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極限の世界に立向う誇り発揚
礒永秀雄詩祭の総括座談会
                最も激しく反応する子供     2011年11月14日付

 下関市で5日に開催された没35周年を記念する礒永秀雄詩祭は、700人の参加のもと、子どもたちから被爆者、戦争体験者、現役世代の手で礒永秀雄の世界が舞台に生き生きと再現されて非常に深い感動を与えた。明日から生きていく糧となる芸術として大きな反響を巻き起こしており、これまでで最高の詩祭となった。その後も感動をつづった感想文が続続と寄せられている。本紙は、このとりくみを担った山口県、北九州市の教師、下関市民の会、劇団はぐるま座のメンバーに集まってもらい、詩祭の反響と教訓を語り合う総括座談会をもった。
 司会 まず、とりくみの経過から。
 (実行委員会事務局) 盆明けに、長周新聞で礒永秀雄の没35周年を記念する顕彰運動の呼びかけが出された。その後8月下旬に実行委員会への参加の呼びかけがあった。礒永秀雄の代表的な詩と「とけた青鬼」の童話を掲載した号外は大きな反響を呼んだ。今年は東日本大震災が起こり、戦後の日本社会を見直して未来に向けてまっとうな生き方を望む人たちの意識に、礒永作品が深く染み入っていった。『礒永秀雄の世界』と『おんのろ物語』はこの間、400冊以上が普及されている。
 第1回実行委員会(9月17日)までに105人が実行委員に名乗りをあげた。
 とくに教育の分野で先行していった。子どもの反応が非常に鋭かった。「とけた青鬼」の読み聞かせで、自分を犠牲にしてでも人のために役に立つ、尽くすところに子どもが感動して感想文、感想画を意欲的に書く。「虎」の生き方、「一かつぎの水」の精神に響いている。小学生が「ただいま臨終!」が一番いいという反応を示した。それに教師が衝撃を受け、指導に熱が入っていった。
 詩祭のプログラムをつくっていく過程では、出演者が読みたい詩を自由に選んで朗読や紙芝居などの出し物を決めていった。申し出の早い者順に決めて調整していった。そうして、全体として礒永秀雄の世界を現代に響かせる方向で構成、演出していった。
 はぐるま座が詩劇「修羅街挽歌」。下関の被爆者が「夕焼けの空を見ると」、市民の会が「連帯」と「夜が明ける」を選んだ。その後、原爆展を成功させる広島の会が「真金になるまで」をやることを決めるなど、礒永秀雄の後半年、彼が新しい時代意識を鮮明にうち出している作品に、自分たちのことを描いているという共感があった。
 10月16日の第2回実行委員会で、プログラムの骨子が定まった。その後も予科練出身者の恩田さんの「十年目の秋に」や、長崎の学生の「ゲンシュク」、沖縄の婦人たちの「核をかついで去れ」など、礒永が自分たちの人生やたたかいと深く関わって、歌い上げ励ましてくれていたという新鮮な感動をもって、意欲的な参加につながっていった。
 また、展示部門でもかつてない意欲的な出品だった。書では、沖縄の運天氏が早くも第1回実行委員会の前に「八月の審判」の一節を掛け軸にして出してくれた。それにつづいて伊計氏が「沖縄の心を伝える版画」を出すことになった。下関の被爆者の会の石川さんが、「自分もなんらかの貢献をしたい」と「さて」を揮毫した。大楽氏も相当な熱意で、校歌を大きな紙にしたためられた。津田峰雲氏に「新しい火の山に想う」を出品してもらったが、礒永秀雄と維新発祥の地・長州、革命的な潮流への思いを込めたものだった。
 子どもの作品への反響が大きかった。各地で礒永作品を教材に教育実践が旺盛に展開されて、子どもの絵の展示は最終的に80点となった。子どもの気迫のこもる作品に、反響は衝撃的だった。
 
