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今度こそ戦争阻む運動に確信
8・6原水禁運動の総括座談会
               全国の独立世論を束ねる    2012年8月20日付

 今年の8・6を頂点にした原水禁運動は、広島、長崎の被爆市民の圧倒的な支持を基盤にして飛躍的な発展を遂げた。広島、長崎での「原爆と戦争展」、平和公園での学生たちを主体としたキャラバン隊による街頭展示、劇団はぐるま座による『原爆展物語』公演、小中高生平和の旅、全国交流会、宣伝カーによる宣伝活動など多面的な活動が繰り広げられた。それは、原爆投下からはじまる現代社会についての人人の鋭い問題意識と結びつき、全広島を代表し、戦争を阻止する強力な運動として受け止められ、大きな勝利感が実感されている。本紙は今年の運動の到達点と教訓、さらに今後の運動の発展方向について、とりくみにかかわった本紙記者、劇団はぐるま座団員、人民教育同盟の教師、下関市民の会会員による座談会をもって論議した。
 
 全広島を代表し強力な基盤

 司会 まずは、今年の8・6集会の反響から見てみたい。
 (はぐるま座) 8月4日の『原爆展物語』の公演を観劇して集会に参加された人たちの感想では、「なんとしても参加したい」と夫婦で集会に来られた婦人被爆者が、平和の旅の子どもたちの姿に希望を見出し、大学生の発言にも感動していた。「暑いなかで行こうか行くまいか悩んだが、参加した甲斐があった。私たちも負けておられない」と喜んで帰られた。
 また、80代の眼鏡屋さんが、チラシで集会を知って駆けつけ、ペットボトルを腰に提げて、はじめからデモ行進にも参加するつもりで来ていた。東京の製氷会社に勤めている28歳の青年が原爆展キャラバン隊に来て、「峠三吉さんがいろんな人の体験を聞いて詩を書かれたこともだが、それをもとにパネル展示をやり、全国で集めた声をパネルにして返している」という活動に感動していた。「人人の体験のなかに真実がある」ということに感動し、最後には一番前の方でシュプレヒコールをしていた。
 大阪から自転車でやってきた大学を卒業したばかりの青年が、全国交流会にも飛び入り参加し、その後は集会にも参加し、デモ行進では最前列で横断幕を持って歩いた。後日、下関にも来て、8月9日の長崎行動にも参加し、「言葉にならないほど得るものが大きかった。来年も来たい」といって帰った。
 愛知県の特攻隊経験者の男性は、病身でありながら医者を説得して集会に参加した。「アメリカに謝罪を要求するという集会は日本中探してもここにしかない」という強烈な思いで毎年駆けつけている。昨年出会った平和の旅の子どもたちとの再会を喜んでいた。
 (記者) 広島の被爆者のなかでも、「年を重ねるごとに集会の質がよくなっている」といわれ、全国から集まって子どもから大人まで一つになってやっている運動は他にないと語られていた。峠三吉から始まるこの運動を根幹のところで支えているという誇りも盤石なものになっているし、参加する意気込みが違った。
 長崎から参加した被爆者も、全国交流会にも参加して、沖縄、岩国をはじめ、オスプレイ配備問題や日本の植民地状態に対する全国各地の意見に触れ、「アメリカの枠内ではなにも解決しない。安保破棄にむけて頑張ろう」といわれていた。男子学生が読み上げた集会宣言も、「よく気持ちが入っていた。あれが一番よかった」と喜んでいた。デモ行進も含めて、市民が一丸となってやっていることに名実ともに「広島市民の運動」と受け止めている。
 (市民の会) 下関市民の会から参加した婦人たちは、「子どもたちの姿が、昨年と比べても違っていた。小さい子が多いようだが、みんなビシッとまとまっていた。遊び半分ではなく、服装まで違う」と驚いていた。女子学生など若い人たちの葛藤をへて、頑張ろうという思いを聞いて、市民運動の確信にもなったといっていた。原爆展会場では、広島の被爆者の人から話を聞き、デモ行進も全部歩いた。人人の熱意を実際に肌で感じることで、みんなで力をあわせればすごい力になるという確信をもち帰り、日本社会全体のところからとらえ直して市民運動も頑張らなければいけないとなっている。
 (記者) 帰りのバスでの交流では、下関の被爆者のなかで被爆者としての使命がもう一段深く実感されていた。バスの中で、ある婦人の被爆者が初めて体験を語ってくれたのだが、「語って本当によかった。今の子どもたちは受け皿が乾ききっている、一滴の潤いを与えたらそれがしみ通るようにすべて吸収していく。自分たちが語らなければいけない」といわれていた。これまでは、語っても伝わらないという思いから体験を語ることに逡巡があったが、子どもたちの受け止め方の真剣さを見て、大きく認識を新たにされていた。9月と10月には、下関の学校でも語り部の要請が来ているが、これも「やってみよう」と行動的になっている。

