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盛上がる原爆使わせぬ大交流
広島「原爆と戦争展」開幕
             鋭い問題意識の全国参観者    2012年8月3日付

 第11回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会)が1日、広島市南区の広島産業会館西展示館で開幕した。被爆から67年目の8月6日を迎える広島では、数十万犠牲者に対する厳粛な思いとともに、原発事故、オスプレイの強行配備、TPP参入などアメリカによる植民地的な政策と国民世論を無視して暴走する日本社会への底深い変革世論の高揚を伴いながら、全広島市民の声を全国、世界に発信し、平和な社会を築く国民的運動をつくる基点として準備されてきた。会場では、被爆者、戦争体験者をはじめ、現役世代、親子連れ、青年、学生に至る広範な市民、全国から問題意識をもってきた人人が訪れ、戦後67年の真実を語りあい、独立と平和のための行動を広げていく交流が熱を帯びている。
 1日、午前10時からおこなわれた開幕式は、司会を務める高橋匡氏(広島の会副会長)の「全国民から痛烈な拒否を受けながらも、オスプレイが隣の岩国基地に配備された。国民の世論を無視し続ける日本政府に強い憤りがある。そのような情勢下で今年の展示会は特別意義深く、全員の努力で盛大なものにしていこう」との呼びかけからはじまった。
 広島の会の重力敬三会長のあいさつ(既報)の後、共催する下関原爆被害者の会の大松妙子会長から寄せられた「8月5日におこなわれる交流会を楽しみにしており、ともに原爆展を大成功させる」との連帯メッセージが紹介された。
 原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子会長からは、「これからの日本はこれまで以上の苦労が待っていると思うが、私たちが耐えに耐えてきた原爆、戦中戦後の生活について若い人たちにしっかり聞かせていくことは、平和のために欠かすことのできない仕事。世界中で原爆を落とされたのは、広島と長崎だけ。声を大にして、命のある限り戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えていきたい」とメッセージが寄せられた。
 続いて、被爆者を代表して真木淳治、上田満子の2氏が発言。
 真木氏は、2月の廿日市を皮切りに、呉市、北広島町、広島大学、広島修道大学と続けて原爆と戦争展を開催し、小中学校での平和学習、修学旅行生への証言活動を進めてきたことに触れ、「とくに感じるのは、子どもたちの受け止め方の真剣さ、意識の高まりであり、学生たちの一生懸命さと行動意欲だ。各地と同じように本展でも、新しい出会いが待っていると思う」と期待をのべた。
 さらに、「最近の国の方向は、国民の多くが望む方向とは逆の方へと進んでいると思えてならない。昨年から私たちは戦争反対、核兵器の廃絶に加えて、原発の廃止を訴えてきたが、その動きと軌を一にして東京の首相官邸周辺をはじめ、全国で“反原発”の大きな動きが起きている。国がどのような方向に進もうとしても、多くの国民は心から平和を願い、核のない安心、安全な生活を望んでいる。私たちは、これまでの活動に確信をもち、その方針を貫き、若い人たちとともに一生懸命にとりくんでいきたい。広島の声を全国、全世界に発信していくため、ともに頑張ろう」と意気揚揚とのべた。
 上田氏は、原爆展活動を続けていくことが「母や弟に代わって生かされた自分に与えられた使命」であり、「これからの日本の行く末は、私たちが、どれだけ平和を訴えていけるかにかかっている。日本の現状はとても平和とはいえない。オスプレイなど招かれざる客がすでに日本にやってきているが、早晩日本から出て行ってほしい。原発事故がなに一つ解決してないのに原発を再稼働させるなど、日本政府は、国民と同じ苦しみの経験すらなく、その悲しみや怒りがまったくわからない。きな臭さ漂う今日だが、しっかりと腹をくくって全国のみなさんに伝えていくことが被爆した私たちのつとめだ」と強い決意をこめて語った。
 続いて、スタッフとして参加した大学生3人が発言。
 広島出身の女子学生は、「社会科教員を目指しているが、小中高校を通じて教科書で戦争の記述はすごく小さく、日本の教育現場では真実の歴史を知る機会が少ない状況に置かれている。その結果、戦後六七年たつのにまた戦争の流れが日本に襲いかかっていると思う。広島に生まれ、しかも教員を目指す以上、みなさんの平和への思いをむだにしたくない。多くを学んでこれからに生かしていきたい」と力強くのべた。
 男子学生は、「大学で開かれたパネルを見たり、被爆者の話を聞かせてもらい、初めて知ることや心に迫る話が多くあった。これを伝えていく“使命のバトン”を受けた以上、そのバトンを次の人たちに繋いでいくつもりで頑張りたい」とのべた。
 別の男子学生は、「広島出身で小さい頃から平和学習を受けてきたが、この年になってこれからなにかしなければいけないという使命感に変わってきた。それならば、まず動かなければいけない。教員を目指しているが、資料で知るだけでなく、実際の体験者の真に迫る思いを受け継ぎ、次の世代に伝えていきたい」とのべた。
 学生たちの堂堂とした発言に、参加者からは大きな拍手が送られた。

