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勤労父母を代表する教育が発展
第30回人民教育全国集会
               平和と進歩担う教師集団     2008年8月25日付

 「平和で豊かな日本のために勤労父母のあとつぎを育てよう」をスローガンに第30回人民教育全国集会の「子ども、父母、教師のつどい」(主催/人民教育同盟)が24日、山口県下関市の勤労福祉会館四階ホールでおこなわれた。つどいには、山口県を中心に北九州、沖縄、広島、大阪などから小・中・高校生や教師、父母、被爆者、戦争体験者など300人が参加し父母、教師が力を合わせ戦争に反対し平和の担い手を育てる運動を強めようと決意こもる集会となった。

 学校現場での教育運動軸に
 集会ははじめに主催者を代表して中央本部委員長の黒川謙治氏があいさつ。63年間のアメリカ支配で、政治、経済、文化、教育も破壊されるなかで、それに対する日本人民のアメリカ支配を覆し、平和で豊かな日本をつくろうという斗いがかつてなく発展していることを強調。教育運動で重要なことは「1、社会を変えることなくして教育だけが変わることはなく、人民運動の一翼として教育運動をとりくむ」「2、生産を担う労働者、勤労父母の資質を学び、生産労働と階級斗争と教育を結びつける」「3、どんな社会をつくるか、どんな子どもを育てるかについて父母、教師、地域の連携が不可欠」「4、教育運動を担う教師が社会進歩のために奮斗する労働者、勤労父母から学び使命感に立って斗う」ことだとのべ集会をその出発点とすることを呼びかけた。
 つぎに基調報告が提案された。現在、日本社会はアメリカのいいなりとなり、それに対し労働者、農漁民、勤労人民が社会の根本変革を求めて立ち上がるなか、政府・文科省の進めてきた戦後の「民主教育」「個性重視」教育は完全に破産し、人民的な考えを代表した教育が新たに台頭をはじめていると提起。「教育改革」で学校は様変わりし、競争原理が持ちこまれ一握りのエリートと圧倒的多数の低学力層がつくられた。「だれでもよかった」と秋葉原事件のように平気で人を殺すような人間をつくり出していることを明らかにした。「“教育改革”が押しつける自己中心の個人主義とたたかい、社会を支える働く人人の生き方をそなえた子ども―労働を尊び、働く親を尊敬し、仲間と団結して不正とたたかうことのできる子どもを育てることこそ、平和で豊かな日本をつくる道」であり、教師が新しい時代をつくる子どもを育てるという社会的使命に立って、教師と父母が力を合わせ勤労父母のあとつぎを育てる教育を広げていくことを呼びかけた。
 その後、小中高校生の発表に移った。最初に萩市大井中学校1年の男子生徒が、今年3月の小学校の卒業まえに開いた「感謝の会」で発表した『吉田松陰物語』の劇の一部を舞台スクリーンに映して紹介した。「欧米諸国の侵略から日本を守るという松陰先生の志を受け継いで、高杉晋作が奇兵隊をつくり若い農漁民が新しい日本をつくるために立ち上がりました。一番心に残ったのは松陰先生の『草莽崛起』という言葉です。この劇を見た地域の人から“この日本を背負う立派な人に成長することを願ってやみません”などと感想をいただきました。地域のおじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの期待に応えられるようにがんばります」としめくくった。
 つづいて、第9回広島に学ぶ小中高生平和の旅に参加した小・中・高校生約50人が登壇し、平和の旅の様子をスライドで映しながら構成詩を発表した。
 今年の旅には、広島、長崎から被爆者13人が足を運び、「絶対に戦争をさせないために子どもたちに伝えなければならない」とつらい体験を思いをこめて語り、宿舎に帰ってから夜の構成詩の練習は、被爆者の怒りや悲しみをこめて峠三吉の詩の朗読を一発であわせた様子などを生き生きと発表。翌日には平和公園の原爆の子の像の前で堂堂と構成詩を発表し、午後からは広島集会で、その後の市中行進では峠三吉の「序」や「8月6日」の詩に被爆者から学んだ思いをこめ広島市民に訴えたと報告した。
 さらにケガや病気への気配り、バスの手配や弁当やジュースの配布など、スタッフの支えがあって平和の旅の成功があったことも発表した。
 平和の旅のとりくみ過程で、下関、北九州、萩、宇部の商店街などで街頭宣伝をおこない、学校の先生に訴え全地域をあわせて1620人の署名と114万8675円のカンパが集まった。多くの人たちやお父さん、お母さんの期待と願いを背負って広島で学んできた。2001年に始まった平和の旅は今年で9回目となり、これまで参加した小・中・高生はのべ805人、大人やスタッフは263人、旅で体験を語った被爆者や戦争体験者はのべ134人。これまでの街頭宣伝で賛同署名総数1万1534人、カンパ総額614万2280円と、多くの人の支えがあって今がある。その重みを感じてこれからも平和の会を広げていくとし、決意をこめ『子どもの行進』を全員で合唱し、参加者から大きな拍手が送られた。

