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国策に従わぬ首長への脅し
長崎市長銃殺事件
              殺し屋雇った背後勢力誰か    2007年4月20日付

 伊藤一長・長崎市長が選挙運動の最中に銃殺されるという事件が起きた。投票日を4日後に控え、現職市長で事実上の信任投票といわれた候補者が卑劣きわまるテロで抹殺されたのである。理不尽に殺されたのは伊藤市長である。だが伊藤市長個人だけの問題ではなく、ぶちこわされたのは選挙であり、民主主義であり、主権者としての市民の権利である。長崎では「天皇に戦争責任がある」と発言した本島等市長が銃撃され、本島市長を破って市長になった伊藤市長は銃殺された。市民に選ばれて市長になるものは銃で撃たれるというのでは、カポネ時代のアメリカ・シカゴのような暗黒政治であり、民主主義も地方自治もあったものではない。

 カポネ時代の様な暗黒政治
 伊藤市長は、被爆地長崎の市長であり、反核平和を世界に訴えてきた市長である。多くのものが、広島の市長と比べてもはっきりものをいうという信頼を寄せてきた。とくに核の先制攻撃を叫ぶアメリカを名指しで批判したり、国民保護計画では核攻撃事態の想定を除外するなど、国のいうことにも逆らって、被爆地の市長として譲れぬ独自の見解をはっきり述べてきた。それはまた、「規制改革」の叫びで中央にヒラメをやるばかりで地元市民に横柄かつ冷酷な首長が増える中で、地元に足をおき、地元の市民に育てられたタイプの市長であった。今度の選挙でも、事実上の信任投票といわれ、敵対勢力が選挙で引き下ろすことのできないような市民の強い支持基盤があった。
 だから殺されたのだと人人が受け止めているし、そのように受け止めさせることがこの事件が持つ重大性である。事実、広島の秋葉市長は警官同席で記者会見をやり、全国の地方選では警備付きで選挙演説に回る状況が広がっている。選挙が無くとも、市民におされて米軍再編を拒否する岩国市長など、いささかでも国策に逆らって市民の利益を守る首長は人ごととは受け取れない。国の圧迫下にある全国の首長を脅しつける。そのような選挙の自由、政治活動の自由を奪う効果が、この事件の持つ全国的で政治的な深刻さである。
 銃撃犯人は市長への3〜4年前の個人的な恨みが動機だといっている。少年事件ではあるまいし、暴力で飯を食うプロが、単なる個人的感情で、金にならない人殺しをすると信じるわけにはいかない。だれもが、事件が効果としてもたらした政治的重大性と合わせて、それをはじめから意図した背後の暗黒勢力が、「殺し屋」として雇ったと疑うのが当然である。犯人は事前に報道機関に手紙を送るなど、ことさら「個人的動機」を世間に伝えようという意識が強い。それが逆に背後勢力の存在を疑わせている。誰が「殺し屋」を雇ってこのような卑劣な行為をさせたのか。犯人が主張していることだけ認めるというのでは捜査当局にはならない。
 この事件について、怒るものばかりではなく、喜ぶものもいる。「テロ対策」に熱を上げてきたはずの安倍首相は、このテロ事件には「真相を究明しなければならない」と冷ややかなコメントをし、市長交代を働きかけていたという長崎出身の久間防衛相は、死亡してもいないうちに次の市長を心配する発言をして批判されている。発言する被爆地長崎の伊藤市長がいなくなることは、アメリカが喜ぶことだけは確かだと多くのものは見なしている。
 長崎で野蛮なテロ事件が起きたのと時を同じくして、国会で憲法改定のための国民投票法案が審議に入っている。改定する憲法草案は、項の題名から「国民主権」を削除し、「戦争放棄」の章題は「安全保障」に変更、「戦力不保持」、「交戦権の否認」を削除して「自衛軍の保持」とし、「公共の福祉」は「公益および公の秩序」と転倒させ、「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」の項は「表現の自由」だけにする。「生存権、国の社会的使命」は「国の社会的責任」を削除して生存権は個人の責任というわけだ。
 「主権在民」も、「国民は等しく文化的な生活をする権利を有する」も、「思想の自由も政治活動の自由」も否定して、集団自衛権の枠を取っ払ってアメリカの戦争に参加する。この流れと今度の事件は歩調があっている。テロでものがいえないようにさせ、気がついた時には戦争が始まっていて否応なく死地に送られたというのが、戦前の5・15事件や2・26事件以後の経験であった。これを再び繰り返すわけにはいかない。

