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長崎大で原爆と戦争展開幕
               学生と被爆者が団結し行動    2008年11月26日付

 長崎市文教町の長崎大学中部講堂のエントランスで25日、「原爆と戦争展」(主催/原爆と平和を考える学生有志一同、協力/原爆展を成功させる長崎の会)が始まった。長崎では被爆市民と学生による初めての取り組みとなり、結束を深めながら運営されている。
 この展示会は、6月に西洋館でおこなわれた第4回長崎「原爆と戦争展」を参観し、被爆者と交流を続けてきた学生たちが独自に会を立ち上げ、「長崎で学ぶ学生として、より多くの学生に被爆と戦争の真実を知らせたい」「被爆者から託されたことを実行に移したい」との思いで企画し、チラシ作成や立看板などをつくり、各学部を回って参観を呼びかけるなどの準備を進めてきた。
 会場では、学生たちが設営や受付、呼び込みなどを積極的に担い、原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)の被爆者、戦争体験者たちが集団で常駐し参観者に体験を語っている。被爆者と学生が「被爆市民の怒りを伝え、2度と再び戦禍を繰り返させぬ」という共通の思いで結束を深め、世代を超えて平和のためにともに行動できる喜びに満ちている。
 初日は、学生8人と7人の被爆者がスタッフとして参加。午後からは1時間半にわたって4人の被爆者たちが学生と交流し、被爆者たちからは、口口にあの日の凄惨な体験が語り合われた。
 口火を切った70代の婦人被爆者は、大学病院の事務の仕事をしていたときに「雷が鳴ったような感じで、あたりが真っ暗になり、なにも分からなかった。まわりの様子は言葉でいいあらわせないほど悲惨な状況だった」と話した。そして、幼い弟が「お姉ちゃん、お姉ちゃん、待って、待って、ここにおるよ!」と呼んでいたが、自分は火から逃げるのが精一杯で息絶えてしまったことを唇を噛みしめながら語った。
 14歳のとき被爆した男性は、鎮西学院から「撃ちてし止まむ」を合い言葉に学徒動員で三菱電機に送られていたが、その日はたまたま仕事を休んで助かったこと、友だちをたくさん亡くし、苦しい思いを抱えてきた胸の内を明かした。戦後は、両親が死んで孤児になった幼い兄妹を引き取って看病したが、妹が「水が飲みたい」といってひしゃくで水をガブガブ飲み、きれいな顔をして死んでいったことを語り、「その兄妹の遺体をトタンの上に乗せて、材木を組み、なかなか焼けない遺体をつつきながら焼いたが最後まで焼けきれず、親指の骨を石でたたき割って骨壺に納めた。その情景が頭に焼き付いて離れない」と深い悔恨をにじませながら話した。
 6人兄弟のうち4人を原爆で亡くした被爆婦人は「昨日のことのように覚えている。トタンを敷いて何体も死体をこの手で燃やした。当時は、かわいそうとか悲しいと思うどころではなかった」と語り、「今回、長崎大学で原爆展をやると決まったときは、本当にうれしかった。私たちは原爆のげの字も出したくなかったが、原爆にあったものでしか分からないことがある。今の若い人にこの思いを学んでほしい。親が子を殺し、子が親を殺す世の中になって、日本沈没だ。自分が満足しなかったら人を殺す、自分がよければいいというふうになっている。親の背を見て子どもは育つというが、口先だけでなく行動で示さないと子どもは育たない」と語った。
 他の被爆者たちからも「防火用水に頭を突っ込んで死んでいた人や浦上川に幾重にも重なって人が死んでいた」「死体を焼くとき、内臓がなかなか焼けず大変だった」「どうせ死ぬなら水を飲ましてやればよかった」と抑えきれない思いを次次に語り、「このパネルをたくさんの子どもたちに見せて、若い人が今から世の中を変えてほしい」「アメリカを許しとったらいけん。久間も原爆はしょうがないとかいったが長崎の恥。どんなことがあっても原爆を使ってはいけない」と語られた。
 体験を聞いた環境科学部の男子学生は、「実は私も祖父母が被爆していたので、母から原爆の話を何回も聞いてきた。今日は実際に被爆した方の体験を直に聞くことができて本当によかった。原爆の悲惨さがわかった。今でも雷を聞けば当時を思い出し、黒いものを見ると黒こげの死体を思い出すという被爆者の方方の苦労は相当のものだと思う。これからは平和を希求していきたい」と厳粛な思いを語った。
 工学部の男子院生は、「長崎出身で祖母が被爆し、祖父は満州にいったと聞いている。パネルをみて日本全国が焼き払われていたことを初めて知った。戦争被害というと国と国の間で一般化されたものが多いが、一人一人の生活が壊された怒りのなかに戦争の真実があるのだと感じた。これまで現実離れしていたものが埋まった気がする」と感想をのべた。「“天皇が日本をアメリカに売った”“アメリカは日本人をモルモットにした”ということは今まで伏せられていたが真実だ。今の日本もアメリカと心中しようとしている。アメリカの金融恐慌で大学でも今年度から就職が厳しくなっている。長崎に生まれたものとしてもっと学んでいきたい」と語り、今後の交流を求めた。
 長崎大学での「原爆と戦争展」は、30日まで(29日をのぞく)おこなわれ、最終日の午後1時からは「被爆・戦争体験を学ぶ交流会」が開かれる。

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