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熱気帯びる礒永詩祭取組み
               没後30年で1000人の文化祭     2006年10月4日付

 8日、下関市の海峡メッセ下関で開催される「没30周年記念・礒永秀雄詩祭」が間近に迫っている。すでに下関市内をはじめとして、自治会掲示板や学校・公民館、商店などに多数のポスターが貼り出され、学徒出陣を体験した礒永の平和のイメージと「虎」の詩が市民の目をひきつけ、強い反響を巻き起こしている。2日からは市内を宣伝カーが回りはじめ、礒永の詩「こがらしの中で」の朗読が市内各地で響きわたっている。宣伝が広がり世論になって当日は誘いあって参加しようと各地で話されている。山口県内と全国の詩祭賛同人も285人にのぼっている。亡くなって30年たった詩人の顕彰のつどいが、1000人規模の会場で広範な人人の手によって持たれるという、日本の文化・芸術運動史上、画期的な催しになろうとしている。

 全国の詩祭賛同人は285人に
 長門市の小学校4年生の子どもたちは、詩祭当日、母親や教師と一緒に礒永童話「花咲く桃の木の下で」を劇にして演じるために練習を積み重ねている。親が親を、子どもが子どもを誘いあって劇の出演者は20人をこえた。子どもたちはカラスや菜の花、レンゲなどのお面をかぶって出演する。桃の木やおきぬ婆さんの機織りなど小道具も準備した。
 はじめは子どもたちは劇をするのが楽しみで、「楽しいお話」と思っていたが、自殺しようとするお母さんを救うという、楽しいだけのお話ではないというのがわかってきて、感情がこもってきている。最初真黒いカラスを、「まあけがらわしい」と見下す場面は、飛ぶような勢いで避けるように、そのカラスが実はやさしい心を持っており、カラスがお母さんを救ってくれたあとの「ありがとう」という言葉は、本当に心を込めて叫ぶようにいおうと話しあっている。とりくんでいる教師は「劇の練習をしながら参加者は文章以上の読みとりをしている。みんなで、弱い者を助ける、人としての心持ちを学んでいる」と話している。
 出演する戦争体験者も、その練習に一段と熱がこもってきている。ビルマのインパール作戦に参加し九死に一生を得て日本に帰ってきた宇部市の西田政治氏は、みずからの体験と殺された戦友たちへの思いをこめてエッセイ「8月の審判」を朗読する。毎日、正座し襟を正して練習を重ねている。当日は地域の老人クラブの仲間とともに参加しようと呼びかけている。
 「本土決戦首都防衛・陸軍水上特攻隊員」の経験を持つ愛媛県の黒田義清氏は、詩「十年目の秋に」を朗読する。黒田氏はこの詩に台紙を貼って持ち歩き、練習に余念がない。「礒永さんの言葉が胸に響く。全人生かけて読むつもり」と語っている。

