トップページへ戻る

国策でだまされた4半世紀
上関町をめぐる対決点
                無人化推進が原発の結果     2006年9月8日付

 中国電力の上関原発建設計画をめぐって、4半世紀にわたって国策と対峙してきた地元・上関町では、「中電と国策にだまされた」という世論が圧倒するところとなっている。原発は「町の繁栄」が宣伝文句であったが、その前に町は農業も漁業も商工業もすっかり衰退し、人はいなくなって年寄りばかりとなり、中電の原発推進は上関の無人化推進であったことがだれの目にも明らかとなったからである。もうけていいことをしたのは1部のものだけで、古くから人情深く仲の良かった町民のあいだでは、推進、反対で争わされた傷跡を残すだけとなった。町民が食えなくなるのとあわせて、県は上関町を財政破たんさせ、合併・町の解体に追い込もうとしている。そして来年の10月には町長選挙となる。前回の柏原・山戸の「推進派、反対派」の選挙構図は、町民にとって苦苦しいもので虚構の対立である。どっちも原発推進でいいことをしてきた仲間なのだ。上関町の対立点はなにか。原発を持ち込んで廃虚にする、中電と国、県にたいして、町を売り飛ばす利権政治に対して、地方生活を守り発展させるかどうかが、鋭く対立している。国策によって住めない町にされてきた上関の現状は、いま構造改革で地方生活ができなくなっている全国の典型的な位置にある。

 深刻な八島の現実 人口は20年前の4分の1に・住むのは40人弱
 「近い将来、上関町全体が八島のような姿になるんだ。町長や役場は呑気に構えているが、人は住めなくなって廃村になりかけているのがわかっているのか!」。7月初旬、町内の離島・八島地区に住む老人が、「町政にたいする要望」を聞きに来た役場職員を、怒鳴りつける一幕があった。堪え忍んできた思いが溢れたものだった。先の展望が見えず、町は寂れるばかり。放ったらかしにされた八島は、「10年後には無人島になる」という思いを抱く。原発の空騒ぎとは裏腹に進行してきた過疎高齢化に、なんとか歯止めがかからないものかと多くの住民が心を痛めてきた。
 近年、急速に寂れている上関町のなかでも、離島の八島は1番深刻な状態といわれる。20年前に約230人いた住民は、いまではわずか58人。光輝病院に入院している高齢者などもおり、実際に生活しているのは40人弱といわれる。赤ん坊が産まれたのは33年まえが最後なのだと、島の老人は教える。53歳の最年少をはじめ、70代以下は10人ばかりとなった。そんな40数人が助け合いながら、暮らしを営んでいる。
 敗戦後、荒廃のなかから立ち上がっていく人人を支えたのは故郷の海と山であった。この時期に島には七〇〇人が溢れた。目に見える土地はすべて開墾され、田や畑になって暮らしを支えた。酪農の盛んな地としても名を馳せた。しかし現在では荒れるにまかせた廃屋が立ち並び、雑木や雑草が民家にまで迫って生い茂っている。
 島で唯一の商店を担っている70代店主は、「仕入れは、室津の商店や米屋から渡船で送ってもらっている。家から出られない年寄りや、重い荷物を抱えられない人の家には歩いて運ぶけれど、いつまで体がもつだろうか。やめればみんなが困るし……」と心配そうに胸の内を明かした。
 病院は月に2度、光輝病院から内科医が来るだけ。昨年までは内科、外科あわせて月に4度だったが、いつの間にか2度になった。あとは町派遣の看護婦が、電話で医者の指示を受けて薬を出している程度だ。
 80代の男性は、「上関は原発を追いかけてきたが、プランばかりですべて看板倒れ。国や企業の空論で、農業も漁業もいつも失敗の繰り返しだった。金は天から降ってはこない。働かないと」と語った。
 老婦人の1人は、「原発の話が持ち上がってから、よくなったところはない。八島は自然消滅なんです。定年退職で帰ってくる人がいるかと思ったが、みな騒ぎがいやだといった。原発のことは、いい加減やめてくれ! というのがみんなの正直な思いですよ」と語っていた。

 全町も無惨な衰退 かつての繁華街も・「歯抜け」の状態
 八島だけでなく、町の衰退は加速度的に進んできた。同じく離島の祝島も、1200人ほどから600人弱になり、蒲井は36世帯になった。四代・白井田も半減、戸津や室津も3割以上の人口減と、原発計画浮上時期と比較しても、その衰退ぶりはすさまじい。人の住まなくなった家は解体され、平らな土地には草が生えている。室津西町や上関福浦のようなかつてのメーンストリートでも、中通りでも「歯抜け」のような町並みが目立つようになった。
 農業委員の男性は「中電には30年前から、“無人化計画”があったのではないかと疑わざるをえない。農業にしても漁業にしても、造船業にしても、産業の衰退が町の活気を失わせたし、若者を住めなくさせた。世の中の構造も大きく変化した。わたしらが一生懸命につくってきた農道も、利用する人が減って畑は荒れるばかり。5年後には農業も担い手がいなくなる」と真顔で案じていた。

