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公約破棄させる自民党と大企業
下関市政巡る本紙記者座談会
              選挙ないのと同じ世の中   2009年5月13日付

 安倍晋三元首相、林芳正前防衛大臣の地元である下関市では、先の市長選で市民が担ぎ上げて当選させた中尾友昭市長が公約を相次いで放り投げており、市民が激怒している。市長就任から1カ月少少しかたっていないのに、「あのとき(選挙期間中)は中のことがわからなかった」などといって、あるかぽーと計画、老人休養ホーム・満珠荘など、絶叫していた約束を次次と投げ捨てている。選挙をやって安倍代理市政を打倒したと思ったら、背後勢力がさっそくうごめいて新しい市長が平然と裏切って元の木阿弥にする。安倍事務所・林事務所をはじめとした支配勢力が好き勝手に有権者と選挙を冒涜し、市政を私物化する姿であり、民主主義という「戦後レジームからの脱却」が下関で典型的に表れている。中尾市政をめぐる情勢について記者座談会をもって論議してみた。

 公約投げ捨て江島案を踏襲 満珠荘問題
  まず最近の市政をめぐる情勢はどうなっているか出してほしい。
  公約投げ捨てが連続している。あまりに早いペースだとあきれられている。市議会・文教厚生委員会が11日に開かれた。ここで満珠荘問題が審議されたのだが、中尾市政としては「老人休養ホームではない」と断言し「高齢者休養施設」にすると表明した。宿泊機能は今の80人は確保するが、利用状況を見て五年ごとに見直すし、食事はケータリングとかの持ち込みや仕出しで対応するようだ。施設はリファイン建築で整備を施し、11年度中に営業開始といっている。これらは「簡易な宿泊機能を残した日帰り施設にする」といっていた江島案を踏襲したもので、民間委託するという決定事項もそのまま引き継いだ。老人たちが158円で風呂に入り、海峡の眺めを堪能できた施設とはまったく別物になる。
  選挙公約では「老人休養ホームとして、以前の営業形態にて早期再開を目指します」と明記して、13万枚マニフェストを配っていた。今度の市長選は市民の9万人が署名をしていた満珠荘問題が最大の焦点だった。この運動が江島市長を倒し中尾市長を通した原動力だった。だからこれに対する公約放棄の意味合いは非常に大きい。すべての公約も破棄する気ではないかと受け取るべきだ。市民への最大の挑戦だ。
  委員会のなかで「公約と違う」という指摘にたいして、「選挙中は外の意見ばかり聞いていてわからなかったが、中に入ってみたら議会としては委員会が“老人休養ホームとしての再開”を求める請願を否決しているし、私は議会の決定を尊重する」「公約の実質的な実現を図ったのだ」「公約に違反しているというが、実をとるのだ。満珠荘の名前は残しますよ」などといっている。名称だけ満珠荘で中身は江島案そのままだ。
  文教厚生委員会所属の議員にいわせると、「老人休養ホームにしない方がメリットがあるのだ」という。どういうメリットなのかというと、「税金の支出を抑えて経営することができる」というものだ。税金は箱物で使いたいという側のメリットであり、市民の側は高負担というデメリットなのだ。公営施設管理公社は解体する趨勢であるし、民間の旅館経営者か何かに運営を丸投げして、営利の場にするということだ。
 食事は海峡ビューからとるのだという。ロケーションは海峡ビューよりもいいし、施設は市が整備してくれるのだから、欲しがる人物もいる。中尾市長も議会も一致して、話が水面下で進んでいる。老人休養ホームにすると、民間委託するのに制限がつくからダメだというのが理由だ。利用料にも国の制約がつく。これを取り払うと利用料は間違いなく上がる。「公約違反なのだが、それは中尾市長が市民に“すみませんでした”と謝ればよいのだ」と、議員たちもためらいがない。

