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国民の命繋ぐ食料生産守れ
TPPで総崩れの危機に
            水田80f消えた下関の実情   2015年10月30日付

 今年も新米の時期を迎えているが、昨年の米価暴落から下関市内でも今春、稲作をやめた農家が増加し、荒れた田が目に見えて拡大した。現状でも「5年、10年先に下関に農業が残っているのか」「このままいけば飢餓も他人事ではなくなる」との危機感はかつてなく強まっており安倍政府がこれにとどめを刺すTPPを強行していることへの怒りが、戦後70年の経験をふり返りながら語られている。TPPでは「聖域を守る」どころか農林水産物2328品目のうち8割の関税を撤廃するという度外れた内容で合意しており、778%の関税をかけてきたコメについても、アメリカの要求に従って無関税枠を7万8000d拡大した。現在輸入されているミニマムアクセス米77万dを上回るコメが流入してくることになる。「食料こそ国民の命を守る一番重要な産業ではないか」と語られている。
 
  機械化の負担で苦しさ増す

 地元の人たちが「一番コメのおいしい地域」という下関市豊田町のある集落では今年、もっとも休耕田が増加した。地区の水田面積約30fのうち、減反分と以前から作付していない1・5fをのぞき、昨年までは20fで稲作をしてきた。しかし今年、2fを持つ農家が1・5fの耕作をやめ、1fの農家(90代)がやめるなど四軒がやめたのに加え、他の農家から預かって耕作している農家が1f減らしたため、合計5f(地区の水田面積の4分の1)が休耕田になった。
 今年やめた60代の農家に実情を聞くと、2014年度産米の仮渡し金は1俵8200円だった。売れた分の精算金額が追加で振り込まれて1俵9000円ほどにはなったが、それでも1反当り2万円の赤字だ。機械を持たないため、稲刈りなどを他の農家に依頼してきたが、刈り取り作業だけでも現金を80万円ほど準備しなければならない。以前はアルバイトをして給料をつぎ込んでいたが、赤字幅が拡大してまかなえなくなった。
 また苗床も親が元気な頃は自分でつくっていたが、介護が必要になり一人ではできないので苗も農協から購入していた。戸別補償の1万5000円を苗代にあててきたが、安倍政府になって戸別補償の廃止が決まり、昨年から半額の7500円となり、2018年には廃止される。肥料や農薬も値上がりする一方だ。これから農機具を買いそろえようと思うと1000万、2000万円かかる。今後続けていく見通しがなく、作付をやめたのだという。「この地域は自分が一番年下だ。なんとかつくっている農家も、今ある機械が壊れたら、新しい機械を買ってまで続けることはできないのではないか」と危惧する。
 豊浦町の80代の婦人は、「稲刈りの時期に主人が腰を痛めた影響もあって、今年は天気もよかったが、11月に入っても刈り取りが終わる見込みがない」と話す。10年ほど前に息子が帰って農業を手伝うようになって、これまで続けてきたが、面積が広いため体力的に追いつかず、田植えから草刈り、農薬散布、刈り取りなど年間通じた作業に手間取るようになってきた。だが一つ一つの作業の時期を逃せばコメはできない。仕方なくシルバー人材センターなどにお金を払って草刈りを頼んでいるという。「去年コメの値段が下がって収入が減っているのに労働力も追いつかなくなり、シルバーに頼むしかない。1人雇うのは出費が大きいから、シルバーの選択肢しかなくなってきた。なんのために農業をしているのだろうかという気持ちになる」と話した。来年にもどの田をやめようか…と話しているところだという。
 減反政策(現在は生産目標数量)で作付面積を減らしている以上に、やめていく人が後を絶たない。今年度の下関市内の食用水稲作付面積は、昨年度と比べて、もっとも高齢化が進む豊北町・豊田町で約30fずつ減、豊浦町が約8f減、旧市東部が約九f減、旧市西部が約7f減となり、他の地域で減った分を受け入れた菊川町で約6f増えたのみ。今年だけで全市で約80fの水田がなくなった。仮に1fで80俵とれたとすると6400俵もの減収だ。
 「一粒百行」という言葉は、一〇〇の作業を重ねてやっと一粒のコメがとれるという意味を持つ。水利から田植え、草取り、収穫まで、すべて手作業でおこなってきた時代に生まれた言葉だ。一粒一粒の尊さをかみしめながら、農家はコメを収穫してきた。豊北町の農家は、「今は機械が出てきて大型化され、“一粒百行”といわれた時代ほど人の手はかかっていない。楽になっているはずなのに、むしろ苦しい気がするのはコメが安くなったからだ」と話す。
 今年のJA米の概算金は、昨年と比べるとわずかに上がったものの、コシヒカリは1等米が1万1340円、2等米が9360円、3等米が8340円。ひとめぼれ・きぬむすめ・ヒノヒカリは1等米が9480円、2等米が8520円、3等米が7500円と、とても生産費(政府の統計で玄米1俵当りが1万6000円)に見合う額ではない。米価が下がる一方で機械、農薬、肥料は値上がりし、消費税増税も加わっている。山口県内平均で、1反当り3万〜3万5000円の赤字(農機具の償還なども含む)、1fになると30万〜35万円の赤字だ。
 ある農家は「30年ほど前までは1俵=1万8000円で、生活レベルも今より低かったので農業だけで生活できていた。しかし米価が下がり始めたうえに、減反政策で土地はあってもつくれなくなり、子どもたちが外へと働きに出始めた」と話す。わずか30年の間に過疎・高齢化が一気に進行した。同時に機械化も進み、1町歩、二町歩では生活が成り立たない。夫婦とも勤めながら農業を続けてきた。「それまでは1軒に最低でも4人いたから、家族で農作業をし、イノシシが出る時期になると交代で夜通し火を焚いて追い払っていた。今は多くて年寄り2人、うちのように1人になると、とても1家族だけでは続けられない。“コメが余っているからつくってはいけない”と国内を制限して、なぜアメリカからコメを買うのか。アメリカもコメが余っているなら飢餓が起こっている国に無償で提供するのが筋だ」と語った。
 こうしたなかでも、「食料生産を途絶えさせてはいけない」「地域の田を守らなければならない」と、集団化して踏ん張っているが、TPPで1俵4000円ともいわれる米国産米が入ってくれば集落営農や農業法人も総崩れになると危惧されている。
 豊北町田耕の中河内では、基盤整備を機に「一つの田も荒らさない」を合言葉に、集落の田をすべて請け負う形で協力体制をつくりあげ、数年前に法人化した。その結束力が誇りだ。同地区の農家は「“みんなで協力して”という体制をつくってきたから、今のところ個人農家のような大きな赤字はない。だが法人化できない地域の方が多い。以前は、3ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)だったが、3ちゃんみんなが年をとって後継者がいない。定年退職して4、5年の人が農業をやっているのが実情で、この人たちが年をとると後がいない状態だ」と話す。猟銃免許をとったのが50年代。その頃は年に2、3回しかイノシシやシカが出なかったが、今では真っ昼間からあらわれる。「山も田も、人が農業をしないから獣が出る、獣が出るから人がしないという悪循環になっている。最近はそれにサルという柵では防ぎようのないものが出てきた」と、地域全体が荒廃していることを語った。