 行動始める参加者 平和運動や教育重ねて響く

 司会 詩祭への反響は、どうだろうか。
 (劇団はぐるま座) 自分たちの町でも礒永作品で市民ミュージカルをやりたいと、広島から詩祭に来ていた人が「こういうのを自分たちもやりたかったんだ」と、早速ビデオの上映会をやるという。沖縄から、復帰斗争の経験者から20代の幼稚園の先生まで参加していたが、自分たちの地域でこれを広げていきたいとか、米軍基地や平和の問題と重ねて礒永作品が持つ力は大きいという反響が出ている。
 (劇団はぐるま座) ある人は、詩の朗読会というので100人ぐらいと思っていたら、2階までいっぱいだったと感動していた。子どもたちの朗読などに衝撃を受けて、「今からの教育は優しい詩も必要かもしれないけど、厳しい詩が子どもたちに響くんだな」と語っていた。詩祭の後みんなに知らせたいということで、プログラムや長周の号外を受け取って即行動を起こしている。
 (山口県・小学校教師) ぼくたちの想像を超えて、参加した子どもたちが発表された作品に響いている。「修羅街挽歌」に子どもたちが深く感動している。「礒永先生の友だちが戦争に行って亡霊として呼びかけたものだ」と子どもたちがいう。やはり「優しい詩」ではなく、礒永さんが極限状況のなかで訴えている「虎」「修羅街挽歌」が今の子どもには響くんだ。震災後の生活実感とぴったりだし、時代意識を反映しているのだと思う。
 同僚の教師が参加して、「自分の教育観を変えられた」といっている。「自分は今まで学校の枠内で子どもを育てればいいと思っていたが、子どもの発表、被爆者、沖縄の人の発表などを聞いて、違うと思った。礒永さんの精神に照らして、自分がどういう教育をし、どんな子どもを育てなければいけないのか、厳しい世の中で子どもたちを学校教育できゅうきゅうとさせていていいのかとつくづく思い知らされた」という。
 学校の課題図書では、感想画を描かせても二時間持たないという現実がある。子どもたちにいくら「描け、描け」といっても描こうとしない。でも、「とけた青鬼」では十数時間も絵に没頭している。礒永さんはそういう力を持っている。子どもの感性はそういうところで発揚されるし、劇的に思想を変えていく。
 教育の面では、今回の詩祭で一歩も二歩も前に出たという実感だ。現場では、参加できなかった人が長周新聞の詩祭報道を見て、参加者と発表者が一体になる舞台、みんなが喜んで帰る、元気になって帰る姿を見てみずみずしさを感じている。

 子供の生活 劇的に変化

 (北九州市・小学校教師) 北九州から子ども、父母、教師50人くらいが参加した。うちのクラスからは子どもの3分の2が参加した。とりくみの過程もそうだったが、詩祭が終わって子どもの態度や生活が劇的に変わってきた。教師の熱情が掘り起こされたという感じだ。
 子どもは礒永の作品で、一番「虎」にグッとくる。金曜日の朝に暗記してきなさいと宿題を出したら、帰るときに「先生、もう覚えました」という。月曜日はぞろぞろと覚えてきた。「一かつぎの水」を読んだら、だれに向かって発表しているわけではないが「馬新さん、馬新さん」というところですごく声が大きくなっていく。
 詩を暗記したり絵を描くうちにものすごく意欲が出てくる。教科書のなかに「生きる」という詩もあるが、全然違う。小学生には「虎」というのはレベルが高いと思う。発達段階からいったら「“虎”という字も習ってない」ということになるだろう。「ニクソン訪中って何?」「随行員って何?」という質問も出るが、でも子どもたちのなかにスッと入っていく。もともと子どものなかには意欲があり積極的な面を持っている。その彼らが礒永作品にふれるとグッと変わってくる。
 詩祭に連れていくのに、「弁当を持っていくのだったら行かなくていい」といわれた子もいた。親が弁当をつくってやれない厳しい実情があるのだが、子どもたちの絵を持って家庭訪問して、お母さんの仕事が終わるのを夜遅くまで子どもと一緒に待って、帰ってきたとき「こんな立派な絵を描いた」「いい感想書きましたよ」というと、「行きなさい」となった。野球部の子どもも「キャプテンをしているから練習を抜けるわけにはいかない」というのがあったが、祖父と父母に絵を見せると「行きなさい」となった。クラスの中心になる子が行くことを決めると、みんなが行くように広がっていった。
 クラスから四人の父母が参加して、車を四台出してくれた。最初、二十数人もどうやって連れていこうかと悩んでいたが、子どもが行く気になっているから、親も同じ気持ちで参加する。礒永作品が子どもの気持ちを奮い起こして、親も動かして大量に参加していくというようになった。
 会場でずっと練習を見ていた父親が、「最初はやはり初めてなのか各自の声が小さく、バラバラの状態だったが、先生方の熱心な指導や励ましで練習を重ねるたびにだんだんと一つにまとまっていくのが、よくわかった。最後には子どもたちの元気でいきいきとした声が響きわたり、本番でも全員が一つになって大きな声で朗読していた。詩祭は朗読、詩劇、歌唱、紙芝居など多岐にわたる内容でそれぞれ非常に印象深いもので、日常生活では詩自体にふれる機会はほとんどないが、詩祭に参加して心の栄養をもらった」と感想をよせている。
 ある母親は、「小学校六年生の子どもが“虎”と“一かつぎの水”を暗記するといってくり返し読んでいるのを聞いて、初めて礒永秀雄という詩人の存在を知った。“修羅街挽歌”では戦争体験後、真実を社会のなかで伝えていく詩人になるという強い揺るがない意思を持ち、自分の存在意義を追求した生きざまに感動した。忙しく通過していく日常のなかでいったん立ち止まって自身を振り返り、人間まんざらでもないと温かい気持ちになり、元気が出てきた。子どもたちの虎の絵など素直に感じとっていてのびのび描いている作品も心が洗われた」と書いている。
 昨日も「修羅街挽歌」について「あれが本当の戦争の話なんだ」という話になった。子どもたちは詩祭に参加していくなかで自分たちを変えていく、そこに親も感動している。卒業まで四カ月だが、礒永作品を勉強していくことは、子どもたちが今後生きていく上でものすごく大事なことだと思う。