 広島や光市から出演も
 広島県の被爆兵士・松田政榛氏は詩「虎」を朗読する。松田氏は歩兵として中国で6年間を過ごし、そのあとは硫黄島に送られ、途中アメリカの潜水艦に撃沈されて太平洋を漂流。そののち広島で被爆した体験を持つ。軍隊に行った者が戦後は「加害者」とされ沈黙を余儀なくされてきたが、「また戦争を身近に感じるようになり、今どうしても体験を語り伝えなければ」と思っている。その思いを、「吼えろ虎」という詩の朗読にこめる。
 礒永秀雄の出身地である光市では、礒永が戦後初めて教壇に立った室積中学校の同窓会役員会で紙芝居「鬼の子の角のお話」(元室積小教員・田中義雄氏作。8日、ロビーの展示コーナーに展示される)が披露された。教え子や礒永に親しみを持ってきた人人のなかで詩祭に参加しようという機運が、高まっている。詩祭当日は、室積中学校時代の教え子・河野伊和氏が「恩師礒永秀雄の思い出」を語るとともに、教え子と光市からの参加者が登壇して、礒永作詞の「室積中学校校歌」を歌うことになっている。
 また自作詩の朗読をおこなう詩人の作品も、事務局に届けられた。下関詩を朗読する会「峡」の野村忠司氏が「真金はいかばかり」、同じく「峡」の川原孝雄氏が「八月…六一年目の夏」。現代によみがえる礒永芸術への感動と、その詩精神を受け継ごうとする願いが伝わってくる。
 展示コーナーでは、大人の絵画の出品者が全国に広がり、出品予定の13氏・121枚の作品がすでに到着。続いて子どもたちの感想画90点がすべて到着した。
 感想画を寄せた下関市のどんぐり児童画教室では、主宰者が絵画教室のさいに礒永童話「おんのろ物語」「鬼の子の角のお話」の読み聞かせをおこなった。子どもたちが真剣に聞くだけでなく、大人も筆をとめて聞き入ったという。
 80代の主宰者は「戦後、日本人が忘れてしまっているものがたくさんある。親があり、祖父母があり、またその祖先があり、営営とつながって今がある。時代は変わっても変わらないものがある。しかし昨今、こうしたことが捨て去られている。絵画の世界でも、油絵ばかりが脚光を浴び、本来の日本画がおざなりになっている」「礒永さんの戦争体験からくる詩を現代に伝えていこうという試みは大変意義あること。こういう作品が今、必要だ。とくに若い世代に広げたい」と語っている。詩祭当日は教室に来ている母親や子どもたちと一緒に参加する。

 全国へ広がる期待 互いに誘いあって・集団参加の動きも
 詩祭への参加者もここに来て勢いがつき、「ポスターを見て行こうと思っていた」(遺族)という声、文化サークル、PTA関係者、病院や企業などがチケットをまとめて購入し集団で参加する動きがあり、また市内各地から下関空襲展に参加した人が「夫婦連れで参加したい」と語っているなど、大きな広がりを持ってきている。
 下関市内のある美容室を経営する婦人は、「あれほど“平和”“平和”といっていた日本が、本当に戦争をするようなところにきた」と危機感をのべると同時に、「しかし戦後日本人は平和ボケとなり、親殺し子殺しなど人間が退化してしまった」と植民地的な退廃状況を憂えた。その婦人が「『虎』の詩は今にピッタリ。日本人が忘れてはいけないものがここにある」とのべている。
 下関市で文庫活動をおこなってきた婦人は「一かつぎの水」を読み、「小さなことでもみんなのためにと多くの人が努力していると思う。そうした生き方を励まされる詩だ」と感動の面持ちで話した。
 防府市のブリヂストンの下請で働く労働者は、資本の厳しい搾取と仲間同士の団結破壊という現状のなかで、休憩室に礒永の「おんのろ物語」を置いて仲間に読んでもらってきた。その経験から礒永秀雄の世界はだれもが共感できるものだと確信を持ち、同僚の青年、集金に来る農協の若い職員や近所のスーパーに集まる子どもたちに礒永作品をすすめ、詩祭に誘っている。
 山口県外でも、中国・四国・九州地方を中心に詩祭に参加する人が増えている。「詩祭の呼びかけ」を見て涙したり、「日本を変えるつどい」という訴えに共感して参加しようとしている。
 礒永秀雄は、太平洋戦争という支配階級による犯罪的な戦争を身を持って体験したことを詩・芸術の出発点とし、生涯そこから離れなかった。それとともに戦後の社会の「民主主義」「豊かさ」というさまざまなまやかしにだまされず、そこに社会の腐りきった崩壊を見てとり、そして新しい社会を創造する力は人民のなかにあるのだと、それに惜しみない賞讃を捧げた。この礒永の時代意識が現代に生きる人人の心をとらえている。詩祭当日に向けて、礒永秀雄作品を広げ顕彰する運動はますます広がりを見せている。

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