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東行庵高杉史料の萩市への強奪
明治維新冒涜する潮流の陰謀
                  高杉勝氏の所有権に疑問       2003年3月11日付

 高杉晋作が眠る東行庵にあった史料は、曾孫の高杉勝氏の判断として萩市が新設する博物館に寄託するとされた。これは一件落着ではなく、ことの性質を浮き彫りにするところとなったし、萩の野村市長側が東行庵から高杉史料を強奪したというほかはない。それはきわめて陰謀的にやられ、それが商業新聞や下関江島市長などもからんで仕組まれた。ここには、明治維新の拠点となった山口県において、高杉晋作と明治維新を正面から顕彰するのではなく、冒涜(とく)し抹殺していく力が働いていることが最大の問題であり、それは終わったわけではなく、ますます露骨になっていくすう勢にあると見なければならない。
 
  高杉の圧巻は功山寺決起 
 萩市に高杉晋作や伊藤博文などの史料がないのは、萩市では明治維新を喜び誇りとする流れだけではなく、それを恨みに思う流れもあったからである。「高杉の跳ね上がりもの」という評価があり、「本妻を残して下関で妾と遊んだいいかげんな男」などの評価もある。
 高杉を評価するとき、圧巻は功山寺決起であり、萩俗論政府一掃のために萩城をめざして攻めのぼり、藩論を統一し、倒幕への転換点を切り開いたことである。この快挙について、無条件に尊敬し顕彰することには、萩市民の一部には抵抗がある。この歴史の進歩と反動の分かれ道で、萩の幕府恭順派である俗論派は高杉を殺そうとしていたが、高杉が結成した百姓、町民、下級武士などによる奇兵隊、諸隊による内戦で殺された萩城下の武士集団の恨み、また明治維新によって没落した武士の恨みも流れている。
 萩の野村市長が高杉史料と不可分の関係として市職員として雇うといった一坂太郎氏は、「松陰や高杉などの英雄伝はどうでもよい」「その陰で犠牲になった人人のなかに本当の歴史がある」といい、「山口県民はそのような本当の歴史を語っていない」と説教。また「俗論派にも正義があった」と主張し、打倒された徳川幕藩体制の側に立っていることを明らかにしている。野村市長はそのような立場の一坂氏の大ファンといっており、高杉を尊敬しているわけではない。そこで展示される高杉の遺品は、ちょうど高杉が脱藩の罪で萩の野山獄につながれたようなあつかいになりかねない。客寄せの道具のようにされて、高杉らによって没落した萩への罪滅ぼしのようなあつかいにされるというのでは、山口県民の誇りはどこへいくのであろうか。
 東行庵の管理責任についてみると、東行庵で、意にそわない人人を追い出し、吉田の住民や市民が寄りつかないようにしてきて、しだいに寂れさせ、好きなように管理してきたのは一坂氏であった。年におよぶ先人の評価を覆して赤根武人の墓を奇兵隊士の墓と並べてつくったのも一坂氏であるが、それは三代の庵主を上回る管理者になっていることをあらわしている。管理責任ならかれらの責任が問われるのがスジである。ちなみに、谷玉仙尼が生前拒否していた一坂氏を東行庵に入れ、一坂氏とのパイプしか認めなかったのは高杉勝氏であった。そして東行記念館はつぶれるところとなった。

  どのように相続されたのか
 ところで、高杉史料は東行庵と切り離して高杉勝氏の所有といえるのであろうか。東行庵のおもな高杉史料は戦前につくられた高杉晋作記念館以来、晋作の孫である春太郎氏がかかわって東行庵に所蔵されてきたものであった。この記念館は戦後GHQによって閉館されたが、明治100年にあたって、さらに集められた高杉史料とともに、それを所蔵・展示するために、多くの人人の浄財によって現在の東行記念館が建設されたものである。
 高杉史料が曾孫である高杉勝氏の所有というとき、春太郎氏からどのように相続されたのであろうか。一点10万円と見ても270点なら2700万円となり、事実それに見合う価値として入館料がとられていた。それに見合った相続税はどのように支払われたのであろうか。それは、以前は財団法人、のちには宗教法人となった高杉家をふくむ東行庵の共同財産としてあつかわれたのではないか。
 また貸し付けていたというのなら、その貸付証の更新もなく、高杉勝氏が放置してきたのはどう解釈すればよいのか。少なくとも、60年以上も使用してきた財産は、使用者の所有になる例が多い。東行庵の使用者としての権利もまるでないような、高杉史料と一体の、高杉史料を所蔵展示するために建設された東行記念館がつぶれるような問題で、なんの話し合いもない一方的な史料の引き揚げと萩市への移管は合法性があるのだろうか。このへんは、税金のプロであり、金丸信の不正摘発を指揮した国税庁の正義派ともいわれている萩市の野村市長におたずねすべき問題と思われる。
 馬関攘夷戦に破れ、その講和に出むいた高杉晋作は、彦島割譲要求にたいして、長州の数十万人が命をかけてたたかうといって断固として拒否した。その高杉は現在、アメリカの要求というだけで、大義名分のないイラク戦争の下請に走り回り、国際的な信用を捨て、国を堕落させている自民党政府のやりようをどう見るだろうか。とりわけ、山口県選出の自民党代議士、県議や市長らをどう見ているだろうか。まさに開国すなわち欧米従属の植民地の道をすすむことで自己の支配の地位を守ろうとした徳川幕府の姿とうり2つではないか。
 東行庵の史料が萩へ行くという問題は、明治維新改ざんの背後勢力が仕組んだものといえる。高杉と維新を冒する流れは、萩市にもあり、下関市にもまんえんしている。高杉史料は晋作が眠る東行庵にもどすことが晋作の遺志を尊重することである。この東行庵問題の正しい解決は、下関においても、萩においても、山口県全体で、高杉晋作と明治維新、その主力となった山口県の父祖たちの誇りを守る問題である。

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