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国際連帯論   福田正義社説集(1955年〜1966年)

 〈55年〉ソ・ユ間の友好の確立/日ソ交渉を成功せしめよ/遺骨の送
 還をしよう/人道と平和の立場から全市民の手で送ろう!/日本の繁
 栄のために/独立国として交渉を/
 〈56年〉国交回復の重要問題/日ソ漁業条約の成立.......他


著者・福田正義 発行・長周新聞社 B6判 255頁 定価1500円(送料310円)


遺骨を送還しよう  (1955年7月10日)

 非常に多数の中国人俘ふ虜りよが、下関に埋葬されてあることは、以前から 噂うわさ されていた。それが、いま明らかになった。
 これらの俘虜は、その大部分が俘虜とはいうものの、中国の町や農村から強制的に徴発されて、日本の戦時産業に動員されてきたものであり、牛馬のように追いたてられ、食糧もろくに与えられず、苛か酷こくをきわめた非人間的な取り扱いの中で、その若い生命を絶ったものたちである。彼らは祖国を見ることなく、誰にも知られることなく、異国の土に眠っている。親兄弟やその妻たちは、いまもその安否を絶望的に思い悩んでいるであろう。
 これらの責任は、日本をあの無謀な侵略戦争にかりたてたものが負うべきである。日本の人民を戦争に動員し、夫や親兄弟を殺し、家財を焼き払わせ、無残な状態に突き落した同じ下手人が、その同じ手で中国人民の上に加えた犯罪である。
 先に宇部では、宇部興産に動員されて死んだ中国人の遺骨が、中国に送還されたが、それらはたまたま発見されたものであって、ほんの一部分である。下関でも、早くからそれは知られていたにもかかわらず、今日まで放置されてあったのである。
 戦争が終って、他国で死んだものの生死を確かめ、死んだものはその遺骨をひきとりたいと思うのは、誰でも変わらない人情である。とくに、このたびの戦争について主要な責任をもつ日本の戦争指導者どもは、日本の人民についてももちろんであるが、他国の人民については特別にその責任を負わねばならない。
 われわれは、戦時動員され、虐殺同様な取り扱いで死んでいった中国人の遺骨を、そのままにして、それをかくしておくことは、非人道的なことであるし、また日本人民と中国人民の友好を促進してゆく上でよくないことであるし、そのことは日本の人民にとっても中国の人民にとっても不利益なことである、と考える。反対に、これを明らかにし、死者に礼をつくし、その安否を思い悩んでいる中国の妻や親兄弟たちのところへ送りとどけることが、人道にかなったやり方であるし、また日本と中国の友好関係をいっそう深めることに役立つし、そのことは中国人民にとってだけでなく、日本の人民にとってはかり知れない大きな利益をもたらす道である、と考える。日中友好関係を深めることは、日中漁業協定の成立一つをとってみても、どんなに日本に利益をもたらしたかは、きわめてはっきりしている。
 山口県民、とくに下関の市民は人道的な立場からも、日本と中国の友好のためにも、これらの遺骨の日本人の手による送還のために積極的に運動を起すべきである。市役所、地区労働組合連盟、日中友好協会、宗教団体、婦人団体、文化団体、赤十字社、平和団体などが中心となって、広く呼びかけ、全市的もしくは全県的な運動として発展させることが大切である。
 これらの運動は、あくまで人道的なものであり、日中友好を促進するためのものであって、かりそめにも一定の政治的な色彩をもったものではないし、そうであってはならない。この運動は、人道にかなったものであり、すべてのものが賛成するであろうし、民族の誇りを示すことになるであろう。
 

日本の繁栄のために  (1955年10月30日) 

