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憲法改悪阻止する大論議を
1950年代の長周新聞に掲載
                福田正義の憲法問題社説      2007年4月18日付

 安倍政府は改憲手続きを決める国民投票法案を衆院本会議で採決し、16日に参院本会議で審議を開始し、「参院選で憲法改正を争点にする。憲法記念日の5月3日までに同法案の成立を目指す」と騒いでいる。戦後社会の重要問題である憲法問題について、没5周年になる福田正義本紙主幹が長周新聞社説で述べた文章を紹介し、論議に付したい。

 憲法改悪は戦争への道(1956年5月6日付)
 新憲法は、明治憲法にくらべて画期的なものである。
 その特徴の第1は、主権在民の基礎の上に立っている点である。世襲制の天皇を象徴として残しているというふうな封建の尻尾はくっついているが、ともかくも主権が人民にあることを明記し、その上に立って構成されていることである。かつて明治憲法では、「天皇は神聖にして侵すべからず」にはじまって、主権は全部天皇にあり、人民には何の権利もなかった。
 その特徴の第2は、平和主義の基礎の上に立っている点である。支配階級の思うままに侵略戦争をはじめ、それに人民をかりたてるという不幸に終止符をうったことである。この憲法で日本国民は、はじめて平和が保障されたのであって、明治憲法の時代には宣戦布告の権利は天皇にあって、平和の保障は全くなく、戦争か平和かの鍵はつねに天皇と支配階級の手に握られていた。
 その特徴の第3は、基本的人権尊重の基礎の上に立っている点である。明治憲法の時代には、基本的には人民の権利は認められていなかった。明治憲法が天皇制絶対主義による封建憲法であった以上、それは当然のことであった。新憲法は“健康で文化的な生活”を保障し“仕事をする”権利を保障するなど、人権の基礎をはっきりと明文化している。さらに、警察や裁判所などから勝手に逮捕されたり、取り調べをうけたりしないことが保障されている。
 その特徴の第4は、民主主義の基礎の上に立っている点である。男女同権の原則をはじめ、言論、集会、結社、出版の自由など明治憲法の時代には全くなかった民主主義の原則を、はっきりと明文化しうち立てていることである。
 問題は、国の最高のきまりである憲法が、実際にはサボられているということである。それは明治憲法の方向へむけて、逆コースにサボられている。そのサボタージュの張本人は、つねに歴代の政府であった。ところが従来は憲法違反をつかれると言を左右にして憲法擁護の立場に立っているように見せかけようとしたが、鳩山内閣のごとき、公然と憲法改悪をかかげ、下劣な歌までつくって宣伝するにいたっては、もはや常識で考えられる沙汰ではない。
 彼ら改憲論者はいろいろなことをいっている。とくに“占領中におしつけられたから”といっている。アメリカのダレスあたりの前で、膝(ひざ)をすり合わせもみ手をし、バッタのような格好をして、原水爆の実験を認め、アメリカの軍事基地拡張のためには日本国民の弾圧も平気でやってのける彼らが、そのようなことをいったところで誰も信用はしない。彼らの憲法改悪の中心点が、戦争をやるための再軍備の公然たる拡大と徴兵制の施行、天皇制絶対支配の復活、国民の基本的権利の剥奪、民主主義の圧殺など、すべて歴史を後へ引き戻そうとする反動的方向であることも、それが断じて許してはならない方向であることをはっきり示している。