 修羅街挽歌に深い感動

 (北九州市・小学校教師) 小学4年生だが、「修羅街挽歌」がよかったといっている。「礒永秀雄さんは戦争で戦友を亡くして歌を歌えないから苦しんでいました。歌はあるけど、歌わないでといわれて生きる目的を忘れていました。声が大きくて迫力があって主人公の声がとても聞きやすかったです」「修羅の話はとてもおもしろかったし、いっている人もとても主人公になりきっていて、とてもすごかったです」と心揺さぶられている。
 「孤独な人生」とか「戦友」「歌えなくなった」という言葉がスラスラっと出てきて、相当熱心に見ていたんだなと思う。また沖縄からも来ていたとか、人の話がみんなおもしろかったという。子どもたちが、自分が発表するだけでなく、全体を通して感動していたのに驚いた。「青コブ」にすごく反応したものがずっとあり、「修羅街挽歌」にも感動するという、今の子どもの響き方を思った。だから舞台でも力が発揮できたんだと思う。
 参加した子どもたちを中心に変わってきている。平和の会での意見発表のときもいじける子が朗読した。声が出るだろうかと心配していたが、リハーサルのときバーンと声を出したので安心した。劇的に変化している。
 クラスのなかでも「○○君が変わったよ」と話になっており、乱暴なところがなくなってきている。感想文を読んだ女の子は声が小さく、最初は何をいっているかわからないところからの出発だったが、自分たちも声が出ることに確信することができた。ここでつかんだ子どもたちの力が他のところで出せるようにしていきたい。
 もう一人の母親は「礒永さんの強いメッセージがわかってきて、平和な社会は過去の戦争という事実の上に成り立っているので、その時代を生きた人人への敬意を忘れてはいけない」と書いている。戦争と今の時代のつながりを考えている。礒永さんの精神が本当に親に響くし、それはどこも共通している。出演した教師も、若いお母さんたちが来ていたことや、子どもたちと一緒に発表できたことを喜んでいる。劇的に子どもを成長させ、教師も親も変えていく作品に確信が持てた。
  長周新聞の次代を担う青年たちの発表がよかったという。また長崎の学生や「ただいま臨終!」を読んだ高校生、子どもたちなど新しい時代を担う青少年が礒永詩に響いている。未来への展望というものを詩祭のなかで与えられたと思う。参加者に大きな勇気と展望を与えた。どういうものが青年の美しい姿なのかというのがわかったように思う。漫然と「健全な成長をしている青少年」などというものではない。
 また人生の苦難を乗りこえてきた被爆者や戦争体験者の人たちが読む詩は、うまい、下手を超越して人生の叫び、命のほとばしりの訴えであり、心に染みいる朗読だった。全体の構成のなかで礒永詩に貫かれている精神が世代を超えて表現され、そのすばらしさに感動している。「とけた青鬼」の感想画のなかでは優れた作品が多く、県展までいっている。子どもたちの心をとらえる作品というのはいろんな面で衝撃を与えている。
 また当日初めて会う子どもたちが、誰がどんな友だちかわからないなかで、60人が声を合わせて発表するのだが、700人の前でどう発表するのかという意識が非常に高まっていった。子どもたちの感性と教師の指導力とが結びつき、短時間のなかであれだけの作品をつくりあげていった。
 
