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勤労父母と結んだ教育の展望
第32回人民教育全国集会
             人民的な教育の発展に確信    2010年8月23日付

 「日本の教育を立て直そう!」をメインテーマに第32回人民教育全国集会(主催・人民教育同盟)の「子ども、父母、教師のつどい」が22日、下関市の勤労福祉会館で開かれた。被爆者や戦争体験者に学び行動に立ち上がる若い力が全国各地で登場するなかで、子どもをまっとうに育てる教育の力は父母や祖父母など勤労人民のなかで充満しており、戦争に反対し、子どもたちを民族の後継ぎに育てようという強い息吹が集会のなかで生き生きと反映された。つどいには、山口県を中心に、広島、北九州、大阪などから戦争体験者、被爆者、父母、教師や子どもなど300人が参加した。
 主催者を代表してあいさつした大阪の高校教師の日置輝夫氏は、戦後65年たって経済も労働も文化も教育も衰退してアメリカの植民地のようになり、“このままでは日本が潰れる”と多くの人人が危惧(ぐ)し教育が深刻な関心となっているなかで、時代は大きな転換点を迎えているとし、広島や長崎での「原爆と戦争展」、劇団はぐるま座の『原爆展物語』、原水禁8・6広島集会や小中高生平和の旅のなかで、被爆者や戦争体験者に学んだ若い平和の力が前面に出て、荒廃した日本社会を立て直す方向に大きな展望を与えているとのべた。「子どもを民族の後継ぎに育てることに日本の将来の命運がかかっている。大いに意見を出しあい交流し大きな教育運動のうねりをつくっていく出発点としたい」と訴えた。
 基調報告は「日本の現状」「新自由主義・市場原理の学校現場」「新しい質の運動の発展・展望」「教師の任務として」の柱で提案された。
 発言の最初に北九州の小学校教師、林田正人氏が立ち、急速に進む子どもの貧困化と、それに負けずに成長する子どもたちの様子を報告した。「給食費が払えない。校納金を払えずに卒業。その分を弟や妹から徴収。服が買えない、朝ご飯を食べられない、夕食はスーパーの値引きがあってから。休みの日はどうかしたら1日1食。そのせいか給食はいつも完食。5年生で計画されている1泊2日の自然教室は補助が出ないので中止」という現実をのべた。その貧困化が低学力を生み、漢字が読めない、書けない、計算ができないというなかで、小学校の低学年から行き場のない中学生ともつながって、家からのカネの持ち出し、集団万引き、喫煙、自転車窃盗、置き引き、食い逃げなどが常習化する例もあり、「子どもをどう育てるか」が親や教師のなかで真剣に論議されているとのべた。
 とくに親の意識の急速な変化が子どもに影響を与え、「日産のゴーン社長は九億円もらっている。うちのお父さんも日産の工場で働いているけど、社長はお父さんの給料の何百倍ももらっとる」「これだけがんばっているのに、人から頼りにされているのに、なぜ給料が安いんだとお父さんがいっていた」ことへの怒りとともに、親たちが子どもたちに勤労人民の後継ぎとして育つことを強く願い、第11回広島に学ぶ小中高生平和の旅にも、子どもを積極的に参加させたと語った。
 親たちは、「被爆体験を聞かせたい」「旅のなかで年下の世話もしてほしい」「すぐにあきらめず、最後までがんばってほしい」と期待を寄せ、子どもたちは平和の会の目的・めあてに統率され、リーダーの指揮に従い、被爆者に学んで大きく成長し、それを親が「旅から帰ってきて食べ物を残さなくなった」「旅のことを忘れずに、これからも学校で、家で、地域でがんばってほしい」と喜んでいることを語った。
 「子どもたちを本当に教育しているのは、勤労人民である親であり、体験を語ってくださる被爆者・戦争体験者である。子どもたちは団結し、協力し、みんなのために行動することを学んだ。そしてアメリカがたくらむ戦争に反対し、核を持って帰れと行動に立ち上がった。私も働く親の願い、怒りにしっかり学び、親、教師と団結して戦争に反対し子どもたちを勤労人民、日本民族の後継ぎに育てる教育を全力で押し進めたい」とのべた。

