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明治維新の真実に強い共感
記者座談会・高杉下関公演取組
                高杉と奇兵隊の真髄描く     2008年6月11日付

 劇団はぐるま座の『動けば雷電の如く――高杉晋作と明治維新革命』の下関初演が今月21日に迫っている。市内中にポスターが貼り出され、台本が普及されるなかでかつてない反響がまき起こっている。台本を読んだ人の感想や公開舞台稽古の反響をもとに、今回改作された作品が人人にどのように評価されているか、この舞台が今後山口県全県から全国で上演されていくわけだが、そのことの今日的な意義について、記者座談会をもって話しあってみた。
 A 今回の作品の反響だが、『動けば雷電の如く』の台本を読んだ人がその内容に非常に激しく反応するのが特徴だ。下関公演のとりくみも、台本を読んで感動した人が本気になってまわりに呼びかけている。感想としてまず出されているのが「史実に沿って忠実に描かれている」ということであり、「先達から語り伝えられている話をいろいろ聞いてきたが、そのままが描かれている」ということだ。
  今回第2幕第2場の萩脱出の場面が新しく入ったが、高杉晋作が家を捨て国のため、民族のために立ち上がるという生き方に感動している。公開稽古をみた広島の女子学生が、「主君に忠・親に孝」という封建的な束縛との葛藤を通じて決起していく場面に自分を重ね、「自分の生き方について問われている気がした」といっている。
  今回の台本では明治維新革命の原動力としての農民や商人、町人の役割が比較的浮き彫りにされている。それらが結集した奇兵隊の性格が隊則としても表現され、奇兵隊の強さの必然性をあらわしている。また指導者としての高杉の路線と行動がかなり鮮明になった。高杉は当時の社会の発展方向について確固とした見解を持って、それを一貫して追求している。しかも大衆とともに、長州に割拠し大衆に依拠してやった。これが高杉が京都への出兵を阻止する根拠であり、功山寺で決起する根拠となった。この高杉の行動に呼応して長州藩内全域の百姓、町人が決起したし、全国の農民、商人、町人が呼応した。明治維新は人民が主人公としてやったということがきわめて鮮明だ。
  曾祖父が高杉の命令で農兵刀をつくっていたという山口市の鍛冶屋の主人が、公開稽古をみてとても喜んでいた。奇兵隊や関係者の子孫の人人が、先祖のことが初めて表に出たということを喜んでいるのも特徴だ。
 B 農民の会話がかなり出てくるが、ある文化人も「あの時代にあのような話が語りあわれていただろう。あれが本当だろう」という。当時、人民のなかでの攘夷熱はすごかった。
  年配者のなかでは、高杉が講和談判で彦島割譲を蹴ったという話が思い起こされ、「高杉が命がけで行動したから日本を植民地にさせなかったんだ」と誇りをもって語られている。舞台をみて、農民が主人公として力強く描かれていることに「気持ちがビンビン伝わってくる」といい、労働者としての生産を担う誇りを思い起こしたという感想もあった。また、舞台を現代と重ねてみており、「よく現代を風刺している」「今につながる劇だ」という意見もかなり出た。
  明治維新の真実、真髄が新鮮に響いている。県の職員が台本を読んで「これまで明治維新はクーデターだと思っていたが、やはり革命だった」と認識を新たにしていた。

 『男なら』にも深い共鳴
  宣伝カーで『男なら』を流すと、年配者がたいへん喜んだ。「昔は飲み事があるたびに、おばさんたちが歌ったり踊ったりしていた」と。それがなぜ歌われなくなったのかといっている。『男なら』のなかで「男のなかの男」と歌い継がれているのは高杉晋作と白石正一郎だ。木戸孝允や山県有朋や伊藤博文などはまったく出てこない。かれらは奇兵隊兵士、農民を裏切った関係だ。庶民が尊敬し親近感を持っているのは高杉と白石なのだ。