 1993年 輸入自由化で米価急落

 戦後は食糧管理法(食管法)にもとづいて、国が主食のコメに責任を持って生産・販売する制度をとってきた。生産者からは生産費に見合う米価で買い上げ、消費者には安い価格で販売するという仕組みだ。政府は財政負担を削減するために、この生産者米価を引き下げることに奔走し、1俵=2万円台から1俵=1万8000円台にまで切り下げた。
 それが急落を始めたのは、93年の「冷夏による凶作」を理由にした韓国やタイからの緊急輸入、同年にガット・ウルグアイラウンドでコメの輸入自由化を認め、2年後には食管法を廃止、米価に市場原理を導入したことだった。
 農協が農家のコメを集荷し、業者に販売する制度に変わり、米価はスーパーの店頭価格や量販店や外食産業との相対取引価格が基準となった。またたく間に米価は下落し、1俵=1万5000円になり、1万円台に下落した。
 輸入自由化に道を開いた結果、食料自給率は39%にまで落ち込み、穀物は28%と先進国中最低の国になっている。トヨタなどが海外でクルマを売るために輸入自由化を受け入れ、おかげで国内の第一次産業が壊滅的な状況に追い込まれてきた。ガット・ウルグアイラウンド合意以後の八年間で、「農業対策費」と称して六兆円もの税金を投入したが、巨額の税金は農業には回らず、地方の道路や温浴施設、道の駅など土木事業に投入され、ゼネコンが回収してもうけただけだった。農業振興にはなんの役にも立たなかった。さらにミニマムアクセス米を輸入し、需要が少ないため赤字分は300億円を超える税金で穴埋めをしている。
 阿東町の農家は、「戦中は、飯米を減らしてまでコメを強制的にとられ、今度は余るといってコメをつくらせない。最後は、輸入をするからもうコメはつくらなくていいという。国は国内に百姓などいらないと思っているのだろう。安い外国米が大量に輸入されて喜ぶのは、外食産業などの企業だ。大企業のもうけのために百姓は捨てられる」と憤りを語っている。
 安倍政府はTPPをやり、国内農業がつぶれる状況のなかで「国際競争力を高めるのだ」「ブランド化して海外に売り込むのだ」といっている。よりおいしい物をつくるのはもちろんいいことだが、食料はその国の人人が生きていくためのものであり、国際競争力どころか、国内でも競争する必要のないものだ。人の命を左右するものが、市場原理によって「金になるか、ならないか」で、本来の食料としての役割、価値とは無関係のところで競争が煽られ、「競争力がない者は消えるのが当たり前だ」という調子である。
 戦後「民族の食料を増産しなければならない」と、山奥を開墾し自給率80%にまで押し上げてきた日本の農家のなかでは、その誇りとともに、食料生産を守り抜かなければならないとの思いは強まっている。
 国民の生命に直結するのが食料産業であり、安かろうで国内農業を潰したしっぺ返しは国民生活にふりかかる。日本人の胃袋を多国籍企業に握られ、食料安保を投げ捨てていく政治に対して、農業者だけでなく全国民的な世論とつなげて対峙していくことが求められている。



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