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子供のために行動始める教師
人民教育同盟教師座談会
               文科省教育の権威崩壊    2008年9月10日付

 日本を再び原水爆戦争の戦場にさせないための原水禁運動の発展や、日本の生産活動を守る労働者や、農漁民の立ち上がりが顕著になるなか、子どもの教育をめぐる情勢も様変わりとなっている。今年8月の人民教育全国集会にはこの10数年来の政府・文科省の「個性重視」「興味関心第一」の学習指導要領の結果、これでは子どもが育たないということがはっきりし、そのなかで教師や親が子どもを育てるための集団的な行動を始めていることが反映された。本紙は、山口県と福岡県の人民教育同盟の教師たちに集まってもらい、ここまできた教育をめぐる情勢、子ども、父母、教師の変化を大いに出しあい、広範な勤労父母と結びつき大多数の教師を結集する教育運動の路線と展望を論議してもらった。

 教師間の結束広がる 家庭の困難にも向きあい
 司会 まず子ども、父母、教師の実際状況、そこにあらわれている具体的な変化はどうだろうか。
  2学期が始まり、転入生が次次に入ってきた。離婚や家庭崩壊、親自身が精神的に子どもを育てられない状況にあるなどが理由だが、そのなかで運動会をどうとりくむかとなっている。英語教育の導入など日常的にさまざまな問題が出るが、教師の意識として「これは子どものためになるのかどうか」というところにストンと焦点が当たるというのがこれまでとの違いだと思う。これまでは自分がやりたいかやりたくないか、教師間の関係でもあの人が好きとか嫌いとか雑多なものがあったが、「子どもにとってどうなのか」というところで結束する雰囲気を感じている。運動会準備のトラックの杭打ちでも、体育主任が職員室の真ん中で「みなさん暑いけど、子どもたちのために頑張りましょう」と声をかけるとみんながすぐに動く。
 そして、子どもたちが経験している家庭崩壊に教師が向きあわないといけないとなっている。これまでガソリン高騰でも自分の生活のところから文句をいっていたが、「子どもや親はそれどころではない」というところから、漁民の一斉休漁やトラック協会の全国統一行動などの新聞を切り抜いて子どもたちに配ったり、教室に貼ったりしている。社会の大きな動きが教師の意識も動かしている。
  農漁村部落のうちの学校でも、家庭破壊、離婚で祖父母を頼って帰ってくるケースが何組かあり、その母親の仕事が激務だ。老人ホームの介護士で夜勤も多く、なにか起こると夜でも呼び出され、「子どもはほったらかしにならざるをえない」と話していた。介護士の仕事は苛酷だからやめる人が多く、ぎりぎりの人数で働いている。
 先日、全国一斉学力テストの結果が出て、山口県は小学校が下から3位とすごく悪くて、緊急に校長会が開かれ、後日職員会議で報告された。それで「去年と比べて学力が落ちたといっても、子どもが違うわけで、下がることはわかっていた」と発言すると、校長も「この子どもたちをどう育てるかと日日先生たちも頑張っているのに、去年と今年を比べても意味がない。日日やっていることが大事だ」と腹立たしそうにいう。上から「学力テストに出るような問題を練習させろ」と押しつけてくるが、教師はみんな「あの点数が本当の学力じゃない」「学力テストの訓練ばかりさせれば、子どもは勉強が嫌いになるだろう」「そんなことやってなんの力がつくのか」といっている。
 教員評価制度にしても「出せ、出せ」といわれるから出すが、出しても中身を本気でやろうとは思っていない。それよりも運動会まで日にちが少ないなかで、教師同士が協力しないとできないので、必要な物はみんなでつくったり、子どもの指導はみんなで声をかけたりと、教師は力をあわせてことを進めているし、「自己目標シートとは全然関係ないね」といっている。先日も「評価制度、学力テスト、免許更新制と3つあわせて国家の統制ではないか」という話になった。漁民やトラックのストを見て「あれをまねして全国で先生たちが受けなかったら、先生がいなくなったら困るし、免許更新制をやめさせられるかもしれないね」という声も上がってきている。