 約束の芝生公園は早々撤回 あるかぽーと開発
  あるかぽーと開発も、江島市長がトントン拍子で進めてきた事業案をもとに業者との交渉を再開した。議会が凍結していたものだ。約束の芝生公園は早早に撤回となった。これも「あのとき(選挙期間中)はわからなかった」などといっている。高級ホテルや複合商業施設を誘致する計画だ。いい訳しながら、安倍代理・江島市政の方向を引き継ぐ様相だ。
  5月21日には総務委員会がある。そこで新市庁舎建設問題が審議される予定になっている。選挙公約は「市役所を建て替えない」であった。本人は自分の最大の公約といっていた。これにたいして保守系会派、公明党、連合安倍派の議員らがムキになって建て替えを推進している。
  商業マスコミでは議会と市長がバトルをやっているかのような扱いをしている。しかしこれは猿芝居で両者は仲良しで喧嘩などしていない。議会が公約破棄のエスコートをしているだけだ。「新下関移転に反旗を翻したら安倍代議士の逆鱗に触れる」「逆らったら殺されるぞ」とかいわれ、とりわけ安倍派では移転建設が決定事項のように語られている。中尾市長が議会に押し切られる格好をして公約撤回、というパターンが予想される。関谷議長らの怒り方がへたくそ芝居だといわれている。
  議会もインチキで中尾市長を「攻める派」と「守る派」に役割分担している。表向きは「守る派」「攻める派」だが、38人の仲間たちはみんな仲良くやっている。中尾氏の何を守るのか意味不明なのだけど、市民にたいする公約を守らせるのではない。公約違反をする中尾市長を市民から「守る派」だ。これが1群あって、無所属市民派を売りにしていた松村正剛議員や田辺よし子議員も保守系会派に合流した。安倍派を筆頭にした「攻める派」も公約違反をするように攻める。安倍代議士のいいなりになるように攻めるというわけだ。結局、公約破棄の荷物を積んだ荷車を、「引っ張る側」と「押す側」に分かれて、みんな力を合わせて芝居をやっている。
  あるかぽーと計画に続いて満珠荘も放り投げ。あまりに早過ぎると、みなが思っている。公約、つまり市民との約束であるはずなのに、いとも簡単に投げ捨てる。これはいったい何なのか?「選挙をやった意味があったのか?」「江島とかえた意味があったのか!」と怒っている。安倍事務所・林事務所の圧力があるにしても腰砕けが過ぎている。唐戸市場の移転問題でも県にたいして意気地なしといわれていた。あまりにも有権者と選挙を愚弄している。主権在民の世の中ではなく、市政は安倍・林事務所とその背後勢力の私物として扱われているのだ。
  選挙で公約を支持して投票した市民を、いとも簡単にだまして、「中にいる人」である一握りの連中ににじり寄っていく。そのバックにいるのは、安倍事務所・林事務所や山銀、JR西日本、三菱、神鋼などの大企業であることは明らかだ。だから「市長の首をかえただけでは下関市政は変わらない」「背後勢力をやっつけなければ下関はダメになるのだ」と語られている。「選挙で頑張ったのにガッカリ」ではすまない。みんなが友人・知人にお願いして選挙をしたし、面目丸潰れだ。満珠荘の署名をやってくれた人人も「あるかぽーとに続いてまたか?」とビックリしている。