 平和の担い手になると真剣 子供達の姿勢も変化

 E(教師) 子どもたちの姿勢も変わっている。今年の小中高生平和の旅は、事前のカンパ活動の時点から違っていた。ものすごく一生懸命に訴えるし、ふざけない。それを見て市民の方方が「頑張れ」といってカンパをしてくれ、みんなに支持されていることを実感する。バスの中でも、市中行進のときも、被爆者に学んで平和の担い手になるという真剣な構えがビンビンあった。今日のきな臭い状況のなかで、どのように行動しないといけないかを子どもたち自身が考えて積極的に行動していく。だから、被爆者の方が語ってくれる真剣さを受け止めるし、それに応えようと必死になるという響き合いがあった。感想文を書かせても、メモをとっていないのに被爆者の話を全部憶えていて事細かに書くし、発表するのが苦手な子が自分を変えて堂堂と自分の感想をいう姿には教師の側が驚いている。真実に触れたときの、子どもの成長は急速だ。それが集団になっているから強い。
 (教師) 親からの支持も非常に強かった。地元に連れて帰ったとき、出迎えにきた親たちが子どもの表情を見て喜んでいた。子どもたちがバスから降りたら「楽しかったよ」といって、お母さんのところに駆け寄る。それに親が喜ぶ。あとで電話をかけたら、「また来年も行きたいといっている」とうれしそうにいわれる。被爆者から体験を聞き、共同生活をして、目的・めあてにそって活動し、子どもたちが成長していく姿をだれよりも感じている。学校の先生たちのなかでも、旅に対するカンパが増え、「参加してみたい」と変わってきている。
  デモ行進のとき広島市民の反応がすごかった。手を叩くとか、市民からの支持をビンビン感じているので、自分たちは正しいことを堂堂と道路の真ん中でやっているんだという確信がすごいと思う。やっている側と見ている側の相互の反響があり、子どもたちも最後まで大きな声を出していた。
  「アメリカは核も基地も持って帰れ!」の宣伝カーを今年も複数台で回した。毎年バス、タクシーが宣伝カーを誘導してくれるが、今年も初日から待ち受けてくれて協力してくれた。
 D この運動が広島市民と磐石の関係だというのをみな感じている。こちらのデモ隊が来たら、沿道から見ていた人が「峠三吉の詩を子どもたちが朗読するデモ隊が来てるよ」と携帯で連絡をとりあったりする場面もあった。おじいちゃんが、「峠三吉か。10年前の日銀原爆展のときは何回も通ったんだ」とか、商店では「うちはポスターを貼っている」とか、市民のなかで定着している。店の中からも歓迎してデモ隊を見つめていた。市民を代表して堂堂とやっていく部隊。8・6だけ来て、自己主張する人たちを広島市民は嫌っていたが、そういう運動とは全然違う自分たちの運動という受け止め方だ。
 (はぐるま座) はぐるま座は、今年も原爆展運動10年を描いた『原爆展物語』を8月4日に広島市で公演した。とりくみの過程では、岩国へのオスプレイの配備まできて、米軍が被爆地広島湾岸の上空を植民地のように飛び回ることへの怒り、今でも県北では年寄りが電信柱にしがみつかなければいけないほどの低空飛行の実態が語られていた。原発再稼働と消費税増税も含めて戦争から始まって行き着いた現状だし、今だからこそ真実の声を上げていかないといけないという思いがすごく語られた。「夏になると見に行かないといけない」という人や、「現状を変えていく力にしなければいけない」という被爆者の思いと現役世代や若い世代の意識でとりくまれた。観劇後の感想交流会でも、大学生、3、4、50代の現役世代が「今も戦争が続いているんだ」と語るし、これを変えていくことを自分たちの課題として「今から行動していきます」という決意が口口に語られた。みんなの意識が、現代そのものに照準があっている。