 平和の旅で成長した子供達

 つぎに、平和の旅に参加した小学生と2人の高校生リーダーが意見発表した。山口県防府市の小学5年生女子は、カンパ活動に初めて参加し防府市の商店を1軒ずつ回ったことについて「初めは恥ずかしくてドキドキしていましたが、思いきってやってみると、どの店でも“がんばりなさい”“とてもいいこと”と励ましてくださり、勇気が出て、楽しくなりました」と語った。また被爆者の真木さんから中学生のとき工場で働いていて被爆し身体の左半分を火傷した話を聞いて、二度と原爆は落としてはいけないと思ったと語った。みんなと一緒に平和行進をやりぬくことができた達成感を語り、「来年は六年生になるので今度は私が小さい子や具合の悪くなった人のお世話をしたい」とのべた。
 小学4年のときから平和教室に参加し、今年は平和の旅のリーダーを担った高校2年生の女子は、自分ができることは進んでやろうと決め下関駅前での街頭宣伝や宇部に帰ってからの活動にも気合いが入り、学校の先生や友人にも平和の旅の署名とカンパを訴えるなかで勇気づけられた経験を語った。また看護師である母親も職場で協力を訴えてくれ、多くの人の後押しを受けて広島に向かい、緊張し落ち込んだりもしたが仲間たちとともに大きな達成感を味わったと喜びを語った。「平和の会では難しいことはわからなくても被爆者の方方の目を見てお話聞いて心で感じることがたくさんある。また、これからの将来を担っていくものとしての使命を感じ、中途半端な気持ちではやっていけないと気が引き締まった。戦争へ向かおうとしている今の日本、世界を止めるには私たちの若い力が重要だ。近い将来、平和な世界が実現するように、これからの人生を歩んでいきたい」と力強く決意した。
 リーダーを担った高校1年生の男子は、最初は甘えがあってミスをしたり怒られたりしながら、緊張して当日を迎えたが団全体がまとまり協力できたことへの充実感を語った。「これからの世の中を生きていく僕たちが被爆者の方方や社会のことを学んで、戦争をはね返していける強い若者になっていきたい。“私たちはいつまでも変わることなく、平和を愛し、戦争を憎み、二度とあの戦争をくり返すことのないように全生涯を平和のためにつくすことを誓います”という平和宣言の精神で平和の会の活動をがんばる」とのべた。
 つぎに息子を平和の旅に送り出した、北九州の母親が発言。初めに自身の仕事についてふれ、7年前に大型自動車免許をとり最終処分場で産業廃棄物をトラックで運ぶ仕事や、ほこりが立たないように水をまく散水車業務など男性と同じ労働に携わった経験と誇りを語った。今年6月に息子が下関駅前の平和の旅の募金活動に参加したときに、一人のおばあちゃんが「私はもう長生きできない。良いことでお金を使ってほしい」と1万円札をカンパしてくれたことを家に帰り喜んで話した息子を見てうれしかったこと、その後息子とともに署名やカンパを親せきや近所の人にもお願いして協力を得て、平和の旅に送り出す前日には、「遊びじゃないよ勉強に行くんだよ」「決まりを守って単独行動したらいけんよ」といい聞かせて送り出し、旅から帰った息子は「友だちができた。宮崎や沖縄とかからも来ていた」と喜んで話した様子を語った。
 「息子は自由をしたがる子どもで、私は集団生活に関心を持っていた。親同士が横でも縦でもいいからつながってみんなで一丸となって考えないといけない。平和の旅に参加させて本当によかった」とのべ大きな拍手が送られた。