 市民欺く余裕もない脆弱さ 時代遅れ政治露呈
  要するに選挙はないのといっしょだ。選挙を基本にした民主主義社会というけれど、選挙そのものを愚弄し手玉にとっている。これは大選挙違反であるし選挙冒涜も甚だしい。「主権在民の世の中と思っていたが違うぞ?」という実感が広がっている。何を公約しようが、安倍事務所・林事務所を筆頭にして議員連中が騒ぎ、市政の権限を奪っていくわけで、「何度選挙をやっても意味はないではないか」というのが浮き彫りになった。民主主義社会と思っているからがっくり来るけど、そういう民主主義社会じゃないんだとなると、市民の側も構えを変えなくてはならない。
 あらわれている政治はアメリカシカゴのカポネ政治だし、「切り捨て御免」の時代遅れ徳川幕府政治だ。問答無用のファシズム政治だ。力のないものが何を騒ぐかというわけだ。しかしそういう大衆無視の連中は本当に強いのかとなる。この状況を裏返してみると、下関を支配している勢力はいまや市民を騙す余裕すらない。中尾市政はのっけから暴走しているが、それはのっけから破産していることをあらわしている。江島市政を打倒した市民パワーが、今度は中尾市政とその背後勢力に向いていく。
  そもそも昨年の今頃は安倍代理の江島続投が既定路線だった。ところが無投票のシカケに市民は怒ったし、世論が盛り上がるなかで選挙に発展した。そして蛇蝎の如く嫌われた江島潔は退場した。選挙戦に突入すると安倍・林事務所が3陣営を集中コントロール体制で、なかなか公約を出させない力が加わった。市民が圧力をかけまくってようやく出させたのが中尾の公約だった。そして当選したらポイ捨てで好きなようにやるという。
  下関の江島市長選を振り返ると、みなインチキで選挙の操作が特徴だった。野党の看板で出て安倍派の票を上乗せして当選するという金融工学手法。対抗馬を会社ごとつぶして出ないようにする。形勢が悪くなると批判票を2分割して当選する。今度は批判票を3分割して江島当選をはかるというウルトラCをやろうとしたが、とうとう力尽きた。それで勝ち馬乗りで中尾市長となったが、選挙が終わったら公約破棄をさせる。主権在民とか民主主義の世の中だと思っていたら大間違いなのだ。
  それは敵の弱さだ。江島市長を倒した力がそのまま安倍代議士に向いていくことになる。要するに安倍と林がいて、山口銀行がおり、JR西日本がおり、三菱や神鋼、サンデンや合同ガスがいて、与野党色とりどりの飼い猫議員どもがいて、この連中が上層にとぐろを巻いてワイワイ騒ぎ、市政を私物化していく。中尾も、そっちの中にサーッと取り込まれて有頂天になっている。この背後勢力が、何人市長をかえても、市役所の金庫はワシらのものだと思っている。「市民のものではない」と思っている。
  中尾については、どう見たって格好がつかない。はじめから破産だ。中尾がやっている政策というのは、みなが迷惑がっている挨拶運動くらいのものだ。あとの公約はみなひっくり返していく勢いだ。江島市長の初期のような欺瞞する力はない。
  いろんな事業が既に決まっているという。あるかぽーとは、議会では何の話もないのに業者と約束しているという。議会もないのと一緒だ。満珠荘は老人休養ホームの請願が否決されているので決まっているという。中尾の公約のもっとも大きなものは満珠荘だった。それが有権者の意志として表現されたのが最大の民意だとは見なさない。
  安倍代議士については国政選挙をまえに「もう後援会はいらない」といっていると派内で話題になっている。
  さえない顔で町内巡りを何百回やったと宣伝していたが、今や気分が変わって「再びたたかう男」に変身したようだ。林芳正参議院議員や民主党・防衛族の前原代議士を引き連れてワシントンに行って、バイデン副大統領に会ったりしているが、アメリカに行ったら元気になるパターンのようだ。小沢が叩かれて民主党が落ち目だし、イケイケどんどん気分が中尾市政の公約投げ捨ての背景になっているのだろう。
 自民党はこの大恐慌で、15兆の借金特需をばらまいているが、箱物利権をバンバンやる趨勢だ。選挙結果など関係ないという背景だろう。駅前プロジェクトとか市庁舎移転などせき立てる勢力として山銀など、今の国際金融危機のなかで下関1番の火だるま企業なのだろう。