 C 下関のある婦人は、10歳のときに終戦を迎えており、戦争のことを子どもたちに伝えて絶対に戦争をさせてはいけない、同じ目にあわせてはいけないという戦争問題へ思いを強く語っている。市民の貧困化はひどくなる一方で、莫大な税金を投入した人工島や巨大道路建設などの市政問題、下関が米軍の重要港に指定されたことなどもつながって、すべての政治が戦争に向かって動いていることを敏感に感じている。8・6を通じて、じっとしておられないという行動意欲が高まっている。
  広島、長崎の被爆者も迫力が年年増している。集会で発言した男性被爆者も、昨年の原発事故以降の大衆世論の変化を、大学生や子どもたちに話すなかで直接感じていて、「みなが真剣になっているし、自分たち一人一人が動いて行動しないといけないとなっている。それが子どもたちから大学生に至るまで非常に伝わってくる」という。政府の方は、原発の再稼働やオスプレイ配備など国民世論を無視してやってくるが、「どれほど強権的にやってきても、国民の力を束ねていけば必ず変えていける。それだけの手応えがある」という確信を持っている。広島の会が10年やってきた私心のない活動の正しさへの確信も強めている。学生たちもすごく行動的だ。被爆者の話を理屈ではなく、その感情を共有して受けとめている。
 広島に来る人たちの問題意識も、「今の日本の状況は、原爆投下から続くアメリカの植民地支配であり、そこを変えていかないことには個別のいろんな問題をいっても解決しない」というのが定着した世論になっている。「原爆投下が戦争を早く終わらせた」とか「アメリカのおかげで日本は平和で民主主義になった」などという戦後の欺瞞は完全に崩壊して、「気がついたらデタラメな社会になっている。すべて原爆から始まっていた」「このままいけば日本は第2次大戦以上の悲惨な状態になる」とガラッと意識が変わっている。
 さらに、自民党もダメなら民主党もダメ。選挙でいくら約束しても、当選したとたん「公約」を捨ててみんな同じことをやる。もう既存政党や政治家に頼って国が変えられると思っている人はいない。「現状をどうやったら変えていけるか」がもう一つの関心事になっている。パネルの内容にも衝撃を受けているが、被爆者から学生、小中高生までが一致団結して運営にあたっていることなど、大衆が主人公になった運動体の姿が注目されていた。
 (記者) 東京から来た青年は、パネルの編集について「上からの解釈が書かれているのではなく、生の体験者一人一人の言葉をつなげていったら戦争全体の真実が見えてくる。その一人一人を大事にする姿勢に感動するし、説得力が違う。こういう運動は自己主張が多くて、一般人は近寄りがたいという印象があるが、この運動は市民のためにやるというので一致しているからとても気持ちがいい」と新鮮な感動を語っていた。被爆者やスタッフの立ち居振る舞いから、顔つきまで見て、「市民の運動だ」と実感している。「震災以降、自分たちが表面上信じてきたことがガタガタと崩れて社会の裏側が見えてきて疑心暗鬼になっていたが、そういうものを変えていこうと被爆者から子どもたちまで一丸となってやる運動があったのか」という衝撃だ。
  若いフリーの編集者が「原水禁運動は禁・協に分かれて市民からかけ離れていて嫌気が差していた。市民による本物の運動を探していたが、ここにあった」と喜んで協力を申し出たり、パネルを見て「この声はどうやって集めたのか」と感嘆する大学教授もいた。市民からも運動に対する質問がこれまでになく寄せられたが、被爆者たちも10年間の確信にたって「私利私欲ではなく、市民を代表した運動だ。マスコミや政治家は金にしばられてなにもいわないので、市民が力を合わせて真実を広島から発信していくんだ」と堂堂と説明していた。若い人や子どもたちの反響も伝えると、みんなが安心して「自分たちも参加しよう」となっていく。「自分も体験を語りたいと知人に話すと、この原爆展を紹介された」と申し出てくる被爆者の姿もあった。その流れが一段と大きくなってきたと感じる。