  『男なら』の変遷を見ると、これは文久3年の馬関戦争、下関攘夷戦の歌だ。幕末から明治初めにかけては『維新節』といって歌われていた。それが『長州音頭』にかわり、それを2・26事件のあった昭和11年に音丸という歌手が『男なら』の題で歌い始めた。歌詞も、『維新節』では「尊皇攘夷と聞くからは」だったのが、「お国の大事と聞くからは」に変えられた。当時の軍国主義勢力が明治維新にあやかって人民を日中戦争に動員するために歌詞を変えて流行らせたのだ。だから『男なら』は本来、庶民のなかでは明治維新を称える歌であり、とくに高杉と白石、奇兵隊をたたえる歌で、いわば明治維新の革命歌だ。
  『男なら』の歌が、長らく歌われなくなっていることもあらためて実感されている。しかしこの『動けば雷電の如く』で描かれた真実が、明治維新後隠されてきた歴史がある。第2次世界大戦後は日本を占領したアメリカにとって都合が悪いから隠してきている。
 3代から4代まえの父祖たちが成し遂げた明治維新革命は、下関では文句なしの郷土の誇りだ。革命の中心舞台になったのは下関であるし、その史跡も下関にしかない。しかしその下関ですら隠されてきている。下関の海峡に面する赤間神宮が安徳天皇を祭っていることは知られていても、この神社の前身が奇兵隊の屯所となった阿弥陀寺であり、白石正一郎が実質的に赤間神宮を造営した宮司であること、当初の歴代宮司が奇兵隊士であったことはほとんど知られていない。
  了円寺の場合も、功山寺決起後、高杉ら反乱軍の屯所に貸しているのだから、下手をすると住職は首を飛ばされるかもわからない。住職は命がけだったと思う。しかしそのことをずっと語っておらず、戦後初めて明らかになった。奇兵隊士の末裔も、先祖のことを熱っぽく語るが、社会的な孤独感、孤立感を感じている印象がある。明治維新後に弾圧されたままで社会的に認められていない。庶民のなかでは誇りとして語り継がれているが、社会的には未決着なままといえるのではないか。
  それは明治維新評価にかかわる問題だ。明治維新は不徹底なブルジョア革命だった。新政府の官僚となった下級武士は、長州討伐軍を派遣して攘夷も倒幕をもつぶそうとした朝廷と手を結び、農民や地方の商人を裏切っていった。奇兵隊や諸隊は戊辰戦争から帰ってくると弾圧され、明治二年には脱隊騒動も起こる。褒美(ほうび)をもらうどころか首を切られてしまう。
 だから、奇兵隊を裏切った木戸や山県、伊藤などが大きな顔をするためには、高杉や白石が出てくると奇兵隊が出てくるから、困るというわけだろう。維新後、常備軍をつくるということで奇兵隊を解散するが、奇兵隊士だった白石と白石の息子2人は即除隊となっている。論功行賞なども一切ないという扱いだ。

 白石の業績も浮彫りに
  長州出身の新官僚どもは、明治維新で1番貢献した白石を筆頭とする下関の商人たちを裏切って、土佐の岩崎(三菱)や、三井などの徳川の特権商人と手を結ぶ。下関の商人で財閥になった者はいない。維新にもっとも貢献した下関は、資本主義の実現によって没落の道を進んだ。
  白石など下関の豪商は、ブルジョア革命のために高杉に協力したが、維新後その恩恵は受けていない。白石家は財産をすべてつぎこみ、破産状態になった。白石家には400人ぐらいの志士が出入りしていたというが、白石は献身的に志士たちを支えた。それに高杉はかなり心を痛めて、藩政府にたびたび補償を要求していた。しかし維新後、木戸や井上などは白石を切り捨て、恩を仇で返すような仕打ちをした。奇兵隊の隊則の精神である「借りたら返す」というものは裏切ったわけだ。
 初めて白石正一郎の業績が世に紹介されたのは、1960年代後半から70年代で、元下関図書館長の故・中原雅夫氏が、白石正一郎の日記や白石家の文書をもとに、白石は高杉に協力した1番の貢献者だと明らかにした。そのなかで「幕末において、高杉晋作の前に伊藤博文や山県有朋は実に小さい存在であった。その伊藤や山県の知られている割に、高杉が顕彰されているとは思えない。白石正一郎の存在はさらにきわめて地味である。しかしその果たした役割はもう少し知られてよい」という問題提起をした。そして「(白石の功績をあるがままに評価することは)白石家の資産を飲みつくし、食いつくして、今に顕官となっている連中には、大いに荷厄介なことであったのかもしれない」と指摘している。
