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子供逮捕させる教育放棄蔓延
下関・教科センター方式
              安倍教育改革の破産示す   2013年3月22日付

 下関市の中学校で15日、教師が生徒に「約五分間にわたって」殴られたといって、学校から連絡を受けた下関市教育委員会が警察に通報し、警察がその生徒を傷害容疑で逮捕するという問題が起きた。地域住民のなかでは「子どもに五分間、数十発殴られ続けてなにもしない教師というのは、教師としてどうなのか?」「今の学校はどうなっているのか?」との疑問が語られるとともに、学校や親を飛びこえて警察に通報した市教委の対応にも強い批判が起こっている。この学校は、安倍教育改革のモデル事業として教科センター方式の新校舎を建設して新たにスタートしてから3年たつ。昨年には校長が中途退職し、子どもの荒れが心配されていた矢先のできごとであり、下関の教育を立て直すうえでの重要な問題として注目が集まっている。記者座談会をもって論議した。
 
 学校も親も無視する市教委

 A まず今回の中学校の事件について、実際はどうか。
  15日の午後、2年生の体育の授業のとき、遅れてきた生徒に対して注意した教師に、その生徒が「ムカついた」とキレて暴れ始めた。教師は、正面から向かうと「体罰」になるので、後ろから暴れる生徒を抱きかかえるようにはがいじめしたが、生徒はおさまらず、教師は顔面などを殴られた。授業でサッカーをしていた他の生徒がそれに気づいて職員室に他の教師を呼びに行き、数人の教師が引き離して生徒をようやく止めた。
 この学校では以前から、授業中に立ち歩いて暴れたりする10人ぐらいのグループがあり、教師が追いかけ回していたのを参観日で親たちが目撃している。そうした問題を抱えながらも、教師たちは親や生徒と話しあいながら、一年間粘り強くかかわってきた経緯がある。今回のことで学校としては警察に通報する意思はなかった。
 しかし、学校側が一連の出来事を市教委に報告すると、報告を受けた市教委が学校を訪問して状況を聞き、市教委判断で警察に通報し、警察が傷害容疑で生徒を逮捕するという事態となった。
 18日の夜には保護者会が開かれ、1、2年生の親が体育館に集まった。校長が経過を説明し、親からの質問に対して、「学校として教育委員会に報告したら、教育委員会が警察に通報した」と明かし、それを聞いて親たちが驚いている。地域のなかでは、その子たちは見かけはやんちゃだけど、地域の大人にも敬語で挨拶するし、清掃活動などのボランティアもする子たちだと見られている。
 保護者会のなかで校長が「教員に対しては体罰は一切いけないということを徹底している」と発言したが、親や地域のなかでは「教師が一発でも叩いてハッとさせた方が、どれだけ子どもの教育になるか」と話されている。一般的に考えて大人が子どもに5分間も殴られ続ける状況というのは異常だ。荒れる生徒も教師を殴ったのに殴り返されない方が気持ちは離れるだろう。「子どもが悪いことをしたときには、教師はその間違いを体で教えないといけない。将来社会に出たら、そんな甘いことじゃ通用しないのだと。それができなくなっているなら、今の学校は学校ではない」というのが親や地域の受けとめだ。
  市内の補導関係者は、「教育委員会が学校や親や地域を飛びこえて、直接警察に通報して子どもを逮捕させるなど前代未聞だ。全国的にもあまり例がないのではないか。今、いじめや体罰でメディアが学校を責め、教育委員会の責任を問うているが、自分の地位や職を守る自己保身から、先回りして子どもを警察に渡して将来を奪っているとしか思えない。地域は黙っていてはいけない」と話している。

