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この運動広げれば日本変わる
熱帯びる福田顕彰論議
            没10周年記念集会に強い期待   2012年5月9日付

 「戦争を阻止し平和で豊かな日本をつくる大運動の起点に」をテーマに20日、下関市で開催される福田正義没10周年記念集会(午後1時から、シーモールホール)に、期待する世論が高まっている。本紙に掲載している「福田正義没10周年によせて」は、投稿者それぞれのこの10年間の実践を基礎に、共通の思想で一つにつながって、「このような運動を広げれば日本を変えることができる」という確信をもって熱を帯びて発展している。今回は各界から寄せられた投稿を特集的に紹介する。

 世界平和をつくるため、命ある限り    原爆展を成功させる広島の会 森永 ヨシエ

 広島での原爆展運動も10年になりますが、10年前からは想像もできないほど発展してきたと思います。今年はじめの廿日市での原爆展でも、若い人も中年も年寄りもそれぞれ目の色が違って真剣です。それも時代が変わってきたせいでしょう。毎日のニュースを見ても、現在の社会はどうなっているのかと思うばかりで、世界的に争いや事件が絶えない日日です。大正生まれの私たちは、貧富の差のある時代を知っていますが、それでも今の方がもっとひどい時代になっていると感じます。人情の厚さや弱者を助ける教育も現在とは違っていましたし、目上の人には尊敬、親に孝行、夫婦、兄弟仲良く、近所とも助け合うのが昔の生き方でしたが、戦後、日本もアメリカのような生活になり、核家族が増え、自己中心的な人の痛みのわからない社会になったのではないでしょうか。
 私は7年前、長周新聞の創刊50周年記念集会に参加させていただきましたが、そのとき全国から集まった人たちの熱気に「一致団結」というのはこのことだと強く胸に残ったことを覚えています。常に新聞に書かれている「幾千万大衆とともに勝利する」という言葉通り、本当に皆が一致団結して今の社会を根本的に変えていかないと未来はないと思います。
 広島での原爆と戦争展も、はじめは横目でちょっと見て素通りしていた人たちが多かったですが、現在は皆さんの努力が実り、ずいぶん変わってきました。今では広島、長崎、沖縄、日本中に広がり、世の中全体の空気が変わってきたのではないかと思います。福田正義さん、礒永秀雄さんの本も読ませていただきましたが、このような指導者がいるからこそここまで発展してきたのだと納得できます。若い人には働く場がなく、ますます生活しにくくなっているのに、米軍再編や北朝鮮のミサイル騒動をはじめ、日本もいつまた戦争が起きてもおかしくない時代になってきました。国民全体の命を預かる政治家がなんの苦労もしたことのない坊ちゃんばかりで、戦争の苦しさも国民の苦労もわかりません。これからは人の痛みのわかる政治家に政治を執らせなければ日本は本当に滅びると思います。
 もう黙っていてはいけない。子どもたちの未来のために戦争、原爆は絶対に許せない。67年過ぎてもあの日の事を思い出すと、今もって涙が流れます。あの日の残酷な姿を今の方方には二度とあわせないために原爆と戦争展を成功させ、世界平和をつくり、何事も努力に努力すれば必ず実る。正義が勝つ。甘えていては何事も進まないことを教えられました。
 広島、長崎、沖縄、日本国中全体を焼き出され、裸一貫から当時の人人は立ちあがったことを思い出すと、現在の人人は、時代が違うとはいえわがままで自律心がない様に感じます。そんななかでも昨年、山口県の小中高校生の子どもさんたちの成長ぶりは、目を見張るものが多大にありました。これもまた指導者によってここまで変わってきたのだと思います。そして、はぐるま座の公演によって『動けば雷電の如く』(明治維新)、『原爆展物語』などの運動は、多くの人たちに生きる指針を与え、現在社会を変える一歩になっていると思います。これからも皆さんと手を取り合って、日本を変え、世界を変えていきましょう。
 「ガンバロウ。戦いはここから!」私も命ある限り頑張りたいと思います。

