トップページへ戻る

クラス基礎の学校に戻せ
下関・川中中教科教室
              親・地域・教師の行動意欲    2013年4月8日付

 下関市内の学校現場で、 子どもの荒れに対して教育するのではなく放置・排除して、 なにか事が起こればすぐに警察に通報し逮捕させる対応が蔓延していることを報じた本紙の記事 (7405号) を契機にして、 下関の子どもの教あ育を立て直そうという論議が俄然熱を帯びて広がっている。 体罰がいけないというが、 逮捕させる方がもっと悪いではないか 教師の指導性や情熱を回復しないといけない と論議されており、 ある校区では逮捕された子どもが複雑な家庭環境におかれていることに地域住民が心を痛め、 子どものために動こうと話しあわれている。 安倍政府と文科省、 市教委の教育否定に対して、 親や地域のなかで子どもたちをまともに教育する意欲が高まっている。 そのなかで、 文科省のモデル事業としてホームルームをなくす 教科センター方式 の新校舎となった川中中学校で、 700人の生徒が毎時間移動をくり返し、 校舎の形から生徒も教師もバラバラにされていることに対して、 このシステムはすでに破綻している。 親や地域が動いて署名を集め、 普通の学校に戻せという要求を市教委に突きつけるべきだ と論議されている。
 
 安倍教育改革のモデル校

 ある校区の中学校1年生の子どもがいる親は、 生徒が暴れる一番の原因は、 先生が指導できなくなっていることだ。 子どもは先生が怒らないとわかっているから、 最初からバカにしているし、 どんどんつけあがる。 この校区の小学校でも、 子どもが授業中も先生のいうことをまったく聞かず、 学級崩壊状態になっているクラスがある。 そんな状態で川中中のような教科センター方式の授業になったらどうなるのか と語った。
 このような学校の状況は、 文科省がこの20年余り 個性重視 子どもの人権 といって、 子どもの好き勝手主義を放任し、 教師に対しては 指導してはいけない 体罰はいけない といって手足を縛ってきた結果であり、 全国に共通するものである。 そして子どもが暴れれば警察に通報せよと、 文科省・市教委が指導している。
 別の校区では、 逮捕された中学生をよく知る地域の人人が、 すぐ切り捨て処罰して終わりでなく教育して成長させていくべきだと声を上げている。複雑な家庭環境で育ち、 頼る大人もなく 受け入れてもらえるところがなくて学校で暴れる。 それに対して教師が親身になって事情を聞き、 悪いことをしたら一回ガツンと指導すればわかるところを、 放置してきた結果だ 学校は集団生活を学ぶところであり、 警察に通報するより、 教師が本気で指導すれば子どももわかるはずだ と話されている。 地域の人たちは、 その子どもの複雑な家庭環境も知って心を痛め、 帰ってきたら地域が面倒をみないといけない、 今後子どもになにかがあったときには地域が動かないといけないと話しあっている。

 教育をさせぬ校舎の形 破産した教科教室

 そのなかで川中中の教科センター方式への疑問も、 多くの親や地域の人人、 市内・県内の教師が出している。
 校区の教育関係者は 週に何度か学校に行ってみるが、 五、 六人がいつも歩き回っている。 先生は追いかけるだけ。 トイレに逃げたりして、 入口で教師が待っていても、 トイレの中に抜け道があって他のところに逃げたりする。 ホントに鬼ごっこだ。 そして先生の連携もたいへんだと思う。 そして、 先生が叱れないというのが大きな原因としてあると思う。 教師がなめられている。 こんな教育のままだったら日本の将来はどうなるか、 子どもがちゃんとした大人に育つかどうかの大きな問題だと語った。
 ある親は 子どもが中学3年のときに教科センター方式の新校舎の話が持ち上がり、 受験の一番大事な時期に校舎も環境も変わるということもあって、 みんなで本気で反対運動をした。 あんな大規模校で、 授業ごとに生徒全員が校内をうろうろ移動するなんて、 教科センター方式というのが子どものためにならないことは最初からわかっていた。 それなのに保護者や地域の意見を押し切った結果、 案の定今のように荒れていると指摘した。
 教師のなかでも、 川中中問題は活発に論議されている。 川中中に勤務したことがある教師は、 生徒指導に課題がある と指摘する。 教科の教師同士のつながりはできても、 学年の連携が難しかったという。形は教科を重視した学校だが、 中学校は教科以上に学年やクラスのつながりが強い。 そのため、 通常の校舎での学校運営以上に気を使うし、 昼休みに意識的に学年の打ち合わせを持ったりしていた。 校舎の形が教育の実態にあわない と話した。
 別の教師は 教科センター方式はシステムに問題がある。 だいたい朝の10分間だけ教師が顔をあわせて、 あとはいつ帰ったかわからないようなものは学校ではない。 今全国で、 教科センター方式を新設する学校はない。 また教科センター方式をとっていた学校も、 普通の学校に戻している。 それなのに下関だけが続けている。 現場がだめだといっているのに、 市教委が あれはいいんだ といって進めるからおかしい。 責任を押し被されてやめる校長も出てくる。 異常事態だ と語った。
 さらに別の教師は 中学校では学級があった方がいい。 移動式だといじめがなくなる という人もいるが、 逆に子どもの好き嫌いが通るようになる。 嫌いな友だちとはつきあわなくていいし、 話す機会もなくなるが、 それではたしていいのか。 いろんな子がいて揉まれるなかで子どもは成長する。 学級が基礎だといじめがあってもクラスの話し合いで解決する。 学級づくりが大事だ。 教科センター方式で、 はたして同窓会ができるのかと思う とのべた。 また 教科の力が伸び、 学力向上になる というが、 それが子どもの将来に本当に役に立つのか。 今犯罪を犯す人間は、 パソコンやネットが駆使できる頭のいい人間だ。 テストの成績がいいだけで、 その子の成長にとってどれだけプラスになるか。 中学校のときは友だちとバカやったり、 ケンカしたりして、 そのなかで人間的に成長することが大事だ とのべた。
 このなかで 教科センター方式はすでに破綻している。 保護者や地域が動いて、 元に戻せという要求を署名などとして市教委に突きつける住民運動を起こすべきだ。 教室もたくさんあるし、 その気になればできる。 そうすれば現場の教師も意見がいいやすくなるはずだ という意見が出されている。
 また、 教育は国や行政の不当な支配に服することなく、 直接子どもに責任を負っておこなう営みであるが、 それをわきまえない波佐間教育長や市教委が現場の意見を聞かず、 中尾市長べったりになっていることは全県全国の教育にもかかわる問題として県内各地の学校で、 下関の教師は疲れ果てている。 普通何かが上から下ろされてきてもいろんな意見が出るはずが、 それがなく、 職員室に活気がない。 先生に元気がなければ子どもが元気にならない と話題にされている。

