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故郷奪い絞め殺す残酷政治
2年7カ月経た福島現地取材
               仮設住宅で自殺や孤独死    2013年10月14日付

 未曾有の原発災害から2年7カ月たった福島県では、いまだに20万人が避難生活を送っており、だれもが故郷に帰ることを望んでいる。しかし復興を望む県民にとって残酷きわまる現実が横たわっている。まぎれもない人災である原発事故であるがいまだに収束のメドも立たず、目に見えない放射能汚染とのたたかいに加え、「金さえバラまけばなんでもできる」という調子で原発を乱立させてきた東京電力をはじめ政府の無責任きわまる対応が、住民の生命・財産をないがしろにするだけでなく、歴史や文化を育んできた地域共同体を崩壊に向かわせている。本紙は福島県内に記者を派遣して原発被災地の今を取材した。
 
 睡眠不足で心臓患う高齢者

 福島県内にある1万7000戸の仮設住宅では、震災から3度目の冬を迎えようとしている。福島県内では今も、福島県内の各市町村に分散して建てられている応急仮設住宅に約3万人、借り上げ住宅に約5万4000人、公営住宅に約1200人、北海道から沖縄まで県外に5万1000人が、震災前まで暮らしていた故郷から遠く離れた仮住居で避難生活を送っており、その生活は過酷さをきわめている。
 夏は涼しく、冬は暖かい浜通地方の農漁村部落で生活してきた人たちにとって、阿武隈山脈を隔てた郡山市や会津など内陸部の夏冬の気温差が激しい気候は馴染めぬうえに、独居者には4畳半1間、夫婦には4畳半2間というギリギリの間取り、外とも隣とも壁1枚で仕切られ、すきま風も入れば、話し声や少しの物音も隣に響くため気は休まらない。豊かな自然に囲まれて畑仕事が日課だったお年寄りは、アスファルトで舗装された敷地内では土いじりすらできず、帰郷が長引けば長引くほど、展望を失って病死、自殺などによる死亡が倍増傾向にあり、痴呆、うつなど精神を患う入居者も少なくない。
 原発立地町である双葉町(人口・6493人)、大熊町(1万943人)は、今も「帰還困難区域」として立ち入りが制限され、町民たちは福島市、郡山市、いわき市、会津若松市などに分散して避難生活を送っている。3月11日に着の身着のまま強制的に町を閉め出されてからの2年7カ月、各地の避難所を追われるように転居を繰り返してきた。今年6月まで仮役場(いわき市へ移転)があった埼玉県加須市の廃校では段ボールで仕切られた教室で生活するなど、故郷を丸ごと奪われて帰る場所のない難民状態が今も続いている。
 郡山市内の仮設住宅で自治会長を務める双葉町民の男性は、「2年半たって国の方針は、“5年後に帰還できるかどうかの結論を出す”というだけ。宙づり状態を長引かせて、おのずと帰還を諦めさせ、東電が提示する補償条件を飲ませるための兵糧攻めだ。この仮設住宅は完成して1年半になるが、すでに5人がなくなった。30代の若者も鬱(うつ)状態になって引きこもりがちになり、最後は心筋梗塞で孤独死して数日後に発見された。お年寄りも睡眠不足などのストレスから心臓を患う人が多く、他の仮設でも元気だった人がぽっくり死ぬケースが増えている」と実態を語る。
 国が示す「5年」どころか2年半も遊んでいるわけにいかない家族持ちの若い世代は、すでに避難先のいわき市や郡山などで新たな職につき、家族の多い世帯は補償金を使って家を建てる人もいるが、家族構成によって補償額や生活条件が違うため、とり残されているのは一人暮らしの高齢者や40代以降の中高年層だといわれる。