 生産労働に学ぶ実践も
  教育集会の分科会で周南市の中学校教師が「職員会議で話しあい、コンビニやマクドナルドに行く興味・関心のキャリア教育を、地域の農家に学ぶ農業学習に変えた」と報告していたが、うちでも同じことが起こっている。
 2学期になった早早、クリーニング工場で働いているある母親が職場に見学にきてほしいというので、同僚の教師と訪問した。「きつい、汚い」といわれる労働現場で、その母親はたくましく、働くことに誇りを持って「全部見てください。説明します」という。フィリピン人も何人か働いているなか、子どもが「どうして働いているのは女の人ばっかりなんですか」と聞くと、「給料が安いからです」とスパッと答えた。訪問した教師も「こういうことが大事。子どもたちに教えていかないといけない」とすごく関心を持っていた。その教師から、「近くの学校で、日産の下請工場で働く父親を呼んで労働を学ぶ授業をした先生がいる」ということも聞かされた。文科省は社会科では「労働」を削って「消費者教育」を重視するといってきたが、最近ではいろんなところで教師が地域に根づいて生産労働に学ぶ実践を始めている。
 これは地域原爆展を一緒にやってきた教師に聞いたことだが、学力テストの結果から“校内で学力向上のためのとりくみをせよ”とおろされたとき、その教師が「子どもたちを成長させるうえでそれはよくない」と発言すると、ほとんどの教師もそれに同意する意見を出し、翌日には撤回させたという。かなりのところで抗議や批判が起きているし、それを撤回させる力も強い。また夏休みに校内でとりくまれた「原爆と戦争展」は、学校のかなり多くの教師の力で開かれていった。パネルのような平和教育をしたいという思いは強い。地域原爆展に出かけてきた教師たちは、原爆展で出会った被爆者を招いてすぐに被爆体験を学ぶ学習をしている。学年集団で大きく動いている。
 子どもたちの貧困化はうちも同じだが、それに負けない子どもにするということで教師が努力している。学校に出てこない子は洗濯をしていないとか、体操着の着替えがないことで休むので、洗濯機の使い方を教えたり、ご飯の炊き方を教えている。教師も前は弁当を買ってあげようとなっていたが、今は嘆いているだけでなく、教えて立ち向かわせている点が強いところかなと思う。
 クリーニング工場の母親は、広島に学ぶ平和の旅に子どもを送り出し、たくましくなって帰ってきたことを喜んでいる。その報告会のときに、その子どもを低学年で受け持った教師が参加し、旅であれだけのことをやりとげたのに感動していた。その教師は、給食で好き嫌いなく食べさせることを指導していて、牛乳が飲めない子には口を開けさせて流し込む。前は吐く子がいたが、最近は吐かないから良くなったといっていた。一時期、「嫌いなものをむりやり食べさせるのは体罰だ」という風潮があったが、そんなものに負けてはいない。水泳の授業で1、2年生がビービー泣きわめいても、同学年の5人の教師が「絶対に泣いても耳を傾けない」と決め、「くじけない」を合い言葉にして指導していったら、2年目に泣く子も減って泳げるようになった。そのときに「よかったやろ。あんたたちはできるようになると思ったから、先生たちもやらせたんよ」といえた、という。それができたのは子どもが泣きついていく教師が1人もいなかったからだという。
 それが平和の旅の報告会で、子どもの成長を喜ぶ教師と親の気持ちが1つになって、教師も一層親を信頼したし、親も教師に「大事な低学年の時期によくしつけてもらった」という。そういうところで本当の団結が進んでいる。学校のなかで平和の旅と同じ質をといわれてきたが、それは社会科だけでやるのでなく、体育や徳育の面を含め、貧乏に負けないで今の世の中を変えていく力を持つ子どもを育てるということだし、教師たちのそういう力は強まっていると思う。
  最近、5年生のあるクラスで男子が1人の女子に対して暴言をはいたり暴力を振るうことが起こり、校長が担任を呼んで「クラスを2つにわけて、少人数で指導したらよい。子どもが落ち着くまでそうする」「たたいたり、体罰はいけない」といった。そのことが担任が戻ってきた職員室でワイワイ論議になり、「問題が起きないように2つに分けて子どもが育つわけない。根本的な解決にならない。1つに戻したとき、よけい悪くなる」「子どもを個別に指導するのでなく、学級集団のなかで育てていくべきだ」「担任が中心になり、学年の教師がサポートしていこう」と話がまとまって、その案を撤回するよう校長にいいにいった。