 若者が積極的に行動へ参加 外国人も深く共感

 H 原爆展キャラバン隊は、7月の土日、8月からは6日まで毎日、平和公園で街頭の原爆と戦争展をやった。今年は例年に比べても、若い人や学生が多く、全国から数人で勉強旅行に来る学生たちもいた。原発事故関連のパネルまで見て、原爆から現在までつながっているということに関心が強く、声をかけると「ぜひ被爆者の話も聞きたい」といって原爆展会場まで行く人も多かった。
 スタッフの大学生たちも、自分たちの意志で参加しているので学ぶ意欲が強い。集会で発言した女子学生も、4日と5日にキャラバン隊に参加し、『原爆展物語』の劇も見て、この運動が地道に10年かけて一人一人の体験を集めて活動の基礎がつくられてきたことや、自分たちの活動が劇になっていることに「言葉にならないほどの感動」といい、その後さらに行動的になっていた。期間中で延べ50人以上の学生が参加したが、積極的に被爆市民や外国人、若い人にも声をかけて感想を聞いていた。みんなが衝撃を語っていくし、外国人も「これが真実だ」とアンケートに書いていく。この活動が世界中の人に響いていることをつかんで使命感を高めていった。
 広島の大学生が主体になっていることに、全国から来た若い人たちも発揚されて「ぜひ地元でやるときは自分にも声をかけてほしい」と連絡先を記す人もいた。学生たちも「これで終わりにしたくない」と年間を通じて平和公園で原爆展をやっていく意欲につながっている。
 B 全国から来る人の感覚からすると、平和公園でのキャラバン展示、原爆と戦争展がないと広島の本音がなにも伝わらないし、「あれがあるから広島に来た意義がある」となっている。他にはなにもないので、禁や協の集会に来た人たちも訪れる。今年は原爆展会場がやや遠い場所だったが、それでも「ここに来ないと広島に来た意味がない」といってやって来る。宣伝カーに対する支持も大きい。
 今年の平和式典での広島市長の「平和宣言」の基調は、被爆体験の継承と伝承者養成というものだったが、広島の会の被爆者が「私たちがやってきたことに、ようやく広島市が同調しはじめた」といっていた。秋葉元市長の「オバマ万歳」のようなアメリカ主導の反核運動の欺瞞が通用しなくなり、被爆体験に根ざさなければいけないとやらざるを得なくなった。「被爆体験からいかなければいけない」というのは、こちらが一貫してやってきたことだ。完全に広島を主導する運動になっている。