 毎時間生徒達が大移動 学校現場は大混乱

  この学校の教科センター方式の新校舎は、2010年4月にスタートした。生徒たちの帰属するホームルームをなくし、約700人の全校生徒が毎時間、それぞれの教科専用教室をめがけて大移動をくり返すというものだが、この中学校のような大規模校は全国でも前例がなく、建設前から父母や地域、教師のなかから「ホームルームのある従来型の学校にしてほしい」「教科重視の点とり虫教育でなく、将来のためにも人間関係をつくることのできる教育を」という世論が圧倒し、白紙撤回を求める署名約一万人分が教育長や市長あてに提出された。
 しかしこうした意見を無視して建設は強行された。教科センター方式は、当時の安倍内閣・教育再生会議が打ち出した差別・選別の教育改革の一環だった。それを、国の方向を全国先端で実行することで手柄にしようとする江島元市長が、文科省の補助金をめあてに約50億円かけて建設した。子どもたちの教育をよくするという姿勢がはじめからなく、教育の外側から持ち込んで現場を混乱させた。
  生徒は毎時間、校舎の形にあわせてあっちこっちに移動させられ、友だち同士の悩みの相談も、勉強の教えあいも落ち着いてできない。また、「校舎に死角が多すぎて生徒指導上問題がある」といわれ、授業を受けていない生徒たちを教師が追いかけている姿が目撃されている。親のなかでは「できる子とできない子の差がひどくなった」と心配されている。
 教師の側から見ても、生徒指導上の生命線といわれる教師集団のチームワークをとることが困難になった。従来型の学校では、職員室に戻れば教員同士の認識一致ができていたのに、この学校では九教科それぞれの「教科職員室」にいるので、教師間はバラバラ。横(学年)の連携がとりにくいことが最大の問題だといわれてきた。そして「子どもの把握が難しく、少しでも気を抜けば崩れる」と教師は疲弊させられてきた。校舎の形そのものが、子どもが荒れる要素を拡大している。
 D そして子どもが荒れると市教委が直接乗り出している。安倍教育改革のモデル校として、問題が大きくなる前に子どもを逮捕させて隠蔽するものだ。そこには子どもにとってどうかという問題意識はまるでない。今、教科センター方式を、全国で新規に導入しようという学校は一つもなく、この方式は破産している。それなのに中尾市長や市教委が、なにも問題がないかのようにして継続するなかで今回の問題が起こっている。ただちに子ども不在を改め、クラスを基礎にした普通の学校に戻さなければならない。
  今、メディアの「体罰」キャンペーンがすごい。そのなかで子どもの荒れに対して教育するのでなく放置して、なにか起こればすぐに警察に通報するというのは、全市的にも共通してあらわれている。2月には別の中学校で、生徒同士のケンカで相手を殴った生徒が傷害容疑で逮捕された。学校が警察に通報し、警察官が九人も駆けつけた。その生徒に学校は「次は学校におれないぞ」と伝えていたという。地域のなかでは「なんで子どものケンカぐらいで警察ざたになるのか」「複雑な環境で育ち親にもかまってもらえず、受け入れてもらえるところがないというので学校で暴れる。それに対して一回ガツンと指導すればわかるだろうが、あまり怒らずなだめすかして放置してきた結果だ」「学校は集団生活を学ぶところだ。警察に通報するより、教師が本気で指導すれば子どももわかるはずだ」といたたまれない思いが語られている。
  別の中学校では、校内での子ども同士のケンカで、ケガをした側の母親に対し、校長の方から警察に被害届を出すよう勧めたことが、親たちのなかで驚きをもって語られている。
  また別の中学校では、女子生徒が集団をなして暴れたり教師に反抗することに対して、「学校のありのままの実像を見てください」ということで自由参観日が開かれた。親たちが行ってみると、生徒が屋根の上を歩いていたり、網戸が飛んできたり、女子が机の上に足をあげて授業を受けているという状況があるのに、教師が叱ろうとしない。そして生徒の後ろを教師たちがついて回っているだけという対応に、親たちが失望している。
  小学校でも同じだ。四年生と六年生が荒れているというある小学校に行くと、授業をサボっている子どもの姿を管理職が校舎から写真撮影している。「この子の親にいっても信じないので、証拠写真がいるのだ」と。これでは子どもが、教師に権威とか尊敬を感じるわけがない。教師のなかでは親を「クレーマー」のように敵視する見方もある。
  別の小学校でも、子どもがちょっと暴れ出したら、その子の親を呼んで連れて帰らせる「クールダウン」という処置がとられている。子どもの親は、「それは義務教育ではない」と怒っている。
 D 親から見たらまさに異常な学校になっている。もはや教育ではない。放置だし排除だ。それは四年前、安倍ブレーンといわれる文科省課長の嶋倉教育長時代に非常に強まったし、波佐間教育長がそれを受け継いでやっている。
 2010年、市教委が生徒の暴行や器物破損について、アメリカを真似て「ゼロ・トレランス(寛容ゼロ)」を導入することを決めその場合にはただちに警察に通報するよう各学校に下ろした。この年、下関市の中学校では、約40人の生徒が暴れ教師が生徒に殴られたといって八台のパトカーが学校に集結したり、教師が生徒にシャツを破られたといって警察に通報し逮捕、鑑別所送りにすることが連続しておこり、大きな矛盾になった。警察は捕まえて排除する側であり、学校は子どもたちを成長させる側だ。絶対に相容れないものだ。
 逮捕された子どもたちは、小学校から「頑張らなくていい」という自由主義教育をまともにくらって、九九や漢字がわからないまま好き放題をやって中学生になり、進学競争が激化するなかで暴れてきた。そして高校にも行けず、働く場もなく、行き着く先は兵隊だ。その子たちの将来を、地域は心配している。
 C 市教委の対応を問題にしないわけにはいかない。嶋倉教育長が学校現場や市民の批判世論の高まりで追い返されたあと、地元選出という形で波佐間教育長に替わったが、市教委の学校現場への統制は強まった。「校長は必要ないほどの細かな指示」が出され、まるで学校は市教委の下請機関のようになり、校長会で各学校の実情を出しあえば市教委からチェックが入る。また学力テストで平均点が上がらなければ、現場が説教される。
 波佐間教育長は、一方では中尾市長の「明元素」「幸せの言葉」を絶賛する本を出版し、中尾市長が発起人となって市内の校長などを集めて出版記念会を開くが、他方で「中学校で暴れる子どもたちが次次に警察送りにされていた一番大変な時期でさえ、子どもをどうするかではなく“県教委にどう報告するか”ばかり気にしていた」といわれる。
 教育はときの国家権力や行政と一線を画し、子どもたちに直接責任を持っておこなわれなければならないことは、かつての戦争の深刻な反省から、教育基本法にも明記されている。教育長が任命権者である市長にとり入る出世志向で、子どもの教育と別世界にいることが、下関の教育をこれほどだめにしている。

