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こんな教育運動を待っていた
第33回人民教育全国集会
                参加者、感動を熱く語る     2011年8月24日付

 「“みんなのために”で子どもを育てよう!」「戦争に反対し、子どもを勤労人民の後継ぎに!」をテーマにした第33回人民教育全国集会(主催・人民教育同盟)が21日から23日まで下関で開かれ、教師や父母、小中高校生、被爆者、戦争体験者などが参加し、今後の教育運動の展望を示す画期的な集会となった。集会参加者の感想を紹介する。

 教育にかける熱の塊    広島市被爆者 高橋匡
 

  今年の教育集会は、教育にかける熱の塊のような集会で、いたるところにきらめきを感じるものだった。体験した事実、効果についての各先生のいつわりのない発表はすばらしく、子どもたち自身が体験したことは、なにものにも変えられない賜だと思う。山口県宇部地域をはじめ教師、子ども、親が一つになって集団ができあがっており、それも一朝一夕にできるものではなく共同で一つ一つ積み上げていくことで成し遂げられたものだと感じた。
 子どもたちの発表もすばらしく、発表態度が堂堂としていて、学んだこと(台本)を自分のものにしていて勉強していると感じた。
 広島でも教育界をめぐる実情を聞くたびにたいへんなものだと感じているが、ぜひこの熱に触れてみてもらいたいと感じた。地域ごとに実情は違うとは思うが、あのような熱気を感じた人たちが一人でも二人でも立ちあがっていけば、大きな力になっていくと思う。
 私たちも原爆展運動をはじめ、被爆体験を後世に語り継ぐ活動を地域や学校に出向いてやっている。その上で、私たちが望む後継ぎを育てていくためには、その仲立ちをしてくれる先生の存在は大きいものがある。私も毎年11校の校長先生あてに手紙を書いて、語る場を作ってもらえるように働きかけている。私たちがどれだけ望んでいても受け継ぐ場がなければ語り継ぐことはできないし、先生たちの意欲と情熱に支えられて私たちの活動も成り立っていると感じている。
 宇部地域の小学校は、修学旅行で広島に来ており、なかには私たち広島の会から被爆体験を学ぶようになってもう七年になる伝統校もある。それに携わってきた者として、先生方や子どもたちの輪が大きく広がっていることは感慨深く、私たち被爆者もこの集会で得た確信をもってこれから子どもたちに接していかなければと感じている。
 秋には、4校の修学旅行生に話をすることになっているが、先生方ともつながっていく糸口をつかんで、この輪を広げていきたい。        (原爆展を成功させる広島の会)

 皆が強く賢くなる教育      広島市被爆者 上田満子

 今年の集会は勢いが違いました。みんなが一生懸命で元気があり、心に染みいることばかりで広島から参加した甲斐がありました。
 先生たちが本気で立ちあがり、それをPTAが支え、教育委員会も動かす。いろいろと難しいご時世で、そこまで行き着くまでには大変な苦労があったことと思います。鉄棒の特訓でもして子どもが手の皮を剥いて帰ろうものなら近ごろの親は黙っていません。総攻撃を受けてノイローゼやうつ病になる先生や保護者も少なくありません。先生たちに「子どものために絶対にやるんだ」というしっかりした意志があってこそできたことだと思います。
 戦後の教育は、子どもの権利や自由ばかりが尊重されて、PTAが大きな力を持ち、弱い子どもばかりが育ってきました。高い目標に向かって子どもを鍛えていくということが学校でできなくなっています。広島でも、「ケガをしたら危ない」といって運動会での組み体操や人間ピラミッドはやりません。鉄棒や竹馬実践など、子どものためを思う先生たちの理解と協力が、親や地域の人たちを動かして大きな輪ができていったのだと思います。
 私たちの子どもの頃は、先生は親よりも恐い存在でした。先生は親よりも厳しく、先生に怒られて帰れば「あんたが悪い」と親に怒られました。それが、今は先生の立場が弱くなり、学校で落ちこぼれても放ったらかし、お金をかけて親が塾に連れて行くというものになっています。自分の子どものことだけではなく、分け隔てなくみんなが強く賢くなる教育であること、たとえ手の皮が剥けてもそれをこえる達成感が子どもにあれば、必ず親も父母も一体になれるし、ならなければいけないと思います。
 私たちは学校で被爆体験を語っていますが、勉強がしたくてもできず、食べ物もろくになかった時代の話を最近の子どもたちはしっかりと受け止めるようになっています。平和の旅に参加した子どもたちが、暑い中でみんなが集団で協力して行動し、最後のデモ行進まで一生懸命にやっている姿には涙が出ました。子どもたちの一生の宝になると思います。手本となる私たちもしっかり勉強しなければいけないし、習うより慣れろでがんばります。 (原爆展を成功させる広島の会)