 子供の反響刺激に 市民の会や被爆者も取組に熱気

 (下関市民の会) 実行委員会での子どもの反響にものすごく刺激されて、市民の会でも被爆者のところでも気合い入れないといけないとなっていった。市民の会は、はじめどの詩を読むかで「夕焼けの空を見ると」がいいとなったが、下関原爆被害者の会がこの詩を読みたいというのを聞いて、「それは譲ろう」となり「夜が明ける」になった。仕事の都合などで練習は全員でやることがなかなかできなかった。子どもたちの反応や舞台の様子などを聞いて、「自分たちの構えを変えなければ」と思い、話し合って読み方も声を大きくして、心もこめてやっていこうとなった。
 他の団体のいろんな様子も聞きながら大成功させようという気持ちでみんなやってきた。周りの人への参加の呼びかけにも熱が入ってきた。今回はじめて礒永を手にし、詩祭に初参加の人もいたが、本当に礒永の詩に感動していた。練習でもお互いアドバイスしながらすごく必死で一つになってやった。
 堅山さんが「連帯」を朗読したが、家族の病気のことが思い起こされ、乗り越えてきた思いなども重なって練習のたびにつまっていたが、最後は「つまったらいけないから大きく息を吸って頑張った」といっていた。詩祭のあとは結束が強まった。何もかもさらけ出し市民運動への意欲も強くなっている。おとなしい人が、明るい物言いですごく発言するようになり、みんなも喜んでいる。
 被爆者の会は、これまでの詩祭は代表者が発表していたが、役員会で相談し「みんなで出よう」となった。張り切っていて、練習で初めて読んだときにすごく感動した。口だけで読んだのとは全然違う、すごく重みがあった。被爆や戦争を体験して生きぬいてきたあの世代の方たちに礒永詩がぴったりだった。
 当日に初めて全員で合わせることができた。二世の人にも入ってもらったが、自分の親世代にあたる人たちがどう読むのかを聞いて練習した。気持ちが一つになったときこうなるんだなと思った。腰が痛くて役員会にも出て来れなかった会員は、これが最後になるかもしれないという気持ちで出ることを決めたが、練習をやり出したら一番声を出していた。自分たちのことそのものを礒永さんが書いてくれているという感じだった。
 
 舞台作りも驚異的 思想の一致が力

 編集部 とりくみ期間を振り返ると非常に短かった。呼びかけを発して2カ月少少だった。舞台づくりも驚異的だったのではないか。感想のなかで「相当リハーサルをやったのでは?」「実行委員会を何回やったのか」という声があった。リハーサルといっても、前日の夜と当日の朝の短時間、足の位置とかマイクの位置を確かめたくらいだった。しかし全部の舞台が統一的にできた。進行もスムーズで時間通りだった。
  出演者のなかでの連帯感があり、ソデで控えていてもみんなワクワクしている。自分たちの練習の積み重ねの成果を舞台で客席に届けていくことに、いきいきとしていた。子どもたちの出入りの時間が未知数だったが、今までになくスムーズだった。子どもたちも、自分たちが終わったら速やかに次の人に渡すんだというのをわかっていて、整然と登退場をしていた。劇団が声をかけた人たちも、全国から集まってやっているのにあれだけ統率されていたことに驚いていた。
  ストレートに礒永に感動して、共通の思い、思想のところで一致していったのが原動力になったと思う。詩祭を通じて、独立、民主、平和、繁栄の日本をつくっていくんだという思想で一致したし、全体がそこで統率されたことが力になったのではないか。
 編集部 5年前の詩祭では「これをやってほしい」と頼んだのが結構あったが、今回はやりたい詩を自分たちで決めていくものだった。みんながやる気で一致し、自分たちの心の真実を礒永詩の朗読で表現していた。
  教師のなかでは時間をめぐって大斗争だった。詩の発表も子どもの感想発表も、どう時間内で収めて内容を持たせるかというのを検討してきた。
  クラスの子どもたちがストップウォッチを持って何回も測ってやっていた。
  朗読に音楽を入れるのも、言葉が終わって音楽を入れたら遅いというので、何度もやり直した。
 編集部 自由であるけれども統率がきいていたということだと思う。
  子どもたちの「ただいま臨終!」も、その前の詩が終わったらシュッと高校生が出てきてスムーズだった。見事だった。無駄な時間がない。出入りの芸術だった。
 
