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明治維新革命リアルに描く
劇団はぐるま座
              『動けば雷電の如く』公開稽古    2008年5月19日付

 『高杉晋作と奇兵隊』の全面改作にとりくみ、4月23日に『動けば雷電の如く――高杉晋作と明治維新革命』の台本読みあわせ会をおこなった劇団はぐるま座は、17・18日の両日、山口市の劇団所在地で、最新の台本による「公開舞台稽古」をおこなった。県民の忌憚のない意見を聞いて舞台を練り上げるためで、山口市や下関市を中心に県内、また県外からも、労働者や教師、青年学生から年配者まで2日間で約120人が参加した。参加者は、新しい舞台が史実にもとづいたリアルで迫力のあるものになっていることに感動を語り、「山口県の誇りを子どもたちに、また全国に伝えてほしい」と強い期待を寄せた。
 はじめに劇団を代表して村松祐子氏が「人人の役に立つ劇団に生まれ変わるため、劇団再建の手始めとして『高杉晋作』の改作にとりくんできた。明治維新革命の発  前田砲台の修復をしている農民達の前で『男なら』を歌って踊る高杉
祥の地である下関を初演に、今後全県・全国で公演をおこない、現代の世直しを望む人人の役に立つ舞台を届けていきたい」と挨拶した。
 舞台は、解説者の「これは今からおよそ140年前、徳川幕藩体制を打倒して明治維新を成し遂げ、民族の独立を守りぬいた英雄たちの物語です」という口上から始まる。幕が上がってあらわれるのは、文久3(1863)年6月、馬関攘夷戦争で破壊された前田砲台の修復に、きびきびと働く農民たちの場面。
 「こねえになにもかも物が高うなるのは、横浜の港を開いた徳川が、異国との貿易を独り占めしちょるからじゃ」「徳川を倒して世直しするんじゃったら、命を賭けるがのぅ」と、仲間うちで歯に衣着せぬやりとりで沸き立つところに、坊主の姿の高杉が登場。一瞬農民たちは警戒するが、高杉はお茶の礼にと、萩のお台場づくりで歌われた『男なら』を歌って踊る。

男なら
お槍かついで
お中間となって
ついていきたや下関
国の大事と聞くからは
女ながらも武士の妻
まさかのときは
締めだすき

 これに立ち上がり、手拍子で応える農民たち。生涯、民百姓とともにたたかった高杉の人柄が浮き彫りになる。
 第2場、高杉が回船問屋白石正一郎を訪ね、意見をかわす。「士農工商身分を問わぬ奇兵隊を結成する」「商人は自由な商いのできる世の中を願っております」。
 元治元年、遊撃軍の陣屋、高杉が来島又兵衛らの出兵を思いとどまらせようと説得する場面では、京都へ攻めのぼり朝廷に頼って討幕を幻想する空理空論派と、高杉の主張との違いが鮮明になる。高杉は「自分たち自身の力に頼ること、すなわち奇兵隊をはじめとする諸隊の力と民百姓に頼ることだ」と確信をもってのべる。
 2幕。来島たちは暴発し京都の蛤御門で大敗した。長州藩は朝敵とされおりしも海からは4ヶ国連合艦隊が長州に襲いかかる。しかし高杉は講和談判では一歩もひかず、長州藩への賠償金支払いと彦島割譲を断固として蹴った。
 だが、36藩を動員しての幕府の征長軍が迫り、萩の俗論政府はこれに屈服して、正義派への粛正を断行する。まさに維新革命最大の危機。そのときの高杉の萩脱出の場面が第2場である。
 風雨が吹きすさぶ夜、萩郊外の高杉の隠れ家。百姓姿の高杉が手紙を書いているところに弥市が訪ねてくる。「君主に忠、親に孝、家を守るのがこの世の中の定めだ。じゃがのぅ、時代はそれではおさまらんのだ。このままでは日本国が滅びる」という高杉が、朝焼けを見上げて「親を捨て子を捨つるまたなんぞ悲しまん」と詩吟を吟ずる場面は封建的な束縛との葛藤をくぐって決起する心情を伝え、深い余韻を残すものとなっている。
 第4場。雪積もる功山寺。集まった隊士は80人余りだが、「さあ出陣だ」の高杉の声に、隊士たちが「おう」と応え、武器を構えたところで弥市が浮かび上がる。「凛冽(れつ)寒風面(めん)将(まさ)に裂けんとす 馬蹄踏破す満街の氷」の詩吟の朗唱は、息詰まる緊迫感のなかに高杉らの断固たる決意を感動的に伝えている。
 高杉と奇兵隊・人民諸隊はついに俗論政府を打ち破り、討幕に向けて藩論を統一した。その過    第4場。功山寺で決起する場面
程では、吉富藤兵衛、林勇蔵ら豪商が近郊の農民を組織して立ち上がった事実。
 また地元の農婦に抜け道を教えられたり、俗論軍に火を放たれた農家の救出を第1におく場面など、「強き百万といえども恐れず、弱き民は、1人といえども恐れ候こと」という奇兵隊の性格が浮き彫りになる。
 最後は、下関市の吉田・東行庵、新地・桜山招魂場の奇兵隊士の霊標などゆかりの場所が次次とスライドで映し出されるなか、高杉の人柄を偲んで、辞世の句「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」などが紹介され、音楽が高まり幕となる。