 北九州では教師の自己評価があり、1対1で指導を受けるが、そのことで教職員がものすごくバラバラにされ、個人の責任にされていく。だから不登校やいじめがあったり親から意見が出ると、担任は「私の責任」「ダメな教師」と、下を向かされてしまう。しかし、今では教師のなかで、もっと団結して子どもを育てていかないといけない、同学年に頼って相談してやっていこうという意識が出ている。

 父母との団結も強まる
  うちの学校で感じるのは、秋葉原の無差別殺人事件と、その後も殺傷事件が続いているなかで、親が子どもたちを今の社会の刷新、世直し、平和を求める運動に積極的に送り出しているのが特徴だ。下関の『動けば雷電の如く』には10数人の子どもが参加して、高杉晋作の「世直しのため」に感動していた。親もそれを喜んで「地元であるときは私たちもぜひ見に行く」といっている。平和の旅にも20数人の子どもが参加した。不登校の子やサラ金に追われていた家庭の子も親が送り出していることから、自分のことだけでなく人のために役立つ、平和な社会をめざす子どもに育ってほしいという願いを切実に感じている。校区で開いた親の懇談会でも、人殺しをするような子どもをつくってはいけない、教師と一緒に力をあわせて子どもたちをまっとうに育てたいという願いが強い。
 教師集団については、3年前に赴任したときは校長室が天の上にあるような学校だったが、今はもう教師が1つになり、不合理なことに黙っておらず、おとなしかった先生がどんどん発言する。今の教育改革が子どもも親もバラバラにしているのが見えてきている。
 先日、県教委から学校に電話がかかり、山口県は学力テストの結果が悪いなかでおたくの学校は非常にすぐれていた、「なぜいきなり点が上がったのか」「その秘訣を3時間以内に報告しろ」という。「“早寝早起き朝ごはん”したからですか?」とも聞いてくる。これにはみんな馬鹿ではないかとあきれている。教師は「子どもたちは点数がよくても、生きていくうえでの力はついていない。指示待ちだし、頭でっかちの点取り虫ではだめだ」「もっと覇気があってみんなのために役立つ子どもを育てることが大事で、1回だけの学力テストで成績がよいとチヤホヤするのはまちがっている」といっている。県教委の、点がとれればよいという方向を支持する者はいない。
  「子ども、父母、教師の集い」に参加した親が「たくさんの先生方が社会のことについてよく考え活動していることにびっくりしたし、うれしかった」と感想をいっている。親のなかでは、修学旅行を子どもの興味・関心でやってほしくないし、広島・長崎の平和学習の一環としてやってほしいという願いが強く、行動を起こしている。それを教師が知ることで、子どもの教育のためにはなにが大事なのかを確信できている。
 教師のなかで親の願いをしっかり学んでいかないといけないという機運が出てきた。これまでは学校対親、親が意見をいいにきたら必ず「文句」と見ていたが、そうではなく、よく見てみたら親は子どもをちゃんと育てないといけないと思っているし、懸命に自分の姿で子どもを教育しようとしている。教師がそれを全力をあげて知って、自分たちの保身ではなく、子どもたちが出ていく社会を変えていくということに全力投球しないと、親からは見離されるなと思っている。

 教師の意識は変化 実際とあわぬ文科省の教育・教育破壊と対決
 編集部 教師の意識が相当変わってきている。文科省はこの10数年来、「個性重視」「興味関心第一」「子どもの人権」を煽ってきたし、数年前までは教師のなかでその影響は強かった。しかしここまできて、学校は「子ども天国」でメチャクチャになり、子どもの教育に責任を持っている現場教師のなかで「それは教育ではない」「教育破壊だ」ということがはっきりしてきた。今や文科省、教育委員会の権威は崩壊している。そして教師集団が「子どもたちのために」で一致して、子どもを育てる側から文科省教育に反する行動を起こしている。「子どもたちのため」がすわれば怖くない。
