トップページへ戻る

校長は反省し排除者を復学させよ
下関T中学巡る本紙記者座談会
              生徒逮捕事件の実態と解決方向   2009年10月28日付

 下関市内T中学校の男子生徒が傷害容疑で警察に逮捕された事件をめぐって、本紙ではさらに関係者の聞き取りをつづけて、実態と問題点、解決方向について追求してきた。記者座談会を持ってそれを整理してみた。
   
 学校が逮捕へ誘導 事情も知らせぬまま
 司会 この逮捕事件については、当事校のなかでも、生徒も保護者もほとんど知らない状況があった。知らない間にいなくなっていたという様子だ。各学校でも知らない。この事件の実態から描いてみたい。
  事の発端は、9月16、17日の両日、中学校や近くの空き地で中学2年の男子生徒2人を殴りケガを負わせたということだ。その前の運動会の振替休日の日に、今回逮捕された3年生のグループと、2年生のグループが近くのゲームセンターに行っていたときに、他校の生徒にからまれ、2年生の1人が殴られて警備員が来るなどの騒ぎになった。そのとき、「そのケンカから逃げた」ということで、後日3年生が2年の男子生徒2人を殴りに行った。
 その2年生の生徒は、直接関係なかったのだが、ゲームセンターで殴られた2年生が、「あいつらが逃げた」と3年生にいい、その勘違いで殴ったといわれている。殴った3年生は「絶対にいうな」と口止めをしており、殴られた2年生の生徒は今も口を割らず、親にも話していない。
  事件そのものはそういうグループのケンカだ。無抵抗な下級生を殴っていじめたとか、弱い子を殴って回っているということではない。それは話し合いで仲良くなれる話だ。しかしケンカしたらどうして警察に手錠をかけられ、鑑別所に放り込まれなければならないのかだ。
  ここで学校の対応だ。殴られた子の両親はその日の夜学校に呼ばれた。ケガをしている息子は別室で会えないまま、校長がしきりにすすめたのは「警察に被害届を出してくれ」ということだった。「その子たちの将来はどうなるのか」と聞くと、「将来などない」といわれ驚いたという。
 そのとき校長は、「学校が問い質してもあの子たちは絶対に自白しない」「親がおかしい」「あのグループは別の傷害事件も起こしている」などともいっていた。両親は、子どものケガが思ったよりひどく、腹が立つ思いはあったが、「自分の口で謝ってくれたらそれでいい。もう少し子どもを信じたい」と1日だけ被害届を出すのを待った。翌日その父親が学校に行った際に、たむろしていた3年生のグループに直接聞いたが「俺らはやってない」という反応だったので、この態度ではいけないという思いもあり、18日に被害届を出したという経過だ。
 そして10月8日と13日にあわせて3人の男子生徒が逮捕された。生徒が逮捕されたあと、親同士が学校の図書室で会って話したときに、殴られた生徒の父親は殴った生徒の父親が被害届が出されているのを知らなかったこと、学校が知らせていなかったことを知り、驚いている。また逮捕された生徒の父親は、「なぜ学校は知らせてくれなかったのか」と強い不信を抱いている。
  校長が殴った方の親に知らせず、殴られた方の親が被害届を出すように誘導した。話し合いで解決しようという意志はなかった。しかも「親が被害届を出した」のであり、学校の責任ではなく、親の責任というわけだ。
  校長の対応は、このケンカをいかに解決するかには関心がなく、学校から排除するという意志が初めにあり、そのためにこの事件を使うと見なしていた。別件逮捕だ。この「暴れる仲間たち」は最初12人いたが、この間3人が転校、1人が少年院、1人が育成学校で、今回2人が鑑別に行っている。学校の側の排除する計画性をあらわしている。
 転校したある生徒は「自分は転校したくなかったのに、校長が親を説得して転校させられた」といっていた。今、育成学校にいる生徒も帰りたいのに、校長から「今は学校が悪いから帰ってきてはいけない」と止められている状態だという。生徒会長を殴って少年院に入っている事件については、この仲間たちの話によると、お互いに決斗をやろうということで、1対1で「あいさつ」をして始めたという。生徒会長はあごの骨を折るなど大けがをしたが、校長が生徒会長の親に「訴えたら勝てる」といって、警察に被害届を出させたといっていた。
  学校でも父母、地域でもこのことをほとんど知らされていない。ほとんどの生徒たちが知らない間に消えているわけだ。
   
