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長崎で託された思い全校で共有
北九州市・湯川小学校
              平和集会で6年生が伝える   2013年11月22日付

 北九州市立湯川小学校(波多江憲治校長)で21日、全校児童が参加する平和集会がもたれた。同校の6年生は今月はじめ、修学旅行で長崎を訪問し原爆展を成功させる長崎の会(吉山昭子会長)の被爆者7人に体験を学んでおり、そこで託された思いを構成詩や歌で発表。あわせて北九州市内に住む戦地体験者の話を聞く場ももたれた。修学旅行で学んだことを力一杯発表する6年生、それを受け止める1年〜5年生の真剣さ、長崎市民の体験や地元の戦争体験者に学ばせたいという教師の熱意、強い使命感で語りかける地元戦争体験者の迫力が一堂に会し、戦争を二度とくり返させぬ思いを全校で共有する熱気に満ちた平和学習の場となった。
 
 地元戦地体験者に話聞く場も

 平和集会は冒頭、6年生が「平和について学んだことを一生懸命伝えるので聞いてほしい」と呼びかけ、厳粛な空気で開会。修学旅行の構成詩がはじまると6年生全員が舞台に登壇し、バックスクリーンに長崎の被爆者に体験を学んでいる映像も流された。
 はじめに「修学旅行で長崎に行き原爆の被害にあった方から体験を学びました」「話してくださったのは7名の方です」「みんな80歳を過ぎていても、とてもお元気でした」「7名の方のお話はどれも大変つらく悲しいものでした」「本当は思い出したくないことだと思いますが一生懸命語ってくださいました」と元気のいい声でナレーション。その後、被爆体験を学んだ感想を発表した。
 「僕は永田さんのお話がすごく心に残りました。永田さんはお母さんの手に抱かれて死んでいく妹さんの姿を目の前で見たそうです。僕にも弟がいます。聞いていて涙が出てきました。どんなにつらいだろうと思います。でも永田さんは両親や妹さんの分まで生きようと頑張ってきたことが立派だと思いました」
 「僕は山村さんの“いじめやけんかは絶対いけない”という言葉が心に残りました。いじめやけんかは人を憎んでしまい、その憎む心が戦争につながっていくから絶対してはいけないと何回も話してくれました。これから嫌なことがあってもだれかに相談したり、話し合いで解決したりして、絶対けんかをしないようにしたいです」
 「僕は深松さんの話を聞いてとても感動しました。深松さんの弟さんは家の下敷きになり、助けようとしても、どうしても助けられず、3日後になくなってしまったそうです。深松さんも病気で髪が薄くなり、みんなからいじめられて泣きながら帰ったという話を聞いて泣きそうになりました」
 「僕は河辺さんの話を聞いて印象に残ったことがあります。さっきまで一緒に木登りをしていた友だちが一瞬のうちになくなって、生き残った友だちも何日か後になくなったそうです。その話を聞いて友だちの大切さを考えました」
 みずからの家族や学校生活を重ねながら、男子児童の力強い声が響いた。
 女子児童も大きな声で発表。「私は菅さんのお話を聞いて考えさせられました。菅さんには妹さんがおられたようですが、18歳まで生きて原爆症で亡くなったそうです。食べ物に困り、ほとんど毎日、芋づるを食べ、お腹一杯になることはなかったそうです。菅さんは悲惨な戦争体験をされて二度と戦争はしたくないとお話ししてくださいました」
 「私は金子さんのお話が心に残っています。その日は暑かったので長袖をまくって腕を出していたので、ガラスがたくさん刺さったそうです。大きなガラスをぬいても、次の日、また小さなガラスが出てきて、ずっと痛みがとれなかったことに驚きました。また、少し前まで話していた友だちが一瞬にして亡くなったお話もすごく心に残りました」
 「私は中里さんのお話を聞いて原爆の恐ろしさを知りました。中里さんは今でも黒い色をみると怖いそうです。それは原爆で亡くなった方方が焦げて黒くなっているのを思い出すからだそうです」
 修学旅行のことを家庭で話した児童は「家の人にも話しました。家の人は“とっても痛そうだね、かわいそうだね”といっていました」とのべた。
 そして「これからもたくさんの人たちに原爆の恐ろしさを知ってもらいたいと思います」「これから平和が崩れないように守っていくのが私たちの役目だと思います」と表明。最後に全員で「苦しいことがあってもがんばって強く生きていきたい!」「いじめやけんかをせず、みんなと仲良くしていきたい!」「平和を大切にし困っている人を助けたい!」「これからもみんなで協力し力をあわせて行動していきたい!」と呼びかけ、「折り鶴」の歌を合唱した。1年生から5年生までシーンとして耳を傾けていた。

