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<民笛>虚像の総理候補に踊る(踊らされる)恐さ   2006年9月6日付

 安倍晋三氏が次期総理間違いなしという情報しきりである。山口県出身の総理誕生ということで、喜ばないといけないのだろうが、なぜか恥ずかしいような気がして単純に喜ぶことができないのは、私だけだろうか。
 現在「総理候補安倍晋三」という虚像が1人歩きしているが、彼がいっていることか、していること、など彼の実像を多少なりとも知っている者にとっては、恥ずかしくてとても「我が郷土の総理」という言葉が出せないのである。
 多くの国民は、彼の実像を知らないので、マスコミのつくりあげた虚像に踊らされるのは、仕方がないとしても、彼の実像を知りうる立場にある政治評論家といわれる人たちや、多くの国会議員が、安倍氏をほめ、総理に担ぐということは理解しがたいことである。
 私のまわりにいる人たちの言によれば、所詮政治評論家といわれている人たちも、国会議員も、ほんの1部の人を除いてほとんどが、その程度の能力しかないのだ、能力があったとしたら買収されているに違いないといっているが、あながち的はずれでもないのかなと思えるほど、私から見ると異常な政治状況である。
 安倍晋三氏に人間として、あるいは政治家として、どれほどの能力、経験、実績があるか。彼は1人の人間として、どれだけ社会で苦労し、研鑽を積んできただろうか。生まれながらにして「晋三さん、晋三さん」と特別扱いされてきた人生ではないか。あまり聞かない大学を出て、ツテで神戸製鋼所に入社し、外国勤務をするなど、まさに温室育ちをしてきただけではないのか。政治家としても、3世議員として特別扱いされただけで、彼にどれだけの政治的な経験、実績があるのか。どれだけの修羅場をくぐりぬけてきたか、どれだけの胆力があったか。
 また、彼は「再チャレンジ社会を」といっているが、なにが再チャレンジか。彼自身は、自分が苦労することなく親から莫大な政治資金を、それもリクルートやゼネコン、日債銀等の疑惑、汚職事件にからんだ資金を引き継いだだけではないか。親からカバン、地盤、看板を引き継いだだけの甘やかされた政治家ではないか。どれほどの苦労をして選挙戦をたたかってきたか。
 自分はそのような、温床のなかで、特別扱いでぬくぬくと保護されていて、なにが「再チャレンジ社会」の構築か。我が身をかえりみて、「再チャレンジ社会を」と声高に主張することに恥ずかしさを覚えないのか。
 安倍氏は国政での実績はきわめてすくないが、政治実績といえば、現在の下関市政が、安倍政治の実績といえるであろう。江島市長は、下関市政を安倍氏のいう通りに動かし、その見返りとして先の市長選でも安倍氏から絶大な応援を得た。安倍氏の陣頭指揮のもと、安倍陣営の死にもの狂いの応援によって江島市長はかろうじて首の皮1枚つながり当選した。安倍氏の応援がなければ江島市長は落選していたというのは、衆目の一致するところである。
 そういう点では、江島市政=安倍政治と多くの下関市民は思っているし、事実そう考えても間違いはない。それでは安倍政治の実績ともいえる下関市政の実績はどうか。
 市民無視の市政、不公正、不公平な市政の連続である。まじめに働く気がある者が、普通に生活できる社会をつくるべきであるのに、現在の下関市では、安倍さん、林さん、江島さんを支持する人、黙って従う人しか下関市民として認めてもらえないような、荒廃した社会をつくっている。これまで、この3氏に従順に従わなかったということで、公共事業から徹底的に排除され、何社が倒産と廃業に追いこまれたことか。再チャレンジどころか、自殺にまで追いこんでいるのが下関の実情である。この事実を誰も否定することはできまい。このような下関市を放置しておいてなにが再チャレンジか。
 下関市の実態を見れば、安倍晋三氏が国民の幸せのための政治をする気があるのか、またその能力があるのかがよくわかるはずである。
 そういう点からも、政治評論家やマスコミの人たちが、安倍晋三氏の虚像に惑わされずに、彼の実像を知るために下関市の実情を調査することを期待しているところである。よい政治家を選ぶからには、国、地方を問わず、政治評論家やマスコミがまず政治家の言動、実績をよく調査して実像をつかみ、国民にその実像を知らせることがきわめて重要である。
                                         下関市 立花 浩

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