 若い世代にも見せたい 観劇後、感想交流
 観劇後の感想交流では、参加者からさめやらぬ感動の面持ちで次次と意見が出された。
 山口市の元法務官は、「迫力満点。熱演に感激した。解説がよくできており、時代の流れを明確にあらわしている。最後のスライドが引き立っている。桜山招魂場で武士も農民も同格の碑をつくっているが、高杉の考え方と実践をよくあらわしている。この舞台は教育委員会がモデル劇として全面的に支援し、歴史の生きた教育として各地で上演してほしい」と期待を語った。
 下関市の満珠荘存続署名をとりくんでいる年配者も、「東行庵や桜山招魂場は、私が生まれたときから身近にあるものだ。山県や伊藤などの有名な人ではないが、多くの先輩たちが、今日熱演された通りの生き方を一生懸命されてこの世を終わっている。長州を助け、日本を助ける生き方だ。そういう人がたくさんおられたことを伝えていってほしい」と力を込めてのべた。
 また萩市の教師は「前作とすごく変わっている。とくに後半、親を捨て子を捨てて国を救っていく、高杉が悩みながら前進していく場面は、本当に魂のこもったものだ。舞台は農民が主人公であり、農民に依拠して高杉が勝っていったことがよくわかる。農漁村が校区の、うちの学校の子どもたちも勇気づけると思う」と語った。子どもたちや若い世代に見せたいという意見が多く寄せられたのが特徴であった。
 「『男なら』の歌に最初に度肝を抜かれ、劇に入っていけた」など、劇中で演じられる高杉の歌や詩、辞世の句にも共感が寄せられた。
 2日目の感想交流では、山口市の鍛冶屋の男性(82歳)が曾祖父から伝え聞いている話として「江戸時代は農民に名字帯刀は許されていなかったが、高杉晋作さんが長さ1尺6寸、柄が片手で握れるほどの刀を考案して農民でも持てるのだとし、山口の鍛冶屋でつくれと指導した。この農兵刀は当時の農民の誇りであり、奇兵隊の身分証明書みたいなものだった。曾祖父の墓は奇兵隊隊士と同じ形にしてある」と話した。
 広島市から駆けつけた婦人は「農民の力、今でいえば地域の力がこうして1つになればと思う。日本国民のために命を捧げた高杉晋作に比べて、福田総理はなにをしているのか、高杉が生まれ変わって入れ替わってほしいと思う。地元に帰ってなにかやらねばという、元気をもらった」と感動を語った。
 萩市の退職教師は、「高杉晋作の描き方が、そびえたつ偶像ではなく、とても人間的で近しく感じた。江戸末期の人人の生活や背景も観念的ではなく、具体的でわかりやすく理解できた。今萩では萩博物館に俗論党がとぐろをまいて明治維新の正しい顕彰を妨げているので、ぜひ萩でも早くやってほしい」と期待をこめた。
 また若い世代からも発言があり、広島市の女子大学院生は「私も高杉晋作と同じ20代だが1日1日を真剣に生きないといけないなと、身の引きしまる思いがした」と話した。
 山口市内の20代の女性は「教科書だけでは勉強できないことばかりで、とても感動した。以前の劇よりも気持ちに伝わってくるものが多くなっていた。ドラマ性が多く、当時の生活や人人の気持ちもわかって感動した」と話した。

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