 米軍が撃沈した鹿島丸 戦地体験者の話

 続いて「戦争体験者のお話」に移り、今年91歳になる戦地体験者の増田幹氏(原爆展を成功させる北九州の会代表)が紹介された。
 増田氏は戦時中大型船・鹿島丸に乗っており、アメリカの潜水艦に魚雷攻撃で撃沈させられた経験を持つ。舞台のスクリーンに鹿島丸の写真、みずからが通った南方戦線の地図などを写し出しながら子どもたちに体験と思いを伝えた。20歳で通信兵になり鹿島丸に乗って門司港を出港したことを話した後、「アメリカの潜水艦が日本の船が通るところに100隻以上潜んで、私たちの船が来るのを待ち受けていた。さらにアメリカはレーダーで日本の船の行方を知っていたし、日本の暗号も解読していたので日本の動きはアメリカに筒抜けだった。いつ日本の船が攻撃されてもおかしくなかった」とのべた。
 九月にベトナム・サイゴン沖で鹿島丸も撃沈。海に飛び込んだが30`の完全軍装だったので思うように動けず、泳いでいた兵隊が次次に海に吸い込まれ140名の尊い命が失われたこと、増田氏自身も大きな釜のふたにとりすがって海中を漂い「ここでは死ねない」とみんなで歌を歌って励ましあい生還したこと、同郷の兵士が手を振りながら船とともに沈んだ姿が忘れられないことなどを子どもたちに伝えた。
 そして「このときに亡くなった多くの戦友や船員たちの家族に思いをはせれば、戦争の悲劇はくり返してはならないと強く思った」と語り、戦後も「焼け野原になった日本を見て、これから日本のために頑張る」と思いながら生きてきたことを話した。最後に「私が体験したような、かけがえのない多くの命を奪う戦争を二度と起こしてはいけない。みなさん、先生のいうことをよく聞いて勉強と運動を頑張りましょう。友だち、湯川小学校のみんなと仲良くしてください」と結んだ。子どもたちは引き込まれて話を聞き、ひときわ大きな拍手を送っていた。

 約500人が気迫こめ群読 峠三吉の詩『序』

 その後長崎での修学旅行、戦地体験者に学んだことをふまえ、峠三吉の詩『序』を群読した。上級生が最初に手本を示したあとで全員が起立。1年生から6年生まで約500人が「父をかえせ! 母をかえせ!……人間の世のある限り崩れぬ平和を! 平和を返せ!」と体育館一杯に気迫のこもった声を響かせた。「青い空は」も合唱した。
 ついで「校長先生のお話」に移り、波多江校長が「今日の平和集会は平和の大切さ、周りの人に優しくすることの大切さを学んだ。みなさんの真剣な顔を見てそれがわかる。そこで湯川小学校をもっとよくするため、自分のことと同じように周りのこと、人の気持ちを考える思いやりをもってほしい。思いやりの心、相談する勇気をもって湯川小学校をもっともっと良くしていこう」と呼びかけた。
 最後に司会をつとめた児童が「戦争のない平和な国にしていくために、六年生の発表や増田さんの話で学んだことを生活に生かしていこう」としめくくり集会を終えた。体育館壁面には、修学旅行で学んだことを子どもたちがまとめた壁新聞も掲示されていた。


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