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国を売り飛ばす構造改革
衆院選・「改革」競う翼賛選挙
             貧困・抑圧・戦争に導く   2005年9月1日付

 小泉首相主導の解散による衆議院選挙が公示された。小泉首相は「郵政改革一本を問う選挙」といい、自民党の郵政改革案反対派と対決し、新型の候補を立てることで「新しい自民党をつくる」とか「殺されても改革をやる」などと叫んでいる。小泉首相がすすめてきた改革は、経済から行財政、教育から政治、軍事など全面にわたるが、都市も地方も働く人人にとっても年金を受給する人人にとっても、まともに食えなくなり、上からの強権ばかりがはびこって民意は表にますますあらわれなくなり、教育はガタガタになって日本の未来は暗いものとなり、そのうえに自衛隊をイラクに派遣し、米軍再編に協力して、アメリカの戦争に日本を動員し、日本本土をふたたび戦場にさらして破滅に導こうとしている。それらはアメリカの一方的な要求を忠実に実行するものであり、国の利益を丸ごと売り飛ばす売国政治である。争点は小泉に決めてもらうものではなく、国民が決めることである。人民が求める政治要求を表に出し、大衆的な世論と運動を強めることがもっとも求められる。

 反対派を助ける「刺客」 比例上位で当選は確定
 今度の衆議院選挙は、小泉首相が権限を行使して解散し、主導権を持って仕組んだものである。小泉は、郵政民営化を問う選挙であり、「刺客」と称する落下傘候補を立てて自民党内の造反派を退治し、「新しい自民党をつくる改革」といい、「殺されてもやる」といきりたって見せ、信長に似せた「強い指導力を持った大宰相」を演じ、それをテレビや新聞が騒ぎたてて、メディア主導選挙となっている。
 これは国民を愚弄するペテンであることが明らかになっている。比例区の名簿を発表したが、落下傘の「刺客」候補の主要部分は比例区の上位に登載、実質的に当選が確定した。そして選挙区では、自民党組織も公明党も郵政反対をした議員をとり組み、落下傘組はただの泡沫候補となり、ぜんぜん「刺客」などにはなってないことを暴露している。自民党組織は、比例と小選挙区の二議席をとるという関係になっている。わりを食ったのは比例区復活をとざされた賛成派前職の方となった。また多くの反対派候補も、郵政民営化賛成といい直しており、自民党復党が流れとなっている。民主党をはじめ、「日共」集団、社民も反自民・反小泉の迫力を欠くなかで、崩れている自民党の支持基盤をはじめ、小泉批判層の票も自民党票としてとりこむ策略と見ることができる。
 また代議士のポストを約束された「刺客」部分は、事実上の選挙の洗礼を受けず、したがって国民の顔を見ることなく、小泉とその背後勢力の顔色だけうかがえば地位が保障される任命制代議士となる。これは小選挙区制で準備され、憲法で明記した議会制民主主義を「改革」するというわけである。この種のアメリカ仕込みの任命制議員がふえることは、国民に無慈悲な「改革」の道を突っ走ることになるのは明らかである。
 自民党の分裂、刺客騒動は小泉の側からつくった自作自演であった。郵政反対派との対決を演出して中小業者や地方に強い自民離れ・反小泉の票を集め、復党で自民党支持票に変えることになる。もう一方で、ホリエモンなどの新型人間を「刺客」などといって話題をつくり、無党派層、ミーちゃん、ハーちゃん票も自民党にとりこむ計算である。それらと公明党の宗教票に頼って、自民党の衰退をカバーしようという大芝居である。それをテレビや新聞がはやしたてて、選挙全体の雰囲気をつくり操作している。
  