 真に平和担う側へ 平和の旅や原爆展での教訓発表・自らを変え
 その後、平和の旅に参加した高校生や、小学校教師からの意見発表に移った。平和の会のリーダーで高校3年生の福永涼子さんが、小学5年から平和の会に参加してきた8年間で学んだことを発言した。昨年、今年と平和の旅のリーダーをし、「みんなを引っぱる」ということは、「みんなに気を配る」ことであり、自分がよく見られるためか、全体のためにやるのかが問われたと語った。また平和の旅のなかで「先生の指示が次から次に変わることに腹を立てていた自分がまちがっていた」とのべ、変なプライドやうぬぼれでは、本当には平和の会に対して責任を持てないとふり返った。「8年間、たくさんの被爆者や戦争体験者の方方に学び、みんなで一緒に考えたり、いろんな斗争もしてきて、本当によかった」とのべた。その場、その場に応じて、自分の認識を変えていくこと、自分より集団を第1に考えることなどを身につけ、この経験を生かしてこれからも小・中・高生と一緒にがんばると決意をのべた。
 つぎに萩市の小学校教師が平和の旅に初めて参加し、被爆者の姿や子どもたちの成長する姿に接し感銘を受けた思いを発言した。これまで語ることのなかった広島の被爆者新枝洋子氏の体験を聞き、原爆投下の翌日に母親を亡くした体験を涙を流しながら語る姿に「胸が締め付けられる思いがした」と語り、母親が息を引き取ったあとも悲しみでふさぎこむ間もなく、母親がわりになって妹の世話をしてきたこと、同時に「なぜ戦争をしたのだろう。なぜ自分たちがこんな目にあわなければならないのだろう」という、憎しみや怒りが何度もこみあげてきたと語っていたことをのべた。また新枝氏が戦争を知らない世代に伝えたいこととして託した言葉を、子どもたちは自分の普段の生活に結びつけて考えていたことも語った。
 さらに学校も年齢も違う様様な場所から集まった子どもたちが班を形成し、「大きい子が小さい子の面倒をしっかり見て小さい子は大きい子のいうことをしっかり聞く」というめあてを1人1人が自覚して行動し、何より実際に被爆体験者から学び、平和の担い手としての意識がそれぞれに芽生え、その意識が行動になってあらわれた。「同じ目的を共有し、個個が一致団結すると大きな力に変わるのだということを証明してくれた」と感動をこめて語った。
 北九州の小学校教師・重松佐登美氏は、数年前、原爆と戦争展に参加し、「今まで教えられてきたことと全く違い、日本が悪かった、戦後アメリカから民主主義が入ってきて平和になったということが、そんな単純なことではなく、多くの戦死者は病気や餓死であったこと、原爆は仕方なかったのではなくアメリカの実験であったことなど真実を知り、今までの疑問がはっきりした形で私の中に示された」とのべ、その後地域での原爆と戦争展のとりくみで学んだ経験を発言した。以前、勤務した学校で警備の仕事をしていた人が、赤紙1枚で兵隊にとられお国のためにといって死んだ人たちを悪くいわず、生き残った者として日本の将来のために身をささげると語っていたことに対し、尊敬の念とともに戦争について日本が悪いといわないことにどこかうち解けられずにいた当時の心境を語った。しかし「今ではなぜこの方の話を子どもたちに聞かせなかったのか残念でならない」と語り、原爆と戦争展で真実を知ったとき、この真実を子どもたちに伝えたいと強く思うようになったとのべた。そして小学校内で写真展をし、「戦争の話を知りたい」と六年生の子どもたちが真剣に話を聞いたことを報告した。

 激変する教育現場 教師が怒り込めて発言・対抗する力充満
 後半は教育改革に反対する現場の教師の意見発表や、教師と父母の団結を求める意見発表が続いた。
 沖縄県の幼稚園教諭・源河一美氏は、同僚の臨時教諭の一言からはじまった「臨時教諭の低賃金・業務多忙化の改善と職員採用の拡大を求める」運動が、沖縄県の全公立幼稚園の問題として大きく広がっていることを報告した。