 子どもたちと親の現状も非常に苛酷で、だから勉強でいい点数をとるかどうかという関心ではなく、汚濁にまみれたこの社会に負けないような強い子を育ててくれ、という親たちの願いは非常に強い。そして教師と親たちとの距離が近くなっているようだ。
  上からくるものが子どもの実際とか親の願う教育と、度はずれてかけ離れている。だから本当に権威がない。話にならない。本当にびっくりするようなことを下ろしてくる。防府市では70数人の教師が必要という要望が出されていたが、7月1日にそのうちのたった1人が学校についただけ。それなのにALT(英語教育のための外国語指導助手)は全学校につける。市教委の担当者も申し訳ないという。現場から離れれば離れるほど、度はずれて子どもの実際とかけ離れている。
  県教委は子どもの人間関係ができていないといって「コミュニケーション能力を育てる」と、へんちくりんなゲーム遊びを人権教育といってやらせている。背中あわせした2人に「頭に数字を思い浮かべてください」といい、数字があったら拍手する「超能力の世界」とか、平均台の上で誕生日順に並び替えるといって、入れ替わるときに肌と肌が接触するので、競争させてスキンシップをしながら人間関係をつくるとか。そんなことをしなくても子どもはすぐに友だちをつくっている。
  「伝えあう力」とよくいうがそれはわがままを押しとおす力だ。最後までおのれを押しとおす。それは将来企業戦士となっていくことを狙ったものだが、それを教師は見抜いて「この教育をしていたら“秋葉原”になる」と抗議している。
  山口県の教育長は事務職あがりの役人だ。下関の教育長は文科省からきた超エリート。教育者でない者がやってきて子どもの教育をメチャクチャにしている。小泉・安倍内閣以来の教育改革も、オリックス会長の宮内が議長となった規制改革・民間開放推進会議などの連中が教育の外側からアメリカの要求を持ち込んできている。校長も教育者でなく「経営者になれ」という方向だ。東京の中学校では、リクルートからひっぱってきた民間人校長に、予備校講師によるエリート教育を始めさせたりしている。
  それを上からやってきた結果現実の子どもの教育では全部パンクしてきた。これまでは現場は愚痴ることが多かったが、今では「上からくるものを真に受けてやっていると学校はメチャクチャになる」「私らが教育をしないといけない」という感じになっている。そういう雰囲気は各地で出ている。
  さっきのクラスを分ける話でも、学校を動かしているのは毎日子どもと接している教師なんだ、それとかけ離れたことをいっている校長に対してちゃんと意見をいおうとなる。実際に子どもや親と最前線でぶつかって呻吟しているのは教師だ。とくに荒れたクラスの教師ほど、みんなと団結してやっていきたいと思っている。
 以前は管理職に対して「自分がどう思われるか」というところがあったが、今では子どもにとってどうなのかとなっている。そこが前と変わってきたところだ。人権教育の影響を受けて「子どもをたたいてはいけない」といっていても、そんなのでは子どもは良くならないということがはっきりしてきた。「子どもの人権」といわれて十数年やってきて、苦しんできて、今その殻をうち破っていこうとしている。

 親の姿勢も様変わりに
  親の方もやはり「子どものため」になってきている。子どもを小さい頃から甘やかして育て小学校高学年になっても日課をそろえてやっているという親が、9月に入ってから「先生うちに来て、父さんと2人で縛りあげてくれ」と悲愴な声で電話してきた。こんな自分勝手をする子どもになってしまって、このままでは人殺しになる、「秋葉原」になる、という危機感からだった。前はその親は「愛さえあれば子は育つ」といっていたが、その愛情とはなにかということだ。悪いことはしからないといけない、嫌がってもやるべきことはやらせないといけない、ということは、親も自分が育てられてきた経験、社会人として働いてきた経験から考えているが、それを子どもに実際にさせるとなると、「それが大事」といいつつ、なかなか難しい。でもそのときは父親は鼻血が出るほどたたき、母親と、働いている大きい姉は泣きながらじっと見ていた。親も迫られてなんとかしないといけないとなっている。