 しっかり団結して子どもたちと日本守る時  下関原爆被害者の会 河野 睦

 この5月20日に福田正義没10周年の記念集会があるのに先立ち、3月に第1回実行委員会がありました。なにもわからず考えずに参加させていただきました。皆、五周年の集会にもいらっしゃった方方で恥ずかしい思いをしました。
 でもみなさんの話を聞いたり、そのあとの長周新聞に載ったお話を読んだりして、福田さんが教育問題にも戦争阻止の問題にも全分野に関心をもたれ、今の時代を見越した考えをお持ちの方とうかがい感心いたしました。
 礒永さんも福田さんも山口県から出られた立派な方ばかりですので少しでもあやかりたいとの思いでいっぱいです。
 先日も私たち婦人会の総会で7、80名の会でしたのに、珍しく中尾市長が参加しておりました(途中退場でしたが)。ボツボツと市長選挙の前工作だろうと皆で噂しておりました。話の上ではいいことばかりいっていますが、実行することは自分たちの利益になることばかり。市民みんなの悔しさなどどこ吹く風のようです。
 垢田の沖にできつつある人工島、それに連なる幡生からの舗装道路。バスのなかから見ていても歯がゆくなります。いつまで続くのでしょうか。人工島も北朝鮮をにらんだ軍港になるらしいとか、吉見の海上自衛隊がそちらに移って軍事に備えるとか、悲しい話ばかりが聞こえてきます。これ以上貧しくなり、戦争に向かってはたまりません。
 毎日のテレビでもアメリカのいいなりで日本全体がアメリカの前衛基地のようになり、戦前の日本を思い浮かべます。これからの日本はどうなるのでしょう? 戦争では困るのです。子どもは少ないのに大事な子どもを戦争にとられてはたまりません。福田さんのおっしゃるように国民(市民)が楽しく過ごしていけるようにならなければ、上に立つ者のために働くのではないのです。
 先日、下関市立大学の原爆展で一部の学生さんではあるのですが、自分たちの力で立ち上がらなければとうれしい話を聞きました。
 この山口県から下関から少しの力でも結集することができたなら、小中高生平和の会のように立派な子どもたちが育ってくれるように思います。
 最後に礒永さんの詩を参考にしたいと思います。
 動乱の年竜の年は
 どうみても
 世の中は
 もう終わりですな
 こう不景気になったんじゃあ
 生きていく気もしませんな
 などと
 大臣がたは
 いままで言ったためしはないのである
 よし たとい非難を浴びても
 除名されても 追われても
 おれひとりだけでも矢面に立とう(以下省略)
 この詩を読んで感じました。しっかりと団結してこの日本を守りましょうと。

