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権力が悪用する「言論の自由」
仏週刊誌襲撃事件で顕在化
              イスラム弾圧で戦争動員   2015年2月11日付

 イスラム教の預言者ムハンマドを侮蔑した風刺画を掲載したフランスの週刊誌『シャルリー・エブド』が襲撃されたのを契機にして、欧州各国やイスラエルなどの首脳陣が集結して「言論の自由」「表現の自由」を掲げてデモ行進をくり広げ、この間、「私はシャルリー」という言葉が世界中を駆け巡った。そして、フランスは「テロに屈しない!」と叫んで中東への武力介入に踏み出すなど、為政者の側がイスラム弾圧を正当化する道具にしている。「言論の自由」はフランスの伝統なのだと商業メディアは伝えた。しかしそれは元来、為政者の側がその支配体制を守るために人民の側の言論を封殺するのに対して、人民の側が抑圧をはねのけながら、いいたいことをあからさまにいえる社会を切望してたたかいとってきたものにほかならない。フランスに限らず、末期症状を迎えた資本主義各国の権力側が歴史進歩の側ではなく、反動の側から「自由」を標榜し、実際には戦争による不自由な世界へと導いている姿が暴露されている。
 
 みずから投降する報道機関

 今回のフランスにおける風刺画は、誰がどう見てもイスラム教を誹謗中傷したもので、「知性」を語る以前の代物だった。キリスト教であれ、イスラム教であれ、仏教であれ、何を信仰するか、あるいは何も信仰しない無宗教であっても、本来それは自由である。今回、「言論の自由」の象徴として扱われた風刺画は、権力の側におべんちゃらをする形で一方的にイスラム教を侮蔑した、子どもの落書きのようなものだった。偶像崇拝を禁止しているとわかっていながら、イスラム教の預言者ムハンマドに裸踊りをさせたような漫画を掲載したり、下品な作品がこれでもかと毎号の表紙を飾っていた。
 12人を殺害した新聞社襲撃テロは決して許されるものではない。しかし、他人の信仰する宗教をけなし、あえてイスラム教徒の怒りを煽っていたという事実についても同時に見なければならず、一方が「善」でもう一方が「悪」であるというような単純な捉え方などできない。
 問題は、フランス政府なり欧米各国の指導者たちが、もっけの幸いで「言論の自由」「表現の自由」を守れと呼びかけ、反テロ戦争の起爆剤にしていったことである。その後、フランス国内ではシャルリー・エブドを批判的に風刺した学生やコメディアンが逮捕、拘束されるなど、テロ対策を掲げた国内監視が強まり、自由を剥奪する形で戦争動員体制がとられていった。「反テロ」に共鳴しない者は非国民なり異端と見なすという、9・11以後のアメリカとそっくりな扇動がやられ、言葉とは裏腹に言論の不自由が強いられていった。

 フランス革命 人民が闘い取った歴史

 フランスの伝統である「言論の自由」「表現の自由」といったとき、それは絶対王政を打倒して近代ブルジョア社会をつくりあげたフランス革命の伝統と切り離すことはできない。カトリック教会と一体化した絶対王政を打ち倒し、共和制、資本主義社会へと移行させていった革命のなかで、民衆が手に入れた重要な権利であった。その当時、聖職者がのさばっていた状況のなかで、教会権力を痛烈に批判し、笑いものにすることは、封建的な社会を打ち破っていくのに積極的な役割を果たした。侮蔑し、批判する相手は他民族が崇拝する宗教ではなく、フランス人民を直接支配する自国の権力者であり、腐敗しきった「聖職者」であった。
 欧州ではカトリック支配を覆すことによって、人民の側が民主主義やさまざまな自由を勝ちとってきた歴史がある。その昔は地動説を唱えたガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から罰せられたような、カトリックの教えが絶対で、それ以外は異端視して処罰する社会であり、まさに言論の自由は封殺されていた。そのなかで絶対王政と宗教支配を特徴とした封建制社会への反抗が強まり、民衆の不屈のたたかいによって人権を認めさせ、思想の自由や表現の自由を勝ちとり、社会体制としては資本主義へ発展を遂げていった。
 フランス革命以前のフランスでは、第1身分といわれた聖職者14万人、第2身分の貴族40万人、第3身分の市民や農民2600万人という階層に分かれ、第1・第2身分の特権層が土地所有面積に対して10%の税負担しか求められないのに対して、第3身分の人人は80%近い税負担に泣かされていた。王政がアメリカ独立戦争に荷担して財政の窮乏化が深刻になり、大飢饉まで起きるなかで、第3身分とされた民衆が国民議会・コミューンを組織し、王政や聖職者たちとのひるまぬ武力斗争をくり広げた。権力者の側が軍隊を動員して弾圧するのに対して、パリの群衆は専制政治の象徴だったバスチーユ牢獄を襲撃し、フランス革命の幕開けとなった。
 この民衆蜂起の果敢なたたかいのなかで、人民の側の進歩的スローガンとして叫ばれたのが自由、平等、博愛であり、支配からの自由、解放を希求するなかで言論・表現の自由が積極的な意味合いを持った。それは本来の意味において、抑圧された人民の側からの権力者に対する批判の自由、思想の自由であって、移民やムスリムという少数派への差別的な言辞や、時の権力者へのおべんちゃらとして用いられるものではない。

