トップページへ戻る

棄民政策がもたらす福島の荒廃
震災から3年・現地取材
              長引く仮設暮らしで死者増加    2014年3月12日付

 震災から3年・現地取材 東日本大震災から3年も経過しながら、東北の被災地は復興がまるで進んでいない。港湾や土地造成といったゼネコン業務だけは進捗率90%台といわれながら、住民生活は置き去りにされ、26万人が仮設暮らしなど避難生活を強いられたままとなっている。本紙は震災から三年を迎えた被災地がどうなっているのか、そのなかで住民たちは何を語っているのか現地取材をおこなった。原発事故に見舞われた福島県内から回った。
 福島第1原発から30`圏外に位置する飯舘村は、震災から3カ月がたった6月になって衝撃的な放射線量の高さが明らかになり、「1カ月以内の強制避難」指示のもと全村避難を強いられた。あれから3年、村は帰還困難区域を含めた避難区域に指定されたままだ。地震や津波による被害はほとんどなかったのに、原発という思いもよらぬ惨事が起きたおかげでいまだに村には帰れず、5900人が仮設住宅や避難先で先の見えない生活を送っている。
 人の住まなくなった飯舘村は村ごと雪で埋もれ、車道が除雪されているだけで歩道もなく、広大な農地は除染によって出た表土などの汚染廃棄物の袋詰めが各所に並べられていた。鉄骨のみとなったビニールハウスや牛たちの運動場、牛のいない牛舎、飼料貯蔵タンク、トラクターやコンバインなど農業用機械などすべてが雪に埋もれ、村の中心地にあるスーパー、商店、企業も閉店したまま人影などない。除染を請け負うゼネコン現地事務所や地元の自動車会社とガソリンスタンドなど、わずかな企業のみが操業していた。基幹産業の農業が汚染によって待ったをかけられ、自宅に戻れないだけでなく村民の生業を丸ごと奪った状態が続いてきた。
 村に帰れない住民たちは福島市や伊達市など九カ所の仮設住宅と、借上げ住宅や県外の避難先で生活している。
 福島市内のある仮設住宅には村民200人が生活していた。避難後は公民館やホテルなどを転転とし、この仮設住宅に移り住んでから2年以上が経過した。3年もの歳月を経ながら除染も進んでおらず、帰っても生活の基盤となる店や病院、学校などはなく、インフラも整備されておらず、どうしようもない状態がずっと続いてきた。先が見えないことで帰還をあきらめる村民が増えていることが語られていた。仮設住宅で暮らしている半分が70歳以上の高齢者で、一人暮らしも多い。震災以前のように野菜やコメをつくって食べ、地下から引いたミネラル豊富な水を飲んでいた暮らしは一変した。仮設住宅では水道代もかかり、食べ物は買わなければない。しかも新鮮な野菜ではなく、スーパーで買ったパンや缶詰、レトルト食品ばかりだ。
 「飯舘村は山菜が宝庫で、蕗の薹、蕨(わらび)、タラの芽、松茸、しめじ…。なにしろ水がおいしいんだから」と仮設で暮らす80代の婦人はなつかしそうに語った。飯舘牛も数頭飼っており、畑を作りながらのんびり暮らしてきた。事故後、家族同然の牛も処分した。仮設住宅の部屋の片隅には鉢植えがたくさん並べてある。なかには「いつも笑顔で」というメモの付けられた鉢植えもあり、それらを眺めるのがここでの楽しみだ。帰還については、「ここでの生活に慣れてしまった」といいつつも、「飯舘の家に戻りたい。でも草もぼうぼうで帰られない。帰られる様子ではないし、帰りたいともいえない」と、複雑な胸中を明かしていた。
 長引く仮設暮らしで弱ってくる高齢者も増えている。自治会長の男性は「仮設暮らしが長引いて、1日に3人も4人も埋葬しないといけないときもある」という。この状態でいざ帰るとなったとしても、一軒一軒の民家が離れている村では年寄りの孤立は今よりも深刻な問題になってくる。そもそも震災後から誰の手も入らず、インフラも手つかずの状態で、2年以上人間が住んでいない自宅は動物たちに荒らされ、雨漏りがひどくて天井が落ちたり、腐った床が抜けたり、散散な状態になっているのだと様子を語った。さらに地下水の栓を閉めて出てきたために、この寒さで凍り付いて管が破裂したり、使用しないので地下水脈そのものが変わってしまい、再び自宅に戻るとしてもボーリングから始めなければならないといった。

