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子供の精神蝕む戦争ゲーム
自己中心強まりいじめや不登校に
             ネット依存症蔓延に危惧   2013年11月6日付

 中学生や高校生のなかで、携帯電話やスマートフォン、ゲーム機、パソコンなどを使ったチャットやライン、オンラインゲームなどに熱中し、親との会話がなくなったり、手伝いをしなくなったり、寝不足で勉強にも集中できない「ネット依存症」が広がり、親や教師が頭を痛めている。また、こうしたネット世界が陰湿ないじめの場になり不登校の原因となったり、殺しあいをする戦争ゲームに没頭するあまり目つきも顔つきも変わった子どもになり、「取り上げようとすると手がつけられない」と周囲を心配させている。大人の目が届かないバーチャルな世界のなかで、自分の思い通りにならなければ相手を攻撃し抹殺するという自己中心思想が煽られているのである。そして、東京でフェイスブックで知りあった男に女子高生が殺害された事件、広島で「ラインで悪口をいわれて腹が立った」といって同級生を殺害した事件など、ささいな動機で人殺しにまで発展している。こうしたメディアを規制するために、親と教師が団結した社会的な運動を起こすことが切望されている。
 
 自ら殺人兵になる思想

 下関市内のある中学校では、朝から「頭が痛い」といって保健室に来る生徒が増えている。事情を聞くと「夜中の3時までゲームをしていた」「友だちとラインをしていた」という。寝不足で勉強にも集中できず、体調も崩している。
 とくに女子同士になると、「ラインでやりとりを始めると抜けられなくなる」という。返事を返さなければ「いじめられるのではないか」「仲間はずれにされるのではないか」と心配になって夜中までやりとりする。家族で食事に行こうといっても「ラインがあるからいかない」という。なかには休みの日に一二時間以上スマホのサイトを見ていて、親がとり上げようとすると暴れて手がつけられない状況もある。子どもの日常生活がスマホに縛られている。
 中学生の息子がチャットにはまって、友だち関係がこじれたので携帯を取り上げたというある母親は、「ラインでは“○年○組の○○さん”と特定される関係のなかでグループをつくるが、声をかけない人に対するいじめになったり、グループの中で急に話に入れてもらえなかったりする、一〇代の成長過程は、本来相手の表情を見ながら、身体でぶつかりあいながら情緒が育つわけだが、ネットの世界は指先一つの現実味のない世界。言葉も汚く、相手をやっつけるものになったり、同調しないと外される恐ろしさから“いい、悪い”という自分の意見をいえなくなったりしている」とのべた。
 下関市内のある高校では、年に2回、「いじめに関するアンケート」をおこなっているが、「いじめを受けた」と記述する生徒のほとんどが「ブログやラインに悪口を書き込みされた」「勝手にラインのグループから削除された」などのネットに関するものだった。しかしその相手が誰なのかわからない場合もあり、教師も対応できないのが実情だという。
 ある教師は「男子同士のケンカを動画で撮って流し、それを多数の生徒が閲覧し、それをおもしろがって誹謗中傷や茶化しの書き込みをする。それが原因で学校に来れなくなった生徒もいる。相手の顔が見えないため、相手の友だちがそのことをどう思うかには心が及ばない。このようにして自分中心で、嫌な他人は排斥するという人間が育つと、今後日本はどうなるのかと本当に心配になる」と語った。
 高校2年生の娘を持つ父親は、娘にスマホを買い与えたもののラインに夢中になり、返信しなければ仲間はずれにされるからとスマホから目が離せなくなり、日に日に顔色は悪くなり、食欲もなくなったので最終的にはとり上げたという。結果的に1カ月で80万円相当の通信をしていたことがわかった。