 教育の実践が先行 から破り意欲増す子供達

 編集部 今回のとりくみは教育実践が先行して、全体をリードした。
  虎の絵は一カ月前には、教育同盟のなかで「これは一年生の絵か」と酷評された。最初は虎ではなくネコだったし、「うらぶれた」というよりかわいい虎だった。「これが獅子に勝った虎か」「龍とたたかった虎か」と描き直させ、だんだん龍と獅子に勝つ強い虎に変わっていった。そこから、「仲間を呼びさます虎」とか「勇敢な虎」「起きろ虎」というふうに題名も変わってきた。礒永の詩を心のなかに感じとって絵に描いている。
 これまで子どもたちは1時間か2時間で「終わりました」となるのだが、この絵は十数時間かけて描いている。1人の子は描き直して2枚描き、20時間かけた。子どもたちにとって最初描いた絵は恥ずかしいというが、今は「見せてもいいよ」という。虎の絵を描くなかで「弱弱しい虎が強い虎になったのがうれしかった」と子どもが書いている。
 茶髪、ピアスで遅刻もしていた子が、「虎」と「一かつぎの水」を一番に覚えて、その後は遅刻もしなくなって、「先生、私はやればできるんよ」という。自信を持っている。礒永を読みはじめて変わっていった。
  不登校ぎみだったが、礒永詩を発表してから、少少お腹が痛くても遅刻してでも学校に来る。音楽祭の練習でもみんなをリードして、すごく変わっていった。
  昼休みはずっと一人で本を読んでいるような子だったが、詩祭後の月曜日からは人が変わったように、昼休みには大笑いして喜んでみんなと遊んでいる。
  参加した子から伝わって、クラスの雰囲気がガラッと変わってきている。物事を集中してやるとか、みんなでやっていかないといけないという空気だ。教育集会でそこを目指してきたが、詩祭でまた一段と発展したのではないかと思う。
 E 鉄棒実践で勉強への意欲も出てきたという話があったが、うちの学校でも逆立ちができなかった子が3連休で奮斗してできるようになった。その子が昨日、「先生、“一かつぎの水”覚えました」と自分から進んでやってくる。今まで表に出てこなかった子が出てくるという感じだ。礒永さんの詩はそういう力を持っている。
  殻を破っていくという感じだ。
  芸術の面ではぐるま座が突破して全国を席巻してくれているし、教育戦線では教育集会で突破して、さらに礒永詩祭をとりくんで、そこでの子どもの成長をみなさんに伝えていくことで効果があったのではないかと思う。礒永作品にふれた子どもたちが解放されていくその効果は絶大なものがある。イデオロギー戦線の重要さをものすごく感じている。
 編集部 今の子どもたちが「一かつぎの水」や「ただいま臨終!」をやりたいし「修羅街挽歌」が響く。子どもたちの生きている現代は、厳しい世の中なんだ、この世は地獄で自分たちは修羅なんだと重なっている。平和ボケではない。そういう極限の世界の中で見出す展望、厳しさに負けない「吼えろ虎」の精神、そういうものが響いている。そこに平和ボケとか、「頑張らなくてもいいんだよ」といったふやけたものでははじかれるということではないか。
  平和の会でのことだが、最初は「一かつぎの水」も「虎」も弱かったのだが、高校生5人が「ただいま臨終!」をやったときに迫力が違った。その高校生の姿が「自分たちは声が小さすぎた」と小・中学生を変えていった。また、一人一人の先生が意見をいう内容を、子どもたちがすべて吸収して感動的に表現していく。短時間で子どもたちが変わっていくし、思想を変えていく。
 編集部 厳しい自己改造を要求することに響いている。「そのまんまの君でいいんだよ」というのとは全然違う。
  絵も教師は指導してはいけない、子どもの感性に任せて2時間ぐらいで描かせればいいという風潮もあるが、子どもたちはそれにすごく腹を立てていると思う。
 鍛える逆上がり実践は文科省の「個性重視」教育を吹っ飛ばしたが、礒永詩祭のとりくみもそういうものを吹っ飛ばした。子どもたちは本質的に未来に向かって成長を切望している。自分たちを鍛えてたくましい未来の担い手になろうとしている。この間の文科省の個性重視教育はいかに犯罪的かを証明したと思う。
 