 荒れ始めも昨年頃 何かあると警察に通報・生徒は強く反発
  ここに至る経過を見ると、学校の様相が変わってきたのは、校長が替わった昨年からのようだ。2年になって授業に出ようとしたら、「やる気がないなら帰れ」と、追い出されるように学校の対応が変わった。それから校内をウロウロしたり、校門の外に出たりしだしている。かれらによれば、「だんだんイライラするようになって物に当たるようになった」という。そして器物破損が始まり、昨年の2学期から学校に警察が入り始めた。
  参観日のときに校長室にこの仲間たちを集めて、人に見せないようにしたというのがあった。「うちにはエスケープする子は1人もいない」と体面を気にしていた。「今日は手に負えませんから迎えに来てください」と親に電話がかかり、あわてて迎えに行って「お前なにかしたんか」と聞くと「なにもしていない」という。その日は背広姿の客がたくさんいて、「おれらのことを見られたくないからだ」と子どもがいっていたという。
  警察がしょっちゅう学校の中に入ってパトロールをやっているのも驚きだ。昨年から、体育館や部室のガラスが割られたら警察、武道場の畳がタバコで焦げていたら警察、子どもが蹴ったボールが先生にあたり、わざとではなかったので、先生も問題にしていないのに警察が来たり、物が壊れたら器物破損で指紋をとりに警察が来たりしている。今は警察が、昼休みでもパトカーで来て、校舎内を1階から3階まで上がって1周しているという。それがまた生徒たちの反発になっている。何事かあったら警察に渡されるという関係になり、学校との関係が敵対的になってきた。
  アパートの住民で、ある生徒がピンポンダッシュのいたずらをするので孫が寝られないからと学校に指導してほしいと連絡したら、学校の先生が謝りに来た。しばらくして、そのことで警察が訪ねてきたので驚いたといっていた。
  警察が逮捕するほどだから相当の手に負えないワルだとか、抵抗しない下級生を殴るなど生徒をいじめ回っていると思ったら事実は違う。さらに生徒たちが「授業妨害する」「人に迷惑をかけている」「他の子の学習権を守らないといけない」という風に説明されている。実態は、追い出そうというのがあって警察を引き入れている。

 学校の対応には批判的 一般の生徒達も
 司会 それほど迷惑な存在かどうか、一般の生徒たちの意見はどうか。
  今回逮捕された生徒について、小学校から一緒だったという3年の女子生徒がいっていた。「妹をすごくかわいがっていて小学校のときからおもしろくて、やんちゃな子。中学校に入って、他の小学校から来た子たちは初めは引いた感じはあったが、仲良くなったらすごくおもしろい人だから、友だちも多くて自分から殴ったりする人じゃない。友だちが他校からなにかいわれたりしたときに、“おれらの友だちになにいうんか”とやってくれる」といい、「正義感がすごく強いんです」といっていた。
 また、「校長先生がかわってから、警察が来るのが増えた。今の校長先生は、どんどん警察につかまえさせて学校を変えようと思っているのではないか。みんなそういっている」といっていた。「前の校長先生は私たちにもワルたちのことを、“あの子たちは派手な格好をしているし、暴言もあるが、中身はすごくいい”ということを、みんなにもいっていた」という。
  2年生の男子生徒は事件のことは知らなかった。「あの先輩たちは全然怖くない。校舎内でなにかするわけでもないし、なんで先輩たちのことで騒がれるのかがわからない」といっていた。
  年生の女子生徒は「優しい人たち。逆にそれ以外の先輩の方が怖い」といっていた。朝と夕方、校門前で全員にあいさつをしているようで、あいさつを返したら喜んでいるという。同じ団地に住んでいる生徒も、「普通に友だち」といっていた。しかし、今回の逮捕については、すぐ近くに住んでいる子も知らなかった。
  学校は、警察に捕まるほど悪いことをしたというのなら、全校の戒めにするために全校生徒を集めて説明するなり、いわんや親たちに説明する必要がある。しかしそうは感じていないようだ。みんなを教育するチャンスのはずだ。しかしなぜ秘密なのかだ。やましいんだ。つまり生徒や父母にそんなこといっても通用しないと思っているからだと思う。あるいは、生徒たちのためではなくて自分のためと見なしているのかもしれない。
  校長が鑑別所に行き、逮捕された生徒に会ったというが、そのとき、なぜ自白しなかったのか聞くと「いったら警察に連れて行かれると思った」といったという。そういう仕かけのなかで殴られた親にも自分がやったとはいわなかった。
  この仲間たちに「校長が“あの子たちは可愛いのよ”といっていた」というと、「やっぱりー。口がうまいから」という反応だった。他校の校長のあいだでも、「ケガをした生徒の病院にいっていたので会合に遅れた」とか、「少年院に入った生徒と文通している」とか、生徒にものすごく愛情を注いでいるという印象がある。実際は相当に違うということだ。
  ある親も「校長先生はとてもいい方だ。警察なんて言葉は一言も聞いたことがない」といっていた。実際に学校でなにをしているのかというのを隠しているからよその学校にはわからない。
  江島元市長にそっくりなところがある。ゴミ署名でも「みなさんの仲間です」と仲良しの雰囲気をつくって、「10万人集まっても譲りません」と、ちゃんといっている。そういうタイプではないか。
 
