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長崎の歴史・地域性こそ魅力
無機質な都市改造への警鐘
               誰のため何の為の街作り?   2016年10月14日付
 
 大規模な都市改造がおこなわれている長崎市では、その足下で中心市街地の急速な空洞化が進行している。県庁舎の移転計画に始まり、JRや大手不動産業者、金融機関だけが張り切っている駅前再開発や新幹線開発など、ハコモノや不動産利権ばかりが「活性化」する一方で、中小商工業者の減少、雇用の受け皿縮小による若者の流出と少子高齢化、空き店舗や空き家の増加などが、ここ数年で急速に進んだと市民の多くが実感している。東京を真似したようなビルやマンション、巨大構造物ができて、一見すると華やかそうに見える。しかし、そうした外来資本の襲来による都市改造によって、長崎の街がもつ歴史的蓄積のうえに育まれた貴重な文化や地域コミュニティーが破壊されたのでは本末転倒で、そのことを多くの人人が危惧(ぐ)している。「豊洲とそっくりの長崎都市改造」(本紙第7944号)に続いて記者座談会をもち、全国各地の事例と重ねて長崎で起きている問題を考えた。

 ビジネス一人歩きの本末転倒

  この間、長崎市内では、本紙の「豊洲とそっくりの長崎都市改造」の紙面が強い共感を持って読まれている。「市民の誰もが感じていることを書いてくれてありがたい」とか「公会堂解体問題だけでなく、市長も市議会も聞く耳がなく、まちづくり全体が一握りの利権者に私物化されている」「地元紙も大手も書かないのでしっかり書いて欲しい」などと口口に語られていた。県庁舎移転、公会堂解体と市役所の移転、駅周辺開発、MICE(コンベンション施設)建設…等等、1000億円をこえる税金を投入する公共事業の行く末が、市の活性化とは反対に疲弊を招いていくこと、市民の手の届かないところでとり返しのつかない都市改造が進んでいることへの危機感を感じさせるものだった。
 議会に否決された公会堂の解体中止と再使用を求める住民投票の請求署名も、11月議会に向けて再度開始され、「より多くの署名を集めて市と議会に突きつけよう!」と逆に熱気が増している。市長と議会が癒着するなかで、「これほど民主主義が簡単に否定されるのでは、長崎に未来はない!」と腹をくくった運動になっている。
  建物の問題だけにとどまらず、市民の暮らしやそこで育まれてきた歴史性や文化まで犠牲にする「まちづくり」とは一体何かという矛盾だ。町をよくして市民の暮らしを豊かにするというものではなく、外来資本が開発によって旨みを吸い上げていくというものだからだ。「未来の長崎のために」とか「都市間競争」といって数百億円規模の官庁の移転計画に熱を上げている間に、その足下では市民生活の疲弊が深刻化しており、「このまま黙っていたらいけない」という思いが強まっている。
 この間、市内では市街地の空洞化や外来企業の大がかりな買収が進行してきた。市東部の新大工町商店街では、70年近く「市民の台所」となってきた新大工市場が穴吹興産(高松市)に買収され、市場は来年3月で解散することになった。戦後間もない1948年に市が設置した公設市場から始まり、今も鮮魚、生鮮野菜、惣菜、精肉などの食料品店など約30店舗が軒を連ねる長崎市内有数の市場だ。その他の市場を含む新大工商店街は、高齢者の多い地域の特性に応えて、買い物代行サービスや地域交流センターなど地域密着のとりくみで大型店に負けない「地域に頼りにされる商店街」づくりを試行錯誤してやってきた地域だ。単純に商売だけでなく学校とタイアップして地域のイベントをやったり、顔なじみが多いので日頃からお互いの健康や体調を心配しあったり、とにかく人情が厚い温かみがある地域としての特色があった。
