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国境越え核廃絶へ固い絆
広島大学「原爆と戦争展」
               各国留学生が被爆者と交流     2008年10月22日付

 広島大学中央図書館「地域交流プラザ」でおこなわれている「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会)には、学生たちの熱心な参観が続いている。18日には会場内で被爆者と学生の交流会が開かれ、広島大や修道大の学生、中国、「韓国」、イスラエルからの留学生、社会人などが参加した。被爆者の高橋匡、真木淳治の両氏、次世代として被爆者とともに活動を支えてきた石津ユキエ氏が体験や思いを語った。
 爆心地から500bの旧電信局内で被爆した高橋氏(82歳)は、地下室で生き残ったためビル内に取り残された同僚の救助にあたった経験を語った。
 建物内を仕切っていた壁は崩れ、血みどろの人たちが下階になだれ込むなかで事態が飲み込めぬままケガ人を助け出したが、「背中に無数のガラスが突き刺さった人」「崩れたコンクリの下から手首だけを出して助けを求める女性」など、助けることのできなかった人たちがその後の猛烈な炎の竜巻に襲われ、白骨で再会した悔しさをのべた。
 「119人の職員のうち13人を助け出してポンプで水をかけていたが、3度にわたる火と煙の竜巻で6人に減った。そのうち2人の女性は、水を求めてトイレの便器に顔を突っ込んで死んでいた。22人があの日以来、行方不明のまま息絶えている」と無念さをかみしめた。
 また、8月20日ごろから、無傷だった人たちが次次に脱毛、発熱、斑点、血便などの症状を起こして死んでいったことを克明に語り、「60年経ってもその恐怖は消えない。原爆の本当の恐ろしさは、爆発の威力もあるが、放射能によって人間の細胞、神経まで破壊して狂い死にさせることだ。これが昔の物語ではなく、今から起こりかねない時代になっている。核兵器廃絶に向けて一生懸命活動していただきたい」と呼びかけた。
 中学3年生で被爆した真木氏は「定年を迎えて自分の楽しみで暮らすのではなく、死んでいった353人の友だちに代わってやるべきことがあると思い活動に参加した」とのべ「原爆投下は“戦争を早期に終わらせるため”“日本が悪いことをしたから”など様様に流布されているが、アメリカが日本を基地として利用するために原爆を投下し、他国に先駆けて単独占領したかった。そして、日本人をモルモットにして2種類の原爆の効果をテストした。これが本当の目的だった。多くの反対を押し切って原爆投下を強行した人間を今でも許せない」と怒りを込めた。
 また、「アメリカの占領政策によって日本の学校教育でもこうした現実が教えられず、意図的に国民の意識の低さをつくり出している。公正な立場で事実を伝えていく必要がある。ふたたび憲法改定や交戦権、核武装などが唱えられ、被爆国である日本の政治家は率先して“核廃絶は無理だ”という恥ずべき態度をとっている。しかし、広島・長崎から全国に運動を広げていけば、地道であってもアメリカ政府をも動かす力をもっていると確信をしている。命ある限り若い人たちに一緒に学んで行動してもらうよう呼びかけたい」と力強くのべた。
 5年前から広島の会の活動に参加した石津氏は、付き添って介護してきた義母から原爆の日以来帰ってこない息子の話を聞いてきたが、「広島市内では“原爆のことは話してはいけない”という戒めがあり、長年の間黙ってきた。だが、原爆展に出会ったことから沈黙してはいけないと思い、“伝え人”として前向きになって活動をはじめた。みなさんと一緒に学んでいきたい」と呼びかけた。
 参加者たちは、体験者たちの話をメモを取りながら聞き入り、その思いを受け継いでいく決意が語り合われた。
 廿日市在住の社会人男性は、「今夏の原爆と戦争展との出会いから、いつまでも逃げていてはいけない、いいかげんに自分が行動しなければいけないと思い活動に参加した。自分のできることをやって精一杯次世代につなげていきたい」と意気込みをのべた。
 福岡出身の女子学生は、「小学生のとき行った長崎原爆資料館で、怖くて友だちに手を引いてもらって目をつむっていたことが今では恥ずかしく感じる。8月6日がなんの日か答えられない人という意識の低さは恐ろしいことだし、無関心ではいられない」とのべた。
 法学部の女学生は、「学校教育では原爆の概略を勉強したが、実際に受けた人の体験を聞く機会はなかった。何人亡くなったという漠然としたものではなく、一人一人の具体的な体験を聞くことが必要だ。今しか聞けない話を真剣に学ばないといけない」とのべた。