 対照的な原発狂い町政・利権事業で浪費
 対照的なのは、原発狂いの町政。20年にわたって、道路や交通の便、病院や介護、農漁業など産業・生活基盤の整備には関心が乏しく、最近では30億円もかけたデラックスな小学校を建て、意味不明の城山公園(トイレがあるだけ)をつくったりと、電源交付金に溺れて使い果たした。今年度は温泉保養地をつくるのだといって、調査費を計上した。「老人クラブ」と化した原発議会も足並みそろえて賛同。しかし実際には、今後の見通しもたたず財政破綻状況なのだ。
 全国的な地方切り捨てのなかで、近隣の平生町では今後5年間で20億円近い予算が不足するといわれている。役場職員はボーナス3割カットを敢行。田布施町でも同様の状態に危機感が持たれて、職員給料カットや議員定数の削減などがおこなわれた。「2年後に原発がくれば大丈夫」「それまでやりくりできる」とノー天気に構えているのが上関・柏原町政で、周辺自治体も驚きを隠せない。
 しかしこれは町長が大好きな博打であって、国からの地方交付金は、他町村と同様に削減されっ放し。「あと2年間持てばいい方」と役場関係者は台所事情に危機感を唱える。原発着工後に入る莫大な資金(入るか入らないかも不確定)をあてにして、「当たりも外れも2分の1」。町の倒産すら現実的ななかで、突っ走るという戦略に出た。町のために、積み立ててきた基金も、この数年間で取り崩してしまった状態だ。
 そして町の事業も、八島航路の上関丸のエンジンの取り替えでも、町内の業者がいるのにわざわざ町外の業者に発注して、物議を醸した。土建業者のなかでも、仕事量の減少にともなって、抜け駆けの奪い合いで、ほとんどの町内業者はほされっ放しの、キューキューいう状態。ワザとでも町がつぶれるようなことをやる状態である。

 見通しのない原発 「すぐにできる」とだまし・町潰しが進行
 2001年4月に、二井知事の合意を受けて国の基本計画に組みこまれて以来、計画は「登山口の入り口まできた」(中電社長が発言)ところから、詳細調査に進み、のらりくらりと電力会社主導の計画引き延ばしとなっている。中電は20年以上、「すぐできる」といって人人を踊らせてきたが、いまからさき、ほかにどんなウソがかくされているかわからない。
 直接の手続きを見れば、用地買収も漁業権消滅も残っている。過去の電調審上程、基本計画組み入れは、経産省の目こぼしで、反対派の土地を虫食い状態で計画除外し、総面積を8fほどへらして「8割を確保」というインチキをやった。しかし、建設となるといずれみな必要である。有事態勢とかテロ防衛とかいう時代に、原発を見下ろす土地を放置して建設はできない。安全審査を通過させるというのも論外だ。全国的にみると、青森県の大間原発計画が残り2%弱の未買収地を理由に暗礁に乗り上げた経緯があり、撤回となった巻原発が5%、上関は20%以上が未買収地である。
 さらに中電はかくしているが、日本全国どの原発を見ても、埋め立て沖合は港湾海域として漁業権消滅の手続きをしている。これも祝島が旗をおろしてからやろうというたくらみと思われる。県一漁協合併によって、県と山戸貞夫元組合長らの画策で、祝島漁協は解体された。しかし島のたたかう力が崩壊したわけではなく、三浦湾のログハウスに引きこもっているといわれている山戸氏や、その背後勢力の陰謀を乗り越えて島民が力を発揮するなら、メドはない。
 条件をそろえるためにはまだ気が遠くなる話である。「調査が終われば原発ができる」という状況にはないのだ。
 これらを実現するためには、正面の推進派がいくら騒いでもできないことであり、反対住民があきらめるか投げ出さないことにはできないことである。旧祝島漁協の山戸氏は裏切り要員として配置された。四代田ノ浦地先の共同漁業権放棄に続いて、近年では祝島漁協解体まですすめたが、いまや山戸氏が反対の旗をおろしたとしても、上関町の反対派は消滅せず、消滅するのは山戸氏やインチキな反対派だけという力関係となった。
 町民が長年来のものいえぬ苦難を強いられた原発とはなんであったか。原発を推進してきたのは中電とそのバックの独占大企業集団であり、国、県であった。そして、推進派と同時に反対派のなかにも裏切り者が配置され、町民ががんばってもがんばっても、裏切られ、町は崩壊していくという過程をたどってきた。
 20年来にわたる経験から明らかなのは、原発によって振興したのは推進派、反対派を問わず町長や議員ら1部のボス連中だけであり、地域も町民も振興どころではなかった。そして農漁業も衰退し、年寄りが買い物に行く店すらなくなった。
 上関原発計画が持ち上がった1982年の時期は、それからのち、株や不動産投機による虚構の繁栄であるバブル経済に進むころであった。「漁業のようなきつい仕事をする若者はいない」「都会に行けばなんでもできる」「上関は廃村になるので原発で地域の振興を」といわれていた。そして「原発がくればなんでもできる」といっているあいだに、よその町と比較しても産業基盤、生活基盤の整備が遅れに遅れた。それは原発があったばっかりに意図的にもたらされた。農漁村を困難にしたのは、アメリカに隷属した独占企業集団の代理人であった歴代自民党の工業優先・農漁業破壊の政治であった。そして原発推進、工業優先を20数年やっているあいだに、上関町は無人島になる羽目となってきた。
 片山町政は国や県の後押しで上盛山展望台や室津スカイラインなどの町民の役に立たない利権事業を重ねて、借金だけは約60億円も抱えた。そして現在、過疎化・廃屋が目立つ地元の白井田に3階建ての家屋をつくっているのが、全部の町民のなかでなんともいえぬ怒りを呼んでいる。老人が多いのに医療福祉の整備は遅れたうえに切り捨ての時代になり、年寄りは通院するにも難儀な思いをし、海や山は荒れるにまかせ、漁業や農業は衰退するばかりとなった。
 そして町民のあいだは、GHQかCIAといわれる中電の熊毛事務所が諜報、陰謀をめぐらすなかで、推進派、反対派で分断され、疑心暗鬼にされ、人情のあった町がズタズタに切り裂かれて、自由にものがいえない町民の主権が奪われる状態がつくられてきた。