 だが3年前、市場と建物を共有する玉屋百貨店(本社・佐世保市)から「耐震化」とあわせた再開発の話が持ち上がり、森ビル企画(東京)がコンサルとして入り、大規模なテナント兼マンションに建て替える計画を進めた。あまりにも規模が大きくなるため市場は当初、「土地を分割して身の丈にあった建て替えをしたい」といったが聞き入れられず、森ビルの指示を受けたのか玉屋が市場とつながっていた店舗を突然閉鎖したり、兵糧攻めのようにして囲い込んでいったのだと関係者は話していた。周辺の店舗や、国道をまたいだ菱重興産(三菱重工の子会社)が持つ立体駐車場も含め、長崎市も「まちぶら」プロジェクトに認定して推進した。国道をまたいだ再開発は国交省の許可が必要で、三菱や地元代議士の関与も語られている。
  森ビルなど大きな不動産開発を手がけるディベロッパーは、広島駅前開発でも同じだったが、自分たちのやり方に意見したり、従わない人間はことごとく蚊帳の外に置く。「異議を唱えたり、疑問を口にするとまったく情報が入ってこなくなり、森ビルに従う一部のもので手続きを進めていく手法だ」と語られる。そして市の都市計画の変更手続きまですれば後戻りはできず、森ビルが描いた開発構想に乗らざるを得ない状況になり、資本力の小さい商店は高額な負担に耐えきれず出て行くことになる。家族経営の小さな商店が寄り集まっている市場が、「進んでも地獄、戻るも地獄」の状態に追い込まれたところで、穴吹興産から買収の話が持ちかけられ、「これ以上に、再開発に巻き込まれて大借金を抱え込むくらいなら…」と売却に至ったようだ。現在ある26店舗中わずか5、6軒が、市場閉鎖後に他の場所で商売を続けていく道を探っているのだという。
 再開発のコンセプトは「食と文化の発信拠点」だったが、結局、地元住民のほとんどが出て行くことになり、商店街のど真ん中を森ビルや穴吹などの外来企業が乗っ取る結果になった。再開発計画などなければ、別にみな今すぐ店を辞めなければいけない理由などなかったし、頼りにしていた地域住民からは惜しむ声が絶えない。商店街全体にとっても「これからどうなるのだろうか?」という不安がある。市場の跡地は25階建ての高層マンション、下階はテナントになるようだが、巨大なマンションが盤踞するかわりに長い歴史のなかで育まれた「人情の町」の特色が薄れることが危惧されている。
  新大工市場を買収した穴吹興産は6月にも、長崎市の地場大手スーパー「ジョイフルサン」をグループ傘下に吸収し、市北部の中心商業地である住吉・中園商店街の中心にあった本店を突然閉店した。閉鎖店舗は他の地域にも及び、付近の住民は買い物をする場所がなくなって困っている。穴吹興産は、マンションなどの不動産事業に加えて介護事業などへ業種の多角化を図っており、長崎市を「市場の穴場」と見なしているのか積極的に資本を投下しているようだ。
  マンション建設ラッシュもすごい。とくに長崎は、傾斜地や急勾配の家が多く、生活しにくくなった高齢者が平地のマンションに移住するケースが増えている。各社が競いあうようにして空洞化した中心市街地の土地を買い漁り、どんどん建てる。「こんなに建てて誰が入るのだろうか?」とみんなが不思議に思うほど、需要などおかまいなしに建てていく。新大工町の再開発もその一環だった。新幹線開発にともなう駅前開発も、JRを中心にして大型商業施設やテナント賃貸で、ただでさえ縮小している消費購買力を吸い上げてしまう。市民の必要性からのまちづくりではなく、外来企業の草刈り場のような様相になっている。

