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県民の維新への誇りを冒とく
高杉晋作史料強奪事件
               植民地かいらい勢力の仕業    2004年12月7日付
  
 下関吉田にある高杉晋作が眠る東行庵から高杉史料が強奪された事件は、下関はもちろん萩市をはじめ全県の、高杉晋作とともに明治維新を成し遂げた父祖たちの事業を誇りとする山口県民の強い怒りを呼んでいる。資料の持ち出しは、特定の連中が示し合わせて、人人を欺き、ある人人を攻撃し、また人人の意表をついて、強奪するという、謀略的な様相を持つものであった。それは商業マスコミが騒ぎ、県が関与し、弁護士や裁判所までくり出してきわめて大がかりな、まるで戦時中の特務機関がやったような観を呈している。この流れは近年、学者の世界では維新の敗者をたたえることがはやりのようになり、NHKは新選組をほめたたえることとつながっている。小泉首相はアメリカのカイライ政府の姿をさらし、日本社会の植民地的退廃は目に余るが、そのような売国勢力が高杉と維新革命を攻撃しているのである。それは高杉晋作への冒涜(とく)であるが、同時に高杉晋作を尊敬し、高杉とともに倒幕を成し遂げた百姓、町民を父祖に持つことを誇りとする山口県民を冒涜するものである。維新の最大拠点である山口県でこそ、そのような歴史の偽造を容認してはならない。
  
 意図的な東行庵攻撃 地元の分裂を策動
 一坂太郎氏が東行庵の責任者を相手に起こした解雇不当、損害賠償請求の裁判で、萩市が事前に日通へ東行庵からの運搬を手配し、運搬料まで払っていたことが発覚して、地元吉田をはじめ人人は、「やはりそうだったか」という思いとともに、そのやり口の汚さと大がかりなことにあらためて驚いた。
 史料も持ち出しは、「東行庵の管理が悪いので高杉勝氏がひきとる」「行き先は決まっていない」という理由であった。それをマスコミもヤンヤと騒ぎたててきた。萩・野村市長は「マスコミ報道ではじめて知った」といい、「史料の(県外)散逸は防がなければならない。史料と一坂さんはワンセットで晋作生誕の地である萩に来てほしい」とのべた。そして1カ月後の3月6日には萩市への「正式寄託」を発表し、「県外流出を阻止した萩市の手柄」のようにいっていた。
 実際には、萩市が日通山口支店に運搬を手配し、そのままトラックに積んだままにしたあと防府通運(株)山口営業所のトランクルームに移し、5月4日に萩市郷土博物館へ搬入していた。その間知らぬ顔をし、さらに「7月27日に、高杉家から萩市へ搬入された」とウソの発表をしていた。
 ひじょうにハッキリした事実は、萩市野村市長側がはじめから一坂氏と示しあわせて、東行庵の高杉史料をとろうとして計画したことである。「萩が高杉史料をほしいので、譲ってほしい」と頭を下げてお願いするというものではなかった。逆に、東行庵の役員側を「管理が悪い」とか「カネに汚い」とかいって攻撃し、萩市側が正義派のような顔をして手に入れようとした関係であった。
 東行庵側には、2月末に史料を引きとると連絡して、急きょ2月1日にトラックをよこすとその前日に連絡し、その間一坂氏が荷物を運び出す準備はすませておいて、東行庵側には事態を理解する余裕を与えず、それ以上に内紛、吉田地域の分裂を起こさせて、なにはともあれブツを押さえるという作戦をとった。

 抹殺を図ったマスコミ対応
 東行庵側に負担を与えたのはマスコミの対応であった。山口新聞をはじめとするマスコミは、頭から東行庵側の問題を責めたて、記者会見はまるで集団的な糾弾大会のようになり、東行庵側をうろたえさせ、怒らせて、「東行庵は墓を守るだけでよい。史料はいらないといっている」と言葉尻をとらえるなどして、東行庵の責任者を攻撃した。山口新聞などは連載まで組んで、東行庵の財政を一部幹部が不正流用しているかのような描き方をした。社会的な抹殺をはかったのである。
 さらに、東行庵で雇われながら高杉史料持ち出しに加担し、東行記念館をつぶす役割をした一坂氏は、解雇が不当であり1000万円の損害賠償をせよという裁判をして、東行庵役員に冷静な対応ができないように揺さぶる作戦もやった。これには山口県の弁護士会の最大ボスとされる二井知事の選挙後援会で功労をあげて県公安委員長になり、県警側も顔色をうかがう関係の末永弁護士がついて、裁判にもにらみをきかせるものであった。
  とくにターゲットになったのは、東行庵の兼務住職であった江村住職であり、「江村親子が東行庵の史料の売り飛ばしを狙っている」というようなデマが流され、吉田住民に不安をかきたて分断させる手口も使われていた。