  白石は奇兵隊にも第1号で入隊している。弟の廉作は奇兵隊士として戦死している。非常に献身的な活動をしている。『男なら』のなかに「白石正一郎さんは男のなかの男じゃないかいな」とあるが、そこには深刻な内容があると思う。庶民はみな高杉とともに白石を尊敬してきたわけだ。
 しかし下関の祭りを見ても、戦に負けた平家の祭りはあっても明治維新の祭りはない。高杉ゆかりの吉田・東行庵にしても新地にしても、関係者は碑前祭などの行事をずっとやっているが、下関を上げた祭りでもいいのに、そうはなっていない。
  功山寺決起を転換点とする明治維新を切り開いた長州藩のたたかい、その本当の主人公と指導者、そのたたかいの真実を隠す力が働いてきたということだ。原爆投下後の広島で、風呂屋に行くとケロイドを見せあいながら原爆のことで語っても語りつくせないほどの話になるが、1歩外に出ると口を閉ざして表面にはなにもあらわれなかった――といわれるが、高杉や白石、奇兵隊も同じ目にあってきたということだ。その地域ではいろいろ語り継がれているが、表面には出ていない。
 明治維新が革命であったということを隠し、裏切り者の歴史にすり替えてきた。維新革命の裏切り者たちは、その後絶対主義天皇制をでっちあげ、圧政と戦争へと国民を駆り立てただけでなく、それが敗戦になった。そしたらこんどはアメリカに屈従して一緒になって日本の人民を支配している。幕末の徳川幕府の位置に移っていったのだ。今の自民党はその裏切り者の末裔、なれの果てだ。この抑圧をとっ払って明治維新の誇りを登場させる意味はものすごく大きい。

 真実抑圧するマスコミ
  マスコミによって真実を抑圧している。最近のNHKの大河ドラマを見ても、『新選組』や『篤姫』など、維新革命で打倒された徳川方を主人公にしている。奇兵隊を前面に出したドラマはやったことがない。
  戦後の明治維新評価が戦前に輪をかけてでたらめだ。『長州ファイブ』などもそうだが、「ペリー来航によって日本の近代化が実現した」という「ペリー賛美史観」だ。しかし近代化は、機械が発達するだけではない。最も重要なことは生産関係の変化だ。明治維新によって、三百家近くあった藩主の領地を没収して封建的領地所有制度を廃止した。また統一国家をつくり、関所を廃止し幣制を統一するなどして交易の自由を実現した。士農工商の身分制度を解体し、土地に縛りつけていた農民を「自由」にした。それで無一物の労働者をつくり出し、資本主義発展の条件をつくった。他方で秩禄処分などによって大名や武士に富を与えた。この所有制度を中心とする生産関係を変革したことが近代化だ。こうして封建的生産関係を解体したことで近代機械制大工業の条件ができた。
  再来年のNHKの大河ドラマは『龍馬伝』だ。しかも岩崎弥太郎の視線から坂本龍馬を描くという。岩崎といえばのちの三菱で、官営長崎造船所を明治政府からただ同然で払い下げてもらい、その民営化をもとに大財閥になった。三井というのも、幕府の御用商人であったのが、官営の三池炭坑などの払い下げを受けて財閥としてスタートした。伊藤や井上が下関の商人を裏切って、彼らと組んだわけだ。
  ペリーの来航をほめそやすということは日本の歴史上なかったことだ。それをやり始めたのが最近の特徴だ。アメリカのハーバード大史観が持ち込まれている。実際には、当時の攘夷熱というのは相当のものだった。ペリー来航を受けた幕府の開港にともなって、米の値段が30倍に高騰するなど物価高が庶民生活を直撃したり、海外から綿糸、綿布が大量に入ってきて日本の綿業を圧迫していたからだ。このなかで長州藩が馬関戦争で攘夷決行に踏み切ると、全国的に長州びいきの世論が沸騰した。それは禁門の変ののち四国連合艦隊の下関砲撃、第1次長州征伐で長州が窮地に追い込まれるようになってからも高鳴り続けたという。
