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無意味な箱物優先で教育破壊
下関市・川中中学校
               生徒間も教師間もバラバラ    2012年11月30日付

 安倍教育改革のモデル・教科センター方式3年

 文科省のモデル事業として教科センター方式の新校舎を建設した下関市立川中中学校が、2010年4月にスタートしてからまもなく3年になろうとしている。生徒たちの帰属するホームルームをなくし、約700人の全校生徒が毎時間、それぞれの教科専用教室めがけて大移動をくり返すという教科センター方式は、川中中のような大規模校では全国でも前例がなく、建設前から父母や地域、また市内の教師・教育関係者のなかで「ホームルームのある従来型の学校にしてほしい」「教科重視の点取り虫教育ではなく、将来のためにも人間関係をつくることのできる教育を」という世論が圧倒し、白紙撤回を求める署名約1万人分が教育長や市長あてに提出された。しかし、当時の安倍代理・江島市長や市教育委員会は、現場の教師には物をいわせず、父母の意見には聞く耳がなく、建設ありきで強行した。川中中をめぐっては今年、校長が中途退職し、子どもの荒れも心配されている。開校から3年たった現状はどうなっているか、実情を描いてみたい。
 
  学級の教室なく毎時間大移動

 「教科の学力を向上させる」「生徒がみずから進んで授業を受ける」「生徒の自主性を育てる」という建前で川中中の教科教室型校舎の計画が動き出したのは、9年前の2002(平成14)年にさかのぼる。翌年の03(平成15)年度に入ると川中中の教員は、突然上からおろされた「教科教室」型校舎の研修に、連日子どもの教育そっちのけで駆り立てられた。
 全国に視察に行った教師は「川中中のような大規模校では生徒指導上むずかしい」「子どものためにはホームルームが必要」との意見を出したが、市教委はとりあわなかった。その後、土地の確保が難航し計画がストップした2、3年のあいだに、クラブ指導に熱心な教師をやり玉にあげてマスコミが「体罰事件」を騒ぎ、教師の指導性を否定するなか、05(平成17)年4月には女子生徒が校内で自殺するという痛ましい事件も起こった。
 そして学校の立て直しの努力がされている真っ最中の07年6月、計画が再浮上し、初めて父母や地域への説明会が開かれた。市教委の説明に対して、「ホームルームのある従来型の学校にしてほしい」「ホームルームという生徒の居場所がないことで所属意識が欠如し、集団生活を通じて身につける社会性や人格を培っていく環境が奪われる」という父母や地域の世論が圧倒し、その後白紙撤回を求める署名は1万人を超えたが、そのような意見を無視して建設は強行された。新校舎は文科省の補助金をめあてに約50億円もかけてつくられた。
 教科センター方式は、当時の安倍内閣・教育再生会議が打ち出した差別・選別の教育改革の一環であった。それは教育の外側から、国の方向を全国先端で実行することで手柄にしようとする江島元市長の意図から持ち出された。そして、実際に子どもたちを育てている現場の教師、父母、地域の住民の協力など必要ないという態度を貫いた。その後の事態、現状は、市長や市教委に、川中中の子どもたちの教育をよくするという姿勢が、はじめからなかったことを示している。

 建前と実際の乖離露呈 新校舎での学校生活

 2010年4月、新校舎での学校生活がスタートした。
 川中中の生徒たちは、毎朝学校に着くと、まずホームルームで朝の会をやるが、その後その教室は教科の教室に変わって、毎時間別のクラスの生徒が使うことになる。ホームルームに帰ってくるのは、給食や昼休みと終わりの会だけ。友だち同士の悩みの相談も、勉強の教えあいも十分にできないまま、毎時間毎時間、授業を受けるために教室の移動をくり返す。もし学校に遅刻すれば、なんの授業か、どこの教室かを覚えていない子どもはたちまち行き場がわからなくなる。たとえばそのクラスでいじめがあり、緊急に学級で話しあおうとなっても、その場所をどこにするかは悩みの種だ。生徒が担任の教師に用事がある場合も、学校内を探し回らねばならない。
 子どもたちにとっては自分の帰属するクラスがなくなり、自分の机であって自分の机でなく、「子どもたちに落ち着きがなくなった」「浮ついてきた」というのが、周囲の心配の声である。
 1時間目から6時間目までの教科書をカバンに詰めこみ、重い荷物を抱えて移動する生徒もいれば、毎時間ごとに自分のロッカーに教科書をとりに帰る生徒もいる。休み時間ごとに700人が一斉に次の教室へ動くので、廊下や階段はつねに「大名行列」となる。生徒たちは「移動のあいだに話していて遅くなったり、体育の着替えで遅くなったりして、クラスの2、3人が授業に遅れてくる」「何のために移動するのかわからない」と話す。校舎の形にあわせてあっちこっちに動かされるだけで、子どもたちからすれば無意味なことをさせられているという感覚である。
 当初から「校舎に死角が多すぎて生徒指導上問題がある」ことも危惧(ぐ)されていた。最近では「校舎が迷路みたいになっており、授業を受けていない生徒たちを先生が追いかけている。生徒はおもしろがって逃げている」「先生に見えにくい場所が多く、トイレでタバコを吸っていたりする」といわれている。
 地域では、学校の目の前にあるショッピングセンター「ゆめシティ」で、「万引きの補導者数が1年間で1200人、そのうちの4割が子ども」「市内のやんちゃな子たちが集まってきている」ことが話題になっており、教育環境の悪さ(江島市長の土地の用途変更が原因)が指摘されている。
 親たちが心配しているのは、できる子とできない子との格差が激しくなってきたということである。当初、教科センター方式の一番の利点としてあげられていたのは、「教科専用の教室で授業を受けることで子どもの学力が向上する」という点だった。教員にとっても「授業の専門性を高めて質を上げることができる」といわれていた。
 しかし現実は、学力が向上したとはいえないというのが教師の見方である。また「できる子とできない子の格差がひどく、中間の子が少ない」「意欲がある子どもは自分から教師に聞きに行くが、そうでない子はできないままだ」と心配されている。建前と実際との乖離がはっきりとあらわれている。
 そのほか川中中には、ランチルームや和室(国語ブースにある)など他の学校にはない施設が整っている。しかしランチルームは二クラスでいっぱいになるので、年に何回かしか利用していない。また百人一首や習字をするために設置された和室は、使わないので畳にカビが生え、一斉大掃除をする状況もあった。豪華な建物が、子どもの教育の実際からあまりにもかけ離れている。