 事件と前後して功山寺騒動
 そして、事件と前後して功山寺騒動が起きた。東行庵など5つの末寺を持つ長府の功山寺では、長年実質の住職をつとめてきた江村氏を追放する動きが、大多数の檀家を無視して、曹洞宗のボス側から起こされた。この騒動も裁判になり、これは共産党の看板をかけた田川弁護士がつき、江村氏の大不祥事を騒いで、東行庵の住職を解任して功山寺からも追い出す理由にするというものであった。
 高杉史料を奪うという計画のために、最大のターゲットとなった江村氏は、高齢のうえにこの騒動によって心労がたたり死亡する結果となった。
 もう一方で、不信を増しているのが江島下関市長の態度である。事件が起こると、史料は東行庵にもどせというのではなく、「引き揚げた高杉史料は下関の新博物館に」と唐突な発言をし、直後には市長みずからが発起人となって、史料のひき留めを要望した署名を訴えた。署名は文化人や自治会の熱意をあらわし、10万人を突破した。
 だが江島市長は、10万の署名をどう使ったかも不明で、それをバックにして史料返還を要求しなかった。野村市長側の「正式寄託」発表になると、江島市長は「残念でならない」と早早に断念を表明した。全県の市長のなかでも、江島市長と野村市長の仲のよさは有名な話で、話はできていたというのが関係者の一致した評価であった。
 
 維新冒涜の政治動く 二井県政も加担
 高杉史料の持ち出しをめぐっては、「3年まえから一坂側は萩の市長と密約をかわしていた」(曹洞宗・寺関係者)といわれている。そのころから一坂氏の萩講演がひんぱんにおこなわれるようになっていた。「萩・野村市長と高杉氏、一坂氏は史料持ち出し騒動が起こる以前から仲がよく、東京で毎年おこなわれる松陰祭りには、3人がそろって参加していた。萩の新博物館計画が上がったころ、一坂氏は、萩市長が東行庵の史料をほしがっているということを口にしていた」と関係者は指摘している。
 もともと学芸員を雇える財政事情になかった東行庵が、一坂太郎氏を雇うことになったのは、3代目庵主・谷玉仙尼が亡くなった直後に、高杉氏の紹介であった。はじめは「無給でいいから」と懇願され受け入れた経緯がある。東行庵の資料管理を任された一坂氏は、資料を保管している倉庫のカギは自分だけが持ち、一坂氏以外は入られない状態にして厳重な「管理体制」を敷いた。それまで東行庵にひんぱんに足を運んでいた地元の歴史研究家も、一坂氏が東行庵の史料を私物化し、歴史観をめぐって対立すると「自分の気に入らないものは徹底的に攻撃する」といった気性に嫌気をさして離れる状況をつくっていった。
 一坂氏の高杉と明治維新評価は、それを冒涜するもので、馬関戦争の敗戦にともなう彦島割譲要求にたいして、それを敢然と拒否した高杉の行動は、史料にないから作り話だと主張したり、萩に行っては「明治維新で悪者とされた俗論派の側の道理」をほめたり、維新の成否がかかった功山寺決起の時期に、俗論政府との協調、幕府への恭順に走り、新選組に保護されて長州に派遣されたところを処罰された赤根武人の墓を東行庵に立てたりしてきた。奇兵隊士の墓に囲まれた赤根こそ肩身の狭いことであろうに、おかまいなしなのである。
 また、今回の騒動で山口県の二井知事は「突然で驚いている。県として対処できることがあれば検討したい」と顔をしかめて見せた。しかし、東行庵史料の萩市への持ち出しは、県が関与していたと関係者のなかでは当然視されている。東行庵役員のなかでは「高杉史料持ち出しがまだ表面化しないとき、県に相談に行くと文化課から“たいした史料はないので高杉家に返しなさい”と指導された」といっている。
 二井県政は、萩市に「明治維新館」を建設する計画をすすめてきた。基本計画策定委員会を立ち上げる以前に集めた懇話会に、萩・野村市長と一坂氏を登用している。県は明治維新のあつかいについて、大幅な見直しをすすめている。それはアメリカ人の日本歴史研究者がかかわり、その内容は明治維新について、「江戸時代がよかった」とか、「敗者の側(幕府や新選組、長州藩の俗論派など)からの歴史見直し」などを主張するものである。
 東行庵の高杉史料の萩略奪をめぐって、きわめて謀略的な手口が使われており、野村市長や一坂氏だけの個人プレーではなく、それは維新を改ざんしようとしているマスコミも県も加担して大がかりに仕組まれているのである。
 これは単純に「下関がよいか萩がよいか」という問題をこえており、高杉晋作と明治維新を冒涜する政治が働いたものである。それは高杉を尊敬し、高杉とともに、奇兵隊、諸隊に参加し、萩俗論政府を打倒し、幕府を打倒して欧米の植民地の道を拒否し、近代日本をつくるために命をかけた父祖たちを誇りとしてきた山口県民への冒涜である。
   
 正当な明治維新革命顕彰を 現在に通じる重要問題
 今日、日本社会の植民地的な退廃は目にあまるものとなっている。小泉政府は、だれもが日本の国民を代表する総理大臣ではなく、アメリカのカイライ政府だとの実感を深めている。そのような腐りきった売国者勢力が、同じように腐りきって外国列強に屈従していった幕府側と心境を同じくし、明治維新を指導した高杉と、倒幕戦争に参加した山口県の百姓、町民、それを支持して協力を惜しまなかった全国の農民、町人がうとましいのである。いわば、戦後社会末期における腐りきった売国反動勢力による長州征伐である。
 戦後のアメリカに屈従して民族的な利益を売り飛ばす売国支配勢力が、維新革命を抹殺しようとしており、とりわけ最大拠点となった山口県において、覆すことを願望している。それが萩市の高杉史料強奪を仕組んだ根本の問題である。
 高杉晋作と山口県民の父祖への冒涜を許さず、その正当な顕彰を山口県民のなかで勝利させることは、現在の行きづまった社会をどうするかという問題とかかわって重要な問題である。全県の世論の強化が求められている。

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