 ”テロ時代到来か” 深い憤り語る長崎市民
 伊藤市長殺害の事件をめぐって、長崎市民の間では、重苦しさを感じながら、この事件が「単なる個人的な動機」ではなく、そうした伊藤市長のやり方を好まない背後勢力の意向が働いたとみられており、「テロ時代の到来か」「うかつにものもいえない時代になった」と深い怒りが語られている。
 思案橋で飲食店を営む50代の男性は、「ヤクザが4年前のトラブルを持ち出して、いまごろ市長を殺す動機になったとは考えにくい。建設業界も仕事がなく、トラブルなど日常茶飯事のこと。選挙中の市長を殺害することで与える影響の大きさを考えれば、個人の感情でやれることでないのはその世界に長くいる人なら分かること。しかも、下にやらせず組長みずからやったこと自体がおかしい。なにか大きな力が働いたとみるのが普通だ」と語る。
 別の商店主の婦人も、「最近の暴力団はお金に困っている。上部組織にみかじめ料は払わないといけないし、仕事はないしで、事務所を差し押さえられた組もある。金がらみでないと動くわけがない」と話す。「伊藤市長は親しみ深かったし、長崎では他に市長のできる人はいなかったので残念。カトリックの本島市長は天皇の戦争責任発言で右翼に撃たれたが、伊藤市長はアメリカ批判をしていた。長崎ではうかつにものもいえないではないか」と不安をのぞかせた。
 市内で自営業を営む70代の男性は、「伊藤市長は、国連で原爆の犯罪を訴えるなどアメリカに対して強烈なメッセージを送ってきたし、平和式典でもアメリカべったりの小泉首相の目の前でもアメリカ政府を正面から批判していた。私も原爆で6人兄弟のうち4人を殺され、アメリカのやり方は黙っておれない。仇を討ちたいという思いで生きてきたから、いまもイラクで米軍に自爆テロを挑むイラク人の気持ちがよくわかる。伊藤市長は被爆はしていないが、そんな市民の思いを理解していた」と語る。
 また、「長崎は地元のつながりを重んじる地域性で、高田県政時代には中央から副知事が降りてきたが1期でやめたり、隣接する長与町へのジャスコ出店に対しても長崎市から反対運動がおきるなど地元志向がとりわけ強いところ。伊藤市長も地元優先の土着型で、地場産業を守る立場から規制緩和で各地に大型店ができるなかでも長崎市内には作らせなかったし、公共事業なども抑制していた。アメリカ型の市場原理をすすめる国との関係では対立があっただろうが、そういう面で市民からの人気は強かった」と振り返った。
 「小泉や安倍はアメリカに抱き込まれて、なんでもいいなり。今回の統一地方選でも官僚出身の落下傘候補を各地にいれて、地方を中央のいいなりにしようとしている。今回も後釜の候補には東京にいた娘婿が名乗りを上げているが、何者かさえわからない。今から長崎はどうなるのか心配だ」と語った。

 核攻撃叫ぶ米国を批判 市民に親しまれた存在
 長年自治会長を務めてきた70代の男性は、「市長は町内の階段に手すりをつけてくれと頼むとすぐに動いてくれたり、ゴミの分別作業に出てきたり、市民とのふれあいを大切にする人だった。今回の選挙も圧勝といわれて安心していたのに1市民としてさみしいですね…」と顔を曇らせた。
 「個人的な感情でヤクザの組長が単独行動をやるとは考えられない。なにか政治的な黒幕があるような気がしてならない。私は父と妹が原爆で亡くなり、親戚に預けられて育った。毎年、慰霊式典に参加してきたが、首相や衆参議長がいる前で市長が“アメリカは反省せよ”とやるのを見て、救われる思いがしてきた。秋葉市長とは違ってはっきりとした主張が長崎市民として誇らしかった。でも、それがアメリカからは煙たがられていたはず」と話し、「暴力で人を黙らせるようなことは許せない。アメリカでも大学で乱射事件が起きていたが、日本も同じようになっている。被爆地としていうべきことはいわないといけない」と語気を強くした。
 民生委員の70代の婦人は、原爆で4人の兄弟を失った経験を語り、「伊藤市長は親戚も被爆しているし、長崎市長として原爆のことだけは国に対しても譲らなかった。長崎の被爆者はこれまで原爆=かたわ者といわれて口に出せなかった。戦後世代の政治家は小泉さんにしても安倍さんにしてもアメリカのいいなりばかりで自由をはき違えている。テレビでブッシュの前でデレデレしているのを見るたびに腹が立ってしょうがない」と話した。

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