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子供も教師も数値評価導入
山口県の教員評価
             県教育長の不当な支配    2006年4月28日付

 山口県の小・中・高校の学校現場では、山口県教育委員会が今年度から全教員を対象にした教員評価制度試行を実施しようとしていることに、疑問と怒りの声が渦巻いている。この教員評価は昨年度、校長と教頭のところで試行したが、その結果について、ものをいわせないようにしてすぐに一般教員におろしたことへの驚きとともに、試行の経験から「学校とは子どもを育てるところ。企業のような業績主義を持ちこむことはそぐわない。数値目標が時代の先端のようにいわれるが、数字にあらわせないところを大切にするのが教育だ」「学校とはチームワークで成り立っている。成績主義で教員間をバラバラにしたら、協力して子どもの教育にあたることができなくなり、事なかれ主義のサラリーマン教師ばかり増える」と、子どもの教育にとってよくないとする意見が大半である。

  今年度から全教員に試行実施
 ここ数年、小・中・高校生が友だちや親、また自分より小さい子どもを殺すという、以前には考えられない事件が頻発。多くの学校が崩壊状況にある。ここには社会的な原因があるが、なによりもこの10年余りの文科省の「個性重視」「興味・関心第一」の教育改革が教育も学校も崩壊させていることが大論議になっている。
 山口県教委は昨年度、「教員の資質向上のため」の教員評価制度を校長と教頭のところで試行。1学期のはじめに校長が学校教育目標を提示し教頭が「学校運営」「児童生徒の指導」「教職員の助言指導」の3つの点について自己目標を設定したのち、早くも10月末に自己評価をしたあと校長による面談があり、そこで教頭の業績が「意欲」「能力」「実績」の各面からS・A・B・C・Dの5段階で評価された。そして3月に再度自己評価と業績評価があった。今年はそれを全教員で試行し、「学習指導」「生徒指導」「校務分掌」の3つの点から評価するとしており、そのための校内研修がすでに開始されている。

 子供の点数化に重ね中学の教師も強い危惧
 すでに中学校では、指導要領の改訂で、「親への説明責任」といって、授業から生活態度のすべての面での子どもの点数化が進んでいる。それに加えて今度は教師を点数で評価するといい、今後は学校も点数で評価するという流れになっている。
 昨年度の経験から、ある中学校の教師は「最初から数値目標ありきでは、教育をまちがった方向に持っていくことになる。教育には数字にできる部分とできない部分がある」と前置きし、次のように語った。「中学校の3年間は、将来を担う子どもの義務教育の最後の3年間だ。そこでは学校の集団生活を通じて社会生活を送るうえでの基礎・基本を身につけさせるし、将来は地域に貢献できるような生き方ができるよう援助している。今の社会は千差万別のいろんな職業で構成されており、そのことを理解させたい。そしてこうしたことは数値化できない。それに子どもの能力は伸びる時期に個人差があり、それを短期に評価するとまちがう可能性がある。世間受けする数値目標は“高校や大学の進学率○○%、○○人”というものだが、それは予備校化であり教育でなくなる」。
 別の中学校教師も「数値評価が流行だがそれで見える部分は氷山の一角」と指摘する。「教え子から聞くことだが、中学校生活のなかで教師にいわれたことが、社会に出て何年かたってその意味がわかるということがよくある。教育とは長いものさしでないと見れない。過去から未来に向かって生きてきた人間が、“人に迷惑をかけてはいけない”“ウソをついてはいけない”“きちんとあいさつできる”という資質を子どもに受けつがせてきた。これは数値化できない」「今の風潮は、人よりも一瞬でも早く情報を手に入れて、人を出し抜いて金もうけをする人間が成功者と評価される。だがその人は自分のことしか考えない人間であり、社会全体から見ると大きなマイナスであることは、ホリエモンの事件を見ても明らかだ。人間の人生をブツ切りにし、短期の成果を求める評価のものさし自体が問題ではないか」。
 今春の高校受験の時期、山口県や福岡県のいくつかの私立高校が「特別進学コース」を新設し、「1日7時間授業で土曜日も授業があり、塾に通わせる必要がない」「受験で県立○○高校に合格した生徒は授業料免除」「部活は禁止だが国立大○○人をめざす」という“売り”で生徒をかき集めたことに対し、父母から強い批判の声が上がった。その波が公立の学校にも押し寄せ、東京などでは教員評価の数値目標を「進学校××高校に○○人入学」「教科の平均点○○点以上」「市美展入選○人」「部活の大会で○回戦以上」などとしている。通学区が自由化され中学校が自由に選択できるようになり、一斉学力テストの学校ごとの平均点がホームページで開示されるという教育改革の流れのなかで、こうした数値で教師や学校が評価されることになると、学校が「東大進学○○人」で集客する塾のようになる。
 