 住民離散し人口は急減 避難区域の自治体

 村が放置されればされるほど荒廃し、ますます人人が戻れない状態になっていく。帰還がいつになるのかすら見えず、現役世代は放射線の子どもへの影響を考えてよその土地に移り住み、既に新しい環境のもとで生活を立て直しつつあり、震災後には「戻りたい」と強い意志を持っていた高齢者たちも「戻れない」状況が続くなかであきらめに似たような心境も出てきている。線量が下がって帰還が許されたとしても実際に帰還するのは全村民5900人の2〜3割程度ではないかといわれ、復興住宅などをつくった場合、空きがたくさん出ると見られている。
 自治会長の男性は、「老人だけが帰っていって野菜を作ったとしても、“飯舘のものは要りません”といわれればおしまい。一度荒れた農地は再び安定した収入を得られるようになるまで半世紀はかかる。戦後、馬耕で農地を作り、少しずつ拡大して収入を上げ機械を買った。賠償の問題ではない」と語る。別の男性は、「東電も国も説明のたびにウソが多く、信頼できない。総理も“福島なくして復興はない”と簡単にいうがそれは違う。全体の復興のなかに福島の復興もある。復興の基礎というのはコンクリをうつ基礎ではない。復興に住民の意向が反映されない。今やっているのは、国のやりたい復興に予算がついているだけではないか」と語っていた。
 住民たちが身動きつかない状況におかれるなかで、環境省は飯舘村蕨平地区に汚染廃棄物を処理する焼却施設と、中間貯蔵施設ができるまでのあいだ焼却灰などを保管する仮設資材化施設の建設をうち出し、すでに先月に入札もおこなわれ4月ごろから建設していく予定だ。飯舘村内の除染廃棄物に加え、福島市、相馬市、南相馬市、伊達市、国見町、川俣町で出た農林業系と下水汚泥の廃棄物を運び込み1日240dの処理をおこなう巨大な施設だ。
 また、放射線汚染によって農業が不能となり農業収入が見込めないなかで、飯舘村は、大火地区の14fの農地にメガソーラーを設置し、発電に農地を活用していく方針を固めている。40億円もの大事業で、同村とともに事業をおこなうのは東京の東光電気工事だ。長い避難生活にみなが疲れ果て、帰る気が薄れてきたところに、故郷を我が物顔で占拠していく構想が国主導で持ち込まれ、住民を追い出している姿が暴露されている。飯舘村は岩盤が強固な土地柄で知られ、震災前から核廃棄物処分場を建設する計画が動いていた。震災をもっけの幸いにして住民を叩き出し、国直轄の管理のもとで戻れなくする対応がやられている。