 大衆的に礒永顕彰 既存の文化人と対照的 反修詩以降に反響

 編集部 ひとつの特徴では、既存の文化人がほとんどいなかった。前回は呼びかけ人を文化人がやり、自作の詩を披露した文化人もいた。今回は実行委員長を筆頭に、いわば素人集団の実行委員会だったが、見違えるように発展した。
 礒永に関していえば、山口県ではだれもが認める最高の詩人だ。中央詩壇でもかなり名の知れた位置にある。だが詩壇、芸術界では、60年代半ばの反修詩以後、「礒永は政治に走ってダメだ」という評価が全般的だ。
 しかし今回の詩祭では反修詩以後の詩が好んでやられた。「一かつぎの水」も「ただいま臨終!」「夕焼けの空を見ると」「真金になるまで」も「夜が明ける」「新しい火の山に想う」も、童話の「とけた青鬼」もそうだ。礒永がもっとも侮蔑した少数の仲間うちの趣味と遊びの文化の衰弱、滅亡だ。勝負あったという感じだ。
  「100人ぐらいの詩祭だと思っていた」という意見があったが、インテリや文化人にはそんなイメージが一般的だ。だいたい詩の朗読会というのは、こじんまりした仲間内でやるというイメージだ。それがあのような大ホールの大舞台でやるというのは、夢にも思ったことがない。死後35年も経った礒永の詩祭があれほど大衆的な規模でとりくまれるのが驚異的に映るだろう。
 とりくみの過程でもこれだけ大衆的に礒永が顕彰されたことはこれまでになかった。被爆者や戦争体験者はもちろん、企業とか商店のおばちゃんや男性たちが、「一かつぎの水」がいいとか、「とけた青鬼」がいい、「政治家に見せてやりたい」といったりとか、とりくみの過程からすごい反響だった。
 下関でも「津波が来たのと同じだ」といわれるほどで、商店には客が来ないし、景気は冷え切っている。そういうなかで、それに負けるのではなく、無私の精神で奉仕する、自分は死んでもみんなのために尽くす精神にすごく響いている。
  長周で「礒永作品は生きる糧だ」と見出しで出されていたが、礒永自身が生死をかけて作品をつくり、励ましていく。それが子どもたち自身にも伝わり、一生懸命働いても金はなくて、汲汲としているように見える一般庶民に歓迎されている。
  礒永泰明氏がメッセージのなかで、「美しい詩ならいくらでも書けたはずなのに、対極的な荒々しい詩が多く発表されていたのは、日本の良い物があまりにも急激に失われていくのを見かねた心の表れだったのかもしれません」といういい方をしていた。ここのせめぎ合いがずっと文化人のなかの礒永評価であったが、それが今回、決着がつけられたという印象だ。礒永自身が中原中也や立原道造的な叙情と決別して以来、追求してきたものが反修決起以降、とりわけ晩年の詩で結実していった。
 そこを否定してもっとさかのぼって抒情詩と決別する以前の詩に礒永のいいところがあるんだという評価が芸術界のなかで一貫してある。礒永秀雄の詩集や選集を編集していく過程でも、そこが論争になってきた。それが九九年の「礒永秀雄の世界展」で決着がつけられ、礒永の正当な評価が定着していった。
 「核をかついで去れ」は詩ではないという流れだ。あれは政治だという。しかし芸術作品として民族的な魂を組織していった。礒永が切磋琢磨して追求した多くの人人に役に立つ、新しい時代意識に立った芸術こそ生命力を持っている。大衆がそれを証明した。
 