 深刻な行き着く先 点数いいが殺人者に
 その結果としてどんな人間ができるか。最近ある大手企業では、会社のミーティングで東大卒のエリート新入社員が、上司が提案することに「それは知っています」「それも知っています」と返事をするが、実際に仕事を任せるとなにもできないので、周囲から「知ってますバカ」と呼ばれていると話されている。「将来は化学者」と嘱望されていた成績優秀な女子高校生が、その知識を使って自分の母親に毒を飲ませて実験台にしていたというのは、去年の事件であった。「東大進学○○人」の行き着く先である。
 さらに今後は、この評価結果と教員の給与をリンクさせることが計画されている。実施した東京では、自分のことしか考えないサラリーマン教師ばかり増え、モラルが低下して惨憺たる結果になったと語られている。ある高校の教員は「ある生徒が所属する運動部が地区大会で優勝したとして、その業績を部活の顧問の教師だけの成果にすることができないのは明らかだ。その生徒の担任がおり教科を指導する教師がおり、中学校で部活を指導した先生がおり、親や家族の援助がある。ある生徒が成績を向上させてもそれは担任の一人の教員の力ではなく、みんなが助けあって初めてできたことだ。教科指導にしろ生徒指導にしろ、学校は教職員の集団の力が支えあって成り立っている」と強調した。
 そのほか、「教員にとってふだんに自己を高めるための研修が必要なのは当然だが、それは形ではなく、昔は子どもとの日日のかかわりのなかで職員室で激論を交わしながら研鑽していた。ゆとりをなくして、それをできなくさせていることが問題だ」「県教委は“教員の資質向上”というが、今でも初任研や10年研といって子どもから切り離したうえに、評価のための文章づくりや面談にさらに時間がとられ、肝心の子どもと接する時間がますます少なくなる。教師の質は逆に低下する」という意見も多い。
 文科省や県教委は、教員評価をはじめ公立学校に市場原理の商業主義を導入するために、アメリカを真似て「子どもや親はお客様であり、お客様のニーズに応える」と「顧客満足度」という考え方を研修のたびに強調している。しかしそれはすでに生産現場では大失敗した、時代遅れの考え方である。生産現場では毎年の成果主義による査定の結果、一年以内に成果のあがる仕事しかやらなくなったり、自主目標をあげさせると低めの目標しかあげなくなったりしたという。生産現場は市場原理ではなく、労働者が集団の共同労働をおこなう生産原理で成り立っているのである。
 県内の学校現場でも、いくつかの県立高校で「生徒が自由に授業を選べる」とする総合学科・単位制を導入したが、生徒に人気のない努力を要する授業は開店休業状態、体育は生徒が好きな種目を選び教師は「遊びの子守り」状態になるなど、「毎日遊んでも卒業資格が手に入ればよい」という反面を助長して、その結果社会で通用しない子を送り出さないといけないと教師が胸を痛めている。昨年から県立高校で授業評価がはじまり、「お客様」である生徒からアンケートをとって「この教師の授業はわかりやすいか」などを質問したところ、その学校で授業に熱心なベテランの教師が低い評価になり骨抜きにされていると、ある学校で心配して語られている。文科省・県教委が進める教育改革が、県内のいたるところで破たんし、学校崩壊をつくり出している。
 
 人間扱いせぬ県教委 教育基本法改悪先取り
 県教委は、数値目標を掲げ、生徒も教師も学校も点数で競わせようとしている。しかし千差万別の人間の価値は、数値でははかれないのは自明のことである。数値にされるのは、「生徒1人に年間20冊本を読ませる」ことから始まって、とどのつまりは「○○高校進学○○人」「平均点○○点」というもので、その子どもに小さい頃から親がどれだけ教育投資をしたかに規定された、子どもという商品の価値である。1人1人の子どもにも教師にも点数によって値札をつけようというのである。それは、県教委が山口県の子どもも教師も人間扱いしていないことを示している。しかし世の中は商品価値だけで成り立っているのではない。
 教育される側は動物やロボットではなく、間違いなく人間である。点数のまえに、苦しみ、悲しみ、喜び、怒りなどの感情がある。このような精神生活を無視して、子どもも教師も「数値評価」の「点取り虫」で評価するのでは、学校崩壊になるのは当り前である。
 山口県では、こういうバカげた改革を教師の資格もないただの行政職である藤井氏を県教育長につけて、強引に押しまくっていることが、現場教師の強い反発となっている。教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」(第10条)と規定している。県教委は、学校をつくり校舎を改修したり、教師の数を増やしたり、必要な教材をそろえて義務教育費の父母負担をなくしたりすることが役目とされている。ところが今では、教育委員会の「不当な支配に服せ」をしゃーしゃーとしてやるようになっている。これは教育基本法改悪の先どりである。

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