 人生かけると賛同者に 広島の参観者

 はじめて今年開催する会場にもかかわらず、開場とともに賛同者の被爆者や、親子連れ、夫婦、諸団体、会社員や学生などの市民が次次に訪れ、第2次大戦から原爆投下、アメリカの占領から今日に至る180枚のパネルを熱心に参観。会場に常駐する被爆者から積極的に体験を聞き、新たに協力を申し出る参観者の姿も見られた。
 安佐南区から訪れた60代の婦人は、「同じ人間として、アメリカはどうしてこれほどのことができるのだろうか。オール電化だとかIT化とか、67年のうちに表向きの文明は進歩しているかのように見えるが、いまだにイラクやアフガンでアメリカがやっていることは原爆投下と同じ残忍な無差別殺人だ。広島が苦しんだことが、いまだに世界中で繰り返されている。目的のためなら手段を選ばない野蛮さは、これまで以上に凶暴化していると思う。私たちは目を覚まさないといけない」と激しく語った。
 「原発再稼働を契機にして、これまでおとなしかった国民が立ちあがりはじめたが、日本の将来について必死な思いはみんな同じだ。その必死さがないのが政治家で、自分の座るイスの心配ばかりしている。彼らを一度縛り付けて、国民のための政治をとり戻さないと日本の発展はないと思う。私一人が大声をあげたところで知れているが、太平洋戦争で船もろとも海に投げ出された父の思いを受け継いで自分も行動しなければいけない。このような市民主体の運動が続けられていることに感銘するし、市長や市議会も動かすくらいの大きな運動にしていくため一助になれるのであれば、自分の残りの人生をかけたい」と語って賛同者となり、8月6日におこなわれる原水爆禁止広島集会への参加を約束した。
 69歳の男性は、爆心地から4・5`bの宇品の自宅で被爆し、広島駅で被爆した父が1日半かかって自宅まで帰ってきたことを明かし、「戦後の日本は下から突き上げてつくられた民主主義ではなく、為政者がつくりだしたみせかけの民主主義。それが戦後六七年経った今の日本だ。福島の原発事故を見ても今はほとんど報道せず、再稼働だといっている。私も公務員だったのでわかるが、タウンミーティングなどは行政の都合でいくらでも操作できるものだ。実体験が語れる世代が少なくなっているが、広島、長崎が語っていくことに意味がある」と語り、再び訪れることを約した。
 17歳で被爆した婦人は、「母親が進徳高女の教員だったので鶴見町に建物疎開に出て被爆した。全身焼けただれていたが、生後間もない娘を守りたい一心で歩いて自宅まで帰ってきて、妹に一度だけ乳を飲ませて亡くなった。だから、このパネルを見ると涙が自然と溢れてくる」とのべた。
 広島の会の被爆者と歓談し、「私が感動しているのは、このような真実を伝える運動が広島でずっとやられているということ。被爆者が口を閉ざすのではなく、若い人たちに語り継ぎ、日本の現状を変えるために献身的に活動している姿は他に見たことがない。だが、なぜ広島市や地元メディアはこの運動にもっと協力しないのか? それほど“物言えば唇寒し”なのか。広島市民として大いに疑問だ」と語り、今後の協力を快諾して連絡先を交換した。
 東京から訪れて、平和公園でチラシを受けとって会場まできた20代の女性会社員は、時間をかけてパネルを参観し、被爆者から体験を聞いた。「休暇がとれたので、ぜひ広島に行こうと思って一人でやってきた。被爆者の方の熱意に涙が出るほど心を打たれた。自分の祖母も長崎出身なので、今のうちに被爆者の思いを聞いておきたいという気持ちがあった。東京でやるときには連絡してほしい」と協力を申し出た。

 書いてある通りと共感 福島県の参観者も

 福島県からきた男性教師は、「福島原発事故」パネルを見入り、デジカメで写したりしながら、「ここに書いてある通りだ。福島県民の思いを代弁していただいてありがたい」とのべた。被爆者から話を聞いた後、「福島原発事故があり、広島で学ぶことが今一番大事なことだと思ってきた。福島では一年半たって県民は落ち着いているが、農作物をはじめあらゆるものが基準値以下でも首都圏に受け容れられない現状がある。また、福島県民というだけで、ガソリン給油が拒否されたり、近寄るのを嫌がられたりすることもあり、正しい知識がこれほど伝わっていないのかと愕然とすることもある。正しい知識を広め、広島、長崎で市民が一丸となって町を復興させていることに学んで私たちもがんばりたい」と語った。
 「原発事故後の政府の対応は、素人でもおかしいと思うほどデタラメを極めた。住民の避難誘導はなく、メルトダウンして煙を出している原子炉に自衛隊ヘリからバケツの水を落とすというお粗末な対応しかしきらなかった。それなのに再稼働に踏み切ること自体が背任罪だと思う。アメリカの要求があるからだと思うが、広島でこれだけはっきりと“アメリカは出て行け”と主張する運動がされていることに励まされた」と喜んで語りパネル冊子などの書籍を買い求めていった。
 また、市内の中学生がグループで学習に来たり、親子連れなどが被爆者を囲んで話を聞く光景が続いている。被爆者たちはみずからの凄惨な体験とともに、「原爆は戦争を早く終わらせるためではなく、広島と長崎を新兵器の実験場とし、世界中にその威力を見せつけて日本を単独占領するためのものだった」「平和とは、与えられるものではなく、国民の手で守らなければいけない。日本は再びアメリカの新兵器の実験場にされ、原発が54基も押しつけられ、全国に基地が置かれ、このままでは広島の二の舞いが繰り返されようとしている。みんなが力を合わせて、この現状を変えていくために頑張ろう」と呼びかけている。
 原爆と戦争展は、7日までおこなわれ、5日には長崎や下関、沖縄などを交えた全国交流会が開かれる。

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