 補償金報道で県民分断 対立煽るマスコミ

 飯舘村と同じく原発による全町避難を強いられている浪江町は、地震・津波によって200人近い犠牲者も出た。3年たった現在は町内のほとんどが帰還困難区域に指定されて帰ることもできない。当初、町民の「全員帰還」を掲げ励ましあって生活してきたが、それもかなわぬ状況となっている。除染は当初より3年延長され24年度末までかかるといわれているが、果たしてそれが完了するのかどうかもわからない。3年のあいだに町民の多くが新天地での生活を始めた。届け出をしている人だけでもこの3年間で2000人もが流出し、人口減少率は10・45%と県内でもっとも高い地域となった。
 町民が暮らす仮設住宅を訪ねると、ある婦人は「だれがこんな生活を好きでやっているか。愚痴ばかりいっていてはいけないと思うが愚痴しか出てこない。本当に今後どうしたらいいかわからない。帰っても家はなく、東電の補償も一人暮らしの年寄りにとっては、飲ませず、食わさず、殺さずだ。とにかく国が何を考えているのかがわからない。“足を運んでいます”というが、政治家も防護服を着て現地に行ってはすぐ帰る。総理大臣が仮設住宅を回って、未だに避難生活をしている人たちの声を聞いたことがあるか。福島のことは忘れられたようになっている。お金は要らないからとにかく浪江町に帰らせてほしい。それだけだ」と涙を流しながら思いを語っていた。
 故郷を追われた町民たちが、仮設住宅や引っ越した先で息を潜めるようにして暮らしている。原発災害による避難者が“補償金をもらっている”ということだけが大手メディアによって流され、避難生活を送る住民たちにとって辛い風当たりにもなってきた。やっと職にありついても「お金(補償金)があるから給料はいらないでしょ」といわれたり、車を購入するさいも避難者と知ってローンを組ましてもらえなかったこと、他市に移り住んだ住民が、自分が原発避難民だと周囲に明かした翌日に車がめちゃくちゃに傷つけられたこと、警察にいっても「避難者だといわないように」といわれたこと、住宅を購入しようとすれば避難民=補償金という扱いで突然価格を引き上げられた経験など、福島県内であっても住民同士の感情が複雑にぶつかり、深刻な分断がもたらされていることも問題になっている。
 しかし辛いといっても生きなければならない。30代の男性は町を出されたあと、離婚して小さな子どもを抱え、職を転転としてきた経験を語っていた。50代の男性は津波で会社も同僚も失い、その後仮設で暮らしながら仕事を探すが短期契約の仕事しかなく、それで日日食いつないでいることを明かしていた。みながいい尽くせない悔しさと悲しみを背負って、この3年を生き抜いてきたことが語られる。
 浪江町は津波被害にあった請戸地区の住民は戻れないことが条例によって決められ、そこに焼却施設の建設が決まった。また、町内でも線量の高い津島などは除染しないこと、補償金の額を上乗せして「どこにでも行ってくれ」という対応がされている。3年間、避難民を放置してきた結果、昨年おこなわれた住民アンケートによると「戻りたい」と答えたのは回答者6132世帯のうち18・8%。「判断がつかない」と「戻らない」はともに37・5%だった。自治体そのものがなくなってしまうような状況に置かれている。

 一向に終らぬ除染作業 補助得るゼネコン

 飯舘村、浪江町のように避難地域に指定された区域は国直轄で除染、復興がおこなわれている。
 この間、各自治体が独自に復興をおこなっていく地域と、国直轄でおこなっていく地域とではスピードが明らかに違うことが語られている。国が関与すれば基礎自治体よりもはるかに巨大な予算を動かせるはずなのに、こうした地域ほど放置され、住民が戻れない状況に直面している。自治体関係者たちに聞くと、国の構想すなわち用地接収と核廃棄物処分場建設をはじめとした計画が先走っていることから、自治体がそれに要望を出しても蹴られたり、なかなか前に進まないのが実態となっている。
 避難地域全域でおこなわれている除染についても、住民たちのなかで違和感が語られている。今は雪で覆われて手がつけられないが、一軒丸ごと除染するには3000万〜5000万円もの費用がかかることや、期間も1軒当り1カ月半〜2カ月もの時間を費やすという。それほどの費用がかかるなら、一旦解体して新しい住宅が建つほどだ。大手ゼネコンが請け負っているが作業員も足りず、飯舘村では1年もの遅れが生じ、地域によってはそれ以上のところもある。「庭先をほうきで掃くような」もので、終わったころには初めにやったところからは再び草も生えている。「あれだけお金をかけてやるほどのものか」「無駄な作業だ」とみなが語っている。ゼネコンが国からがっぽりと補助金をせしめているだけで、除染詐欺のようだと見なされている。
 家を1軒除染しても山から汚染物質が飛んでくるので意味がなく、かといって広大な山山を丸ごと除染するのも不可能に近い。あけてもくれても「除染」で、道路工事も「除染」、道路脇の草刈りも「除染」、効果もはっきりしないまま、本当に「除染」作業なのかも疑わしいことが指摘されている。そうした仕事を請け負うのは県外大手企業ばかりで地元の人人は下請や孫請である。「これだけ予算をかけるならまとまったお金を住民に渡して新しい生活の目処をたてたほうがどれだけ有効か」「月10万円の補償金では具体的な計画も立てられず、このまま仮設で暮らすしか選択できない」といわれるが、その補償金すら2年間で打ち切りになるところもある。
 福島県内では14万人近くが故郷を追われて、いまだに避難生活を余儀なくされている。残酷な棄民政治によって、震災関連死すなわち自殺など死ななくてもよかった人人が1600人近く命を落としてきた。天災の後にもたらされた悲劇はまぎれもなく人災であり、政府や国というものが国民の生命や財産、安全など守らない姿の象徴となっている。


 


トップページへ戻る