 リアルな戦場で殺合い 知らぬ相手と繋がり

 中学生の息子を持つ母親はある日、息子の部屋から「お前が殺せ!」「あいつを撃ち殺せ!」と話し声が聞こえるので友だちが遊びに来ていると思っていたが、実はそれがネットでつながった知らない相手と戦争ゲームをしていたのだと知って驚いた。ちょうど高校受験の時期とも重なって、精神的に不安定だったのか、その後学校にも行かなくなり家にこもりきりの状態が続いていることを、周囲の人たちが心配している。
 別の母親は、中学生の息子がだんだんと目つきも顔つきも変わり、笑顔がなくなり、話しかけても返事をしないことが増えたのを心配していたが、戦争ゲームにはまって夜中までやっていたことが原因だとわかってゲームをとり上げた。夜中に電源を切ってとり上げようとして、子どもととっくみあいになったことを明かしつつ、「携帯電話を販売する企業、ゲーム会社、ライン運営会社など、子どもの犠牲の上に利益を積み上げている。社会に対する責任を果たせていない会社が多いと思う」と批判した。
 別の事例では、小学校5年生の息子の誕生日にDSのカセットをせがまれた母親は、内容を知らないまま買い与えた。ところがそのカセットは、子どものなかで流行っている相手を殴る蹴るの「たたかいゲーム」だった。友だちと通信しながらそのゲームをするようになってから言葉遣いも代わり、親に対して反抗的な態度になり、母親が驚いてすぐそのゲームを没収した。「あのままとり上げずにゲームを続けていたら、子どもがどうなっていたかと思うと恐い。親が無関心だったら、子どもの人格まで変えてしまう恐ろしさを感じた」と語っている。
 今、中学生や高校生、大人のなかで流行っている戦争ゲームの一つに「Call of Duty」(コールオブデューティ)というのがある。これはアメリカのゲーム会社が開発したもの。
 特徴は一兵士の視点から見た戦場の描写にあり、プレイヤーである子どもも「戦場にいる一兵士」になりきってゲームをする。一兵士だけで戦斗に勝利することはできず、他の味方の兵士と協力して戦斗をする、つまりネットでつながった世界のだれかと通信しながら敵を殺しあうことになる。登場する味方兵士全員には名前が設定され、ゲーム中に味方兵士に照準を合わせるとその兵士の名前と階級が確認できる。
 多くの作品で主人公はかけ出しの兵士として戦場に身を投じることになり、ストーリーに沿って各地を転戦していく。特定の地点へ行くと敵の集団があらわれたり、上空から敵の爆撃機が空襲をおこなったり、爆風で身体の半分を失った敵兵が泣き叫ぶなど、戦場さながらの生生しい映像が目の前で展開される。そして「最期には愛国心を貫き通して死ぬ」という軍人の矜持が描かれる。
 また、ゲームの進行につれて新しい権利や武器を購入しなければ進めない仕組みになっており、そのためには実際にお金を払わなければならない。「武器を購入するのに10万円使った」という大人もいる。こうしてIT企業がもうけている。
 ゲームを見たある母親は「鳥肌が立つほどリアルな映像で、こんなゲームを子どもたちがしているのかと思うとゾッとする。ゲーム感覚で人殺しをする事件があるが、他人事ではない」と語った。

 教師と父母が一致して 規制させる運動を

 アメリカではこの10年余り、政府が全国一斉学力テストをやって子どもも学校もランク付けし、成績の悪い貧乏な家庭の子どもを軍隊にリクルートしてイラクやアフガンなどの戦場に送ることがやられてきた。そして青少年を殺人兵に仕立てるために、小さい頃から戦争ゲームに慣れさせることを重視している。
 米陸軍は2002年、テロリストとの戦斗ゲーム『アメリカの陸軍』を公費で開発し、氏名や住所など個人情報を登録すれば無料でダウンロードできる仕組みにし(1000万人以上が登録)、それを新兵の勧誘に利用している。また、パキスタンやイエメンでアメリカの無人機が民間人の無差別殺りくをおこなって非難の的になっているが、この無人機を開発する企業は、操縦席のコントローラーをゲーム機と同じデザインに変えている。若い兵士に短期間で習得させ、モニター画面を見ながら、指だけを踊るように動かし、罪悪感のないまま平気で人殺しを実行させるためだ。
 もちろんこうした異常な世界に、日本の青少年がみなどっぷりとつかっているわけではないし、高価なスマホやゲーム機を多くの勤労家庭が買い与えられるはずもない。しかし問題は、IT企業やゲーム会社、ライン運営会社などがもうけのために青少年を食いものにしており、同時に政府・文科省がこれに対して教育的な見地からの規制をなにもせず、それをはびこるにまかせて、人殺しを平気でするような青少年を意図的・政策的につくっていることである。
 こうした青少年は、アメリカと同じように、いったん戦場に送られれば、凶暴な侵略兵となって肉弾にされていくしかない。それは安倍政府の憲法改悪、自衛隊の海兵隊化などと結びついた意識的な政策としてやられている。
 しかし今、こうした事態をだれもがよくないとは思いつつ、教師は「家庭のことには口出しはできない」といい、親は「みんなが持っているから」「子どもが仲間はずれになったら困る」といって一致した方針が持てない状況もある。そして親が子どもの登下校の安全のために買い与えた器機が、子どもを危険にさらすものになっている。資本にものをいわせたIT企業がもうけのために、まだ十分な判断力も持たない子どもたちの精神を日日蝕む自由はあるが、全国の親や教師がこうした反社会的なメディアを批判し教育の場から追放する自由がないことを、座視することはできない。
 子どもたちの人間的な成長と平和な日本の未来のために、反社会的なメディアに対する批判力を強め、親と教師が一致してそれを規制する運動を起こすことが重要になっている。同時に、こうした悪環境に負けないように、子どもの中に思いやりの深い、間違ったこととはたたかう清澄な精神を育てることである。それは今年、「みんなのために」の体育実践や、被爆者の体験を学ぶ平和学習としてこれまでになく大きく広がっている。


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