 「幸せです」と叫ぶ挨拶強要 市役所は大パニック
  市役所が大パニックになっているのが挨拶運動だ。「明元素」が象徴的で市職員に朝っぱらから「幸せです!」「運がいいです!」「性格は直ります!」とか叫ばせている。実際が幸せでないから言葉で言わせている自己暗示手法だ。これは言うことと実際は違うという哲学というか宗教だ。
  挨拶運動の元祖は中尾市長の出身の唐戸市場だった。その労働者たちと話題になったのだけど、経済的な条件や生活環境など無関係に「幸せです!」など言えるわけがないという。松村社長(中尾市長の後援会長)が「市役所に負けるな!」とハッパをかけて唐戸市場でも“職場の教養”唱和のほかに“明元素の言葉”の運動もはじめたという。
  市役所のなかでも、「今度の市長は頭がおかしいのではないか」「勘違いしている」とみなが感じはじめている。消防署では「どうせなら、挨拶運動の時間帯はオウム真理教のショウコウ音頭でも流せ。これを1年間やったら、市役所は宗教団体になるぞ」と皮肉を言っている人もいた。屈辱感がある。奴隷や使用人ではないし、中小企業の変人オーナーみたいなのが成り上がって人をバカにすることへの怒りがある。
 職員は言われなくても夜遅くまで残業代をカットされても頑張っているし、市民の為に頑張っている。今さら偉そうに中尾市長から説教されなくてもよいことだ。それほど労働者が冒涜されなくてよい。働くものを侮蔑して、人間ではなく使用人のように見なすことへ反発がある。現実に市役所を動かしているのは1000人の職員だ。公約を放り投げる奴から「市民の為にがんばろう!」と口先だけ言わされるのだからたまらない。
  選挙公約も自己暗示のためにいっていたのだろう。言葉遊びの「明元素」政治。選挙中の公約も「あれは市民が幸せな気分を味わうためにいったのであって、現実は別です。できないからいうのです」となるのだろう。「わたしの性格も変えることができます。性格が変わったから公約も変わるのです」という調子なのだろう。言葉が現実から離れて飛びはねている。
  その挨拶運動を、小中学校の校長会に中尾市長がいって奨励したという話だ。市役所のなかでは教育委員会の声が1番大きいと評判だが、職員室までその「ウイルス」が広がったらたまったもんじゃないと教師はいっている。豚インフルより脅威だ。
  中尾は前回市長選で落選した後、唐戸魚市の子会社であるハートフーズの副社長におさまっていた。毎年赤字だったのを最終年に黒字にしたのが経営者としての自慢になっている。そこでやったのは、給料カットと人員削減で、単純な話だった。給料を減らされた労働者に「幸せです」といわせて、実は自分だけが「優秀な経営者」だと幸せ気分に浸っている。精神的におかしくなって退職した職員もいる。唐戸魚市でも松村久社長が感謝とか幸福を労働者に自己暗示させているが、松村社長が労働者に感謝している気配はない。「言葉は踊る」なのだ。

 さらに強まる市民運動の力 注目あびる総選挙
  江島市政を打倒した市民の力は半端なものではない。はっきりしていることは中尾市政は公約破棄の暴走をしているが、はじめから破産したようなもので、ひじょうに脆弱だということだ。これは、中尾市長に公約破棄をさせて、安倍代議士と林参議院議員が衆議院選を前にして市民の批判を一手に受けて立とうということになる。「市民とたたかう政治家」としてファイティングポーズをとっているわけだ。勘違い政治も相当なものだ。いずれにしても市民の大衆的な運動だけが、これらを規制する力になる。満珠荘署名運動、市民の会の運動に期待が集まるところだ。
  満珠荘利用者の会と市民の会はこの市長選を通じて、市民の期待と信頼をひじょうに強めた。1人1人の市民の力を結びつけて江島市長を倒す力を結集した。市民の会が江島市長を倒したのちに、林派としての姿を現した中尾選挙を撤退したのは、まことに正解だった。与党になって何かの見返りを求めるような勢力ではない。30万市民のために私心のない運動をするという信頼だ。
  これは、中尾選対の汚れ勢力となった署名をしない満珠荘再開グループ、それは食堂経営者の民間委託の利権を求めるものだったようだが、かれらと一線を画したことが市民運動を発展させた。同時に市民の会のなかで、兵頭議員の裏切り行為にたいして、仲間意識で擁護するのではなく、市民の利益の立場から厳格に批判したことが決定的だった。中尾市政は公約より満珠荘請願の否決を尊重するとしたが、これは兵頭議員が請願の採決を主張したおかげで議会否決になった。白痴的なアホというか、要するに市民不在の裏切り行為だった。中尾市政は市民の会のせいだといいたいところだが、市民の会はそういう裏切り行為を厳しく批判し、会長職も理事職も解任して、満珠荘利用者の会と共に奮斗し、市長選では江島市長を倒す市民の力を結集する最大の力を発揮した。
  市民派を装って中尾選対にいた松村正剛、田辺よし子議員は保守会派にうつり、もっとも悪質な「日共」議員集団のイカサマぶりも相当に暴露された。こういうインチキと一線を画して、江島市長を倒した市民の力をさらに強めて、衆議院選挙で目にもの見せること、1年半後の市議選で議会を一新すること、それを成し遂げていく市民の運動をさらに勢いよく発展させることだ。その機運は非常に大きくなっている。

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