 参加者自身が転換 大葛藤通じ礒永を理解

 編集部
 参加した団体自身の路線転換がある。はぐるま座は「修羅街挽歌」をこれまでもやっている。今度ははじめてみんなから認められた。はじめて描いたと思う。これまでは全然「修羅街挽歌」を描いていなかった。
  劇団の中で「修羅街挽歌」には、以前からの誤ったイメージがあった。だから「これまでの印象を持っている人はしゃべらないでくれ」というところから始まった。最初は音からつくって、どんなイメージかを出しあったが、『原爆展物語』で出会ってきた体験者の体験とか迫力とか、それをどういうふうにあらわしていくかという論議になった。
 みんなで論議するなかで、とらえ方が全然違っていたという論議になった。以前は意味がわからないままただしゃべる、演出にこうしゃべれといわれてそれっぽく見せる。しかし今回は、「原爆展物語」で追求している方向なのだが、それぞれの役がどんな思いでなぜこの言葉を発したのかを追求する。その感情、気持ちを追求する、そのなかで自然に声になっていくという作り方だ。
 手練手管で技術をみせびらかす、それをやりたい、そうでないとやっている気がしないというものがあったが、自分の自己満足で役者が演じて見せるという世界では、しゃべりばっかり気にするので感情がない。言葉を装飾して感情があるように見せかけるというものだ。そうでなく直に役に向き合ってそれだけで追求すると大違いだった。
 編集部 以前はいくら礒永を描くといっても、礒永を利用して自分たちの解釈、思いを描く、自分たちの自己表現、自己主張になっていた。今度は礒永そのものを理解して礒永そのものを描く。その根本的な違いがあると思う。
  被爆者の婦人が感想で「自分があの舞台に立っているような気持ちになった」と書いていた。朗読もこれまでと全然ちがっていた。舞台の日本の乙女は、観客の被爆者であり戦争体験者であり、見る者がそう受けとめていく。だから感動が深い。
  前回演じたメンバーが、「修羅街挽歌は恋愛物語だと思っていた」という。そういう演出がされていた。相当のピンぼけだった。
  詩壇では「礒永の失恋物語」という評価が支配的で、礒永の厳しさが理解できない。初期の叙情の世界がよかったという流れだ。礒永の古いものを称揚して、それ以後はだめという。はぐるま座もそうなっていた。表面上は政治主義のようだが、中身は非常に古ぼけた世界だ。
 B はぐるま座もこの間、「動けば雷電の如く」や「原爆展物語」をやって、そこから「修羅街挽歌」も描けるようになった。大葛藤を通じてそこに到達した。劇団内の論議で「自分たちも修羅なんだ」という話になった。劇団のなかの路線斗争と重なる。詩祭の全舞台をつくる過程でも、それぞれの礒永詩に対する印象が全然違っていたということを、みんな感動をもって語っていた。

 本物の教師かどうか問われた

  教育同盟も大葛藤だった。詩祭のとりくみを通して、これまでの組合主義の被害者同盟ではなく、新しい時代意識に立つし、人民のなかにそれがある、これでいくんだというものがつながったと思う。理屈からではなく、実践していくなかで礒永作品の持つ力が子どもを変え、親が支持した。同僚の教師が礒永作品を読むようになった。
 子ども不在、大衆不在ではなくなったということが大きかった。そこに打てば響く今の時代意識があるんだと、どの教師もそこで奮斗した。このとりくみで青春をよみがえらせて一歩も二歩も出た同盟員は多かった。自分たちの思いでいくのか、詩祭を成功させる立場に立つのかとみんな思想斗争を迫られ、そこで奮斗して教育戦線から突破していこうとなっていった。
 F 自己満足でいけば、子どもはいようがいまいが関係ない。被害者同盟でいれば「人が悪い」とだけいって居心地がいいし、子どもが変わるなんて信じられないというような「うらぶれた虎」でいくか、そこをこえる「吼えろ虎」でいくかを全同盟員が迫られた。本物の教師か、うらぶれた教師か。実際に子どもを変えるというところでやりぬく。そうじゃないと本物の教師にはなれないということだった。
 組合主義との鮮やかな違いが出た。組合主義の人たちは詩祭に関心を持たなかったし、人権派からは「鬼の子の角のお話」の劇をやることに文句が出た。「角がはえないことを認めろ。はえないままでいい。そこに対していろいろやるのはおかしい。人権に反する」と。細かいことでは「おかみさんは口がうるさいから」というのはいけないとか、「あばらや」がいけない。「豚になりさがるというのは、豚を馬鹿にしている」というものまであった。言葉の問題だけでなく、結局人のために犠牲にならないでいいと、「一かつぎの水」のような生き方を否定するものだ。
 でも、それをまず子どもたちがうち破った。劇を堂堂とやるので親たちからすごい支持だった。クラスを二つにわけ、給食時間をもらって低学年のクラスに行って、ひと月間で1年生全部と2、3年、あわせて7クラスで劇を披露した。最後は向こうから「来てください」といわれるほどで、みるみるうまくなっていった。先生たちがまず「よくあれだけの声が出たね」「どうやって覚えたの」とすごく驚かれていた。
  教師の常識というのが、勤労人民の常識とかけ離れている。人民大衆が求めているものと、文科省のもとできゅうきゅうとしている教師が求めているものとが違うから、矛盾がおきている。礒永の世界でいけば親が圧倒的な支持だ。親が「鬼の子の角のお話」を読み聞かせをしてどんどん広げている。子どもが自分のためでなく人のために生きていく崇高さをみんなが感じている。
  市民の会のなかでも、礒永の葛藤に感動して、自分たちが何を大事にし何を基準にするべきか、この間市民の会が「私心を捨て、30万市民のために」と斗争してきたものと重なって、確信が出ている。五年前の詩祭と今回とは全然違う。
 F だが響かない人には本当に響かない。組合の活動家ほど響かない。
 編集部 「ただいま臨終!」を子どもが好きだが、うらぶれた教師や文化人の多くは嫌う。「まるい背なかへ」といわれたら聞くのも嫌だ。思想が拒絶するのだ。「真金になるまで」といわれると、たまらなくなる。
  教師も若い先生の方がストレートに響く。二八歳の先生が「虎というのはいい詩ですね」といってくる。
 