 憲法の公然たるじゅうりん(1959年12月9日付)
 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(憲法第14条)
 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(同第19条)
 「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱いをしてはならない」(労働基準法第3条)
 これは、どこの法律でもないわが日本の法律である。ところが、この法律の適用範囲にある徳山の徳山ソーダ、ならびに東洋ソーダが、その下請の会社の労働者の思想的「信条」を問題にしてこれを「差別」し、入門証を取り上げて働くことができないようにしているという事件が起っている。とくに、はじめ、徳山ソーダがそういうことをやり、やむなく東洋ソーダの下請工場で働くようにしたところ東洋ソーダが同じことをやり、しかも、徳山ソーダも東洋ソーダも、それぞれの下請工場に圧力を加えて、首切りを命令し、首を切らなければ下請けをさせないという脅迫をしている。彼らは、資本の力にものをいわせて、憲法も労働基準法も公然とふみにじっているのである。しかも、それを労務係あたりが「会社がどういう思想のものを雇うのも自由である」などと公言し、正面から憲法・労働基準法に挑戦するにいたっているのである。
 このことは、まことに重大な問題である。一介の徳山ソーダ、東洋ソーダの問題ではない。日本国憲法に関する問題であり、労働基準法に関する問題であり、すべての国民の基本的人権に関する問題である。こういうことの横行を許すなれば、われわれはわが国が法治国であることを疑わざるを得なくなる。
 資本家と労働者の関係は、人間としては全く平等の関係にあってそれ以外のものではない。労働者が何を考えていようと、どういう思想をもっていようと、どういう宗教を信じていようと、すべてそれは自由であって、それは人間の基本的人権に関することであって何ものもそのことで差別をすることはできないのである。それが人間の尊厳の問題であり、基本的人権を尊重するという問題である。憲法はこのことを
 「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」(第11条)
と銘記しているのである。
 徳山ソーダ、東洋ソーダのたぐい、警察の警備課や公安調査庁などのスパイ機関を使って、憲法をふみにじって、それが下請会社に経済的優位を利用して圧力を加えることができることから、首切りの命令を出すなどということは許すことのできないことである。
 憲法を守り、人権を守る立場から、労働組合をはじめすべての民主団体は、このような前時代的な野ばんな行為を断じて許してはならない。これらの会社が、安保改定を目指す反動的な動きの中で、すでに戦時中的な動きを公然とやっていることは重視すべきである。

 岸氏はどこの総理大臣か(1958年10月19日付)
 岸首相はアメリカのNBC放送を通じて全米に、海外派兵問題、憲法9条の戦争放棄条項の廃止、中国不承認と台湾情勢について、さらに日本の核武装について放送した。この中で岸首相は、海外派兵をふくむ「最大限の日米協力を可能」にしなければならないことを強調し、台湾と南朝鮮を守るために「あらゆる可能なことをやる用意がなければならない」とし、そのために安保条約を改め、戦争放棄を規定した「憲法第9条を、廃すべき時は到来した」といっている。さらに、中華人民共和国を「侵略者」と呼び「金門、馬祖で侵略行為をしており」また「台湾情勢は内戦ではなく、共産侵略に対する国際的なたたかい」であるとし「中国を承認しない」といい切っている。また核武装については「日本人は核兵器をもつことに感情的に反対しており、日本人は原爆の洗礼をうけているので、共産主義より核兵器の方を恐れている」といい、共産主義こそ恐れるべきで、暗に核武装を肯定し支持していることを特徴としている。
 これを要するに岸首相は、現在の台湾における情勢は「中華人民共和国の侵略」であって、その「侵略」に対する「国際的なたたかい」であり、その国際的なたたかいに日本は「あらゆる可能なことをやる用意が」なければならず、そのための、「最大限の日米協力を可能」にするため、日米安保条約を改定して双務関係にし、日本の憲法を改めて「戦争放棄条項を廃止」すべき時がきた、というにある。また核武装への日本人の感情的反対を、核武装より共産主義の方が恐ろしいということを知らせることで核武装に導くことを訴えているのである。
 これらのことは、第1に、岸内閣が、われわれがくり返し強調しているように日本をアメリカのアジア原子戦略に組みこみ、その方向で日本の軍国主義化をあせっていることを明らかに証明している。
 第2に、憲法の改正というような重大な問題を、一国の首相が、日本国内でしかるべき手続きを経て討議するのではなく、アメリカ国内放送に勝手に表明するということは、われわれがくり返し強調しているように、岸内閣がアメリカの目下の同盟者であることをいかんなく暴露していることである。
 第3に、このようなコースに岸内閣が立っている以上日中問題は絶対に解決の見通しはなく“静観”が全く国民に対する偽りであることを証明している。
 第4に、岸内閣は、これらのコースをとるために警職法を改悪したり、教育を歪めたり労働者を弾圧したり、ありとあらゆる人民抑圧の反民族的反人民的な政策を急いでいることを証明している。
 第5に、今や岸内閣への政策転換要求は、緊急に全人民的全民族的統一を要請していることを告げている。

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