 農家の手紙と同じ思い   広島市 石津ユキエ

 今年の教育集会は、普段はわからない学校現場の実情を知ることができて本当に実りある集会でした。私も広島の会に参加して10年になりますが、はじめは子どもたちと同じように被爆の経験も知識もなく、軽軽しく口に出すこともできず、なにもいえずに黙って話を聞いているだけでしたが、そんな弱さを持った私を被爆者の方方が引き寄せて下さり、ここまで育ててくれました。今回の集会では、被爆者の方たちが私にしたように先生たちが子どもたちの力を引き出して、社会に出そうという熱意が表れていました。
 幾度か教育集会に参加したことがありますが、これほど先生たちが集団的に前面に出て教育について語られたのははじめてではないでしょうか。この先生たちの集団の団結力には、うれしさというよりも“学校の先生がこれほどのことができるのか!”という驚きのほうが強いです。
 私の身のまわりで聞く学校の印象は、先生がチョークを投げただけで「体罰」になり、子どもが反抗したら警察沙汰になるため、先生も子どももコワゴワと学校に行き来しているというものでした。だから、先生の一人や二人が動いたところでそう簡単に変わるものではないと思っていました。学校に「挨拶をしよう」と看板が掲げられていても、実際に生徒がやっている様子はなく、目標は建前だけでそれを子どもがやり遂げるまで見届ける教育は見受けられません。そういう状況を変えようと先生たちが団結して集団になっていることは驚きで、すばらしいと思いました。
 もう一つは、教科書に書いてないことを教える先生の役割の大きさです。鉄棒実践も教科書通りに教えたのではなく、子ども一人一人が最後までやりきるまで逃げずに立ち向かい、朝早くから学校に来て汗水流して努力するし、できる子はできない子を応援するという指導方針は、“昔の先生がやっていたことだ”と懐かしく感じました。
 今は、放課後に子どもを残すことも大変で、下校時には塾通いをさせる親の車が迎えに来て校門前に並んで、先生が残そうとするならクレームが付きます。でも先生がサラリーマンになるのではなく、なにがなんでも子どもの心を開かせて、学校に行くことや学ぶ楽しみにつながっていけば親からも感謝されるし、それは必ず学力にもつながると思いました。
 私は農家の出なので、農家の人の手紙は私たちのそのままの思いでした。いいかげんに苗を植えていたのでは稲は育ちません。田んぼの広さに応じた本数を計算して正しく植えること、そういうことを通じてお米は作られるし、それに役立つための勉強です。本来の教育の意味を問う内容に私も引き込まれました。
 広島に学ぶ平和の旅でかかわってきた子どもたちが、地元でカンパを集め、先生や親たちがそれを支えている熱意を知り、私たちもますますやる気が出てきました。一人一人が一歩、二歩と前に出ることでそれが集まって大きな力になり、それが全体の成長につながっているのです。このすばらしい先生たちや子どもたちと一緒に私もこれからも頑張っていきます。
 (原爆展を成功させる広島の会)

 教師の魂が蘇った     宇部市 重谷悦彦

 本当にすばらしい集会だった。教師の魂がよみがえる思いだった。教師本来の姿がそこにあった。何のてらいもなくまっすぐな気持ちで発言し、その一言一言が子どもへの愛情で満ちあふれ、教師としての情熱がビンビンと伝わってきた。
 自分のため、自分がどう思われるかではなく、子どもの教育のために全力を傾けるその姿に感動した。
 政府・文科省の「個性重視」「興味・関心第一」の教育は完全に破産している。現場では怒りの声が渦巻いている。そして、今、破滅への道をたどる政府・文科省のすすめる教育と対決する教育が勢いよく発展していると実感することができた。大転換を迎えていると思った。
 「自己中心」ではなく「みんなのため」に勉強し、体を鍛え、感性を養い、たくましく生きていく子どもを、教師が集団の力で、愛情と情熱で育てていこうとしている姿は、万人が支持し、応援するものである。退職して十年たとうとしている私も昔の若い頃を思い出し熱いものが込みあげてくる。
 では何故、今、このような教育の流れが力強く発展してきたのだろうか。
 一つには、東日本大震災、福島原発事故を経て、人人の認識が大きく変化したことにあると思う。「自分のため」「個人のため」の考え方では郷土を救うことも、復興することもできない。「みんなと一緒に」「助け合って」「困難に負けないで」「生産活動の再建」をと、時代の質的転換が始まったことにあると思う。日本国中が、国の将来を真剣に考え始めている。
 今一つは、教師の待遇を第一とし、子どもと正面から向き合い、子どもへの限りない愛情と情熱で、次代を担う勤労父母の後継ぎを育てるという中心任務から離れさせた組合主義とたたかい、勝利したことにあると思う。教育を建設していくという方向へ踏み出した一歩は限りなく大きい。
 圧倒的多数の教師は「子どもを成長させたい」「社会を発展させたい」と思い、教師になり、日日、刻苦奮斗している。「子どもの成長」がなによりの喜びであるとする教師の集団を目の前で見たとき、参加していた被爆者、戦争体験者、勤労父母と共に私は手が痛くなるほど拍手をしていた。(退職教師)

