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長崎原爆展の全市的取組開始
「原爆と戦争展」主催者会議
              核戦争許さぬと市民の熱気    2010年5月31日付

 長崎市中央公民館で30日、6月末からおこなわれる第6回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会)の第1回主催者会議がおこなわれた。米軍再編や朝鮮半島の緊迫化など日本列島をめぐってふたたび戦争のきな臭さが増すなかで、日本全土を焦土と化し、320万人もの犠牲のうえに、今日の低迷する日本社会の現状をもたらした第二次世界大戦、原爆投下の真実を語り継ぎ、独立した平和な日本を建設する世代を超えた大交流の場とすることが確認された。1カ月後に迎える開幕に向けて全市的なとりくみがスタートした。
 会議には、原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)の被爆者、戦争体験者、自治会役員、主婦をはじめ、下関原爆展事務局、劇団はぐるま座団員など約一五人が参加。すでにポスター掲示の依頼や、地域への参観の呼びかけもはじめられており、そのなかでの反響や意気ごみが語り合われた。
 はじめに長崎の会の吉山昭子副会長があいさつし、「この西洋館での原爆と戦争展は、長崎ではすべての基準になる。一人でも多くの人たちを連れてきていただきたい。私たち被爆者は高齢になり、友人は全員亡くなっている。原爆でこれまで苦労した分、この原爆展は何を置いてもがんばらないといけない。協力して成功させましょう」と力強く呼びかけた。
 つづいて、共催者である下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長からのメッセージが紹介された。伊東氏は、『原爆と峠三吉の詩』原爆展運動10年の記録を舞台化した『原爆展物語』(劇団はぐるま座)の、下関、長崎、広島公演が大成功をおさめたことをあげ、「長期にわたる誠心誠意人民に奉仕する精神でのねばり強い活動」に対する確信をのべ、朝鮮半島を巡って再び日本を核戦争の戦場にする動きがすすめられるなか「アメリカは核と基地を持って帰れ!」の声をあげ、ともに連帯して原爆展の成功に尽力する決意をのべた。
 つづいて事務局から2005年からおこなわれてきた原爆展が、「祈り」のベールにつつまれ長年の間沈黙を強いられてきた長崎市民の本音を若い世代、全国、世界の人人に語り継ぐ契機となり、伊藤市長射殺、久間元防衛大臣の原爆投下容認発言など、市民の口を封じる圧力をはねのけて、「二度と原爆の惨禍を繰り返させぬ」という全長崎市民の思いを束ねる運動として発展してきた経過を報告。
 また、六五年経った今日、民主党政府の迷走をはじめ、宮崎県の口蹄疫問題などまともな食料生産も保障されず、経済、教育、文化に至るまで、アメリカへの植民地的な隷属のもとで進行してきた日本社会の退廃的な現状に多くの市民が義憤を抱いていること、米軍再編を押しつけ、朝鮮半島では緊張を煽って再び戦争が画策されるなかで、日本を盾にした原水爆戦争への危惧(ぐ)が切迫感をもって語られていることを報告した。
 今回のスローガンを「独立と平和のために原爆と戦争の真実を語り継ごう!」「日本を原水爆戦争の盾にするな! アメリカは核と基地を持って帰れ!」「被爆市民、戦争体験者の心を若い世代に伝えよう!」「原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止!」として会場に貼りだし、日本の現状をもたらした第二次大戦、原爆投下の経験を蘇らせ、戦争を阻止する世代を超えた大交流の場にしていくことが提起された。
 具体的な取り組みとして、毎週土・日に下関原爆展事務局スタッフが集団で宣伝活動をやると同時に、自治会や商店街など幅広く市民への協力を依頼し、ポスターを貼り巡らすこと、また、体験を語る被爆者、戦争体験者、スタッフを担う若い世代を運営主体に一人でも多く加わってもらうように働きかけていくことを提起。すでに中学校校長会でのアピールの承諾が得られ、市内中学校から集団参観の申し出があったり、長崎電機軌道からは約一週間、電車内中吊り広告の掲示協力が得られていることが明らかにされた。

