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子供達の心揺さぶる小作品
劇団はぐるま座公開稽古
              『礒永秀雄の詩と童話』    2013年3月18日付

 劇団はぐるま座による小作品『礒永秀雄の詩と童話』の公開稽古が16日、下関市武久町にある劇団はぐるま座の稽古場で開かれた。公開稽古には下関原爆被害者の会の被爆者や下関市民の会の婦人たち、山口県と福岡県の人民教育同盟の教師、『動けば雷電の如く』下関公演実行委員会のメンバーをはじめ、広島県や福岡県からも支持者が駆けつけた。詩劇『修羅街挽歌』から始まり、詩「ゲンシュク」「虎」の朗読、朗読劇『とけた青鬼』、そして詩「夜が明ける」の朗読と続く1時間15分の舞台を、参加者は終始熱心に見入り、その後新しい舞台への感動や、全国に広げていくことへの期待を語りあった。
 劇団はぐるま座は、今年に入ってから『動けば雷電の如く』『峠三吉・原爆展物語』の舞台に加えて、戦後日本人民の魂をうたった詩人・礒永秀雄の詩と童話で構成した小作品の舞台化を進めてきた。新しい小作品は、一昨年下関で開催された礒永秀雄没35周年記念詩祭にもとづいて、学校の体育館はもとより会議室や地域の集会所での上演など、あらゆる要望に応えられるような形態のものにしようと準備してきた。
 舞台が始まり、波の音と静かな音楽とともに、書斎で執筆する礒永秀雄の写真がスクリーンに映し出される。「礒永秀雄は、山口県では最高の詩人といわれ、多くの人人に役に立つ詩や童話をつくり続けた詩人です。しかし多くの人には知られていません。真実は隠されたところにあり、多くの人人の心を真に突き動かす本物は隠れたところにいる、ということがよく当てはまる詩人だと思います」とナレーション。
 そして学徒出陣で戦地に送られ、その忌まわしい戦争体験をへて日本に帰り、詩人としてだれのためになんのために詩をつくるか、その出発点を確立する激しい葛藤を描いた詩劇『中也の詩による幻想曲・修羅街挽歌』が演じられた。「そうだ、俺は忘れていたのだ。俺がどこから帰って来たかを。誰に、そうしてどんな魂に詩を捧げるべきかを」「俺は歩くのだ。俺は死ななかったから。たくさんの学友が死に、たくさんの戦友は殪れたけれど、俺は生きのびて日本に帰って来たのだから……」。詩人として生涯自己を変革し続ける決意が、現在に生きる参加者の胸に迫るものとなった。
 続いて礒永秀雄が、日本の進路を分ける1960年の「日米安保条約」反対斗争に詩人として参加するなかで歌った詩、「ゲンシュク」と「虎」の朗読に移った。その後、子どもたちがたくましく生きる糧になる礒永童話のなかから「とけた青鬼」の朗読劇が上演された。
 頭のてっぺんにコブがある青おには、図体ばかり大きいが、気が弱く獲物をとることができない。そのため鬼の裁判で「ツメ切り・キバ抜き・ツノもぎの刑」にされ、鬼の岩屋から追放される。あと半日もたてば、溶けて消えてしまうのが、残された運命となった。ところが、青コブはたどりついた村で、村の娘や働き手を連れ去って村人たちを困らせているテング山と代官の話を聞く。青コブは生まれてはじめて腹を立て、奮い立った。そして相撲でテング山をやっつけ、村人たちの願いを叶えてから、みずからは溶けてしまうというお話。
 その後、「礒永さんは1970年代、まさに生命を守る側から生命を開く側へと、新しい時代、明るい未来を切り開く民衆のたくましさと誠実さを歌いあげる数数の作品をつくります。礒永さんが残した詩は、あの悲惨な戦争を体験して戦後の日本社会を建設してきたこの時代の人人の魂を代表しており、この社会を平和で豊かなまっとうなものに作り直そうとする民衆の魂を鼓舞激励するものとなっています」と呼びかけられ、最後に詩「夜が明ける」の朗読でしめくくられた。