 安保破棄世論が急速に高揚 戦後支配の欺瞞崩壊

 D 広島の学生が「原爆が投下されて日本が平和になったと思わされてきたが違った」と発言していたが、アメリカのおかげで平和で繁栄した国になり、アメリカに守られているという欺瞞のベールが完全に剥ぎ落とされている。「アメリカが日本を守るわけがない」というのが常識になり「安保」こそ日本を破滅に追い込むものであり、「安保」破棄、つまり、独立がすべての問題の要だという世論が急速に発展している。昨年の大震災、原発事故での対応を含め、戦後国民が守られてきたのではなく、むしろ日本人を320万人も殺した戦争勢力が、今の日本の状況をもたらしたんだと直視している。
 G キャラバン隊を毎年見ている年配の市民が、スタッフの青年に「どこから来たのか。勉強したいなら、このパネルに書いてあることをじっくり読んだらよい」と話していた。それくらいこの活動が、市民の訴えたい内容を代表している。『原爆展物語』で描いている内容も、毎年市民の感覚と一致していく実感があり、「市民の運動になった」「全国が結びついてきた」とか、セリフが見ている市民の実感とぴったり重なっている。
  広島の三次市で『原爆展物語』をとりくんでいる二世の会の人たちも、「原爆と戦争展」に訪れて、広島の会と連携して地元で開催した。公演をとりくむ姿勢も、「ただチケットを売ればいい」という路線ではなく、「一枚一枚、内容を訴えて組織していく。そういう運動をやるのだ」となっている。そのような質の運動があちこちで生まれている。
 D 大衆の経験から出発した運動だから強い。尖閣諸島問題をめぐって石原都知事らが騒いで中国との緊張をあおり、マスコミが騒ぎ立てているが、「日共」修正主義の志位委員長が、国会でも先頭に立って、「日本固有の領土を守れ」とアメリカの尻馬に乗って排外主義をやっている。アメリカを友と見なして、「オバマ万歳」までやってきたが、完全に戦争協力者の姿になっている。
 B こちらの8・6に向けた宣伝では、「日本社会の現実は、すでに戦後67年にわたって植民地状態に置かれ、民族絶滅のコースを進まされていることが第一の問題」であり、戦中、戦後の全経験から見てアメリカが日本人の生活や生命、財産を守るわけがなく、日本人民の苦難の根源は、原爆投下によるアメリカの侵略支配にあり、核基地を根幹とした植民地的支配からの独立こそが第一の課題だ。アメリカからの独立を成し遂げる国に対しては、他のどの国も侵略・支配などできないと訴えた。
 宣伝カーでも流して回ったが、市民は大歓迎したし、右翼も文句を付けきれなかった。大衆の歴史的な経験から出発し、その利益を代表していくなら市民は大歓迎するが、そうでない利己的な欺瞞勢力は蛇蝎の如く嫌われる。その違いが明確にあらわれている。
 E それは教育でも同じだ。平和の旅があれほど支持されるのは、人民の歴史的な体験に根ざし、それに学んで子どもを育てていくという方向が鮮明だからだと思う。
 今「いじめ問題」でキャンペーンがはられているが、だれもマスコミのいうことを信じていない。平和の旅で、被爆者の深刻な体験を子どもたちが受け継いで、その願いを受け止めて後継者として育っていく方向がみんなから支持されるし、そこと結びついて体育実践がやられているから発展する。人民大衆が歴史の主人公であり、ここに学び、依拠して教育運動をやっていけば必ず発展するということが実践のなかで整理されてきた。
 F 「鉄棒パンフ」を持って回るなかで、マスコミも騒いでいる「いじめ問題」について、「世の中自体がいじめの構図ではないか。学校の中だけで、いじめ、いじめと騒いで警察が出てきたり、教師をバッシングしてもなにも解決しない」と語られている。そこで、子どもたちが被爆体験を聞いたり、勤労生産者に学んで、その資質をもって育っていくこと、そして、友だちの成功を自分のことのように喜べるとか、応援するとか、そのような集団主義で子どもが育っていけばいじめは解消できると論議されている。「その展望がこのパンフに書いてある」というと喜んで買い求められる。学校の外に出て、大衆から学んでいく優位性がここにある。広島の被爆者の人たちも「自分たちが子どもたちを育てた」と見ているが、それが本来の姿ではないか。
  商店街でも、目先のことだけ見ていたら諦めの気持ちも生まれてくるが、子どもたちががんばっている姿に自分たちの未来を見て、カンパを寄せ、「協力を惜しまない」となっている。

 50年8・6継承する全国規模の運動へ 青年の行動に期待

  安保斗争のような巨大な政治斗争の動きが、8・6を頂点にした広島の世論にあらわれている。「核も基地も持って帰れ」という鋭くて重い課題だが、その世論が沖縄でも岩国でも、全国で圧倒している。この課題は、抽象的な平和願望ではなく、原爆投下や空襲、戦地などで人人がどんな仕打ちを受けたかという経験に学び、新鮮な怒りを共有し、全国的に統一した国民的規模の運動へと発展させることによってのみ実現できる。平和運動の主人公は働く大衆だ。大衆のなかで、平和は今の支配者にお願いしてたたかいとれるものではなく、自分たちの持つ力に自覚と確信が高まり、行動への意欲が高まっている。平和の敵はだれか友はだれかを見間違うことなく鮮明にして、人人の体験や要求を束ねていく運動が決定的になっている。
 原爆と戦争展はそのような方向で人人が結集できる運動の軸になっている。これを全国に押し広げていくことが重要だし、それを担う活動家集団、とくにキャラバンの活動に献身しているような青年学生の行動に期待がかかっている。
  既存の「原水禁」「平和」勢力がアメリカの原爆投下に感謝する流れで、大衆から嫌われ自然消滅していくなかで、全国実行委員会では峠三吉の時期のような全国民的な基盤を持った平和運動を再建し、発展させていくうえで、日本で最初に原水爆反対運動を切り開いた50年8・6路線の質、つまり、人民に奉仕することに徹して、いかなる権威にも負けず、大衆のなかから大衆のなかへの大衆路線を貫く活動家集団を形成していくことの重要性が論議されてきた。その反面、自分の狭い視野や思いから出発し、大衆の力に確信が持てず、実務や運営に責任を持たない無責任思想、平和の敵を恐れるばかりで活動の規模を縮小させる日和見主義などの潮流があり、それとの斗争だった。大衆が立ち上がっているなかで、別世界にいて、自然消滅していく流れとしてあらわれた。