 住民の自治組織の強さ 活気ある商店街

  長崎はもともと駅中心ではなく、港を中心に発展してきた町だ。鎖国時代に全国唯一の貿易港・商業都市として活況を呈し、水産業や造船、炭鉱などの基幹産業が経済を形成した。その歴史性から、出島を見おろす岬の高台に県庁舎があり、生鮮市場がある築町、百貨店や老舗の専門店街が集まる浜町、歓楽街の銅座や丸山、庶民的な日用雑貨や飲食店で賑やかな中通りなどの繁華街が広がり、そのなかに公会堂や市民会館などの文化施設もあり、それこそコンパクトな町ができあがっている。少ない土地を有効活用し、山の斜面にも石垣を積んで家が建てられている光景には驚かされるが、そのなかで住民同士の助けあいや絆の深さが培われ、暮らしに根付いた文化が育まれている。380年にわたって受け継がれてきた長崎くんちなどの祭も、自治会や商店街を中心にした自治組織が基盤となっておこなわれている。これはよそ者から見てもうらやましい歴史性なり地域性だ。
  伊藤市長の時代には、市北部に隣接する長与町にイオンが大型商業施設ダイヤモンドシティの建設を計画したが、長崎市は道路整備の許可を出さず白紙撤回させた。規制緩和で大店法が撤廃され、各地の地方都市は軒並みイオンやイズミなどの進出によって地場商店街がシャッター通りになるなかで、長崎では商店街に活気があり、地域の特色が生きている。それが最大の魅力になって観光などにも繋がっている。駅前開発や大型店の進出を促していけば、この独特な文化や歴史性は他都市と同じ道をたどって廃れてしまうことは明らかだ。
  駅開発とあわせた都心移動は、鹿児島でも、広島でもやられてきたし、主に不動産バブルをひねり出すことに眼目がある。行政にとっては地価上昇で固定資産税がアップするから歓迎するし、銀行も都市改造は融資のチャンスになる。しかし、祭りの後ではないが例外なく中心市街地や既存地域の空洞化をもたらしている。官庁一つ移動するだけで、人の流れは簡単に変わる。
  長崎市なり、まちづくりを主導する上層部がどれだけの将来予想をしているのか疑わしいが、駅前に商業集積地をつくったところで街が活性化した例などほとんどない。JRのテナント商売が活性化しているだけで、市街地全体のバランスが念頭にない。今問題になっている東京都の豊洲の例を見ても、市場移転後の築地の跡地利権が中心だ。そのために数千万人の胃袋を支える「都民の台所」を不便な郊外に追いやる。新しい市場は、日建設計、清水建設、大成建設、鹿島建設といった名だたるゼネコンがかかわって、使う側の安全性などお構いなしにいい加減な構造物をつくっていた。使用目的を否定して、もっぱら大企業の利潤になるか否かを目的にしている最たる例だ。まちづくりも同じで、長崎なら長崎の暮らしを良くするという目的から出発しなければ良い結果にはなり得ない。誰のためのまちづくりか、都市改造かという問題が根本から問われている。
  東京では、オリンピック需要とかかわってマンションや商業ビル、駅ビルなどの不動産投資や再開発がたけなわだ。開発事業者は、SPC(特別目的会社)を通じて大手外資系金融機関や投資家などから共同出資を募り、それを開発資金にして優良な物件を漁る。アメリカで始まった不動産流動化事業で、不良債権化した担保不動産を大手投資銀行が安く買いとって証券化した不動産証券化などの手法をとり入れ、安い物件を集めて高収益を産む物件に再開発し、投資家により大きなリターンを還元するという流れだ。だが、東京は地価が高騰して頭打ちになっているため、なりふり構わず地方都市にまで触手を伸ばしているようだ。投資家から集めた資金を不動産で運用する「不動産投資信託(J―REIT)」も東京中心から地方都市にシフトしている。アベノミクスで日銀がJ―REITの買い入れをやり、国が面倒を見て、需要などおかまいなしに開発熱を煽っている。この流れが長崎にも襲来している。
 B 市民の多くが「長崎のような中小都市にまで森ビルが入ってくる意味が分からない」「なぜMICEのような何千人ものホールが必要なのか」と不思議がっているが、要するに儲かるからやってきているのであって、大企業は儲からないところには来ない。大企業によるインフラや不動産ビジネスは、ODA(政府開発援助)などを通じて東南アジアやアフリカなどでも拡大している。「途上国支援」と称して政府が税金を投入し、鉄道や道路などのインフラや都市開発の利権に、金融機関やゼネコンがまぶりついてその資金を回収していく。それと同じような後進国略奪商法を長崎で実践しているようにも見える。これまで手つかずだっただけに、むしろ開発のし甲斐があると見なしているのではないか。