  第2次長州征伐の年の慶応2(1866)年には、大阪や江戸をはじめとして日本中で最高規模の打ちこわしや世直し一揆の大波がまき起こっている。長州征伐の軍用金調達のために各藩が百姓に負担を押しつけたことがきっかけだったが、全国の百姓が高杉らの決起と意識的に呼応して立ち上がったものだ。だから、高杉が功山寺で決起した年から翌年にかけて、京都で「長州おはぎ」が爆発的に売れる現象が起こったし、幕府側が敗北し長州征伐の高札が取り払われたさいには京都や大阪周辺の民衆は歓喜したという。

 米国側からも維新冒涜
  しかしこれまで明治維新の真実が表面に出ていない。戦後の明治維新を冒涜する攻撃、維新史の覆しというものはアメリカの側からかなり強力に、意図的にやられている。トルーマンは原爆を投下したとき「ペリーの恩を忘れた報いだ」といい、敗戦後のミズーリ号での無条件降伏調印式は黒船が入った浦賀沖にし、マッカーサーはペリーが携えてきた当時の星条旗を掲げてすごんだ。日本の明治維新史学会のなかでも、最近は「敗者の側から」といって徳川を美化する論がはびこっている。
  山口県の歴史を改ざんする攻撃は体系的に来ている。03年、東行庵にいた一坂太郎氏が高杉史料を東行庵から萩へ持ち逃げして下関市民、山口県民の怒りが噴き上がった。同じころ、萩市に県立の明治維新館を建てる構想が動いていたが、その計画には一坂氏や野村市長とともに、ハーバード大卒のアメリカ人教授もかかわっていた。アメリカの側から、意図的に「長州を黙らせろ」と強力に押し込んできたものを、二井県政が受けたという関係だろう。一坂氏は、“アメリカという幕府から、長州・高杉の懐に送り込まれた公儀の隠密”というところではないか。
  今年2月、下関市と下関市教育委員会が主催して前田砲台を世界遺産にしようというシンポジウムが開かれたが、ハーバード大・ケネディスクール卒の教授が「近代兵器を持つ欧米艦隊に敗北したことで、攘夷の急先鋒であった長州藩がその誤りを反省し、開国路線に転じた」と主張した。それがシンポジウムの基調だった。
 だが、馬関攘夷戦争で前田砲台から大砲をぶっぱなしたのは、日本で外国軍艦に攻撃を加えた最初だし、攘夷・民族独立の1番の発祥地だ。そして一局面では負けたとしても、全体として外国の植民地化を許さなかった。その独立の遺産を売国の遺産にすり替えようとしている。
  かつて日本の反動的支配層は、明治維新を裏切っておいて、あたかも彼らが明治維新の正統な継承者であるかのように国民に見せかけようとした。ところが最近の支配層は徳川方を擁護する立場に移っている。自分の地位を守るため、天皇以下アメリカに国を売ってきたのが戦後だ。新選組は京都でも嫌われるならず者の殺し屋集団で日本人は忌み嫌っていたが、それがNHKの大河ドラマになるというのもそこからきている。
  次は『龍馬伝』ということだが、高知県では龍馬より中岡慎太郎の方が権威が高い。中岡は高杉と兄弟のちぎりを結んでいた関係だ。薩長同盟を龍馬がとりもったというが、龍馬は勝海舟の弟子になったり討幕派についたり、最後は「船中八策」の公武合体路線で徳川方にいる。薩長同盟ができた基本的な条件は、高杉が功山寺で決起し、長州藩の藩論を統一し、全国的な力関係を変えたからだ。だから西郷も長州についたという関係だ。薩長同盟の斡旋役で1番動き回ったのは中岡だ。龍馬を美化するという背景には、1番売国的な独占資本である三菱の先祖を美化するということがあると思う。
  今回の舞台は、日本社会がこれだけ閉塞した状況にあるなかで、人人をものすごく元気づけ、励ます質を持っている。明治維新は、70、80代の年配者からするとひいじいさんの世代になるが、わずか4、5代前の父祖たちが成し遂げた快挙だ。その真実を描くとみんな元気になる。とくに小泉から安倍、福田と続く日本政府がアメリカにぺこぺこして国をつぶすような事態になっていることを「高杉たちが見たらなんというか」「この社会も根本から変えることができる」という元気を発動している。
 それは下関の誇りの回復であるし、山口県全体、日本全国の人民の誇りの回復だ。今からこの舞台を全国で上演していったら、日本社会をまともなものにしようという力を非常に激励することは疑いない。

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