 圧倒的な広島市民の運動に 禁・協とは別格の運動

  他の団体のデモは、両側を機動隊が挟んでいたが、広島市民と一体となったこちらのデモ行進には、威圧したり、抑圧するような格好はできない。子どもたちが集団で峠の詩を朗読し、市民と一体となりながら進んでいく。明らかな対応の違いを見て、この運動の力は別格だと感じた。
 B この運動の規模は、集会参加者だけではない。原爆と戦争展には、毎年2000人が参加し、ポスター掲示には同じく数千人の市民が協力している。『原爆展物語』にも、数千人が協力している。年間を通じて平和公園でやっている街頭展示は数万人が見ている。8月4日から始めた宣伝カーは数十万人が聞いている。「日共」系や、旧社会党系、その他の既存のさまざまな「原水禁」の政治勢力のように、広島市民のなかでは孤立した片隅勢力とはわけが違う。圧倒的な市民とともにやってきている運動だし、そのデモ隊だとみんなが見ている。だから、全国や世界から広島に来た人人は、これが本当の広島の運動だと直感する。
  広島にそういう空気がみなぎっている。これに下手に手を出したら大変なことになる。禁・協などに「左翼は出て行け」と叫んでいた右翼団体も、こちらの運動には文句をいえなかった。峠三吉の時期の1950年8・6斗争の路線を受け継ぐ運動の巨大な力、その大衆の力が見えなければ、敵ばかり大きく見えて敗北していくほかない。
  その潮流と一線を画して、大衆に奉仕することを第一にして実践することで集会の会場仕込みを30分でやり遂げるなどの実務も集団の力でやり遂げることができた。運動の主人公は大衆であり、こちらの自己主張をする場ではない。大衆に責任をもって、いかなる困難も克服して奮斗するということで全体が統率されていたら強い。
  あらゆる政治勢力は保守系も革新系もアメリカに媚びを売るばかりで、国会は戦時中と同じ大政翼賛会になっているし、「昔天皇、今アメリカ」というだけでなにも変わっていないとみんなが実感している。「こうやってかつては戦争に突き進んでいき、家を焼かれ、親兄弟を殺された。だが今度は戦争にさせてはいけない」という問題意識が広範な戦争体験世代のなかにある。
 予科練志願の経験がある戦争体験者は、教育運動の発展を喜んで、「あの当時の先生は、配属将校にひっついて“お前は陸軍か、海軍か”といって、子どもは訳がわからないまま振り回された。だが、本当に心配してくれる先生もあり、戦争に抵抗する力は少なからずあった。だが当時の先生はそこまでだった」という。「でも今は、すごく展望がある」といい、あの当時見出せなかった戦争を阻止しうる力がこの運動の中にこそあると感じている。
 D 戦前の共産党は強大だったが、大衆と結びつくことができず、戦争情勢が苛烈になるなかで自然消滅し、役割を果たすことができなかった。だが、中国では日本帝国主義もアメリカもなにもかも全部追い払って、あの広いところでたちまちにして全土を解放した。この違いは、人民に奉仕する思想に徹して、大衆のなかから大衆のなかへの大衆路線をやるかどうかだ、というのが福田正義・本紙主幹の戦後の出発点だ。そのような観点に立って、広島で最初の原水爆禁止運動の火ぶたを切った50年8・6斗争を組織した。広島の被爆市民の苦難に心を寄せて、アメリカの原爆投下の目的を正面から暴いて市民の心からの支持と共感を得て、原爆をどこでも使わせない力を世界に広げた。10年前、広島で日銀原爆展を始めるころは、「被爆体験は風化している」とか語り部の会解散、それが時代の流れで仕方がないという敗北主義的な影響が濃厚だったところから、この路線を継承した運動でここまでひっくり返してきた。「あの当時できなかったことができる」と戦争体験者が実感している根拠がそこにある。
 F 『原爆展物語』で演じているとおりに、世論と運動は急速に発展している。戦後の欺瞞が剥ぎ取られ、全国的な大衆世論を束ねていくなら一気に運動が広がっていく情勢だ。この到達点に立って、全国的な政治勢力結集に向けてさらに奮斗していきたい。

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