 それは平和の旅に行かせる親の気持ちと一緒だ。教師も「子どものため」となっているが、親も「学校が悪い」といっている場合じゃない、本当にこの子をどう育てるか、将来この子が生きていくうえで今やらなければならないという気持ちだと思う。1学期と様変わりだ。1学期から世の中の事件も多かったし、労働者の意識も社会が動くなかで変化してきている。 
  親と教師の関係も、そのような必死なものになってきている。最近、教師たちがよく学級便りを出しているが、「子どものために」というのがそれを通じてすごく伝わってくる。親との信頼関係をつくることにどの教師も力を入れていて、子どもの成長や課題をはっきりと伝えている。「忘れ物が多いと書かれていたので飛び上がって、日課そろえをするようになった」とか、悪いところは悪いとちゃんと書く。頑張っているところはちゃんとほめる。これに教師たちは力を入れている。そうして教師が親に伝えるし、親も教師に感想をいったりして、信頼関係をつくってきている。
  今年の夏休みも親と連絡をとっている教師が多い。親の状況が苛酷だということを知り、それならできないところは学校に子どもを来させて勉強を見てやろうとか、一緒になにかしようというのが、今年とくに目立ってきた。親のおかれている実際の状況も、頻繁に連絡するのでわかってくる。親と接近して、お互いが知りあって、一緒に子どもを育てようという力が強くなっている。ちょっと前までは「プライバシー」などといって家庭の状況には踏み込めないという縛りもあったが、そんなこといっている場合じゃないという感じだ。
  子どもの問題も「親のせいだ」とだれも思わなくなっている。ひところは「あの親だから」というのがあったが、今は親と一緒になって解決しようとなっている。

 教師の力大結集へ 重要なリーダーの役割・共通敵への斗い
 編集部 子どもを育てるという問題が真剣勝負になってきている。親も教師もそうだ。子どもたちをまともに人間的に育てるかどうかであり、そうしなかったら「秋葉原」みたいになりかねない。そしてそれは教師が集団になってとりくまないとできない。その教師集団を束ねるリーダーが各学校で切望されている。
  日教組の組合主義型の教師が、クラスの子どもの問題には無力なのに、「校長先生、親が文句いってきたときはちゃんと私たち守ってくださいよ」という。今まで職員室はこうした大きな声を出す人が威張っていたが、そんなものでは子どもの問題は1つも解決しない。親と団結していこうという方が強くなっている。地道に頑張ってきた教育熱心層が声を出し始めている。
  今の教師のなかでは子どもたちをまっとうに育てようという実践が地道にやられているし、上からそれとかけ離れたことが出されれば、黙っていた人たちも発言する。火をつければ3人から4人、4人から5人とみんなが集まってワイワイなる。それが今までとの違いだ。それぞれの思い思いのところで不平不満をいっていても変わらないし、共通の敵に対する共同のたたかいというふうになれば、方向性が見えてくる。もう一段高いところで束ねていくことが重要だと思う。リーダーの必要性はそこにあると思う。
 編集部 子どもの世界も教師の世界も「自分のために」が破産している。「みんなのために」「子どものために」が力を持ってきている。
  子どもをどう育てるかというとき、その道がものすごくはっきりしている。人殺しか、社会を変える側か。今の社会のままで「ちょっといい子」というのは実際にはありえない。真面目に勉強してきた優秀な子どもが冷酷な殺人をしたりする。人民的なモラルを身につけて、本当に今の社会を変えていく、被爆者や戦争体験者の体験を受け継いで平和のために頑張る――というところに子どもを立たせない限りは、それは「秋葉原」に行き着くしかないというのが、子どもの実際を見てもいえることだ。そこで教師を結集していかないといけないと思っている。校内原爆展などをとりくみ、第2次世界大戦の真実を社会の発展方向とあわせて学んでいきたい。
