧乏をしていたとしても、子どもの教育だけは立派にしたいというのはすべての市民の要求である。教育も、それぞれの家庭の投資であり、「受益者負担」「自己責任」がすすんだアメリカの考え方とみなすことを、小泉首相がいい、文科省がいい、教育をさんざんに荒廃させてきた。そして、学校で差別をまんえんさせ、子どもたちを暗い気持ちにさせている。
 子どもたちは、個個の家庭の子というだけではなく、社会の子であり民族の未来を担う子どもである。したがって、教育は機会均等でなければならず、義務教育費は無償でなければならないと定められてきた。そうでなければ、日本社会の発展はないからである。市長選において、江島市長の教育政策について、郷土の未来がかかった重要な争点として、市民世論を大きくしなければならない。

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