 嘘がはびこる学校 地域・親・生徒間の関係を切裂く 他校でも共通
  今度の事件対応の基本的な問題は、子ども同士、親同士、学校と子ども、親、地域との関係を切り裂いているということだ。鑑別に送られた子どもの心の傷もそうだが、鑑別に送った側の子どもも、心の負担を引きずることになるだろう。すべての親、市民は、学校は子どもたちのためにあると考えている。学校が校長や教育委員会、どっかエライ人たちのためにあるなどとは誰も考えていない。
 学校と親、地域が力を合わせ、教師と子どもの信頼がなくて教育が成り立つわけがない。この学校を成り立たせる基本を否定しているようだ。それは破産せざるをえない。
  「ワル」を引き算したら減るというが、排除しているとなると、不信感を広げて新しいのがもっとたくさんあらわれる。引き算をしたつもりが足し算をしていたという結果になるのは目に見えている。数学だけで世の中は動いていないのがわからないのだろうか。
  その「ワル」たちが、九九や分数ができないとか、漢字が書けない子が多い。わからない授業をジッと聞いていないといけない。これはつらいことだ。どうして特別に補習などして教えないのかだ。なぜわからない子は排除なのかだ。「もともと頭がすごく悪いんだ」とか、「考える力がない、知能指数が低い」「いくら勉強してもダメ」というような評価をしている。商店のばあちゃんが、「九九もできずに、学校を卒業させるのは学校の責任だ」といっていた。商売も土方も九九ができなければ困る。補習して教えればいいのに、授業から排除し、学校から排除するというものだ。
  この校長は数学が専門なんだから、校長室に集めて九九や漢字など教えたらいいじゃないか。
  世の中はウソがはびこっているが、学校だけはウソが通用しない真実だけが通用するというのが学校のはずだ。今度の事件をめぐっても、学校でウソがはびこっている。役人世界では要領よくいかに出世するのかが盛んだが、学校にそういう役人世界の論理を持ち込んだら学校ではない。人は校長室と思っているのに、実際は警察の派出所みたいというのも度はずれたウソだ。教育の機会均等の否定ということで、「点取り虫」と「えこひいき」が学校の現場で横行する。結局の所、金持ちがひいきで、貧乏人が排除される。これは子どもから見たら怒るのは当然だ。
  市内の学校を見ても、昨年嶋倉教育長が運動会などで地域からの寄付を受け取ってはならないというおふれを出した。自治会長などが運動会に案内されて持って行ったものだ。地域と切り離すものだと批判が上がった。今は頓挫しているが学校統廃合も、地域から学校を切り離すものだ。今度の事件でもPTAなどに知らせることもしないが、ある学校では今年の運動会でPTAに案内せずにやったところもあるそうだ。市教委が父母、地域から学校を切り離して、人の子どもたちを集め、秘密じみたことをやっている。これが暴れる生徒の抹殺作戦としてあらわれているようだ。