 現役世代の参加を重視 体験継承へ意気込み

 すでに市内でポスター30枚を掲示した婦人被爆者は、「寺や商店街で掲示を頼んで回ると、若い人からも“会場に行くので原爆の話を聞かせてほしい”“すぐに貼ります”と喜んで受けてもらっている。“また今年もやるんね”“今年はいつからやるのか”と声をかけてくる人もいる。非常に効果的なので自治会掲示板にも貼り、チラシも広報誌に入れて全戸に配りたい」と意気込みをのべた。
 商店主の婦人被爆者は、「原爆展の魅力は、私たちが一人で被爆のことをサラッとしゃべっても伝わらないが、大規模な展示会で見てもらえばそれ以上のものが伝わる。全市民のとりくみに盛り上げていくためには会員一人一人が足並みを揃えて、一生懸命になってやらなければいけない。一人でも多くの市民に協力してもらうことが大切だ」と語った。
 10歳で被爆した元自治会役員の男性は、御船蔵町にあった自宅の下敷きになり、避難した五社山から市内を見た経験を語り、「浦上地域は火の海で、茂里町の三菱製鋼所の溶鉱炉が大爆発を起こして2、300bの火柱がドーンと上がったのが見えた。あの爆発で製鋼所従業員の遺骨はこっぱみじんに飛散し、いまだに遺骨は家族の元には帰っていない。その後に自宅に戻ると跡形もなく焼け崩れており、田舎に疎開するまでの2週間は市内は死臭が漂って生きた心地はしなかった。友人たちも全員“水をくれ”といって死んだ。その遺体を素手でブリキの板の上に寝せて、油をかけて燃やした」とのべた。
 「だから原爆についてあまり語る気はなかったが、この原爆展の呼びかけを受けてやらなければと思いたった。大本営は“一兵も残らず交戦する”といっていたが、最後は原爆まで投下された。軍閥政府が国民のことを考えずにやった戦争で一番苦しめられたのが国民だ。あの経験を忘れてはいけない。戦争をなくして平和を勝ち取るまでがんばっていきたい」と力強くのべた。
 両親、兄弟を原爆で失った婦人被爆者は、「私の両親は遺骨の所在さえいまだにわからないままだが、昨年の原爆展で筑後町のお寺に2万体の無縁仏が眠っていることを知らせてもらってとても感謝している。これまでは被爆の話をすることは、惨めさをひけらかすようで嫌いだったが、この会に入って伝えていく大切さをつくづく感じている」とのべ、会期中は会場に詰めて体験を語り継ぐ意欲をのべた。
 海軍航空隊の整備兵として南方戦線を経験した男性は、「太平洋戦争の犠牲者への哀悼の気持ちを忘れてはならない。佐世保の相浦海兵団にはおよそ1000人の若者が志願し、ほとんどが特攻隊として死んでいった。生かされた私たちは命のある限り彼らのことを語り継ぐ義務と責任がある。全国民が団結し、戦争反対の声を今こそ高らかに叫ばなければいけない。なによりも子どものころからの教育が大事であり、学校を主体として戦争についての教育を徹底してやっていきたい」と決意をのべた。
 論議のなかでは、「韓国」哨戒艦沈没をめぐる緊迫した情勢や、全国的な反対運動のなかで日米政府が強行する米軍再編が話題にのぼり、「米軍はフィリピンの火山噴火で基地が使えなくなり、立地の良い沖縄にしがみついている。今や沖縄だけではなく、大村や佐世保や瀬戸内海もヘリや原子力潜水艦の基地にされようとしている。根底から戦争に反対しなければ日本はまた戦場にされる」「沖縄戦であれだけ殺された上に基地で苦しめられている沖縄県民のことは他人事ではない」「アメリカは自国を犠牲にしてまで日本を守ることはない。日本がどれだけの経験をしてきたか、体験者の生の声で伝えないといけない」と熱っぽい意見が交わされた。
 また、体験者が高齢化するなかで、若い世代に伝えていく必要性が共通して語られ、学生や現役世代への参加の働きかけを重視していくこと、会期中はできるだけ多くの体験者が会場で体験を語るために交代で常駐することが確認された。
 劇団はぐるま座団員からは、『原爆展物語』を七月に諫早市、大村市、島原市など県内六カ所で公演し、被爆者、戦争体験者の真実の声を伝えて全県、全国を変える運動をつくっていく意気ごみとともに、「原爆展を全県に広げて一大運動にしていく」と決意が語られた。
 最後に、それぞれの居住区でポスターやチラシを使って参観を呼びかけて、全市民に周知し、全員の力で成功させることが呼びかけられ、参加者はそれぞれ意欲的に宣伝物を持ち帰った。

 長崎「原爆と戦争展」開催要項

 日時 6月27日(日)から7月4日(日)。午前10時から午後7時(最終日は午後5時)まで。
 会場 長崎西洋館二階イベントホール(長崎市川口町、浜口電停横)
 展示内容 パネル「原爆と峠三吉の詩」/第二次世界大戦の真実/沖縄戦の真実、全国空     襲の記録/市民が初めて知る二万体の遺骨/米軍再編をめぐる全国のたたかい/長     ア市民の証言によって明らかになった被爆の痕跡や慰霊碑を紹介する地図、被爆・戦     争体験を語るコーナー
 後援 長崎県、長崎市
 入場無料

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