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「日共」修正主義集団が綱領改定
「共産党」看板の敵の手先
              「資本主義の枠内」を宣言    2003年6月28日付

 「共産党」の看板をかける修正主義裏切り者集団が「党綱領」の改正案を決めた。「日米安保条約」を一片の通告で廃棄する、自衛隊も天皇制も容認する、野党連立政府をつくり、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」をするというもので、共産党ではないことを証明するものとなった。特徴は、戦後日本を占領した米軍を「解放軍」として歓迎し、その手下となって原水爆禁止運動や「安保」破棄斗争などの妨害・破壊に犬馬の労を尽くしてきた潮流が、ブッシュ米政府の先制核攻撃の際限ない戦争に、小泉政府が自衛隊を参戦させるという重大な情勢のもとで、いよいよ戦争協力者として飛び出し、日本人民をふたたび戦火のなかにたたきこみ、日本を破滅に導く米日支配層の共犯者の姿をさらけ出したことである。日本の平和運動は世界的に見て停滞しているが、運動の内部からアメリカの支配とたたかうことを攻撃するかれらの犯罪的な役割がある。この正体を暴露すればするほど、人民の運動は発展するという関係である。

  日本の平和運動が低調な要因
 修正主義一味の「綱領」改定案は、戦後米占領軍を「解放軍」と規定、アメリカ民主主義を崇拝して、反米愛国斗争を破壊したかれらの裏切り路線の行き着いた先にほかならない。
 そのポイントは、@「革命」というごまかしの用語も投げ捨てて、「資本主義の枠内で可能な民主的改革をめざす」とした、A実質上、野党連立政府にすぎない「民主連合政府」を「国会で安定した多数を占め」て実現する、Bその政府はアメリカ政府への通告によって日米安保条約を廃案する、C自衛隊の解散は求めず、当面存続を認める、D天皇制については「君主制廃止」を削除、当面は存続させる、E将来の「社会主義的変革は長期の過程」であり、複数政党制、市場経済をつうじておこなう――などである。
 現在、ブッシュ米政府は先制核攻撃を叫んで、アフガニスタンからイラクへと戦争を拡大、朝鮮、イランなどにも戦争挑発をくり返すなど、核戦力による「世界一極支配」をめざして傍若無人にふるまっている。小泉政府はその忠実な番犬となって、「テロ特措法」や有事法制を強行、今国会で「イラク派兵法」を通過させようとするなど、憲法すら踏みにじって若者をアメリカの戦争の肉弾として差し出し、日本全土を新たな原水爆戦争の戦場に変える亡国の道を突っ走っている。広範な人民のあいだで原水爆戦争や自衛隊参戦に反対し、二度と戦争を許してはならないとする機運が空前に盛り上がっている。にもかかわらず、日本での反戦平和の大衆運動は、米欧諸国に比べても低調である。その最大の要因は、「共産党 」の看板をかけ、人民の隊列に潜りこんで、人民の斗争のほこ先がアメリカ帝国主義と日本独占資本にむくのを攻撃している修正主義一味にある。

  米国の日本支配に屈服してきた潮流
 戦前の共産党は正しい政治綱領をかかげながらも、労働者、農民など広範な勤労大衆に根をおろすことができずに壊滅した。絶対主義天皇制政府の無謀な侵略戦争のもとで苦難にある人民の手助けができなかった。
 戦後再建された日本共産党の内部では、米占領軍を「解放軍」と認め、日本独占資本を目下の同盟者として日本人民を抑圧・搾取し、アジア侵略の基地としたアメリカの日本支配に屈服する潮流があった。GHQ(連合軍総司令部)の前で、獄中十数年の共産党幹部らが「マッカーサー元帥万歳」を叫んだのは有名である。かれらはアメリカの「民主化」に感謝し、アメリカの広島・長崎への原爆投下、朝鮮侵略戦争の犯罪を暴露することに反対し、共産党員の職場からの追放(レッドパージ)ともたたかわなかった。
 1950年8月6日、原爆投下、朝鮮侵略のアメリカの犯罪を糾弾した平和斗争が米占領下の広島でたたかわれたのにたいし、それを弾圧したアメリカの側に立って共産党中国地方委員会を弾圧した。また、原爆投下の犯罪をあばいた被爆詩人・峠三吉の業績も、長期にわたって抹殺しつづけた。
 1950年代の内灘、妙義山、砂川と尻上がりに盛り上がった米軍基地反対斗争をへて60年の「安保」改定阻止斗争が空前に高まるなかでは、宮本顕治らの修正主義指導部はデモ隊がアメリカ大使館にむかうのを阻止して流れ解散をさせ、官憲に殺された女子学生を「トロツキスト」と罵(ば)倒するなど、親米の日和見主義をさらけ出して恥じなかった。
 他方、原水禁運動では、1955年の第1回世界大会まで発展したものを「杉並の主婦から」と、反米ではない小市民の民主主義運動にねじ曲げるとともに、選挙の票とりや「党勢拡大」などに利用する党利党略の具とし、広島の被爆者からいみ嫌われて、運動をつぶしてしまった。
 1961年の「党綱領」で、アメリカ帝国主義と日本独占資本を「二つの敵」と規定したものの、その「革命」は「国会で安定した多数をとれば可能」と、議会主義の泥沼に落ちこみ、労働者を先頭にした大衆斗争に反対し、それを押さえこむことに浮身をやつすようになった。70年代には、「民主連合政府」「安保破棄通告論」をうち出し、アメリカの属国化した「民主主義体制」を天まで持ち上げ、選挙にうつつをぬかして、現体制維持に犬馬の労を尽くした。
  
  矛盾の激化で戦争協力者の姿を暴露
 80年代から90年代にかけては、修正主義一味の日和見主義はいよいよ凶暴な排外主義に転化し、アメリカ帝国主義による社会主義政権の転覆、湾岸戦争をあおる共犯者となった。アメリカの謀略であった天安門事件を、「自由・民主・人権」の側から帝国主義と歩調をそろえて「自由の弾圧」と非難した。湾岸戦争においても、帝国主義による人為的な国境画定という歴史的要因を否定して、一方的にイラクを非難し、アメリカ帝国主義の侵略を公然と擁護した。
 米ソ二極構造崩壊後、唯一の超大国となったアメリカは、強大な核戦力と「グローバル化」によって、世界の「一極支配」の戦略をうち出した。そのために、「日米安保」の再定義、新「日米防衛協力指針(ガイドライン)」、周辺事態法と、日米軍事同盟を世界を対象としたものとし、日本をアメリカの戦争に総動員する態勢をとった。これにこたえて、修正主義一味は「災害救援」を理由に自衛隊を容認し、「日の丸・君が代」の国旗・国歌法制定に協力する姿勢をとり、米日支配層をおおいに喜ばせたのである。
 今回の「綱領」改定は、かれらの一貫したアメリカ民主主義賛美、大衆運動の破壊、そしてみずから資本主義の擁護者としてその利権の分けまえを求めるというさもしい正体を明文化した。とりわけ、戦争か革命かをめぐり世界や日本の矛盾が空前に激化しているなかで、米日支配層の戦争協力者としてあらわれ、独立した平和で豊かな社会をめざす人民と対立する姿を白日のもとにさらしたものである。

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