 戦争が終って十年にもなるのに、いまだに相手国との間に平和条約が結ばれず、戦争状態がつづいているという非常識が横行していることは、今日のわが国のきわめて尋常でないありようを端的に示している。それによって、国を完全に独立できない道に導いているのである。今日のわが国の不幸の根源は、いろいろのことはあるが、何よりもソビエト同盟、中国と平和条約が結ばれず、アメリカに代表される西欧諸国とだけ片面講和が結ばれ、それによってアメリカの従属下におかれていることである。
 国民がこのような状態を正しくないと思うことは当然で、それらの強い要求が日ソ交渉の開始となった。ところが、交渉がはじめられて五カ月にもなるのに、そして双方が意見を出し論議をつくしているのに、国交回復の最初の取り決めすらできない有様である。しかもわが国の外務大臣は、わざわざアメリカに相談に行き、アメリカの意向を承ってくるという始末である。さらに一方では、国民に、交渉を不成功に終らせるための宣伝をしきりにやっている。このようなことは許すことのできないことである。それは最大の民族的裏切りの行為であるからだ。
 誰でも知っているように、日本の繁栄の道は、いかなる国の従属下にも入らず、いかなる国とも対等の立場に立ち、いかなる国とも平等互恵の原則にもとづいて、平和に共存することである。サンフランシスコ条約以来、すなわちアメリカを先頭にするいわゆる西欧陣営と片面講和を結んでからそれはさらに日米間の不平等の多くの屈辱条約となり、国内には無数のアメリカ軍基地が設けられ、アジアでは日本は孤立の方向をとり、ソビエト、中国などとは自由な貿易、文化交流などもできないようになっている。そのために民族的には屈従を強いられ、国の政治はゆがめられ、今日の全国民的規模での経済生活の困難に落としこめられているのである。しかもそのことが、つねにアジアの緊張を深め、平和を脅かす大きな原因になっている。この道は民族の滅亡の道であり、断じてとおってはならない道である。
 日ソ平和条約の締結は、われわれが誇りある民族として、独立を目指して第一歩を踏み出すことであり、アジアの緊張を和らげ、平和をいっそう固めることである。それはすべての平和愛好国に支持されている。妨害は「領土・戦犯問題」を道具にして、ソビエト参戦の事情について恥ずべきデマを飛ばしてやられているが、すでに明らかなようにアメリカすら領土主張を支持できないほど、それは国際的に非常識なものである。したがって、今全体の情勢は、これを決定的に妨げることはできないところへきている。
 ここで重要なことは、妨害者の領土要求が「ハボマイ、シコタンの非武装化反対。日本の中立化反対」という形をとってあらわれはじめていることである。このことは日本全国民の独立と平和への要求を骨抜きにし、事実上、平和を脅かし、国の独立を奪い去ろうとする新たなる陰謀である。われわれはこれらの陰謀を断じて許さず、日ソ平和条約の平等互恵、平和共存の原則にもとづく締結のために強く主張しなければならない。


独立国として交渉を  (1955年12月4日)

 日中漁業協定の締結によって、中国近海の漁業は全く安全なものとなった。同時に、この協定の成功は、漁業紛争を種に、武装出漁つまり日本の再軍備強化をとなえる連中に大きな打撃を与え、国際間の問題は話し合うことで解決することを明らかにした。
 ところが、日本政府と友好関係にあり外交官も交換している李承晩政府との間では、問題は何一つ解決しないだけではなく、いまだに多数の船員と漁船が抑留され、揚げ句の果ては、ラインをこえたものは撃沈すると、まるで宣戦布告のような一方的な声明をされる有様である。李政府は、日本政府とは友好関係かも知れないが、漁業関係者とは敵対関係であるかにみえる。中国の場合は、日本政府は敵対関係をつづけているが、漁業関係者は友好関係を結んでいる。まことに奇妙なことである。
 なぜこういうことになるか?
 問題の重点は、李承晩が気狂いじみているかどうかにあるのではない。第六あけぼの丸が、佐世保沖で韓国フリゲート艦に沈められた時、韓国側がいったことは、韓国海軍はアメリカ極東艦隊の指揮下にあって作戦中であったということである。つまり、日本の自衛隊がそうであるように、韓国軍はアメリカ極東軍の指揮下にあり、したがって問題の李承晩ラインは、アメリカの極東作戦上のラインであるということだ。
 現在の日本は、多くの基地が示しているように、アメリカ軍の作戦に邪魔にならないところで、国民が生活させられているのである。そして日本政府は、サンフランシスコ条約を結んだ時以来、このような状態を公然と認め、それに屈従しているのである。「李承晩にナメられている」とよくいわれるが、李承晩は自分がアメリカを主人としているので、そのアメリカに完全に屈従している日本をナメるのは当然である。「李承晩は虎の威を借る狐だ」というが、狐は李承晩だけでなく日本政府もそうであり、いずれも共通の「虎」をもっているのである。日本の反動勢力が、虎に忠誠をつくしその威を借りて軍国主義を復活しようとするとき、同じ虎の威を借りている李承晩がこれを牽制けんせいするというのが、表にあらわれることの本質である。迷惑をこうむるのは国民であり、とくに下関を中心とする漁業関係の業者、労働者である。
 したがって問題解決の第一は、政府が自主独立の立場に立って、李政府とねばり強い交渉をはじめることである。アメリカを通じて話をするなどというのはナンセンスである。逆に従属的関係を断つことこそが何よりも大切なことである。そのために現在交渉継続中のソビエトとの国交回復ならびに事実上友好関係のすすみつつある中国との国交回復は非常に重要な意義をもっている。
 第二に、「李承晩政府の打倒」など他国の内政干渉にわたるようなスローガンは撤廃すべきである。さらに同時に、すでに国交回復と友好を呼びかけている朝鮮民主主義人民共和国政府との間にも友好の交渉を開始すべきである。
 第三に、抑留船員の釈放と家族の生活保障のために全力をつくすべきであり、またこの紛争を日朝両民族の間の憎悪感をあおったり再軍備の口実にする行為は徹底的に粉砕しなければならない。