 教育の外から引き回す 最初から教育と無縁

 そもそも川中中学校をホームルームのないアメリカ型の教科センター方式にするというのは、 2002年に持ち上がった計画である。 翌2003年になると、 同校の教師は教科センター方式の研修に駆り立てられ、 放課後の部活指導もままならない状態になった。
 同校の教師は、 全国に視察に行った経験から、 川中中のような大規模校は前例がなく生徒指導が難しい 校舎に死角が多すぎる 子どものためにホームルームは必要 と意見を上げたが 市教委はとりあわず、 保護者や地域に知らせるべき という意見も抑えつけ極秘事項として進めた。
 2004年4月には、 朝日 や 毎日 が川中中の部活指導に熱心な教師を 体罰事件 としてやり玉にあげ、 教師を萎縮させる騒ぎを起こした。 そして学校が荒れていくなかで、 2005年4月、 女子生徒が校内で自殺するという痛ましい事件が起こった。
 これに対する対処も、 県教委がカウンセラーを派遣して 何事もなかったようにするのが子どもたちの心のケアになる と主張し、 現場の教師たちが学校を立て直す障害になった。 また 読売 が執拗に 教師の責任 を煽り、 教師の指導性破壊を続けた。
 その後、 用地取得の未解決などで計画はいったん頓挫したが、 2007年6月に住民説明会が開かれ計画が明らかにされると、 親や地域住民の怒りが噴き上がった。 親たちがもっとも求めたことは、 教科の成績がよくなること以上に、 中学生という大事な時期に人間としてまともに育てることであった。 また教育はお上の強権で進めるのでなく、 民主主義的に親や地域と十分論議しながら進めてほしいということであった。
 そして川中校区の親たちは 教科教室型の計画白紙撤回を求める署名 を1万人集め、 市議会に請願を提出した。 しかし、 当時の安倍代理・江島市長や市教委は聞く耳なく、 建設ありきで強行した。
 この過程に貫かれているのは、 教育の外側から教育を引き回すということである。 最初から教育をよくするために持ち出されたものではない。 江島前市長の強い意志であり、 当時の安倍内閣・教育再生会議がうち出す国のモデル事業を全国に先行して実施することで、 市長が手柄にするという意図から持ち出された。 下関の子どもが市長の出世の道具にされたのである。
 教科センター方式の新校舎は2010年4月にスタートして3年になるが、 子どもたちに落ち着きがなくなった 成績の格差がひどくなった 死角の多い学校内を、 先生が授業を受けていない生徒たちを追いかけている と語られている。 そして今回、 生徒が教師をなぐれば市教委が直接乗り出して、 学校や親を飛び越えて警察に通報し逮捕させた。 それは教科センター方式の破綻を意味している。
 安倍教育改革は、 教育基本法の改悪によって教育を不当な支配のもとにおき、 全国一斉学力テストを導入してテストの成績でランク付けし、 子どもも学校も教師も競いあわせるというものであり、 荒れた子どもに対しては少年法を改悪し警察を入れて逮捕させるというものである。 それはアメリカで実施されている、 全国学力テストによって成績の悪い学校は閉鎖し、 落ちこぼれの黒人や中南米移民の子どもは軍に個人情報を渡して兵隊にし、 イラクやアフガンの戦場に送り込むという政治の真似である。
 それは権力を振り回して強権的にやってきている。 しかし、 子どもたちはだれによって育てられているか。 まずは親と家族であり、 地域・社会であり、 子ども同士の関係であり、 そして学校の教師である。 これらの人人が実際に子どもたちと交わり育てているのである。 これらの人の理解と協力を得ることなしに、 子どもの教育をおこなうことはできない。 またこれらの人がバラバラでなく団結して行動すれば、 教育を変える大きな力になりうることは疑いない。
 子どもの教育を立て直すためには、 教師が子どもたちの家庭環境や性情を知悉 (しつ) し、 子どもたちの精神を解放することに力を注ぐべきであり、 そのためには教師が自由にものがいえるようにすることが第一である。 そして教師が、 教育する力を持っている勤労父母や地域と連携し、 一緒になって育てていくことであり、 将来働く者の後継ぎになる子どもたちに、 仲間と協力し集団主義でものごとをおこなう社会性を育てる徳育が不可欠である。 そしてその障害になっている、 市教委の教育否定は抜本的に改めさせなければならない。
 下関の子どもの未来のために、 すでに破綻が明らかになっている川中中学校の教科センター方式は廃止し、 ホームルームのある普通の学校に戻させるため、 全市的な世論と運動を喚起することが切望されている。 こうした運動は全国的にも大きな響きを持つにちがいない。

トップページへ戻る