 売国か独立平和か 世論喚起し運動を
 「郵政改革一本」という小泉、「年金」という岡田の「政策の争点」も、国民の切実な関心、要求を愚弄している。そしてどっちが立派に「改革」をするかを競う関係で、「改革」に反対する者は国賊であるかのような空気がつくられている。
 小泉はいまから「改革」をするというわけではなく、この四年間さんざん「改革」をしてきた。「改革」というから悪いことをよくするというのではなかった。橋本や亀井らの田舎っぽい利権を改革して、ホリエモンなどがいっぺんに400億円をもうけるようなことを称揚したり、アメリカ資本が企業を乗っとったり、アメリカ国債を買いとらせて日本の財政赤字をふくらませたりという、もっとでかい利権に「改革」してきた。この「改革」はアメリカや経団連などを喜ばせたが、国民全体はひどい目にあってきた。
 小泉は財政改革といったが、国の借金は200兆円近くふやした。アメリカが要求する公共投資630兆円を実行し、やたら不要な大型事業をやり、それらの資金がめぐりめぐってアメリカに流れるようにした。大企業の法人税は引き下げ、富裕層の所得税率は引き下げる一方で、サラリーマン課税は重いものにし、消費税の税率引き上げをも画策している。そして医療費や介護保険費などの社会保障や教育費も切り捨てて個人負担をふやしてきた。「自己責任」「自己負担」が「時代の流れ」、市場原理の構造改革だというわけである。
 不良債権処理といって、長期信用銀行に公的資金を何兆円も投じて、それを10億円ほどで外資に売り飛ばし、融資規制で国内の企業がのきなみ倒産に追いこまれた。金融自由化の「改革」で、外資の乗っとりの条件をつくり、また大銀行には国債を買いこませて、市中への貸し付けを引き揚げるようにさせ、おびただしい企業を倒産させてきた。
 そのほか、規制緩和こそ正義という調子で、安全性をかまわず効率化・利潤追求がすべてとなり、労働者を奴隷のような状態において発言を封じ、JR宝塚線の大事故をはじめ大工場の爆発事故とか、内航船の事故など労災事故のひん発となった。またアメリカから要求されたら狂牛病肉を輸入解禁しようとしたり、市場原理・大競争こそ正義だといって、社会に役立つことなど切り捨て、社会の基本である生産労働をないがしろにしてきた。
 酒屋も米屋も薬屋も自由化で、スーパーやコンビニに開放してつぎつぎになぎ倒してきた。大店法の撤廃で大型店の無制限な乱立競争となり、小売店がへってしまって流通はすっかり「改革」され、農業者、漁業者ほか製造業者を買いたたいて、これも借金奴隷か首つりにおいたててきた。
 ひじょうに大きな「改革」は、市町村合併であり、三位一体改革などといって地方予算でしめあげ、市町村合併を強要した。農協が合併でなくなり、漁協も合併で解散させるうえに、役場がなくなり、郵便局もなくなるということで、農漁村部ではまともに生活できないようにした。かつての中央集権的な行政による戦争の反省から重視した地方自治であったが、役場をなくし、ものをいっていくところがない行政制度にした。地方自治をなくしてしまう「改革」である。今度は道州制をやって県庁もなくそうとしている。
 郵政民営化はアメリカの保険業界などがしつこく要求してきたもので、350兆円という資産を奪いとろうというものである。これも民営化・市場原理というわけだから、もうからない田舎の郵便局はなくしてしまうことは明らかである。農協や漁協に加えて郵便局もなくなったら、田舎の人間は金を預けたり引き出したりもできない。物物交換経済にもどすのが「改革」というのである。
 このような「改革」によって、都市でも農漁村でも、人人がまともに食えなくなっている。失業者があふれ、働くものはパートや派遣、アルバイトのような低賃金の不安定雇用で、2つも3つも職をかけ持ちし昼も夜も働いて生活を維持したりして、人間的な生活ではない。そして毎年3万人をこえる自殺者があらわれ、イラクといわず国内も戦場のようになっている。
 また教育改革を、中曽根の臨教審以来すすめてきたが、とくに「個性重視、興味と関心」といって、小泉になってからは五日制の実施、子ども、教師、学校の評価などをすすめ、メディア側からの教師攻撃などとも結びついて、異常な殺人者をつくり出すようになった。人の痛みのわからぬ一部のエリートと、科学的な知識のない動物的な大多数をつくり、批判力がなく従順な奴隷か戦争の人殺しに便利な人づくりへの「改革」となっている。
 そして最大の「改革」は、戦争を実際にやる国への「改革」である。米軍には「思いやり予算」などといって、これまでに数十兆円の駐留経費を負担し、米軍の再編と自衛隊の下請軍隊としての組みこみをすすめてきた。しかも日本を中国、朝鮮にたいする巨大な核攻撃基地として再編し、日本を原水爆戦争の戦場にし、破滅させる道に「改革」してきた。
 中国、朝鮮、「韓国」との関係では、拉致問題への経済制裁とか、台湾海峡の有事への関与表明とか、尖閣列島、竹島の領有問題を騒いだり、歴史教科書で侵略はなかったなどと開き直ったり、靖国参拝を強行したりして、挑発をくり返し、アメリカの尻馬に乗ってこれらの国と敵対し、世界的に日本の信頼というものをなくしてしまった。
 「改革」といってすすめてきたものは、日本人民がまともに食えないようにし、ものもいえないようなファッショ的な抑圧をし、ふたたび戦争にさらして破滅に追いこもうというものである。

 「国民の利益」の嘘で国潰す
 これらの安保・軍事改革をはじめとする構造改革は、アメリカの要求として、中曽根、橋本政府など、80年代以後すすめ、小泉政府になってさらに露骨に推進してきたものである。
 小泉は、「郵便局員の利害などは国民全体の利益に従属させなければならない」とか、「地方の利害も国全体に従わなければならない」などといっている。地方の人間をのぞいたら国民はだれもいないし、地方の世話をできない政治は国民全体の世話はできない。小泉のいう「国民」はアメリカの国益であり、国の利益を売り飛ばしてアメリカの庇護のもとで生きのびようというトヨタなどの売国独占企業の利益である。そして大多数の国民はさんざんなめにあっている。
 自民党や民主党が「どっちが立派な改革か」を競うのは、アメリカと売国的な独占大企業に認めてもらうという点で共通している。さらに「日共」集団が「確かな野党」といって議席をほしがり、社民党が「社民党の議席がふえなければ憲法九条がなくなる」と叫ぶが、これも共通して、戦争動員や貧困と抑圧がアメリカの対日支配に原因があることを避けている。したがって口先だけの反対で、自分たちが議員のイスをほしがることが第一で、大衆の運動にするなどという姿勢はない。
 選挙における各党が設定した争点は、あらゆる問題の根源であるアメリカの支配を容認していることが共通しており、大多数の勤労人民の要求から遊離したものである。労働者、農漁民、中小業者、都市勤労人民などあらゆる日本人民は、日米同盟の強化、構造改革の推進による売国、反動、戦争、貧困の道に反対であり、独立、民主、平和、繁栄の道を求めている。
 衆議院選挙は、政党が主人公で、国民はその観客ではない。国民こそが主人公であり、小泉政府が代表するアメリカと日本の売国独占の政治との対立点を鮮明にし、国民的な世論を喚起し運動を強めることがもっとも重要なことである。そのような力こそ小泉政府を青ざめさせ、マヒさせる力である。

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