 最も顕著に表れた下関 安倍教育改革の正体

 A 文科省の自由主義教育改革の破産であり、とりわけ安倍教育改革の破産だ。それがお膝下の下関でもっとも顕著にあらわれている。
 この20年来、幼稚園の「自由保育」から小・中・高校、大学まで、「個性重視」の自由勝手主義で子どもたちを動物園のような野放し状態におき、安倍教育改革で全国一斉学力テストを導入して差別・選別を強めた。教師に対しては「指導してはいけない」「体罰はいけない」といって身動きがとれなくし、教員免許制で「ダメ教師は退場していただく」と統制を強めた。そして教育基本法を改悪した。それがここまできて見事に破産している。
 子どもたちの荒れは、なくなるどころか年年拡大している。危害を加える対象は教師であり、学校だ。安倍教育改革を体現した学校に対して猛烈に反乱を起こしている。それに対して市教委が、ささいなことで警察を入れる。教育の否定だし、敗北だ。安倍教育改革では子どもは育たないことを実証している。
  ここまできて親や地域、教師のなかで、あたりまえの教育をとり戻そうという世論がわき起こっている。最近、大阪の高校生が自殺したことを契機に、マスメディアが「原因は教師の体罰」と騒ぎ、文科省が全国の小・中・高校に「体罰調査」をやらせた。それ自体、現場を知らず子どもへの愛情がない者が現場を振り回しているだけだ。ところが市内の各学校では、保護者の意見の記入欄に「人に迷惑をかけたとき、子どもが悪いときはちゃんと叱ってほしい」「先生にしっかり指導してほしい」という意見が数多くあったことに、教師が驚いている。働く親のなかでは「教師が指導性を発揮してほしい」という意見が大多数だ。
 親たちが働く社会は苛酷だ。失業したり、生活が困難だし、片親の家庭も多い。そのなかで親たちは、子どもたちが将来この社会に出て行くうえでは、少しぐらい叱られて逃げ出すようでは困るし、仲間と心を一つにできない自己中心では困る。そこからの切実な教育要求だ。
 C 原爆被害者の会の被爆者たちが市内の小学校で、子どもたちへの愛情を持って体験を語っている。今の情勢のもとで、二度と戦争をくり返してはならないという被爆者の訴えは真剣だし、それが子どもたちの心をとらえている。その姿を見て教師たちが感動している。
  教師、それも若い教師のなかで、現状安住の“サラリーマン教師”をうち破って、子どもへの愛情を基礎にした情熱をもった教師になりたいという欲求が強まっている。それが上宇部小の教師集団の実践を歓迎し、結集している。
  大震災をへて、全国の大衆世論も大転換している。国というものが国民の生命や財産を守らない、アメリカや財界の道具だという、戦後社会の本質があらわになり、生産者が連帯と団結で産業振興に立ち上がっている。戦争体験者も若者も、戦争を阻止し独立した平和な日本をつくらねばという行動意欲がすごい。
 そのなかで教師としても、今の体制のなかで安住することはできなくなっている。文科省や市教委の代理人の立場でいれば、現場では子どもの反乱を食らって破産する。教師が働く親たち、地域の年寄りたちの中にある新しい時代意識を代表して、勤労父母のモラルに立ったあたりまえの教育をうち立てることが決定的だ。目の前にいる子どもたちが将来、困難に負けずに立派に成長する力になるのが教師の使命であり誇りであるはずだ。

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