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国民の命差出す戦争動員
米国の国益守る鉄砲玉に
                集団的自衛権行使強行へ     2014年5月21日付

 安倍自民党政府が、改憲ではなく憲法解釈の変更を閣議決定することによって、集団的自衛権行使に道を開こうと強行突破をはかっている。首相みずからパネルを用いた会見では、米艦船に女子どもが乗船している等等の空想世界を披露し、「我々はこの船が攻撃されるのを黙って見ていてよいのか」などと持論を展開。「国民の命と暮らしを守るため」に、若者が血を流すであろう戦争に武力参戦するのだという矛盾した「解釈」を何度もくり返した。守るのは「国民の命」ではなく米国の国益であり、そのために日本人が地球の裏側まで肉弾戦に駆り出される。戦後六九年にわたって屈辱的な従属状態が強いられ、富はみな米国に食い物にされただけでなく、その海外権益を守るために命を差し出さなければならないところまできた。60年「安保」斗争をはるかに上回る規模で、売国政治との全面的な大衆斗争を挑まなければならない情勢が到来している。
 
 60年安保上回る斗争迫られる

 「福島は完全にコントロールされている」と発言したり、選挙前にはTPP反対といっていたのが参加表明したり、戦犯を奉っている靖国神社に参拝して「不戦の誓いをした」といったり、口先でいうこととその言動が意味することはいつも逆で、国民をペテンにかけていく政治が恥も外聞もなくやられている。今回の会見で際立ったのも「国民の命と暮らしを守るために」武力参戦を可能にするというもので、人人が唖然とするような相矛盾することを平然といってのける点に特徴がある。「お粗末」で片付けられないのは、こうした米国傀儡政府のエージェントが背後勢力に支えられて調子付き、米国の国益を守るための戦争に日本人の命を差し出し、戦争に放り込もうとしているからである。
 集団的自衛権の行使は自衛隊の武力参戦に道を開くもので、「アメリカのために死んでこい」というものである。日本列島を不沈空母といった中曽根や安倍晋三がその実行者として取り立てられ、歴史的に改憲なり解釈変更を試みてきた関係にほかならない。90年代のイラク戦争において「日本は同盟国なのだからカネだけではなく血の犠牲も払え」と要求したのがアメリカで、2000年代の戦闘では当時の小泉政府によって自衛隊がイラクに派遣され、実際上は米軍の下請軍隊としての部分運用が始まっている。アフリカ、中東、ウクライナをはじめとした欧州でも米国の軍事的な力が弱まっているなかで、その権益を死守するための軍事動員が求められ、属国に改憲を迫ってきたのが米国である。安倍政府に対しても、アーミテージ元国務副長官を筆頭にした米国側の戦争狂たちが、ことある事に指示を出してきた関係だ。
 日本にとって国益になるようなことは何一つなく、せいぜい「海外ボランティアに出かけている若者が武装勢力に襲われるかもしれない」「そのなかにお子さんやお孫さんがおられるかもしれない」という空想しか語ることができない。イラク人質事件のさいにあれほど「自己責任だ!」「政府に迷惑をかけてけしからん」といっていたはずの連中が、今度は「国民の命を守る!」「憲法が国民の命を守らなくてよいといっているとは思わない」というのだから、「国民の命」についても解釈はいかようにもできることをあらわしている。