 冷酷なるエリート作り リーダー育成させず
  それではどんな子を育てようとしているかだ。要するに成績のよい子、何人いいところに進学するかという基準だ。県教委も全国学力テストで点数を上げろとやかましくいっている。教師もどれだけ点数のいい子をつくったかが、教師の数値評価となっていく。点数のいいエリートをつくろうとしているが、それはリーダーではない。自分のことだけで人のことは知ったことではないというのを奨励している。
 今進行しているものは、勉強ができれば何をしてもよいというもので、できない子、家庭に困難を抱えている子など、あらゆる子をまとめて引っ張っていく、みんなのことを考え、思いやりがあって、というリーダーを育てようとはしていない。1番の基本は労働のべっ視だ。労働者がいなくても、ホリエモンなどは儲けていけるんだというあの世界だ。貧乏して働く人がいるから、ホリエモンも儲けられるのに、空中遊泳教育だ。
  地域の補導員は、参観日を見たときの様子を話しながら、「昔はボスがいた。文武両道で頭のいい子はわからない子に教え、悪いことをしたら注意したりもしていた。しかし、勉強できる子は塾でやるからいいのか知らないが、まったく関心がない。大人になったらどうなるか」と話していた。
  ワルの近くに住むおばあちゃんが、「すごい疑問だ」と話すのは、「今ごろの学校は、他学年のところに立ち入ってはいけないとなっている。他学年で起こった状況がわからない。全然教育的ではないと思う。上の子と下の子がかかわっていくというのが、学校の集団生活の上で必要なのではないか」といっていた。
  またそういう子どもの中のリーダーをつくろうとしないから、学校運営がパンクするのは当たり前だ。教師だけで生徒をまとめるなどできるわけがない。子どもたちは、教師との関係だけで成長しているのではない。子ども同士の関係、今度のようにケンカもすれば、仲良くもなるという経験を通じて成長しているものだ。今の教育改革の方向は勉強のできない子も排除だが、リーダーも排除している。冷酷な頭のいい子をつくろうとしている。それこそ恐ろしいことだ。
  その姿は、このエリート校長に似ているし、文科省天下り課長の嶋倉教育長、もっといえば安倍元首相に似ている。エリートではあるが人の世話をし、まとめるリーダーではない。
  この学校に現れている現象は、安倍教育再生路線だと思う。現場ではこのように現れるというモデルだ。教育基本法改定で「教育は直接に国民に責任を持つ」から「国に責任を持つ」に変えた。少年法も12歳から逮捕できるとして、学校の秩序、国家の秩序に従わぬものは排除する、というふうにあらわれている。「国家に責任を持つ」のだから、PTAにも地域にも知らせない。学校は子どもたちのためのものではなくて、国家のためのものなのだということになっている。そして国家にしたがって出世するもののためのものだとなる。
  警察もまた警察だ。江島元市長やその周辺は、どんな疑惑があっても逮捕しないくせに、中学生の逮捕ばかりしている。金持ちにはペコペコで、貧乏人を見たら犯罪者と見なすという性根丸出しだ。
  昨年末から学校のガラスが割られるということが連続した。これは、ワルどもを警察を入れて排除せよと動き始めたことが大きく影響していると思う。教育委員会の方針が嶋倉教育長が来てから変わっている。在日朝鮮人の目の前で「朝鮮侵略の歴史的事実はない」と言い張った偏狭な人物だが、朝鮮人蔑視は日本の貧乏人蔑視でもあるようだ。
   
 現状打開の行動へ 学校を良くする為に
  あれが悪い、これが問題というだけでは解決しない。この学校の建て直しは、子どもたち、親たち、教師たちが切望していることだ。ケンカしたら鑑別所に送られる、子どもはケンカもできないというのではどうなるのか。あの子たちをみんなこの学校に復学させることが事態解決の課題だろう。そのためには校長が心から反省することだ。反省しないのなら辞めることだ。この現状は、校長として不適格といわなければならない。
 この問題をどう思うか、学校の現状をどう思うか、生徒たちみんなが論議をし、親たち地域が大論議をし、教師たちも論議し、みんなの意志で学校をどういいものに変えるかの行動を起こしたらよいと思う。「校長は反省し、仲間を学校に戻せ」という全校投票、全父母投票、ないしは署名運動などしたらよい。
 子ども間、父母間、教師と子ども、父母間など、ズタズタにされた関係を回復する運動になる。子どもたちも、「この学校のものはみんな仲間だ」「みんな一緒に卒業しよう」「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という精神を発揚することが眼目だ。そういう経験をしたらそれこそ人生のすごい糧になると思うし、学校の様相を一変させる力になる。
  やはり教師たちが勇気を出すべきだ。学校は、子どもたちのため、子どもたちの未来のため、ひいては日本社会の未来のためにあるんだ。権力者のため、校長の手柄のため、教師の保身のためというのでは、熾烈な環境にある子どもたちに太刀打ちできるわけがない。
  体罰はいけないというので手も足も出ないというが、体罰ではないような、しかったり、叩いたりをしたらよい。その子への愛情、教育的情熱で叩くのは体罰ではない。自分の私的な感情で叩いたのでは教育ではなく、まさに体罰だ。体罰はダメだといいながら、わざと教師が叩かれるようにして、警察を呼んで刑罰を加えるのは、まことに卑劣だ。体罰はいけないといっているが、指導していけないわけがない。

トップページへ戻る