 日本全体でも共通 原発も町村合併も米軍再編も・売国政治に根
 20数年たったいま、日本全体を見ると、製造業は海外に移転して国内産業は空洞化。小泉政府がアメリカ型の市場原理だ、規制改革だといって、日本中の市町村を借金奨励で大型公共事業をやらせたあげくに予算を削減して財政難に追い込み、合併させて地方生活を切り捨てている。若者の半分は非正規雇用で、都会では失業、就職難があふれ、ホームレスになるか自殺に追いこまれる状態。田舎に帰ろうにも、田舎は農漁業やそれに根ざした製造業も衰退で若者が生活できる状態ではない。町に残った年寄りも、都会に出ていった若者とその子どもたちも、どこへ行って食っていけばよいかわからぬ状態になっている。
 上関町の無人島になろうかという衰退は、日本全国の農漁村が共通したものである。上関町は国策として中電が乗り込み、原発推進で町内をかき混ぜてきたことから、全国的に突出してその現象があらわれている関係である。
 原発を持ち出したころは、日本は平和がつづくというのが前提であった。ところが隣接する岩国では、滑走路を2本に増設し、空母が接岸できる岸壁をつくり、厚木基地の空母艦載機を移転するなど、核攻撃基地として大増強しようとしている。上関に原発をつくるというのは、米軍基地をマヒさせるのに格好の標的となる。基地だけがマヒするのなら結構だが、それは国土を壊滅的な放射能汚染にまみれさせることになる。アメリカの戦争のために、自衛隊を指揮下に統合し、日本の人的物的資源を総動員し、国土を放射能で壊滅させるという売国政治が上関町も無人島にしようとしているのである。
 原発といい合併など構造改革といい、岩国の基地といい、「国策とは人をだますものなり」といわざるをえない。
 上関は老人の町であるということは、多くが戦争体験をした人人である。上関町は、戦争でもよそと比べても戦死者が多い。「鬼畜米英」「国を守れ」といって死ぬとわかっている戦地に送り出され、敗戦になったら天皇以下戦争を仕掛けた連中は「平和主義者」のような顔をしてアメリカの手下になって生き延びた。あの戦争でも国策にだまされた。戦後も平和だ繁栄だといってきたが結局はもっとだまされてきたのである。
 上関町では、このだまされ、踊らされ、絞め殺されていく現状を黙って見ていくわけにはいかない、上関町民の誇りにかけても、なんとか打開しなければという世論が渦巻いている。
 来年の町長選挙があるが、上関の選挙もだまされつづきであった。柏原町長と山戸組合長の推進派、反対派という対立構図は虚構の対立であり、いい加減にしろというのが大多数の世論である。上関町の対立は、上関町をさんざん混乱させた挙げ句に廃町に導くのか、それとも町の発展の側から町民の主導で原発推進政治に終止符を打ち、町民の団結・協力の関係を回復して、中電、国、県にたいして失われた4半世紀の責任をとらせ、地方の生活を守るかが、現実の争点である。
 来年春には県議選もあるが、上関をめぐる対立点をめぐって町民の大衆的な論議を強め、局面を転換する力を結集することが期待されている。

トップページへ戻る