 大きな転換の時代に蘇る 新自由主義イデオロギーとの決別

 編集部 
20代の若い人はバブル崩壊後に育った世代であり、この社会がいい社会という実感はない。今の子どもなんか、メチャクチャな世の中だという実感しかない。そのなかでどこに展望があるのかと、切実に求めている。礒永のとりくみでそこに触れている。人民のなかに未来をつくる展望がある。そういうのが礒永作品を通じて確信になる。
  僕が確信したのは、参観日に感想画を発表させて、「一かつぎの水」と「虎」を親の前で朗読した。そして親のところへ行ったら、「礒永さんというのはものすごい詩人だ」、ポスターの「ゲンシュク」を読んで「こういう集会なら行かせる」と、10人くらい参加が増えた。「子どもには難しすぎるんじゃないか」「親には響かないだろう」といってひいているんじゃなくて、ドーンと訴えていったときに反響がある。親自体も今、修羅街に生きているなかで、本当に響くと思う。
 編集部 5年前と比較しても情勢が大転換している。この時代精神を礒永の詩がひっぱり出している。礒永もよみがえってきたが、礒永のおかげでみんながよみがえってきている。この詩祭を全国に広げてくれという意見が多いが、日本中どこに持っていっても大歓迎される質だと思う。
  はじめて参加した画家がものすごく感動して全国でやってくれ、若者に見せてくれという。今の商業演劇は派手な飾りたてばかりのインチキだが、この舞台に心と心のぶつかり合いの本物があると感じている。「修羅街挽歌」を見ると、礒永先生の生き方を通して、今の若者もきっと使命感を感じるはずだと熱烈に感想を語っていた。
 編集部 大きな時代の転換だ。今年は大震災もあったが、リーマンショックの傷を引きずって欧州の財政、金融危機で世界が大騒ぎになっている。市場原理主義は大破産し、日本社会をメチャクチャにしてしまったが、それをもっと徹底して日本をアメリカにすっかり明け渡してしまうというのでTPPだ。TPPは対中国のブロック化だから、日本を対中国の原水爆戦争の盾にするというたいへんなことだ。そのなかで礒永詩祭の質は全国に広がるし、広げなければならない。
 教育戦線や芸術戦線というイデオロギー戦線が様相を変えてきたが、新自由主義イデオロギーとの決別だ。個別大競争でもうけるためなら何をしてもいいというおぞましい市場原理の価値基準から脱皮して、社会全体の利益を第一にして個個人もよくなるようにしよう、みんなが助けあって生産をし生活していく本来の有り様を取り戻そう、それを破壊する要素を取り除いてしまえというイデオロギーが響きあっている。日本という国の進路をどうするか、みんなの意識がそこにいっている。目先の細かいことだけいっていてもだめだ、世の中の根本の矛盾を明らかにして変えるような運動をつくろうと。
 E 最近子どもたちが、授業中に「ギリシャ」「イタリア」「TPP」という。ちょうどペリー来航のところを勉強していて、「不平等条約とぴったり同じだ」「先生、アメリカ悪いやん」という。
 編集部 「平成の開国」というがTPPは「安政の開国」の二番せんじをやろうということだ。関税自主権の放棄とか、最恵国待遇とか治外法権を約束させられた屈辱的な奴隷条約だった。物価高騰などで農民などの生活はメチャクチャになった。幕末はそこから攘夷運動が発展し明治維新になった。今度TPPをやるヤツは井伊直弼と同じ運命になる。TPPでは、アメリカの企業の営業活動の自由を阻害する制度的障害があるとなったら、外資企業が日本の国を訴える。裁判するのはIMFだ。国の主権もあったものではない。これから大騒ぎになる。『動けば雷電の如く』の舞台も全国で響くと思う。
 B 宮崎で『原爆展物語』公演を準備しているが、反応が激しい。農業者たちは、口蹄疫でやられ、新燃岳でやられ、TPPとなったら地域経済が壊滅する。農業が成り立たなくなり町が成り立たないという。散髪屋も「だれも散髪に来ない」といい、医者も「アメリカのいいなりでやってきたが、それをもっと制度でやってくるということだ」と怒っている。

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