 大衆に学び力強く感動的に変わった婦人運動  沖縄県婦人同盟 野原 郁美

 福田さんの没10周年運動を機に、これまでの原爆展運動、基地斗争の活動、さらに2008年から再開させた国際婦人デーのとりくみなど一連の活動を総括することで、自分の認識の発展や、解決する問題を明らかにできたと思います。
 福田さんが婦人運動の発展のために書かれた文献には、婦人たちが子どもを抱えながら働くことの困難さ、暮らしのなかでの切実な問題など、婦人でなければわからないような細やかなところまで婦人の実際を熟知し、ここに婦人が仲間と団結して立ち上がっていく根拠があることをわかりやすい言葉でのべています。頭の中で理屈を並べてあれこれ評論したり婦人運動は特別な婦人たちがするものとか、婦人の真の力が信じられない自分の傾向がいかに婦人の実際とかけ離れているかを気づかせてくれます。
 2008年に再開させた国際婦人デーのとりくみのなかで、国際婦人デーの歴史をどう見るかということが問題になりました。第1次大戦前夜の1911年、過酷な婦人や児童の労働、婦人の無権利、非人間的扱いが蔓延していたあの時代に、国際的な社会主義運動と結びついた婦人たちの運動のなかから提唱された3・8国際婦人デーは、世界の婦人が団結して帝国主義戦争に反対し、婦人の地位の向上を掲げたたたかいでした。これまでも婦人運動にかかわってきて、婦人デーの歴史を学習してきたはずだったのに、婦人の実際と結びつかない知識主義的な頭では婦人デーの偉大な歴史に何の感慨ももてませんでした。
 それが、婦人デーの歴史が生き生きと力強く感じられたのは、正面から婦人たちに訴えること、婦人たちの意見を聞くことを実践してから変わってきました。戦争体験者の婦人たちの中では戦中・戦後の体験と、婦人デーの歴史が重なって、婦人たちの積極性が大きく発揚されていきました。また現役世代の婦人たちにも感動をもって受け入れられたこと、婦人は偉大だ! と家庭を、社会を支えている婦人たちが自分たちの力に誇りを持つことにつながっていく状況に、婦人運動の路線はここだ! という思いに至りました。
 それからというもの、婦人運動が古臭くて、面倒なものという認識から、力強くて感動的で、しかも楽しいものに変わっていき、全体の運動のなかでもその果たす役割は重要な位置にあるという認識に発展していきました。
 福田さんの「大衆に学ぶ」「大衆の中から、大衆の中へ」という大衆路線を歩むことで自分自身を大衆の側に立たせ、根を張ることができてきたと確信しました。
 今、戦争前夜といってもいいすぎではない時代です。日本の国を憂い、真の平和を築いていこうと各地で奮斗なさっている皆様とともに福田さんの没10年を機に意を強くしております。

 「子どものために」に導かれた竹馬実践  沖縄県元幼稚園教諭 源河 一美

 福田正義氏没10周年を迎え、福田さんの教育論、福田路線を改めて学習する機会を得ています。改めての集団学習は、始まったばかりですが、この間の教育実践をつうじて、福田さんの教育論、人民教育路線についての理解がより深まってきたように思います。
 私の教育実践をふりかえってみますと、人民教育の路線と幼児教育とをどのように結びつけていくのか、これまで実践してきた幼児教育が人民教育の路線から見てどうなのか、長いことはっきりしていなかったように思います。
 上宇部小学校での鉄棒実践をはじめ、集団主義の新しい教育実践が出てきて、私も触発されました。こういう集団主義の教育は、これまで私たちの幼稚園でもやってきたことだ、これならもっとやれると思いました。
 上宇部小学校では、教師集団が団結して、「子どもたちを勤労人民の後継ぎに育てよう」を合言葉に、鉄棒実践にひきつづき七段ピラミッド、合唱祭、修学旅行、縄跳び7分持久飛び、卒業式と、1年間を通して教育実践が進められ、子どもたち一人一人、子ども集団がめざましい成長をとげています。その実践報告を聞いたとき、これが、大多数の子ども、父母、教師が求めていた人民教育なんだと新たな感動を覚えました。
 子どもと父母との竹馬づくりから始まった竹馬実践、教師と父母が力を合わせてつくった「みんなみんな竹うまにのれたよ!」の紙芝居、その絵本の製作と多くの子どもたち、勤労父母、教師への大大的な普及は、私の教員生活のなかで最も貴重な体験でした。それは、子どものために、みんなのためにの集団主義、勤労人民の後継ぎを育てる人民教育路線、「大衆の中から大衆の中へ」の福田路線に導かれた教育実践であったと思います。あらためて路線の大事さを痛感しているところです。
 福田さんの論文のなかに「片時も大衆から遊離しないで、人民のために誠心誠意奉仕すること、個人の利益や小集団の利益から出発しないで、すべて人民の利益から、出発すること」とあります。このことは、教育活動だけでなく、すべての分野の活動においても、とても大事なことです。この福田さんの精神、路線を深く学んで、実践していきたいと思います。