 学校で見せたいと意欲 活発に感想交流

 その後、小作品に対する率直な感想や要望など、活発な意見交流がおこなわれた。
 『雷電』下関公演の実行委員長をつとめた海原三勇氏は、「きょう間近に見て、これだったらいけると確信した。今いじめとか体罰など教育の問題がさまざまあるなかで、はぐるま座の作品を学校で上演できないかと呼びかけているところだ。時間的にもよかった。中学校の教師から『修羅街挽歌』を通して子どもたちに伝えてほしいという意見も出ている。いろんな形で広げていくと、劇団の幅も広がっていくと思う」と語り、はぐるま座が下関から全国へ発信していくことへの強い期待をこめた。
 下関原爆被害者の会の被爆者は、「目をつむったら劇が見えました。すばらしかった」「戦地に行った二人の兄のことが浮かんできた。礒永さんは人間の命を大切にした人だなと思った。今の子どものなかには命を粗末にするところがある。そんな子どもたちに見せたい」と語った。
 続いて教師たちが意見をのべた。宇部市の小学校教師は、昨年6年生を担任し没35周年詩祭に子どもたちと一緒に参加したが、「とけた青鬼」は子どもたちが大変好きで、「自分のことだけでなく、あと何時間かしたら溶ける青鬼が、村人のために体をはってテング山をやっつけたことに感動している。礒永さんの作品は、今学校でとりくんでいる鉄棒・逆上がり全員達成や縄跳びなど、みんなの力で集団的に成長していく教育とピタッとくる。これを全国に広げることはとても意義のあることだ。『修羅街挽歌』も人間としての生き方を深く問うもので、子どもたちもそこが理解できると思う」とのべた。
 同じく宇部市の小学校教師は、昨年担任した6年生に「とけた青鬼」を読み聞かせたところ、日頃はやんちゃな子どもたちが一生懸命聞き、「自分は死ぬのに、村人のために頑張ったところに感動していた」とのべた。また今年は同学年の教師が「とけた青鬼」の感想画を描かせるなど広がっている状況を紹介した。
 小中高生平和の会を担当する教師は、「先日の平和教室で『とけた青鬼』を上演してもらったが、まず俳優の一人一人の気持ちが子どもたちに届き、その後感想を書かせると、自分のことより村人のために命をまっとうした生き方をビンビン感じ、心の奥深いところに響いていた。今日『修羅街挽歌』を聞き、子どもたちは礒永さんがどんな人かというのを感じとってくれると確信した。『虎』を授業でとり上げたときも、子どもたちは原爆を投げつけられた日本人の悔しさを受けとめ、“吼えろ、虎”と力を込めて朗読し、それを生きる糧にしている。今日は全体の構成もよかった」とのべた。
 下関市民の会の婦人たちは、「『修羅街挽歌』で戦地に行って帰ってこられた人の心情がすごく伝わってきた。戦争から生き残って帰ってきた伯父が涙を流していた姿が思い起こされた。父方の伯父も沖縄で手を失って帰ってきた。頑張ってほしい」「私も、戦争に行って帰ってきた兄が、夕方になると窓から外をじっと見ていた情景が浮かんだ。そのときは近寄りがたかったことを覚えている。下関でも今、オスプレイが上空を飛び回り戦争への危機感がある。兄たちのような思いを二度とさせてはいけない。この作品を広げていって、絶対に戦争をさせないように頑張っていきたい」と思いを語った。
 広島県で『雷電』公演をとりくんできた男性は、「詩劇を見るのははじめてで、動きのある劇とは違うので実際どうなるのかという思いもあったが、実際に見て、目をつむってでも映像が浮かんできて、たいへん感動した。これは『雷電』よりもすごい反響が出るのではないかと思う。この詩劇は子どもたちの考え方、またこれからの生き方さえも変えていくのではないか」と期待をのべた。
 また福岡県から参加した文化ホール関係者は、「最近、地域の小・中学校の校長と話しあう機会があったが、“卒業式の合唱で子どもたちが声を出し切らない”“人間関係をつくれない”という意見が出た。子どもたちは、家に帰ればばからしいテレビ番組にとり囲まれ、真剣に心を震わせる場面が枯渇していると思う。はぐるま座のみなさんの力強い演劇、生の声を聞くと、彼らはきっと心を震わせるのではないかと強く感じた。彼らは戦争を知らないし、私自身も知らないが、それを伝導していくのが演劇の力ではないか。ぜひこの作品で全国の子どもたちの心を揺り動かしてほしい」と熱い期待を寄せた。
 小作品「礒永秀雄の詩と童話」は、18日に宮崎市内の中学校で創立記念事業の一環としてとりくまれ、その後北九州市内の学童クラブなどで上演が予定されている。また引き続き礒永童話『鬼の子の角のお話』や『おんのろ物語』の上演も計画している。最後にはぐるま座から、公開稽古を契機にさらに作品を練り上げながら、小作品を通じて下関を拠点に学校や地域に深く入り、戦争を阻止し平和を築く力、まっとうな生き方を励ます力になる活動を発展させる決意がのべられた。

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