 源河氏は、沖縄県では教育の切り捨てともいうべき教師の臨時化・パート化が進められ、公立保育所の臨時保育士の派遣業委託まで検討されていること、その一方で、観覧席や夜間照明付きのサッカー場まである中学校を米軍嘉手納基地内に新設することには、40億円の税金が注ぎ込まれているとのべた。「現在、沖縄市立幼稚園・16園の臨時教諭は56人、本務教諭の51人をこえている。臨時教諭の給料は10年働いても1年目と変わらず10万円そこそこ。通勤手当も残業手当もボーナスもなし。臨時の若い教師たちは、子どもが大好きで幼児教育に誇りと愛情を持って、日日子どもたちと関わっている。しかし、臨時という不安定な身分、余りにも低すぎる賃金のため、生活が成り立たず、やむなく教育現場を離れる若い教師たちがあとをたたない。積み上げてきた園のチームワークも継続が困難になり、このままでは幼稚園教育の崩壊につながりかねない」
 源河氏は、これに対して昨年から臨時と本務、退職教師が何度も論議を重ね、全市の公立幼稚園臨時教諭にアンケートをとってビラにして全市で宣伝したところ、大きな反響を呼んだとのべた。とくに父母のなかから驚きと怒りの声があがり、「幼児期は感性豊かな子に育てる大切な時期。そのために幼稚園に入れ先生方の力をお借りしている。先生方が心身ともに健康で働けるようにしてほしい」と切実な声が届けられた。世論の高まりのなかで教育長交渉。沖縄県教職員組合も定期大会でこの問題をとりあげ、県内11の市の公立幼稚園でアンケート調査を実施、署名活動をおこなうことも確認された。源河氏は「子どもの教育のために一層頑張っていきたい」と決意をのべた。
 下関市の小学校教諭・杉尾千鶴子氏は、下関市教委の市立小・中学校77校を55校にする「学校統廃合」に反対する意見をのべた。杉尾氏は、「文科省や市教委は子どもの将来、幸福などまったく考えず、教育の機会均等や義務教育無償の原則をかなぐり捨て、学校教育のなかに市場原理、弱肉強食の競争を持ち込もうとするもの」と指摘。これに対して説明会では父母や地域の自治会関係者などから怒りと反対の声が噴出したこと、桜山小学校区ではすでに4100人の統廃合反対署名が集まっていること、教職員のなかでも、「教育を大切にしない国は滅びる」「人工島や立派な道路につぎ込むのでなく、学校現場に金と人をよこせ」「市長を変えなければならない。市長選はいつなのか」と怒りが一気に出ているとのべた。
 そして「下関ではあるかぽーと開発や、新博物館建設を次次に白紙撤回させた市民の力があり、満珠荘再開のための粘り強い運動が展開され、多くの市民から支持され喜ばれている。教師が学校のなかで不平不満をいうだけにとどまらず、地域の保護者と一緒に行動を起こせば市政を大きく変えることができる」とのべた。
 防府市の小学校教師・竹垣真理子氏は、この4月に転勤したばかりの職員室で、“だれでもよかった”といって人を殺す秋葉原事件のような人間が育っている社会に対して、「他人事ではない。どうしてこんなことになるのか」と真剣に話しあわれたこと、そして「その思いの奥には、教育をここまで破壊した教育改革への怒りがあり、何年にもわたって新学力観、子どもの人権、生きる力……とさまざまな看板を掲げてきた大きな抑圧と支配が、ここまできて、子どもも学校もでたらめにする、教育破壊だ、と教師は教育改革を真正面から批判している」と、教師の意識が変化している実際を報告した。
 また、昨年の運動会のとりくみでは、「子どもたちを集団のなかで鍛えていきたい、みんなのことを考えて1人1人が力を発揮する意識を持たせたい、わがままや弱気に負けない子どもにしよう、という目標を持った教師集団の一致した指導によって、子どもたちの奮斗を支えることができた」ことも発言。9月からは小学校高学年の英語活動が始まるが、「どうせやられるのだから」というあきらめを克服し、「だれのためのなんのための英語活動なのかを話しあっていこう」ということで教師の団結が1歩進んでいるとのべた。

 父母との団結に力 懇談会等の経験も・母親も意見発表
 宇部市の小学校教師・田川千里氏は、冒頭、平和の旅に参加して、つらい体験を一生懸命に語る被爆者の姿や、それを受けとめて平和のために行動する子どもたちの姿に大変励まされたとのべた。そして昨年から学期ごとに継続している、校区の父母との懇談会について報告した。
 今年度は7月に第1回懇談会をおこなったが、教師も父母も学年を超えて合計42人が参加。2時間半に渡って子どもを育てるうえでの悩みなど熱のこもった交流がおこなわれた。参加した父母から「“子育て頑張るぞー”というエネルギーが沸いてきた。また、自分の知らない子どもたちの様子を知ったことで、より一層“正しい価値観”を親自身が持つ必要があると感じた」「学年を超えての会は、他学年の様子も知ることができ、各学年の先生方が、子どもたちの伸ばしていくところ、直していくところをよく話しあっていることがわかった」「多くの方方が子どもたちの未来を案じ、危機感を抱いている。われわれ大人が行動しなければいけない」などの感想が寄せられ、教師もそれに力を得た。