 離散促す意図的な放置 「帰還」の希望も潰す

 高齢者の多くは「故郷への帰還」を唯一の希望にして厳しい避難生活に耐えてきた。ところが収束が見えない原発事故現場のニュースとともに国が管轄する居住区の除染作業は進まず、一時帰宅で許されても、自宅は地震で崩れた屋根から雨漏りで家中にカビが生え、イノシシが畳を掘り返したり、大型化したネズミが大量に入り込んで糞だらけ。ハクビシンやヘビなどが侵入して「町全体が野生化して、薬をまいても効果がない」「帰ったところで手の施しようがない」といわれ、一時帰宅する人も次第に減っているという。だが、いくら困難であっても仮設住宅を出ることは最後の心の支えである町民同士の支え合いを絶つことを意味しており、意図的に離散を促す政府の放置政策は、真綿で首を絞めるようにして住民の生きる気力を奪っている。
 郡山市の仮設住宅で暮らす80代の婦人は、震災後、原発から4`圏内の双葉町の自宅を出て、山形、栃木、さいたまスーパーアリーナ、騎西高校など8カ所の避難所を渡り歩き、やっとこの仮設住宅に家族3人で入居したことを明かし、「双葉町で魚屋をやっていた60代の息子は、地域では評判のいい自慢の息子だった。震災後すぐには“双葉で再開させるんだ”と意気込んでいたが、長引く避難所生活で双葉町に帰れる見通しが遠くなるにつれて気力を失い、外出することも少なくなって体調を崩し、最後はガンで亡くなった。なぜこんな目に遭わなければいけないのか」と涙を流して訴えた。
 また、双葉町で2町歩の田畑で米や野菜をつくっていた70代の婦人は、「原発事故から2年以上も農作業ができず、毎日スーパーで生活に必要な物を揃える生活。知らない土地で車もなく、どこになにが売ってあるかもわからないので苦労した。今年から県の農業試験場を借りれるようになったので野菜を少しでも作りたい」と言葉少なに語った。
 「東電の補償は農業で得ていた収入に比べると半分にも満たない。農家が大事に使っていた納屋や倉庫も築年数で一律に査定され、一時帰宅で戻ったときに田畑は草がぼうぼうの荒れ地になっていたのを見るとやりきれない」と語り、金よりも再び戻れる町を返してほしいと願いを語っていた。
 住民らによると、双葉町から他市町に本格移住するとしても、もともと過疎化が進んでいた双葉町の地価は、震災前の課税評価額でも福島、郡山などの都市部とは比較にならない安さ。宅地価格では3倍の差があるといわれ、まして農地や古い木造家屋など二束三文の値段しかつかない。一方で、津波被災地や原発周辺地から人口が流入している郡山市内などは、震災後、住宅需要が増して地価は上がっており、復興特需で工事単価がより高い宮城県などに資材も職人も流れているため、建築単価も従来の1・5倍に上昇。東電の提示価格で全財産を売り払っても郡山やいわきなどで家を建てる資金にはほど遠いが、東電は月ごとに支払っていた賠償金を一括払いに変えて「金はあるだろう」といわんばかりに低価格での売却攻勢をかけているといわれる。
 「本来の土地売買は、土地を売る意志のある人と買う側との交渉で決まるものだが、私たちは売りたくて売るのではない。自分たちの土地で生活する権利を丸ごと奪われたあげく、財産価値も東電が一方的に示してくるものに同意することしか選択肢が与えられず、“それがイヤならいつまでも仮設暮らしを続けなさい”というもの。裁判や交渉の経験がない年寄りは、今の生活に困っているから判子を押してしまう。集団交渉には持ち込ませず、個別に交渉して切り崩していく手法は東電が原発建設当時からやってきた常套手段で、町が一丸になって交渉する動きも町の有力者からカネをつかませて崩していく。原発を作るときも、事故をして町を追い出すときも、町の決定権をもっているのは常に東電なんです。町長は町外に復興住宅を作るといっているが、このままでは原発のために自治体そのものが解散するのではないか」と立地町民としての苦悩を口にしていた。