宇宙征服の時代の開幕  (1957年11月6日)

 人工衛星のうち上げに成功したということは、人類の宇宙征服の時代がはじまったことである。まだこの社会には、貧困や失業や医療がうけられぬ状態や水害や台風禍や戦争の危険などがなくなっているわけではない。しかし、そのような遅れた部分をもちながらも、すすんだ部分では宇宙征服の時代がはじまっているのである。
 人工衛星が、アメリカでもイギリスでもフランスでも日本でもなく、ソビエトからうち上げられたという事実は、宇宙征服の時代がはじまったということと関連してきわめて重要なことである。
 もしも、人工衛星が資本家の金もうけになるのなら、映画やテレビのように、アメリカでもイギリスでも成功しただろう。あるいはまた原水爆のように、他国を侵略する兵器であれば、今ごろは三つ四つアメリカの人工衛星が地球の上を回転しているかも知れない。ところが、人工衛星は、人類社会の発展のために、その科学の前進と真理の探究のために、純粋に人類に寄与するだけで、直接資本の利益にはならないのである。資本は、そのようなことに研究費を投じはしないし、ましてや、そのような施設のために金はかけない。残念なことには人工衛星は金のもうかる商品ではないのである。
 ここに、アメリカ的な資本主義社会の限界性がある。もっと小規模のわが国を見てもいい。わが国に優れた科学者がいないわけではない。わが国の国民が知能の上で劣っているわけではない。しかし純粋に国民の幸福と利益のために科学者は研究に専念することができない仕組みである。資本家の直接的利益のために働くのでなければ、科学者は貧苦に耐えねばならない。膨大な施設費を必要とする研究など思いもおよばないことである。だから二十世紀の今日、年がら年中台風や水害で多数のものが死傷し、工場でも鉱山でも事故の絶え間がない。いかに日本医学が発達していると誇っても、その高度さを、すべての国民に均きん霑てんさせることはできない仕組みになっている。人工衛星がジューコフ問題(注・ソ連国防相の解任問題)をはぐらかすためだの、軍事的目的のためだのと毒づいている日本の大新聞は、雨や風で毎年多数の国民が死んでゆくという原始的状態について、ただ大見出しをつけて報道するしか芸のないことを恥じるべきである。
 宇宙征服の時代の開幕は、資本による支配と利潤追求のみの仕組みの社会が、ちょうど、維新における幕府・大名の社会のように、社会の構造そのものとして事こと旧ふりたものであることを告げている。日本の多くの科学者・学究の青年たちが、純粋に、社会の発展・国民の幸福・真理の探究のため熱情をこめてその全力がつくせるような、そのような国に日本をしなければならないことを告げているのである。

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