 そして田川氏は「平和の旅と教育懇談会は同質のものを持っている。それは教師、保護者、戦争体験者が力をあわせて、自己中心の子どもをつくるのではなく、みんなのため、平和のために力を発揮できる子どもに成長させるということだ」と発言した。
 長門市の母親は、「今年の小学校の修学旅行が、先生たちの協力と親の願いによって形が変わって、少し親の気持ちが通るものになった」経験を発表した。
 「これまでも修学旅行は広島だったが昨年までは子どもたちが学習計画を立て百貨店やマクドナルドに行くというもので、帰ってきて原爆のことを聞いても首を傾げる子が多く、親としては広島に行くならもっと原爆について学んでほしいという気持ちが強くあった」というこの母親は、5年前から母親の有志が集まって“朝摘み苺の会”をつくり、朝学の時間に紙芝居を読んだりするとりくみが始まったとのべた。翌年からは、広島に行く前に原爆の本を読み、修学旅行のあとも引率した母親を中心にアンケートをとって反省したり、校長に要望を出したりしてきた。
 「今年になって活動を引きついだが、“せっかく広島に行くのだから原爆の現実を見られるようにしてほしい”“被爆者の方の話が生で聞けないだろうか”というお願いをした。先生方もそれに応え、今年の修学旅行は、みんなで平和を考え、語り部に話を聞くなど内容が変わった。先生たちの思いと私たちの思いがつながったことで、先に進んだと実感している。これからも先生たちと語りあい、子どもたちの成長のために協力していきたい」と、親として発言した。
 防府市の小学校教師・谷村芳宏氏は、家庭訪問で教え子の父母から、厳しい労働の実際と、それに負けず働く者の誇りをもってたくましく生きる生き方を学んだことを発言した。
 家庭訪問では、まず「文科省の進める教育では子どもをまっとうに育てることはできない。働く父母の生き様に学んで人間的に成長させたい」という訴えが共感を呼んだこと、またパートに出ている母親たちのなかに「人の喜びがわが喜び」「みんなのために」という考え方が息づいていたこと、同時に企業がいかに安上がりに労働者をこき使っているかという実際があったと報告。民間工場で働く父親の「みんなの労働が集まって1つの製品ができる」という話から、「これまで市場原理・業績主義で労働者は縛りつけられていると見ていたが、実際には労働者は負けておらず、資本とたたかい生産活動を守っていることが見えてきた」とのべた。
 そして「父母が語った誇りの裏側にある現実社会への怒りが見え、感じとれる教師であるかどうかが、鋭く問われている。働く者の誇りを受け継がせ、社会進歩の後継者を育てる教育運動は、働く者が本当にむくわれ、主人公になる社会をつくるたたかいと固く結びついて進めなければならない」とのべた。
 発言の最後に北九州市の小学校教師・肥後容子氏が、はじめに「全国的な原水禁運動の高まりのなかで、教師が戦争反対に立ち上がることは、今もっとも求められていることだ。私は教師として、子どもたちに、戦争を阻止し平和な未来社会を示せるよう、戦争反対のたたかいに立ち上がることを決意します」と力強くのべた。
 肥後氏はこの決意に立ったのは小倉で「原爆と戦争展」をおこなったことと関係していること、そこでは戦争体験者や被爆者が「アメリカの原爆投下は許せない」「戦争を起こすものを絶対許してはならない」という気迫に満ち、子どもたちの未来には2度と自分たちが経験した苦しみを味わうようなことがあってはならないと意欲にあふれていた、それは参加した子どもや若い世代に響いた、とのべた。「私は、この戦争体験者の、戦争を阻止するために行動されることに比べ、自分はどんなことをしてきたか考えたとき、教師であるのに、自分の幸せしか考えていないことを突きつめられた」とのべた。
 そして、「貴重な戦争体験を聞けてよかった」で終わるのは大きな誤りであり、教師として戦争反対の行動に結びつけなければならないとのべた。
 それは学校のなかで、子どもたちを競争に駆り立て、人を踏みつけ、はては殺しても平気という考え方が育つような教育内容を教え込んでいること、それを黙って教えていくために教師をさまざまな制度でしばりつけようとしていること、こうして日本をアメリカの核の戦場とし子どもたちを戦争の肉弾にしようとしていることに、教師が団結して反対することだと強調した。
 続いて会場で感想交流がおこなわれたが、とくに被爆者や戦争体験者から、教師や高校生の発言、また平和の旅を通じた小・中・高校生の成長を喜ぶ声が多く寄せられ、「この地、この教師、この父母だからこういう子どもが育つのか」「教育が大事。私も一緒に頑張っていく」など発言が続いた。

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