 『福田路線』に学び「新しい運動」に決起! 京都府医薬品小売商業組合理事長 井上 雅博
 
 2012年5月20日の福田正義没10周年記念集会をまえに、福田正義没10周年顕彰運動が、長く続く閉塞した現代を打開する新鮮な力となり、戦争に立ち向かい平和で豊かな社会をつくる人民運動の起点となり発展しつつあることは喜びにたえません。
 『精神と路線』を学び、新しい情勢観・運動観を獲得する
 1945年敗戦前後を記者として中国で活動され帰国された広島で、あの日本だけに投げつけられた甚大で凄惨な原爆投下の現実にだれも語ろうとせず、米軍の圧力下の閉塞状態をうち破ってうち立てられた『八・六広島原水爆禁止大会の世界的な発展』。この意義は誠に大きく、まさに運動の起点です。
 福田正義氏は、日本が大戦に突入する大切な時期に、官憲弾圧下であったにせよ日本共産党が壊滅した、しかし中国共産党はまたたく間に中国革命に成功した。この『問題意識』研究の継続が、8・6広島原水爆禁止大会の成功となったと語られています。ここを学びつかみ実践に移す、ここが起点であります。
 福田正義没10周年を迎え人民に奉仕する精神に貫かれた顕彰運動が、「8・6広島原水爆禁止運動」「原爆展物語」「高杉晋作の動けば雷電の如く…発すれば風雨の如し」「礒永秀雄没35周年詩祭」と続き人民を励ます人民運動の大きな力となって発展してきています。
 それは日本人民の歴史的経験に深く根ざすものです。それは、福田正義顕彰運動が日本の歴史と深く関わり、外国資本主義に囲まれた閉塞状態を「功山寺決起」ではねのけ明治維新へと進んだ日本が、世界資本主義列強の渦のなかで敗戦を経験し、その閉塞状態のなか原水爆禁止世界大会を成功させた。
 功山寺決起と広島原水爆禁止大会、この二つに共通の『問題意識』と今日の一国勝ちの帝国支配下の現代閉塞状態で経験する『問題意識』が共通しているからです。『福田正義路線』の研究の重要性は、ここにあります。
 新しい運動は「人民に奉仕する思想に徹し、自力・奮斗の精神で大衆とともに勝利していく道を進む」
 峠三吉の原爆と戦争展、8・6広島原水爆禁止運動、沖縄基地反対運動、『原爆展物語』、高杉晋作の功山寺挙兵『動けば雷電の如く』は、全国の人人の共感を呼び、新しい人民運動に発展し、人民運動にふさわしいスローガンも登場してきました。
 「アメリカは核を持って帰れ!」「基地を持って帰れ!」
 功山寺挙兵当時の高杉晋作の『すごい情勢観』に感嘆するとき、今まで潜んでいた「敗北的なスローガン」「古い組合主義」「セクト主義」などの病根が膿となって浮き上がってきます。
 病根の根は深く私たちの体を蝕んでいます。「あれだけ運動」したのにと斗争に参加された先輩を村八分にしたり、また教育の分野でも「環境がよくないから子どもを育てることができなくても仕方がない」など、環境のせいにする「見えない敗北思想」などまだまだたくさんあります。
 福田正義顕彰のなかからわれわれは病を治して新鮮な思想に決起できるようになりました。
 ここで大切なことは、仲間から問題を聞く立場に立つことです。自分を『意識転換』する立場を堅持することです。仲間の意識転換を勝ちとるには自分の意識転換から始めねばなりません。
 新しい運動を『全国的な統一戦線』(新しい政治勢力)を目指す一環として位置づける
 日本の歴史と深く関わる未解決問題の大衆的な解決を目指す。
●米国の指図に翻弄される「政府姿勢」
 明治維新以来引きずっている、封建性と自立の問題、TPP推進、敗戦と「終戦」の意識問題等。
●原発推進に固執する「電力資本と政府」
 原爆の平和利用、スリーマイル島原発事故に対する米・日本支配層の問題等。
●戦争をもてあそび「基地問題に固執する政府の姿勢」
 アジア覇権争奪が背景にあり、平和と密接に結びついている。
●「消費税に固執する政府」
 リーマン・ショック以降の世界と日本の危機、世界金融資本による国家破綻の問題。
 以上、『福田正義没10周年記念集会』が大成功を勝ちとり『全国的な統一戦線』(新しい政治勢力)を目指す各組織が力強く成長発展し、現代の閉塞状態をうち破る大きな力となることを願ってやみません。