 第2次大戦の経験 最も不自由強いた戦争

 「言論の自由」を犯すのはいつも反動的な権力者の側でとりわけひどくなるのが戦争である。フランスや欧米各国を見るまでもなく、日本社会の経験を振り返っても同じことがいえる。かつての戦争で、絶対主義天皇制は治安維持法などによって言論を封殺し、国民を戦火の渦に投げ込んだ。手紙にいたるまで軍の監視の目が行き届き、寄り合いを持つのにも警察の目が光った。出版物は検閲され、天皇制に楯突こうものなら憲兵隊に捕えられて牢獄に放り込まれた。そして有無をいわさずに国民を戦争に引きずり込んだ挙げ句、320万人もの国民を無惨に殺した。メディアは「言論の自由」どころか大本営発表をくり返し、国民世論を欺く道具となった。
 あの戦争から70年が経過し、フランスでシャルリー・エブド事件が騒がれるなかで、権力者みずからの「言論の自由」は確保して、中東で好き勝手を主張してテロの標的に立候補したのが安倍晋三だった。集団的自衛権の行使容認や秘密保護法など、戦争体制を準備するなかで、国民の自由について制限することばかり考えているのが安倍政府である。自民党の改憲草案になると、基本的人権を否定し、表現や結社の自由についても「公共の秩序を乱す」なら許さない、すなわち権力者の匙加減次第であると主張してはばからない。さらに、非常事態宣言を発すればいつでも時の政府の好き勝手に法律を変更できるというようなデタラメを真顔で検討している。
 そして「言論の自由」を主張しなければならないメディアになると、NHKは早くから安倍ブレーンの籾井体制へと移行し、「時の政府が右といっているのを左というわけにはいかない」と主張してはばからない。人質事件を経た最近でも「900人から回答を得た結果、安倍政府の支持率が上昇した」などと恥ずかしげもなく大本営発表をやるようになった。新聞メディアや他のテレビ局も似たようなもので、総選挙では投票日前から「自民党圧勝」を連日のように書き立てて世論を幻滅させ、低投票率勝ち抜けを狙っていた自民党に奉仕した。「勝った!」「勝った!」といって嘘八百を並べたてた、かつての大本営顔負けのデマ報道となった。
 新聞やメディアは“社会の木鐸(ぼくたく)”といわれ、政府や権力機関の監視を社会的責務としてきた。国民の関心がある問題について真実を追及し、広く社会に警鐘を乱打したり、よりよい社会を実現するために権力と対峙し、その不正を暴いたりと、社会正義を貫くことを表向きの建前にしてきた。ところが、今や暴力によって「言論の自由」を奪われるまでもなく、みずから自主検閲をやり、メディア幹部になると首相と会食をするのが日課という番犬状態に成り下がっている。「言論の自由」を投げ出すだけでなく、支配勢力の代弁機関となって大衆の死活の問題をそらしたり、いつもウソやずるい黙殺をくり返して、真実を泥沼の底に追いやっていく姿は誰もが見てきた。
 欧州における「言論の自由」問題と切り離せないのは、日本国内でも在日朝鮮人へのむき出しのヘイトスピーチが東京などで繰り広げられるようになったことである。「朝鮮人を殺せ!」という耳を疑うような言葉を白昼から叫んで回る団体があらわれたり、右巻きの安倍ブレーンたちが大騒ぎをしている。「シナ」「チャンコロ」といって近隣諸国の民族を侮蔑していたかつての大戦時期を思わせるもので、そのような多民族侮蔑なり、ときの為政者の思想信条を代弁して、提灯持ちをしているだけのような主張を「言論の自由」などとはいわない。
 「自由」とは、だれにとっての何の自由なのかを抜きにして考えることはできない。イスラム教弾圧や、行き詰まった資本主義の矛盾のはけ口を求めた戦争動員のために、カトリック及びユダヤ勢力が他民族を誹謗中傷するような行為は「言論の自由」でも何でもない。自国人民への弾圧体制を強め、被抑圧民族を殺戮する権力者にとっての戦争の自由にほかならない。フランス革命や世界各国の人民が勝ちとってきた歴史的な権利と同列のものではなく、むしろ人民に不自由を強いるものとして時代を逆戻しする動きがあらわれている。

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