 編集部 現実の社会が非常に苛酷な状態になってきているなかで、非正規雇用への怒りを個人主義的に、他人を攻撃する側にもっていったのが秋葉原事件だが、非正規雇用だったら「秋葉原」になるのではない。今、若い世代を中心に『蟹工船』が読まれており、苛酷な職場のなかでの労働者の団結の展望、未来の展望に非常にひかれている。こうした人民的な展望、社会の生産を担う労働者の誇りというものをものすごく求めている。そこが鮮明になっていくと、大きな運動になっていくのではないか。
 教師の斗争は、子どもたちをどう育てるかであり、勤労父母全体、日本の人民全体を代表したものだということがはっきりすると迫力が出てくる。60年「安保」斗争後にはびこった経済主義によって「子どもの教育のため」が投げ捨てられ、教師の権利や待遇が日教組運動という路線がはびこったが、どんづまりまできて、やはり「子どもをどうするか」ということが多くの教師の問題意識にのぼってきている。子どもたちのために広範な人民と団結して、子どもをだめにする上からの攻撃とはたたかうんだとなると、ものすごいパワーが出る。日教組や全教の組合主義者がいうような、勤務時間や賃金など権利のため、つまり「自分たちのために」では力は出ない。
 免許更新制でも、それが教員だけの問題ではなく、そんなことをしたら子どもの教育にならないというところで構えてたたかう必要がある。教育をめぐる矛盾を見るとき、どんな子どもを育てるかをめぐって教師の待遇問題もある。ここまできて文科省の「個性重視」教育も大破産だが、もう一方で、長年修正主義や社会民主主義がやってきた改良主義、経済主義、「個人の権利」の路線が破産している。それは学校現場では歴然としている。

 人民と歴史作る立場へ
  街頭原爆展をやっているときに、他地区の教師が「ここに来たらなにかがあると思って来た」といってやってきていろんな書籍を全部買って帰って「来年は平和の旅に行きたい」という。すごく期待されている。文科省のパートナーとなって戦争に賛成していく日教組中央の方向に、文句をいうだけでなく、下から反対していく動きが相当大きくなっている。
 8・6に向けて教組支部で設定した平和集会で、一人の教師が「地雷をなくそう」と報告し、もう一人の教師が沖縄戦で「日本のした悪いことを知らせるために、もっと悲惨さを出さないといけない」と報告したが、参加者はシラーっとして時間が余った。そこで「平和の旅の報告をどうぞ」と時間をくれた。これまではこんなことはなかった。組合の方はもう出すものがない。でも下の方ではすごく求められている。
  「原爆と戦争展」パネルが広がり、大きな力になっている。私たちの知らないところで貸し出して活用されている。
  『動けば雷電の如く』の山口公演は、はぐるま座創立以来地元の公演ではもっとも多い観客で、場面転換のたびに拍手だ。人民のなかでは、この社会はもう終わりだ、根本的な社会の変革がいるという意識がすごい。そして、次の社会を考えないといけないという問題意識が、教育が次の社会を担う子どもを育てるものになってほしいという意識へとつながっている。被爆者が体験を語るのに熱心だし、『雷電』でも子供にこういう生き方を受け継がせたいと熱心に語られている。
  87歳のおばあちゃんが、「原爆と戦争展」が生きがいだといって、朝に夕に活動して署名やカンパをたくさん集めてくる。親が「先生、うちのばあちゃんは水を得た魚になっている。原爆展に出会ったばっかりに毎日毎日が楽しい、やれこっちの地区、やれあっちの地区と、署名簿をもっていっては話をしてくる」という。平和の旅の報告集を紹介するとすごく気に入って「こういう子どもを育てないといけない」という。命をかけて平和のためにという力はすごい。思想・信条関係なく「平和のために」とどんどん行動している。これに対してセクト的に動く集団はものすごく嫌われる。
 編集部 教育は、現代の子どもを未来社会の担い手として、よりよい社会の担い手、平和の担い手としてどう育てるかだ。日本社会自体をそのようにしないといけないし、現実の矛盾がそこまできている。それを担っているのが勤労人民だ。人民とともに歴史をつくるという立場が重要だ。教師が大結集して新鮮な教育運動を起こせる情勢にきていると思う。
 司会 それではこのへんで。

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