 街の活力奪う都市開発 アベノミクスの矛盾

  現在、長崎市のまちづくりの視点は「古いから壊して新しいものを」「都市間競争に乗り遅れるな」といった調子だが、長崎はそれほど遅れた町なのか? という疑問がある。下関でも安倍がらみでイズミが乱出店し、駅構内にまで進出した。そしてイオンが地場スーパーを買収して出店攻勢をくり広げるあいだに、唐戸をはじめ駅前の市場も商店街もシャッター通りになってしまった。広島でも数㌔間隔でイズミ、イオンの大規模SCが乱出店し、商店は激減して苦しんでいる。そして儲からなくなると撤退して、買い物難民地域が出来上がることがあちこちで社会問題になっている。
  長崎は市場があり、商店街には人が集まり、生鮮から飲食店、日用雑貨の店まであらゆる専門店が元気に営業している。その暮らしを基盤にして経済が循環し、自治組織がしっかり確立されている。その住民自治の力によってくんちなどの伝統的な祭が市民総出でおこなわれている。この活力は他の町にはない大きな魅力だ。規制緩和と都市開発によって全国各地の都市で失われてしまったものであり、簡単にとり戻すことのできないものだ。よそより遅れているのではなく、よそから見てうらやましいと思う魅力がたくさんある。
  傾斜地の住宅から住民がマンションに移住していけば、まずコミュニティーが崩壊する。年寄りがとり残されて孤立化する。同じ港町の下関でも中心部の急勾配の住宅地は崩れかかった廃屋街のようになっている場所が多い。駅前開発で都市構造が変わり、中心部が空洞化したら、長崎でも暮らしに根付いた「くんち」などの伝統が変化することは避けられない問題になってくるのではないか。以前は頓挫した長与町へのイオンの出店計画も動いている。長崎の独自性を消し去ったときに、東京や博多と同じようなビルだけが残り、資本力のある外資企業が売り場を占有していく。店といえばイオン、イズミ、コンビニばかり。そのようにして市内で循環していた富を流出させ、町全体の活力が奪われてしまうと、面白みも魅力もない、どこにでもあるような金太郎アメのような街になってしまう。
  市役所リニューアルのために壊す公会堂の改修は「30億かかる」といって却下する一方で、誰も住んでいない軍艦島を150億円かけて補修するというのでみんな怒っている。大河ドラマ『龍馬伝』とか「廃虚ブーム」とかの一時的な流行にばかりうつつを抜かしている行政の軽薄さに対する批判がある。都市改造とか不動産ビジネスの活況もアベノミクスを根底にしているわけだが、そのために公会堂をはじめ市民が大切にしてきた文化財を壊し、都市構造を変え、暮らしを変貌させてしまう。今の時代を映し出した矛盾となっている。
 