 生きてゆけぬ収奪政治 「国民守る」のペテン

 むしろ「国民の命を守る」という安倍晋三なり自民党政府が、そのような政治を実行しているか? である。原発汚染や津波にさらされた東北の被災地は3年も経過しながら放置され、復興がまともに進まない。「花が咲く♪」と歌っている間に、ゼネコン利権のあだ花だけが咲いている始末である。大企業が法人減税される一方で中小企業には課税強化する方針をうち出したり、消費税で国民負担に転嫁したり、医療・福祉予算は限界まで切り捨てられ、労働分野では解雇特区や非正規雇用の具体化が竹中平蔵の采配で次次とうち出される。大企業はみな海外移転して、そのうえ外国人労働者を導入しようとしたり、国民が生きていけない政治ばかりが実行されている。
 それが証拠に人口は急激に減少し、人口すなわち国民の命の数は数十年後には半減するとか、地方都市では若年女性がいなくなって半数の自治体が消滅するとかの予想が真顔で論じられ、よその先進国では考えられないような衰退を招いている。戦争をするといっても人口が減って肉弾要員すらいない社会、TPPによってさらに食料すら自給できない社会にして、最終的には米国の盾になる戦争にみずから突っ込み、日本列島が標的にされても構わないという「後は野となれ山となれ」の無責任な植民地的社会運営がやられている。海外に出かけている日本人、米艦船に乗船している女子どもを守るといいながら、一方で圧倒的多数の日本人は生きていけないまで貧困にさらされ、ミサイル攻撃を受けかねないのだから、身勝手な「解釈」や屁理屈もいい加減にしなければならない。
 「積極的平和主義」は、イラクやアフガン、さらに中国や北朝鮮との関係を見ても、米軍や自衛隊に戦争をしかけられる国国にとっては決して「平和」ではない。かつて日中戦争、太平洋戦争に突き進んださいも、「アジアの平和のため」といって大東亜共栄圏や八紘一宇のスローガンを叫び、中国大陸への全面的な侵略を進めた。「平和」の捉え方も勝手なもので、「国際平和のため」「世界の警察官として」「イラクに大量破壊兵器がある」等等、難癖をつけては侵攻していくアメリカがもっともその模範を示している。「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した」などは、戦争犯罪人が平和主義者のように振る舞っていく最たる欺瞞で、その後の対日占領のインチキとも連なっている。
 「集団的自衛権」といっても、アメリカは第2次大戦後に一度として攻撃されたことはない。逆に他国の侵攻ばかりくり返してきた。自衛権を行使しなければならなかったのはベトナムにしても中東各国にしても侵攻された国国であった。さらにアメリカが1度でも日本のために血を流したり、防衛したことがあるか? も曖昧にすることはできない。原爆を投げつけ、全国空襲で無辜の命を奪い、血みどろの戦争によって日本を単独占領してから69年がたった。戦後は朝鮮戦争やベトナム戦争など、日本の米軍基地から侵略戦争に出撃し、日本側も銃後の手伝いに動員されてきた。世界覇権のためのアジアにおける重要な軍事拠点であり、「日本を守るため」に原爆を投げつけたり、居座ってきたわけではないことは、その後の歴史の全過程が証明している。経済や金融の世界を見ただけでも収奪されっ放しで、「核の傘」の下で溜め込んだ日本企業の利益は、株主である外資がみな海の向こうに持っていったり紙屑同然の米国債を大量に買わされたり、日米同盟が対等でないことは多くの人人が知るところとなった。

 市場原理行詰まり暴走 オール米国派の国会

 翼賛化した国会では「改憲しなければ認められない」といって、公明党がさも反発するような素振りをしつつ「議論を尽くして改憲せよ」というインチキで批判世論を煙に巻いている。維新の会やみんなの党といった第二自民党勢力、民主党も含めた野党の主要政党も手続き論に収斂させて実質賛成になびき、国会内だけ見ると何の抵抗力もない状況で、安倍暴走政治がまかり通っている。最近ではみんなの党の関係者が訪米したさいに、米政府高官から「集団的自衛権の行使を歓迎する」と褒められて帰ってきた。
 「(立憲主義について)王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と主張する者が首相をやり、石破茂・自民党幹事長になると「『国家の独立の為だ、出動せよ』といわれた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。従わなければ最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に逢うなら出動しようかとなる」(自衛隊を国防軍にした後、軍法会議を設置することを求めて)という発言もしてきた。命を守ろうとする者には懲役300年なり死刑をくらわせようと考えてきた者たちが、今さら「平和」や「国民の命」を語ったり、憲法を超越したような気になって、その時時で好きなことを主張している。終いには「アメリカの若者が血を流している時に、日本の若者は何もしないでよいのか」というまでになった。オマエが勝手に流してこい!といわれて然るべきで、日本の若者が米国の国益のため、海外権益をむさぼっている大企業や国際金融資本のために血を流さなければならない理由などない。
 大企業や金融資本の利潤追求のためには、世の中がどうなってもかまわないという市場原理社会の結末が戦争である。資本主義社会が行き詰まっているもとで、破壊によって相対的安定期をつくり出していった第2次大戦前後の経験とも酷似した情勢があらわれている。国民の生命や日本社会の未来に無責任をやる売国奴たちが、米国の後ろ盾があれば何でもできると思い上がって、日本人を鉄砲玉として差し出そうとしている。売国と亡国の政治に立ち向かう、反米愛国の巨大な政治斗争を巻き起こすことが急務の課題となっている。


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