 教科教員室中心の校舎 教師の連携に弊害

 教科センター方式は、教師の側から見てもさまざまな問題が指摘されている。
 職員室として「校務センター」があるが、そこには教頭や生徒指導の教師が常駐しているだけで、その他の教師は普段ここにはいない。教師は、授業がない時間や昼休みなどはほとんど、九教科それぞれの「教科教員室」におり、テストの採点なども「教科教員室」でやる教師が多い。そのため教師間がバラバラで、横(学年)の連携がとりにくいことが最大の問題だといわれている。
 今、市内のどの中学校も生徒指導上の困難さを抱えており、そのためにも学年の教師集団のチームワークが生命線だといわれる。ところが、従来型の学校では職員室に戻れば教員同士の認識一致ができていたのに、それをするには朝夕に打ち合わせを持つなど特別の工夫がいる。若い教師がベテラン教師から学ぶ場面も少なくなったといわれる。「1時間目・数学」「2時間目・社会」というとき、生徒の様子がこうだという教師間の引き継ぎもできない。「朝の打ち合わせで顔を合わせてから一度も顔を見ない先生もいる。いつ帰ったのかもわからない。休日出勤した日などは、どの先生が来ているのかわからない」とも語られてきた。
 校舎の形から、教師同士がバラバラにされており、「子どもの把握が難しく、少しでも気を抜けば崩れる」と、教師は毎日必死で対応し疲弊させられている。
 今月中旬、川中中学校で、文科省の役人が学校を訪れ指導にあたって準備してきた、授業研究会が開かれた。教科センター方式というモデル校としてどのように「学力向上」にとりくんでいるかがテーマで、資料を作成し提起するための作業に多くの時間が費やされた。日日の困難さに輪をかけた子ども不在の指定校事業に、教師のなかで強い反発の声が上がったのも当然であった。

 新規導入校全国で皆無 未だに継続する下関

 このように教科センター方式は、校舎の形から、子どもと子どもとの関係、子どもと教師との関係、教師同士をバラバラにするもので、子どもの教育にとっていいことは一つもなく、無意味なものである。それは敗戦後、米占領下で県下のいくつかの中学校に押し付けられ、実情にあわずにすぐに廃止された経緯がある。
 そして07年当時の安倍内閣・教育再生会議がうち出した「ゆとりから学力向上へ」という方向にそって、「伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子はそれなりに指導する」という、差別・選別の教育改革の一環として再び持ち出された。安倍内閣の教育改革は、教育基本法の改悪に始まり、全国一斉学力テストと結果の公表、学校自由選択制、「ダメ教師は退場していただく」といった教員免許更新制などがあるが、いずれも現場で総スカンとなっている。そして今、教科センター方式を、全国で新規に導入しようとする学校は一つもない。
 それを文科省のモデル事業といっていまだに続けさせる中尾市長や市教委の姿勢は、教育の外から役人的なことなかれ主義を持ち込むもので、教育現場を混乱させる結果となっている。ただちに非教育の教育行政を改めさせ、川中中をクラスを基礎とした学校に戻させなければならない。それはまたこの間、下関の中学校で、九九や漢字がわからない子どもたちが学校で暴れると、警察を入れて排除するという非教育にも共通するものである。下関で子どもをまっとうに育てる教育をとり戻さなければならず、そのために全市の教師、父母、地域が力をあわせようとの声はかつてなく高まっている。
 とくに、教師集団が「点取り虫でなくまっとうな人間に育てたい」と切実に願う大多数の勤労父母の側に立って、意見をのべ運動を起こしていくことが期待される。

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