 原爆展物語に響く中高校生

 劇団はぐるま座の斉藤さやか氏は、原爆と戦争展運動の10年を描いた『原爆展物語』公演を下関初演、広島・長崎県内、岩国市、山口市ととりくむなかで、被爆者・戦争体験者の思いや第二次大戦の真実にストレートに響く中学生や高校生の鋭い反応や、劇を見た人人が衝撃を受け「何かしたいと思っていた」と行動に立ち上がっていく様子を報告。『原爆展物語』の紙芝居を見た長崎の中学生の「原爆は広島・長崎、そして日本を焼き、人人を苦しめた史上最悪の兵器だ。これは日本人ならほとんど持っている気持ちだろうと思う。峠さんは、原爆のことを話してはいけない当時に自分を捨て、未来のために、未来に同じことが起こらないように、その思いを詩に残したんだと思う。その峠三吉さんの心の中を知り、とても感動した。今、日本は平和です。平和に見えます。しかし、広島・長崎
・沖縄の人たちはそうは思っていないことを知った。アメリカに支配されている植民地だといっていた。確かにそう思った。一刻も早く、この問題を解決して、日本を、そして、世界を本当の平和にしなければいけないと思った」(高来中3年・男子)などの感想文を紹介。「社会にも学校にも欺瞞がはびこるなかで、根本変革に展望を感じ、自分たちがその担い手になっていこうと使命感を燃やしている。ここにこそ日本の教育の展望があると思う」とのべた。
 また『原爆展物語』の実行委員会に教師が参加し、戦争体験者の体験や現代への激しい思いに触れ、「今まで教師が一番平和教育に熱心だと思っていたが、大まちがいだった。自分たちが一番遅れている」と衝撃を受け、長崎の原爆と戦争展に同僚と連れだって参加し、11校の小・中学校や高校、専門学校に舞台の紙芝居が波及したこと、教師たちは、「教師が変われば子どもが変わる。子どもが変われば日本が変わる。自分たち教師がもっとがんばらなければ」と行動に立ち上がっているとのべ、「『原爆展物語』の上演運動を全国に広げ、教育の立て直しの大論議を日本中で巻き起こしていきたい」と語った。

 勤労父母の側に立つ教育へ

 最後に3人の教師が続けて発言した。長門市の小学校教師の江原美佐江氏は、勤務する校区内で漁業破壊の困難に立ち向かい漁業を守ろうと奮斗する漁師に学んだ経験をのべた。定置網の80歳の漁師は、初めに今の捕鯨禁止論に対して「合点がいかん。日本は昔から鯨を捕ったら捨てるところがないぐらい使っていた。欧米は皮と脂だけとってあとは捨てていた」と子どものころから漁師たちが集団で鯨を捕って地域を支えてきた経験を誇らしげに語ったことをのべた。そして漁師たちの誇りを汚す出来事が漁協の合併であり、その怒りが根深いことを学んだと語った。
 江原氏は漁師の話を聞くなかで、「将来のこの地域をしょって立つ子どもたちへの期待は大きく、子どもを地域みんなで育てていかなければならないと思っておられる。みんな自分勝手、自己責任、自由気ままでは生きていけないということが伝わってきた。“先生は子どもに負けないで根気強く気概を持って教育にあたってください”とエールをくださった。この思いに沿って教育していくことが立派な社会の後継ぎを育てる教育だ。地域の人人の深い愛情と学校教育に対する真剣な願いを受けとめることができる教師になって奮斗したい」と結んだ。
 宇部市の小学校教師の佐藤公治氏は、「教育改革」で子どもたちの知育・徳育・体育の総合的な発達が破壊されているなか、学年全体で体育活動を重視した実践を報告した。4年生の5月の合同体育で鉄棒ができる生徒が128人中46人しかおらず、「人間としての退化だ」「肉屋にぶらさがっている肉と同じ」と担任全員が愕然とし、鉄棒、マット、跳び箱、水泳を重点的に鍛えてきたこと、できない友だちを補助し支えあい、一学期の終業式の日には128人中117人の子どもが鉄棒ができるようになり、集団の力で大きな成果を勝ちとったことを語った。
 「体育活動での自信が他の教科や生活態度にも転化していることをどの教師も親も喜んでいる。今の学校現場は“嫌なことはしなくていい”と困難から逃避するひ弱な精神を植えつけ“学力向上”と称し、役に立たない点取り競争に子どもを追いやり、知育も徳育も体育も破壊されている。集団性、規律性、ねばり強くがんばる力、困難に立ち向かう精神力がないと不正、不合理、腐敗とたたかうことはできない。父母の願いは困難から逃避せず、仲間と力を合わせ、知徳体の統一的な成長を願い、そこでつちかった体力、精神力で豊かな平和な日本を築いていってほしいというものだ。今後も学校の中の実践に止めず、地域的にも体育活動を広げ大きな教育運動を起こしていく」と語った。
 最後に防府市の小学校教師の谷村芳宏氏は、20年来進められてきた「教育改革」とともに、現在、文科省や県教委が進める「全国学力テスト」復活や教員評価制度、「学力向上」が叫ばれるなかで、「人間教育の営みが数値に置き換えられ、手早く結果が出せることが求められる学校に変えられようとしている。子どもが“戦争の肉弾”と“手軽な商品”に仕立てられようとしている」と学校の実情を暴露し、「子どもたちを“平和で豊かな社会の担い手”に育てるという大多数の人人の要求に応える運動を進めていくために、今後とも全身全霊を傾けていく」と決意をのべた。