 「祈りの長崎」は虚像 強靱な反骨の歴史

  目下焦点になっているのは、公会堂を壊して市役所が移転する計画だが、巷では、市役所跡地に長崎駅前にあるNHK長崎放送局が移転してくることが「信憑性が高い噂」として語られている。NHKのある西坂には戦後、カトリックがつくった二十六聖人(豊臣秀吉が処刑したキリシタン)の殉教地があるが、「NHK跡地は二十六聖人教会が買いとり、長崎の玄関口にカトリックのPR施設をつくるのでは」とも語られる。
 ある長崎の郷土史研究家は、いまだ未定の県庁舎跡地の利用計画について、「あそこは長崎奉行所が置かれる前はイエズス会の本部が置かれていた場所。県の跡地利用懇話会ではその“岬の教会”を復元する計画も候補にあがっていた。背景としてバチカンのローマ法王がイエズス会出身者となり、長崎にアジアの本部をつくりたいという意向があるようだ。再びイエズス会が長崎に拠点をつくりたいという願望と繋がっているのではないか。MICEなどの巨大な国際会議場の建設もその付属設備とみれば説明がつく」と指摘していた。バチカンの意向を背景にして、長崎を「カトリックの拠点」にするという大がかりな話だが、長崎がたどってきた歴史からみれば現実味を帯びている。
  長崎は原爆投下とかかわって、アメリカの戦後対日支配の象徴的な役割を負わされてきた。「祈りの長崎」の象徴になった永井隆は、「原爆投下は神の摂理であり、喜んで受け入れよ」と説いてGHQにとりたてられ、天皇も見舞いに立ち寄った。二十六聖人の殉教地も本当の場所はもっと山奥なのに、戦後乗り込んできたGHQが、もともとあった東本願寺の寺を移動させてつくらせたものだ。本島元市長も原爆遺跡を次次につぶしたほか、「平和教育は原爆を原点としてはならない」という政治的な規制を加えた。これほど豊富な歴史資産がありながら、わざわざ宗教施設である教会群を「世界遺産候補」として世界にアピールするのも不可解だ。信仰は自由だが、長崎におけるキリスト教はあまりにも政治にかかわりすぎている。
  毎年8月9日には、全国のメディアはベールを被った修道女のミサを発信する。それで教会やクリスチャンばかりの町かと思って長崎に行けば、寺町などの歴史ある大きな寺が建ち並び、教会よりはるかに寺の方が多いのに驚く。長崎ではあたりまえの話だが、外から来た人から見ると目から鱗だ。それほど「祈りの長崎」のイメージが全国的にすり込まれている。毎年6月に長崎市内でおこなわれている「峠三吉の原爆展」「原爆と戦争展」も15年目を迎え、長い間語ってこなかった被爆市民の激しい思いが語られているが、それは「祈りの長崎」と伝えられていた虚像をはぎとり、被爆市民の思いは広島とまったく同じであることを証明している。
  長崎文化もポルトガルやスペインなどの南蛮色と伝えられるが、くんちの龍踊りにせよ、ちゃんぽんなどの食文化にしても中国文化の色合いが強い。盆の風物詩である「精霊流し」も、どこかの歌手が唱うようなもの悲しいものではなく、爆竹や花火を打ち鳴らして派手に送る中国式だ。それが日本文化、長崎文化として見事に融合している。東京あたりでつくられた長崎イメージと現実の長崎の姿はあまりにも違っている。目から鱗というのが実感だ。
  市民のなかには、強い独立精神・自治精神の流れがある。戦後の長崎の街を支えた水産業では、東海、黄海から渤海湾まで乗りこんだ以西漁業が中心だったが、日中の政府間が敵対的な関係にあるなかで、日中民間漁業協定を結ぶなど民間の日中友好漁業として発展した。政府間では仲がよい韓国との関係では、李承晩ラインによって日本漁船が次次に拿(だ)捕されたのとは対照的だった。近年では、伊藤元市長が遠慮なくアメリカの原爆投下に抗議していたし、国の規制緩和に抵抗する地方自治体のなかで目立つ存在だった。なによりも原爆投下という史上類を見ない惨劇に見舞われながら、結束して町を復興させていった力は世界からも注目されるべき強さを持っている。「諦め」の歴史ではなく、強靱な反骨の歴史だと思う。
 E 今長崎の歴史性や文化を犠牲にして進行する都市改造に対して、長崎市民の結束した運動もその底力を感じさせるものだ。今どき下関の洋上風力問題にせよ、広島での都市開発にせよ、私企業のもうけのため、一部の利権のために市民生活や社会的公共性を犠牲にする横暴な力が露骨になるなかで、全市民の利益に立ってこれに対抗する力が求められている。ビルやマンションに囲まれた街が素晴らしいという者は東京に行けばいい。他にない長崎の魅力を失ってしまうのは余りにももったいない。地域性や土着の雰囲気を消し去って無機質なものにしてしまうのではなく、必要性に応じてまちづくりを進めること、新しいモノを持ち込むという行為についても、その他をみな淘汰するというような大企業論理ではなく、地に足の付いたものでなければ衝突にしかならない。



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