 原発以外の仕事は皆無 町の将来も全て奪う

 また、40代の男性町民は、原発事故で仕事を失った現役世代が再就職が難しいことを明かした。「除染や原発作業員のような被曝を免れない東電関連の仕事はあるが、その他はアルバイトのような仕事しかなく、働いても収入は以前の半分にも満たない。養蜂業をしていたが、すべてを失って高額のローンだけが残っている。再出発する資金すら銀行からは借りることができず、高速のETCカードすら作れない。“原発による休業”といっても、実際には失業者扱いになり、補償金は宝くじの当選金みたいな扱いで正当な収入とは認められないのが現状。極端にいえば補償金で生活する引きこもりになるか、東電の下で働くかの選択なんです」と話した。
 町内には、原発事故までは東電の協力会社の社員として働いていたが、事故が起きたとたんに「会社都合による解雇」がいい渡されて問答無用で失職した中年世代は多く、「しばらく除染作業をやったが、次は原発作業員への誘いがかかってくる。原発以外の仕事の面接を受けても、“被災者は補償金をもらっているから動かないし、長続きしない”という理由で軒並み落とされる」「いきなり失業し、1年分の失業補償をもらっただけで後はなにもない。無職でいるわけにはいかないので、いずれまた原発で仕事をしなければいけない」と語る人は多い。
 現実に福島原発の廃炉作業員3000人のうち半数は福島県民といわれ、県は仮設入居者には重機や作業機器の免許取得を無償化したり、放射線管理区域で労働するための知識を教える集団講習会を各市町村で実施するなど、慢性的な人員不足に陥っている被曝労働現場には職を失った被災者が誘導される仕組みができあがっている。
 自治会役員の男性は語る。
 「40年前、原発を作るときも払い下げられた旧日本軍の飛行場土地を自民党代議士の堤康二郎(西武グループ創業者)が地価の3倍の値段で土地を買い占めて原発を誘致した。町への恩恵といわれた電源交付金もすべてヒモつきで、豪華なハコモノ施設の建設のためにしか使えない。固定資産税は減るが、ハコモノ維持費は増える一方でまちはすぐに財政再建団体になった。雇用は増えたが、地元出身者は絶対に原発の中枢には入れず、東電の下請、孫請に働くのが精一杯だ。あとは、1家あたり1年に5000円(1カ月分の電気代程度)の還元金があるくらいだ。人口に応じて核燃税が県に入るが、過疎地の双葉郡には使われず、郡山のビックパレット(複合文化施設)など都市部に注がれ、町は潤わなかった。反対派の人たちも、子どもを東電の関連会社に雇用されるなどしてみんなつぶされていった。プルサーマルを許可した佐藤現知事も息子2人は東電社員だ。そうやって金で一部を買収して、最後はすべて奪いとられるのが原発なんです」と。
 また、「原発が廃炉になったら、今度は原発廃棄物の貯蔵施設のために町全体が売り飛ばされる。調査だ、町民理解だといっているが、すでに設計図までできていて関係者のあいだで非公開で話し合いがされている。政府も東電も原発を動かす以上、責任の所在をあいまいにするため事故を起こることはあえて想定しない。だから、避難道路も作らない。双葉町の幹線道路の国道六号線は片道1車線で、渋滞で逃げることもできなかった。道路もないので原発以外の産業も育たない。すべて意図的だし、町民の生命にかかわることもバクチ感覚でやっている。再稼働や新規立地の候補地になっている人たちは、この現実をよく見てもらいたい」と話した。
 補償金をもらっても肝心の上下水道などのインフラ設備、除染作業などの住民帰還のための整備が放置されており、生きる希望がなくなって衰弱死や自殺が相次ぐ仮設住宅暮らしの状況は他の市町村でも共通している。また、市内居住者の83%が65歳以上になっている南相馬市をはじめ、周辺自治体もさらに深刻な崩壊状況に直面しており、被災者や事故の責任を切り捨てて再稼働や原発輸出を臆面もなく進める東電、安倍政府の残酷きわまる無責任ぶりを如実に物語るものとなっている。

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