トップページへ戻る

子供を真っ当に育てる力強まる
教育情勢めぐる一年
              文科省の個性重視教育破綻    2007年12月19日付

 教育現場は今、学期末の成績処理や父母との懇談に追われるとともに、子どもたちの進路・進学をめぐって多忙な日日が続いている。現場の教師は、一方ではコロコロ変わる文科省の方針に怒りを強め、他方では子どもの荒廃に心を痛め、父母と力を合わせて子どもたちをまっとうな人間に育てるにはどうするかを真剣に模索している。

 戦争の肉弾にする意図と対峙

 この1年を振り返ってみると、「教育の再生」を公約した前安倍内閣は、今年1月、教育再生会議に「学力向上」重視の第1次報告を提出させた。
 それは、「伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子は適当に指導する」として、「授業時間の10%増加」「全国一斉学力テストをスタートさせる」「“土曜スクール”(土曜日の補習)の実施」「公立小・中学校において少人数指導や習熟度別(能力別)指導を拡充する」というものであった。だがすでに学校現場では、小学校低学年からクラスを「できる子」と「できない子」に分ける能力別指導がおこなわれ、家庭の経済的格差と同時に子ども間の格差が拡大していることが大きな問題になっているのである。
 報告はまた、「いじめや暴力など反社会的行動をくり返す子どもに対しては出席停止処分など毅然たる指導をし、静かに学習できる環境をつくる」として、問題児を学級から排除し、集団生活のなかで社会性を身につけていく学校の役割を否定している。
 教師対策としては、「頑張っている教員を給与面や表彰制度などで徹底的に優遇する」とする一方で、「不適格教員は教壇に立たせない」ための「教員免許更新制導入」をおこなうこと、また教育委員会などが教員評価をおこない、そのさいに子どもや父母の意見もとり入れることなどが盛りこまれた。これは教師集団が力を合わせて子どもの教育にあたることをできなくさせるものである。
 第1次報告の内容を法制化するために、政府は5月、学校教育法、教員免許法、地方教育行政法の教育3法改定案を国会で強行採決した。さらに文科省が4月に全国一斉学力テストを実施したのち10月末には中央教育審議会が、2011年から実施する新しい指導要領のための「審議のまとめ」を発表した。それは、再生会議の報告を受けて、@小・中学校の主要教科の授業時間を1割増やす、中学校の英語と理科は3割増やす、A英語を小学校5年生から必修にする、Bそのかわりに02年から実施してきた「総合的な学習の時間」は削減する――など、教科重視の「点取り虫」づくりが内容であった。
 文科省はまた、来年度から中学校の部活指導などに民間を導入するための予算を計上している。それは「教師は教科だけを教えていればよく、生徒指導は警察やカウンセラーに、部活は外部指導者に」というもので、教科以外にかかわれないパート教師を増やす政策とあわさって、子どもの知・徳・体の全生活にかかわる教師の役割を否定してサラリーマン教師、ティーチング・マシーンをつくるものである。
 この文科省の方針は「ゆとり教育」から「学力向上」への転換と騒がれている。ところが元文部官僚の寺脇研氏は下関市のシンポジウムで、「両者はなんら矛盾するものではなく、“個に応じて”ということで一貫しており、それは中曽根臨教審以来の方向だ」とのべている。元教育課程審議会会長の三浦朱門氏は、02年の教科内容3割削減が学力低下を招くのではないかとの問いに、その当時「そんなことは最初からわかっている。今まで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を使い手間暇かけすぎて、エリートが育たなかった。これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る。エリートは100人に1人でいい」と公言していた。下関市の川中中・教科教室問題がそうだが、そのような差別・選別の非人間的な教育をごり押ししようとしているのである。
 しかしこうした教育が、学校に通う大多数の子どもたちにとってまったくおもしろくないものであることは、今の学校の現状が示している。教科指導だけで、集団生活のなかでの喜びや、不正を憎み仲間を思いやって成長するという魂に触れるものがない学校で、子どもたちが荒れるのは当然である。それは文科省教育の破たんを意味している。

 指導性否定し学校崩壊
 今年1年、下関や山口県の学校現場で、ここ10数年来文科省が進めてきた「個性重視」「興味・関心第1」の教育とは、実は子どもの教育を崩壊させるものであったという論議が大いに交わされてきた。自由保育の結果、小学校にあがっても授業の始まりにちゃんと席に着くようになるまで何カ月もかかる。教師に「泳げない子を無理やり泳がせてはいけない」「給食で嫌いなものを無理やり食べさせてはいけない」といわれるなかで、子どもが育たず、自分中心が蔓延している。社会性が身につかず、大学に入ってもクラスを設けないと学生生活が送れない。
 そして学校が荒れる一方で、正義面した商業マスコミが「体罰」「いじめ」といって教師を攻撃し、学校に対する訴訟沙汰を煽って、教師の指導性を否定し、自由にものがいえないようにしてきた。こうして文科省の教育を忠実にやればやるほど行き詰まり、教師の精神疾患が増えるという現実がある。
 親のなかでは、小学生がいじめで友だちの給食のなかに針を入れ、それを注意されるともっとたくさんの針を入れるというような、排他的な個人主義が心配されている。「成績のいい子ほど陰湿ないじめをする」「教科の成績もだが、それよりも人間を育てるのが学校だ」という意見が圧倒している。
 それはここ数年の日本社会を見ても、「点取り虫の冷酷な犯罪」が連続していること、また人生の困難にぶつかったとき、「自分を差別した学校や社会が悪い」と人のせいにして、平気で人を刺し殺したりする事件が頻発していることにあらわれている。こうした排外主義的で攻撃的な個人主義は、アメリカでは銃乱射事件になっているが、日本でも戦争になれば他国の人民を平気で殺傷する殺人兵と化していく、現代の軍国主義イデオロギーにほかならない。
 こうして文科省教育の破綻があらわになるなかで、山口県で、教師集団が「子どもの自分勝手、子ども天下を許さず、体育を通じて心身を鍛えていく」という方針で一致して指導し、それが子どもたちの自発性を発揚して、運動会がすばらしいものになり、それを親や地域が支持するというような実践が生まれている。現状の打開をめざして、教育を再建する意欲と行動が強まってきたということが、教育運動の来年の展望につながる今年の大きな特徴である。

トップページへ戻る