 この教育なら未来安心     下関原爆被害者の会  大松妙子

 この集会に多くの方が参加。先生方の熱い熱意。子どもたちへの教育。先生方により教え方も違うが、子どもたちへの熱意に変わりはない。
 国の教育のあり方は、実際に教育にたずさわったことのない人間が、絵に描いたようにいくわけがない。それがわからないのが、親の七光りの苦労知らず。
 親も子も、顔形は違うけれど、皆の考え方も違う。その違いをうまく生かすのも教育。この集会に集まった先生方に熱い拍手を送りたい。
 そんな先生に育てられた子どもたちは未来が安心。正しいと思う教育は進んで皆が協力し、団結でたたかってほしい。
 最後に、下関の先生もこういう集会にぜひ顔を出してほしい。多くの人の教育への願いや、団結がどんなにすばらしいかがわかると思う。私も被爆者の会を、最初はどういうものかわからなかったし、不安もあったが、飛び込んでみて初めていろいろなことがわかってきた。先生方が、お互いに励まし合って、佐藤先生に負けず頑張っておられたことに深く感動しました。先生方、これからも頑張ってください。

 日本立て直す事ができる    下関市民の会  柿田多加子

 8月6日の広島集会に続き、8月21日の人民教育全国集会は感動です。先生たちの子どもたちに対する愛情あふれる教育の姿勢。体育の苦手な子、引っ込み思案の子、頑張ることの嫌いな子。しかし学年全員の子どもたちに、「最後まで一生懸命に頑張って、投げ出さないでやり遂げると、できるんだよ」ということを、「苦しいことの後には喜びがある、それがすべてのことに対して自信を持ってやれるようになる」ということを、毎日毎日粘り強くやるその姿。それも一クラス一人の先生で指導するのではなく学年全体で、またそれが学校全体になり、子どもも先生たちも一緒になり、団結して育てていく。
 そうすれば子どもの手の皮が破れ、痛痛しいその手を見て親が「もうそのくらいでやめたら、そこまでしなくても」という気持ち(私も多分そういったと思います)になったとしても、子どもが「友だちができたのだから自分も痛くても頑張る」といい、またできた子どもはできていない子の手助けをする。そして互いに喜びあう。自分だけでなく、他人を思いやり協力していく、その姿を見て親は子どもの成長をたのもしく思うとともに親も成長していくのでしょう。
 そうすれば、先生と子どもは信頼しあい、親もまた先生に感謝し、先生も先生としての喜びが実感でき、先生になってよかったと思えるのではないでしょうか。そのように先生、親が一緒になってやっていけば、政府・文科省の教育方針がどうあろうと、ゆるぎない本当の真の日本の子どもを育てる教育ができると思います。
 昔の先生はそうだったと思います。その先生の姿を見て「自分も先生になろうと思い、先生になったんだ」という先生もいらっしゃいます。しかしその先生たちも自民党政府時代から続く文科省の教育方針によって、子どもとはあまりかかわらないよう間をおき、できようができまいが、そこまでやることもないという思いになった先生もまたいらっしゃいます。そのような先生に育てられる子どもがかわいそうですね。そして先生と親のあいだもぎくしゃくとし信頼関係ができない。
 しかし、一人ではない、全員で子どもの教育をやっていこうとなれば、文科省であろうが教育委員会であろうが、おそれることなどありません。子どものため、日本の将来を担う、平和を願い、働くことに意欲を燃やし、日本を立て直していく人間づくりをしていってほしいと思います。
 3月11日の東日本大地震から後、子どもたちをはじめ大人も、みんなで国のいいなりでなく、国民のために日本を変えていこうという思いが強くなっているように思います。8月6日の広島集会に続き、人民教育集会での子どもたちの姿を見て強く感じました。
 東日本も広島や長崎のように必ず復興できるという確信も湧いてきました。とっても意義ある集会でした。先生、頑張ってください。

 勇気もらった集会   下関市民の会  川畑美佐子  

 今年の人民教育集会は先生も生徒も集団主義で成長していると実感しました。
 一人ではできないことも教師集団が固い絆で協同実践をおこなえば、担任の先生も「一人じゃなく四人だ」という気持ちで一歩踏み出す力になっていると確信を発言されていました。
 また平和の旅に参加した小中高生の旅のリーダーも、物事はいろいろ変わるし必要に応じて自分を変え、あわせてやっていかないといけないんだと学んだと力強く発言していました。
 集会で発言した教師たちが被爆者や戦争体験者、地域の農家の人などの体験に学び、それを励みに学校で確信を持って活動していること、また若い先生も多数参加され、教育運動が発展していることをあらわしています。
 自分を変え、そのときの情勢にあわせてこれからも頑張る勇気をもらった集会でした。

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