 集会会場でも熱こもる交流

 後半は会場からの発言に移った。広島から駆けつけた被爆者の上田満子氏は、13歳のとき被爆し、だれにも体験を語らずにきたが、3年前に原爆展を成功させる広島の会を知り、「戦争のない平和な世の中のために、私に課せられたのは次世代に原爆の経験を伝えることだと思い、生きる考えも変わってきた」とのべ、命ある限りがんばると発言した。下関原爆被害者の会の河野睦氏は、戦後六五年たちこれまでとは違い原爆展などに小・中・高校生、大学生や若い世代の参加が増えてきたことへの喜びとともに、「今、アメリカは口先だけで核廃絶をいい、どんどん戦争に進んでいる。すぐ間近で米韓合同軍事演習もおこなわれ、これが戦争になれば日本が一度にやり玉にあがり、65年前のように核で日本が全滅になる」と危惧(ぐ)を語り、みなが団結して日本の平和を守ろうと訴えた。加えて、同会の大松妙子氏が「下関の中学校の生徒の警察沙汰がひん発していることを気にかけている。下関の教師は団結して立ち向かって欲しい」とメッセージを寄せていることを紹介した。
 挙手発言した20代の小学校教師は、平和の旅にスタッフとして参加し「子どもたちの成長する姿に胸がいっぱいになった。構成詩で今までおとなしかった子どもが積極的に手を挙げたり、大きな声で発表するすばらしい変わりぶりに何度も涙が出た」と感動を語った。山口市の退職教師は山口市でのはぐるま座の『原爆展物語』公演の取り組みのなかで、遺族会の人や婦人たちが積極的に実行委員会に参加し運動を担った経験から、自身の認識を変えさせられたとのべた。
 宇部市の母親は、子どもが平和の旅に参加し成長したことに喜び、「自分も今年、祖母の戦争体験を直接聞くことができた。65年たって今の日本が当たり前にあるのではない。戦争体験を自分たちの子ども、子どもたちが親になっても伝えていけるように、今私たちがもっと知っていかなければならない」と語った。その後も「旅のスタッフとして参加したことで、平和の旅が陰でコツコツと働くスタッフによって支えられていることを初めて知り、教師としての“世間知らず”を思い知った。子どもや親の本当の思いをつかめる教師になる」(北九州・小学校教師)、「子どもを生んで戦争のことを考えるようになった。日本の教育を立て直すためには、私たち若い人たちが体験者から聞いたことを伝えていかないといけない」(下関、20代母親)などの挙手発言がつづいた。
 つどいの最後には、劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』のダイジェスト版の紙芝居が20分間上演され、はぐるま座団員の熱演に大きな拍手が送られ、つどいを終えた。

 

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