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「原爆と峠三吉の詩」長崎原爆展 キャラバン隊の報告
長崎の怒り   沈黙を破って語りはじめた 
    
     1,長崎の被爆市民が語った本当の声
     2,沈黙を破る長崎の怒り 
キャラバン隊座談会
     3,「祈りの長崎」は虚構だった  
原爆展の教訓語る座談会
     4,ルポ 響け!長崎の怒り
                                       
                発行 長周新聞社 A5判 80頁 定価500円

 長周新聞社は『長崎の怒り』と題するパンフレットを発行した。パンフレットは「原爆展全国キャラバン隊が聞きとりした、長崎の被爆市民が語った本当の声」として、62人の被爆市民がはじめて語ったなまなましい被爆体験を載せている。それは原爆を投げつけたアメリカへの60年間抑えつけられてきた怒りの声である。また、「沈黙を破る長崎の怒り――祈りの教会は少数派」(長崎キャラバン隊座談会)と「祈りの長崎は虚構だった」(長崎原爆展の教訓を語る座談会)、ルポルタージュ「轟け! 長崎の怒り」で構成されている。

  60年の沈黙破る怒りの声
 6月25日から7月3日まで、長崎西洋館で開催された「原爆と峠三吉の詩」長崎原爆展に先立って、原爆展全国キャラバン隊は5月28日から約一カ月間、長崎市内の商店街や駅前など約20カ所で街頭原爆展をおこない、また、原爆展開催後は会場で、500人をこえる被爆市民から被爆体験の聞きとりをおこなった。そのうちの62人の体験が収録されている。
 「怒りの広島」にたいして「祈りの長崎」といわれ、60年間沈黙をつづけてきた長崎の被爆者が、堰(せき)を切ったように、壮絶な被爆体験を語り、原爆投下者への鬱(うっ)積した怒りを語っている。観光通り商店街で70代の男性は「どうせ死ぬのなら、殺された肉親の数だけアメリカ人を殺して死にたいと思っていた」と語り、70代の婦人は「キリスト教の祈りはあきらめと退嬰的だ。長崎の人はもっと怒ってよい」といい、淵地区ふれあいセンターでは三菱製鋼所で挺身隊として働いていた妹を原爆で亡くした70代の婦人が「若くて体力があったら、決死隊になってアメリカに訴えてやりたい」と怒り、新大工町の天満市場では被爆した夫を46歳で亡くした80代の婦人が、被爆して手術した傷跡を見せながら、「この傷をみんなに見せたい。アメリカに行ってこの傷を見せて文句をいいたい。アメリカをやっつけたい」と口口に60年間抑えこまれてきた激しい怒りを語った。
 原爆展会場では71歳の男性は、「長崎には“召されて妻は天国へ”(長崎の鐘)という歌があるが、そんなきれいなものじゃない。原爆では虫けらのように殺されたんだ。原爆を真先に捨てるべきはアメリカだ」と語り、73歳の婦人は「原爆を落とした者が正義と許されるような“祈りの長崎”というのはおかしい」、77歳の男性は「長崎は“祈り”といわれるが、わたしは“怒りの長崎”にしていきたい」と強く訴えている。
 パンフレットに収録されている被爆市民のほんとうの声は、「祈りの長崎」はまったくの虚構であることを、戦後60年目にしてはじめて世の中に訴えるものである。広島とともに世界で唯一の被爆地長崎の被爆者が、このように被爆体験を語り、原爆を投下したアメリカにたいする怒りの声を上げたことは、日本と世界の原水爆禁止運動の発展にとって重要な意義を持っている。
 戦後アメリカ占領軍は、「原爆は無謀な軍部をして戦争を終結させるためであった」「それによって幾百万の生命を救った」といい「無謀な戦争をした日本人は反省せよ」という響きで宣伝して被爆者を抑えつけてきた。長崎ではキリスト教徒の永井隆に「原爆が神の摂理で落ちてきた」「天皇もその啓示を受けて終戦の聖断を下した」といわせ、長崎にはキリストしかないようなイメージをつくりあげてきた。「祈り」や「受難」といったキリスト教の用語が使われ被爆者の怒りを抑え、暗く悲しい気持ちにさせ、「あきらめさせる」構図がつくりあげられた。
 また最近の「反核運動」では「反核を反米にすりかえてはならない」といい、さかんに「和解」や「許し」を説いており、これもバチカン主導のキリスト教型の路線である。ひどい目にあった側から「和解してください」とお願いするのは屈辱でしかなく、原爆投下者であるアメリカにほこ先をむけない路線である。
 長崎原爆展にむけては、キャラバン隊による街頭原爆展と並行して、五月中旬から山口県からのべ300人が参加して、ポスター、チラシで宣伝。峠三吉の「すべての声は訴える」を掲載した長周新聞号外「“怒りの広島”の原点」は4万枚が配布された。長崎に峠三吉と50年8・6斗争の精神、路線が持ちこまれたのは戦後はじめてのことである。「原爆と峠三吉の詩」のパネルや原水爆禁止運動の原点にふれた長崎市民は、さまざまな抑圧の仕かけを突き破って、戦後60年胸の中で激しく渦巻きつづけていた激しい怒りを語りはじめた。
 被爆市民の声は、長崎市内の各所の原爆展や、原爆展会場にはり出されると、参観者の大きな衝撃と共感を呼んだ。下関、広島、長崎の被爆者の参加による賛同者会議がもたれて開催された長崎原爆展は、3000人をこす長崎市民の参観で大盛況となった。会場ではあちこちで被爆者同士がたがいの体験を語りあったり、大学生や小学生など若い世代にみずからの体験を語りつぐ姿が見られた。また、広島と長崎の被爆者の交流会ももたれ、広島と長崎の被爆者が絆を強め、原爆投下者アメリカを許さず、被爆体験を語りついでいく被爆者としての使命感を深めた。
 50年8・6平和斗争は、朝鮮戦争でアメリカが核兵器を使おうとしたたくらみをうち砕き、その後の核兵器使用を阻止してきた。アメリカによる原水爆戦争の危険が高まっている今日、広島と長崎の被爆者が50年8・6斗争の精神に共鳴して立ち上がったことは、日本から世界にむけて原水爆禁止の運動を発信する重要な力となる。
 パンフレットは、既存の平和運動が表面上の政治勢力が衰弱し死滅状態にあるなかで、大衆のところでは地殻変動が起こっており、新鮮な政治勢力が結集していくなら、目の覚めるような力を持ち、新たな原水爆戦争を阻止しうる平和運動を再建することができる確信を与えている。
 (A5判、80頁、500円)

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