 原爆投下の目的など論議に
 各国の留学生たちも真剣に話を聞き入り、活発に意見や質問を投げかけた。
 中国人の女子留学生は、『黒い雨』などの原爆文学を学んできたとのべ、「以前、広島から中国に来た若い人に、“なぜ広島と長崎に原爆が落とされたのか”と聞いたら、“アメリカ軍が天気がいい場所に偶然落とした”といっていたが、それはアメリカの宣伝であり真実ではないと思う。アメリカは70年代ごろに数人の被爆女性をアメリカに迎えて整形手術をしたと聞いたが、広島に設置した組織(ABCC)は、病気の過程を調査はするが治療はしなかったという。アメリカの態度はとても矛盾している」と語った。
 別の中国人留学生は、「広島に来る前に先輩から『原爆の絵』の本をもらって読み、なぜ被爆者がみんな裸になっているのかが疑問だったが、今日の話で爆風で吹き飛ばされたり、熱線で燃やされたことがわかった。原爆の愚かさがよくわかり戦争と核兵器の恐ろしさについてもっと学んでいきたい」とのべた。
 はじめて体験を聞いたイスラエル人の女子学生は、「もっと話が聞きたい。この原爆パネルがとても印象深く、この事実をどんどん人に伝えていくべきだと思う」と衝撃を語り、「被爆体験を話してくれる人はとても勇敢な人だと思う」と感動を込めてお礼をのべた。
 「韓国」人留学生の男性は、「韓国の歴史は日本との関係が深いが、広島・長崎をはじめ日本の戦争被害については教えられてこなかった。韓国でも、朝鮮戦争で韓国を援助するといっていた米軍が、避難している市民に向かって空爆し、たくさんの人を銃殺した。それについて国内では何十年も封印されていたが、最近になって被害者が語りはじめている。広島で市民が平和のために体験を語っているように、韓国でも事実を教えるべきだと思う。平和運動をもっと広げて、日本と韓国の人人の協力を深めたい」と連帯を求めた。
 その後、原爆投下の目的や歴史認識について国境を越えた論議となった。中国人学生は、「中国の教科書では、戦争の終わりの部分で“アメリカは戦争を早く終わらせるために原爆を投下したが、日本の人民は大きな被害を受けた”というたった一文しか扱われていない」とのべ「米軍兵士はいまだに“戦争を早く終わらせた”といっており、中国でもそう思っている人がいることが問題だ」と話した。
 また、「韓国」人男性は、「現在の李明博大統領は“植民地時期は韓国にもいい面があった”という見解を歴史教科書に反映させようとして問題になっている。学校教育では、植民地時代も導入部だけで、30年代以後の独立運動も勉強しないまま、大学の試験を受ける。なぜ日本が敗戦したのか、朝鮮戦争が起きたのか、そして自分たちがどうするべきかという現代的な問題が教育されていない。歴史的な米軍の犯罪を知らせなければいけない」と強調した。
 被爆者たちは、放射能による原爆後遺症やABCCによる「人体実験」について体験にもとづいて説明し、「アメリカは原爆で戦争を早く終結させたといっているが、広島・長崎の後も終戦前日まで光や岩国で大空襲をやり、何千という人を殺した」こと、「日本が敗戦の道を探っていることを知りながら原爆を落としており戦争終結とは無関係だ」「絨毯爆撃を指揮した米軍将校は、“お年寄りから赤ん坊まで戦争協力者であり、そういう人間を殺してなにが悪いか”と主張し、あくまでも謝罪は拒絶している。絶対に許されない」と伝えた。
 参加した学生たちは、「アメリカが原爆の補償をしていないことは知らなかった」「パールハーバーの復讐という意見もあるが、東京大空襲までやったうえに原爆を投下したことは復讐の度を超えている」など思いを共有しながら交流が深められた。
 広島で育った男性は、「平和教育では“日本は加害責任があり、中国人にとっては原爆を落とされてあたりまえ”といわれてきたが、まったく違うので驚いた。中国人と“双方の誤りを改めて平和のために力を合わせることが大事だ”ということで一致できたのがうれしい。直接話すことではじめて真実がわかる」と語っていた。
 原爆と戦争展は28日まで継続して展示される。

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