 劇団活動一新した『雷電』『原爆展物語』の創造普及 劇団はぐるま座 本山みどり

 福田正義さんが亡くなって10年目を迎えた今年、劇団はぐるま座は創立60周年を迎えることになりました。生前の福田さんははぐるま座の文芸路線の斗争に丁寧に関わってくださり、70年代の創作集団の結成や、数数の作品に人人の人情と生活の機微に溢れたセリフを加えてくださり、作品に目を通してくださっていたこと、またなによりも政治と芸術の統一について、厳しくとも温かい叱咤激励を寄せてくださっていたことも聞いていました。それは私たちの文芸が誰のためなんのためのものか、根本精神を問われるものでした。
 劇団はぐるま座は五年前にブルジョア芸術路線との激烈な斗争を開始し、人民劇団として再出発してきました。『動けば雷電の如く』と『峠三吉・原爆展物語』の2作品の創造と普及活動はそれまでの劇団活動を一新するものとなりました。舞台創造では藤川夏子さんが生前「舞台の上で本当に見ること、聞くことができるかどうか。嘘はいけない」と厳格に指導してこられたことが、直接藤川さんの指導を受けたわけではない若い俳優たちの行動で実践され、芝居はいわゆるお芝居でなく、舞台のスタッフのように、また奇兵隊士のように生きているかどうかが問われ、舞台で語られることと生活が一致しているかどうかが評価の基準として打ちたてられてきました。今までブルジョア演出のもとで「思想の真実性が重要」とくり返されていましたが、それは階級性抜きの建前だけのもので、全く立場が違うこと、いかに観念的なものであったか、思い知らされました。
 普及活動では今までは大衆におもねり、大衆に寄生して公演を実現しようとする興行主義であったり、「禁協」路線と一線を画すといって勝手に大衆にレッテルを貼り、勇ましそうに孤立して大衆から浮き上がった活動を展開してみたり、かなり左右に揺れた活動を展開してきました。とどのつまり大衆が主人公でなく、小集団の利益第一で大衆からかけ離れ、大衆から嫌われる活動でした。
 その活動の根本転換はポスターを持って無条件に大衆のなかに入ることから始まりました。全階級階層の人人に出会ってその地の矛盾関係を知り、人人の深部の願いをつかみ、世論を形成して社会変革に役立つ仕事をすること。同時に長周新聞を持ち込み、大衆のもっとも積極的本質的なものと結びついて組織化する活動へ少しずつ発展してきました。
 今年に入って実践した大阪公演でも下関のMCS工場閉鎖問題の号外を持ち込んで話すと、企業城下町としての地域の歴史が堰を切ったように語られ、儲からなくなると、社会的な責任を持つことなく撤退していく企業への怒りと無策な市政への憤りなど、生活上抜き差しならないところでの論議が進められ上演の意義が深まっていきました。『雷電』公演の実行委員会でも福田さんの『高杉晋作から学ぶもの』の読みあわせをすると、「この実行委員会では本当のことが話せる。アメリカの属国にある日本の現状を語り合うことができる」と大歓迎されています。先日も「あんたたちはいいときに来てくれた。まさに時宜を得た『動けば雷電の如く』じゃあないか!」と社会の根本的な変革を求める人人との出会いが生まれています。
 昨年の東日本大震災から原発事故を経て、激しく激動している人人の現状変革への熱い想いに真正面から応えられる演劇集団として、政治と芸術の統一の問題を追求し続け、人民に奉仕する活動を実践的に貫き、大衆の願う方向に大胆に活動を転換し、福田さん没10周年記念集会を迎えたいと決意しています。
                                       

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